表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕は空「気」になりました

作者: kony

1章 学び

僕が空気になった時、嗚呼、なんて綺麗な光だろう。すっと力が抜け、気持ちが良かった。全ての支配から解き放たれ、今までの記憶が音もなく消えていく。そして、僕は空気になった。

最初の一年は、ただ気流に乗り、世界中をぐるぐる回った。色々なことを学んだ。とある国では、息つく間もなく汗水流して働く人々がいた。そんな国に流れ着くと、他の空気たちがそっと冷たい空気となり、汗を拭い、忙しく働く人々に安らぎを与えた。夜はそよ風となり、若い恋人たちの頬を撫でる。すると、たちまち恋人たちは色気に襲われ、熱く口づけを交わす。そんな光景を見て、空気も悪くないなと思うようになった。

ただ、不便なのは、空気だけでは移動が難しいこと。空気と風は一心同体、ゆらゆらと風に乗って飛んでいく。それはまだ本当の空気になっていないからだ。ゆらゆらと風に運ばれ、騒々しくも陽気な国にやって来た。空気も陽気になり、酔っ払いの体内に吸い込まれ、アルコールまみれとなって吐き出される。そんな翌日は、空気としても最悪だ。吐き気となって酔っ払いに復讐する。酔っ払いの周りをぐるぐると回り、「飲みすぎるな」と警告する。だが、この陽気な国の人々は毎夜、飲んで歌っての大騒ぎ。空気のことは気にもしない。

そんな人々を尻目に、流れ流されて氷の国へやって来た。空気さえ凍る凍てつく寒さ。太陽が沈まない白夜と、太陽が昇らない極夜がある。白夜の国は、時間が止まったような場所だった。まるでガラス細工のように透き通っている。美しく、悲しい、透明な海を見ていると、ぼんやりと記憶が波のように押し寄せる。寒気を覚えた。

自然豊かな白夜の国を上昇気流に乗って離れると、気がつけば薄暗く息苦しい神秘の境目を漂っていた。下を見れば、宝石のように輝く地球が見える。空気の限界層を漂い、息苦しさから目を覚ますと、轟音、地響き、叫び声。空振で吹き飛ばされ、殺気を感じた。「なんて酷い地だ!」 銃を持つ男にそっと近づき、その体内に入り込む。呪いの言葉のように、「撃て、撃て、殺せ、もっと殺せ」と脳をかき乱した。男は狂ったように銃を乱射し、次々と人を殺戮していく。僕は男の体を抜け、その瞳を見た。燃え上がる炎と崩れ落ちるビルが映し出されていた。僕自身、人を殺した高揚感と殺伐とした空気の中で、達成感すら感じていた。

空気とは無であり、感情もないはずだった。だが、それは違っていた。空気の「気」を手に入れてしまったのだ。同時に、短くて暑い夏のことを鮮明に思い出した。あの夏、僕は君に殺された。深い黒い海へと沈められた。空気は形容を変え、足音も立てず、静かに、着実に、君へと近づいていく。



2章 「気」使い

気の使い方を学ぶため、僕はさまざまな空気と旅をした。「気」とは、手に取れぬもの、ゆらぎ漂いその存在を知らしめる或るもの。気が合う者同士は惹かれ合うのだろうか。この時間はたまらなく愉快で、卑猥で、焦ったい時間である。数多くの「気」を使いこなすには、それなりの勉強が必要だ。

空気として無になった僕が今さら勉強だなんて、笑ってしまう。先輩の空気Aは言う。「人を生かすも殺すも、その気になればどうにでもなる。空気は魔物だ。だから人は空気を入れ替えようと、『換気』というものを努力してきたのだ」と。

空気である僕たちから言わせれば、何をしても同じこと。「気」とは人それぞれに巣食う魔物。良く言えば妖精、天使だ。恋人同士にするには好気を使えばいい。別れさせたければ嫌気を使えばいい。子を誕生させるには生気、死なせるには殺気。大人として発散させるには淫気。これらを使いこなし、人々を操る空気になる。

ある少年の恋心に、少し悪さをしてみよう。夕方の音楽室。ピアノを奏でる少女が、夕陽に照らされ、レースのカーテン越しに幻想的に映る。恋に溺れた少年が、そっと彼女を見つめている。

少女の奏でる音色が響く。もしそれが「猫ふんじゃった」ならば、少年は我に返り、嫌気がさして下校してしまうだろう。だが、もし音色が「おにごっこ」(優里)ならば、幸気が心に温かな風を吹かせ、少年はスキップして下校するに違いない。

そして空気Bに殺しの極意、そう殺気を教えて貰う事になる

何度も言うが空気は「無」だ殴る事も、暴言を浴びせる事も出来ない

その場の空気を使って殺し合わせる、自死に追い込むしか方法はない

空気Bは簡単だよ、本当に試してみるかと言う、続けて空気Aも言う、殺してしまうと全てを奪ってしまう事だよ、悲しいよって

議論は白熱した、殺されたんだから復讐すべきだよ、復讐からは何も生まれない

等々、色々な空気達と白熱した議論をするが答えは出ない、そのまま他の空気達は

風に流されていった。僕には言えなかった数年前に戦場の空気として怒りに任せ殺気となり人々を殺戮した時の達成感をそして僕も風に流されゆらゆらと彷徨い始めた


3章 寂しがり屋の空気たち

もうすぐ空気になって5年が経ちます。この世界にも慣れた今日この頃、私は「気」を操り、風を読み、行きたい場所へ自由に漂えるようになりました。 しかし、日本に帰ることには抵抗があります。夏が訪れるたび、故郷への想いが胸を締めつけます。それでも、私はずっと帰っていません。やはり、私を殺したあなたを思い出してしまうからです。 8月の日本は、さまざまな空気たちが還ってくる季節です。お盆の季節だからです。「一緒に帰ろうよ、早く行こうよ」と誘われますが、私にはまだその勇気がありません。 日本に帰れば、あなたを殺してしまう殺気に支配されてしまう気がするのです。 だから、私は日本の周りをゆらゆらと彷徨っています。 「なんで日本に帰らないんだい?」と風たちによく聞かれます。 私の空気としての生い立ち——あの夏、あなたに殺され、深い黒い海に沈んだ過去——を説明しますが、みな同情的なわけではありません。 「ちっ、なんて心の狭い奴だ」と苛立ちをぶつける風もいます。 なぜ殺されたのか、自問しても思いつきません。 私とあなたが出会ったのは、高校二年生の春でした。あなたは斜め前の窓側の席で、やけに良い香りを出していました。私はあなたを斜め後ろ45度から見るのがとても好きでした。ツンとした鼻、綺麗な顎のラインがとても綺麗で、風に揺れる髪の毛がとても綺麗で、黒板を見ているより長かったのです。 あなたの体はガラスを溶かす時の様に、炎の様に輝き、艶く艶を放ち、触ると火傷しそうな危険な輝きを持っていました。 かつて、あなたの体は柳が揺れるようにしなやかで弱々しく、触れると揺れ、触れた者を優しく撫でるようでした。人と言うより芸術品の様に美しく、あなたの全てが好きでした。 そんな昔の思い出を、私は空木のようにゆらゆらと彷徨っています。私と同じ様に寂しげな空気達も、ゆらゆらと彷徨っています。 私はその空気に、なぜ地上に降りないのかと尋ねました。すると、誰からも求められていない、気が無いのだと答えました。 私は「気?」と尋ねました。同じ空気同士だから教えるよ、空気は風に乗って運ばれて行くだけではないんだよ、と。 空気を求めている人の場所に吸い寄せられて行く場合もあるんだ、人だった時に陰が薄かったからね。誰も気にしてくれていないんだよ、そんな地上に行くのも気が引けるね。私は妙に納得しました。


4章 気まぐれな風に乗って

気がつけば、僕が死に、空気になって10年。世界中を漂泊してきた。

あらゆる地で、熱気と狂気、人の叫びと絶叫が交錯する。

そんな人々にも空気は欠かせない。新鮮な空気を求めることは、自由を求めることと同義だ。空気は自由そのもの——だが、自由を求め、時に憎悪に駆られて銃を手にし、我先にと清浄な息吹を奪い合う。それが容易に手に入らぬことを知らない。知ろうともしない。

そして、気まぐれな風に乗せられ、地震の爪痕が刻まれた壮絶な場所にたどり着いた。

親を亡くして泣きじゃくる子、子を亡くして慟哭する母。埃が舞い、炎が揺らめき、地獄が広がる。

ふと、風の囁きが耳に届く。空気たちが上空からヒソヒソと囁き、まるで自業自得だと嘲笑っているようだ。僕を呼ぶ気配を感じた。

そこは病院の中だった。傷ついた老人と少女がベッドに横たわり、懸命に治療する医師たちの常軌を逸した怒声が響き渡る。どの気配が僕を呼んだのか、様子を伺うと、それは一人の医師からだった。真っ赤に染まった手、その指先には鋭く光るメスが握られている。額から汗が滴り、瞳から涙が溢れていた。

その瞬間、僕の霊気が凍りついた。この医師は、10年前の君——太陽だった。春の教室で炎のように輝き、柳のようにしなやかだった君。17歳の夏、僕を黒い海に沈めた君。27歳の今、血と涙にまみれ、遠く日本から離れた地で命を繋ぐためにメスを振るう君。

様子から、すでに何人もの命と向き合ってきたのだろう。希望と絶望を繰り返し、声にならぬ呻きを念仏のように唱えていた。

この医師は僕に何を期待しているのか、何を思っているのかを知るには、まだ観察が必要だ。僕は霊気のように君の周りをぐるぐると彷徊する。

次々と運ばれてくる患者たち。君は持てる全ての力を注いで治療に当たる。

ふと、声にならない念仏が微かに聞こえた。「空、空、空、戻ってこい、戻ってこい」と。えっ? 君なの、太陽なの?

僕は動揺した。10年前の君、太陽がそこにいた。ここは日本から遠く離れた地。君は医師として働いていたのだ。

殺したはずの僕の名をなぜ…。この場をすぐにでも逃げ出したかった。しかし、風は吹かなかった。何年もの間、君を見つけたら殺気となって復讐すると誓っていた。だが、恐怖と、僕を殺した相手と対峙する勇気の欠如に縛られ、僕は気配を消した。

夜中、君は病院の廊下で呆然と月を見つめていた。無力感と喪失感が君の肩を揺らし、月の光に浮かぶ。小さく漏れる嗚咽が響く。「また救えなかったよ、空、許してくれ…」と。


5章 遥かなる愛

炎が揺らめき、地獄が広がるこの地で、君――太陽との再会は予期せぬ出来事だった。

この数日、僕は冷気となって君の周りを漂っていた。

連日続く地獄のような光景の中、君の瞳からは涙が幾度も乾いては溢れ、表情からは正気が失せていた。瞳が年老いていくのが分かった瞬間、君の声が小さく響いた。「空、空、助けてくれ」と。

その声に、僕は10年前、あの黒く冷たい海へと沈められた日のことをゆっくりと思い出した。

あの日はひどく暑く、二人で自転車に乗って海へと向かった。

太陽の首筋を流れる汗が、陽光に照らされて宝石のようにキラキラと輝いていた。

後ろからそっと見つめながら、僕は君の腰に手を当てた。太陽は細くしなやかな体をくねらし、「くすぐったいって、やめろよ」と笑いながら振り返った。その笑顔は、誘うような光を放っていた。

君の香りが近づくにつれ、君との距離が消えた。

僕はそっと背中に顔を寄せた。「やめろよ」と言うけれど、太陽の背中は温かく、しっかりと僕を受け止めてくれた。

「しっかり掴まってろ!」と君が言うと、自転車はぐんぐん加速した。海へと続く道を、風を切って走る。

太陽の汗が僕の肌に染み込み、全身で君を感じていた。

小さな声で「好きだよ」と呟くと、太陽は片手で僕の膝を軽く叩いた。

――聞こえていたのだろうか。

それは二人だけの、幸福な無の時間だった。

そして、僕らは海に着いた。見慣れた海とはまるで別世界だった。

夏の田舎の海は、平日ともなれば賑わいもなく、君の匂いが溶け合う魅惑の潮の香りが漂っていた。そこは僕と君、僕と太陽だけの世界だった。

沖へと続く堤防の先端は、二人だけの聖域だった。

太陽は海に着くなり、堤防の先端から勢いよく飛び込んだ。

青空に映える、しなやかで程よく筋肉のついた体が弧を描いてダイブする。色白な肌が陽光に照らされ、誘惑の香りを残して海へと消えた。

君は魚のようにキラキラと光りながら泳いでいた。

「空、早くこい!」と眩い笑顔で僕を呼ぶ。

僕は堤防の梯子をゆっくり降り、海へ入った。

君はまるで獲物を狙うサメのように、素早く僕に近づいてきた。

立ち泳ぎをしていると、君は僕の耳元で「好きだよ」と囁き、頬に軽くキスをした。

そして、ぐんぐん水中へ潜っていく。

僕も獲物を追うサメのように太陽を追いかけた。

水中は、本当に僕ら二人だけの空間だった。

手をつなぎ、魚のように泳ぎ回った。

そして、初めてのキスをした。

太陽の体から僕の体へ、熱い空気が流れ込む。

僕も君の体に空気を送り、誘惑の遊びのように戯れた。

そしてけたたましく鳴り響く救急車のサイレンで

再び、地獄の世界へと引き戻された


6章 淀んだ空気

太陽の周りを冷気となって漂い始めてから、何日が経ったのだろうか。

レンガと土塀でできた君の部屋は、地震によって荒れ果てていた。

壁には大きな亀裂が生じ、小さく歪んだ窓から朝日が差し込む。埃がカーテンのように白く浮かび上がり、薄暗い部屋をぼんやりと照らしていた。

亀裂からは水が滴り落ち、湿気を帯びた部屋はもはや人が住める状態ではなかった。君は数日間の疲労が限界に達したのか、ベッドに倒れ込むようにして眠りについていた。

そこへ、数年前に出会った別の空気が、地震で傾いた窓の隙間からそっと入り込んできた。

「久しぶりだな」と挨拶を交わし、彼は言った。「空を殺した相手を見つけたようだな」と。

「ああ、やっと見つけたんだ」と僕は答える。「今だよ。寝ている間に殺してしまおう」とその空気は僕をけしかけた。

「君なら簡単だろう? さあ、早く止めを刺してしまえ。手伝おうか?」と畳み掛けるが、僕はためらっていた。あの夏の記憶が鮮やかに蘇ってきたからだ。君が耳元で囁いた「好きだよ」という吐息が、今も胸の奥で響いていた。

その空気がふと尋ねた。「あの棚にある写真、君が空気になる前のものだろ? 二人とも可愛い顔をしてるじゃないか」

僕もその写真に目をやると、それは懐かしい教室での一枚だった。

それだけではない。棚には、僕と君が一緒に写った写真がいくつも大切そうに飾られていた。空気が冷たく言う。「こいつ、サディストだな。殺した相手の写真を記念品みたいに飾るなんて、悪趣味な奴だ」

その言葉は僕を諫めるためのものだと感じたが、心に刺さる言葉だった。

「よく考えるんだな」と言い残し、その空気は部屋から流れ出ていった。

今、部屋には僕と太陽だけがいる。僕は君の体の埃を払うようにそっと撫で、ベッド脇の壁に貼られた新聞の切り抜きに目を奪われた。

そこには、「溺れた同級生を助けようとした友人が死亡」という見出しと共に、その詳細が記されていた。

――僕が、太陽を助けようとして死んだ?

僕は名残惜しいが太陽の元を去った


第7章 足跡

僕は太陽の足跡を辿ることにした。

日本へ帰るんだ。「早く帰りたい」

風の音が静かに耳に残る。

漂う空気の中で、僕はふと胸の奥から湧き上がる切なる思いに気づく。

「早く帰りたい」

遠く離れた記憶の彼方、あの夏の温もりが今も鮮明に心を締めつける。思い出すのは、あの陽射し、海の匂い、そして君の笑顔。

過去と向き合い、もう一度自分自身を見つめ直す。

漂う空気の中で、僕はゆっくりと進み出す。風が優しく背中を押す。

「帰ろう、君の足跡を辿って。」

日本の夏はやはり熱い。

僕は太陽が過ごした年月を詳しく知りたかった。あの新聞に書かれていた事故の真相、それが分かれば、僕の殺気は消えていくだろう。

日本に戻った僕は、太陽の家に漂い込んだ。そこには古びた木製の机と、埃をかぶったノートの山があった。その中に、一冊の擦り切れたノートが目に留まった。

表紙には小さく「空へ」と書かれていた。

ページをめくると、太陽が僕に宛てて綴った手紙が時系列で並んでいた。一通目は事故の直後だった。

「空、ごめん。俺を助けるために、空を殺してしまった。無邪気に遊んだあの日、大切な空を失ってしまった。好きだとちゃんと言えなかった。もっと空との時間を過ごしたかった。」

ページをめくるごとに、太陽の文字は震え、涙の跡で滲んでいた。

「君がいなくなってから、僕の世界は無色になった。笑うことも、泣くことも、何もかもが空っぽだ。」

彼は医師になることを決心した理由も綴っていた。

「もう二度と、大切な人を失わないと決めた。僕は誰かの命を救いたい。」

手紙は年月を経るごとに、後悔と自責の念が静かな決意へと変わっていった。

「空、今日は初めて人を救うことができたよ。小さな男の子だよ。空のような大きな瞳で、栗毛色の可愛くわんぱくな9歳の男の子だ。最初はメスを握る手が震えているのがわかった。そのとき、空の命と引き換えに水中で僕に空気を送り込んでくれたこと、それを思うと震えは止まり、勇気が沸いたよ。ありがとう、空。」

そして最後の手紙には、こう結ばれていた。

「空、君がもしどこかで見てくれているなら、僕は頑張れる。」

僕は風に揺らぎながら、ページを閉じた。

太陽のノートは毎日、毎日、僕への報告と謝罪と愛のある文字で溢れていた。そして僕のとの関係が日本では辛く世界を君も彷徨っていたのかな


8章 愛再び


君の足跡を辿り、太陽が僕への愛が今もなお続いていることに、僕はありがたくも悲しくなった。あれだけ君を殺して復讐を考えていた自分は何だったのか。

僕は君に何をしてあげられるだろう。

君をベッドの上から見守っていた。君とできなかったこと、もっともっと君を愛したかった。

そして、僕は君に寄り添うように、恋気となってそっと君のそばに漂った。かつて海で交わしたキスの温もりを思い出し、優しい風となって君の頬を撫でる。君の心に、愛の記憶をそっと呼び起こしたかった。君は静かな寝息の中で、かすかに「空、空」と僕の名を呟く。その声は、遠い夏の潮騒のように胸を締めつける。

僕は君の周りを、柔らかな気となって舞う。君の髪をそよ風で揺らし、かつての愛を囁くように耳元を撫でる。君の体は、月光に照らされ、静かに波打つ海のようだった。僕はその波に触れるように、君の心に愛の風を送り込む。君の夢の中で、僕らは再びあの海辺にいる——手をつなぎ、魚のように泳ぎ、初めてのキスを交わす。

君の指先が震え、記憶の温もりに導かれるように動く。僕は君を包む気となり、君の心を無の静寂へと誘う。そこには復讐も悲しみもなく、ただ愛だけが漂う。君の唇から漏れる僕の名は、風に乗り、夜の空へと溶けていく。

10年の歳月を取り戻すかのように何度も何度も君を体を駆け巡った。


9章 永遠の別れ

君の変わらぬ愛を確信した僕は、そよ風となって君のそばを漂った。月光が君の顔を照らし、夏の海のように静かに揺れる。君は太陽だ。燃える光で僕を照らし、僕の無を有に変えた存在。だが、その愛はあまりにも重く、胸を締めつける。君の愛を確信したからこそ、僕はこの無であることに耐えられない。自由なはずの空気なのに、君の光に縛られ、辛く思えた。

別の空気がそばに漂ってきた。戦場で殺気に染まった僕を諫めたあの空気だ。「まだここにいるのか、空」と彼は言う。「君はもう、過去の鎖を解いたんじゃないのか?」

「解いたさ」と僕は答える。「だが、君の愛は僕を照らし、縛る。自由なはずの空気なのに、君の光から逃れられないんだ。」

彼は静かに笑う。「空気は自由だ、そら。愛も、憎しみも、全部風に預けてしまえばいい。君はもう、十分学んだだろう?」

「人間に戻りたい」と、風の中で泣いた。君の温もり、吐息、汗さえ愛おしい。あの夏、君の首筋を流れる汗が陽光に輝き、僕の肌に染み込んだ瞬間。君の「好きだよ」という囁きが、潮騒のように耳元で響いた。あの時、僕は君を抱きしめ、君の熱を感じ、君と一つになることができた。だが、今の僕はただの空気。君に触れたい、君の光をこの手で掴みたい。無であることに、初めて絶望した。

その時だった。道路を挟んだ向かいの建物から、爆音とともに炎が上がった。火事だ。真っ赤な炎が夜空を染め、君の部屋へと迫る。僕は君を起こそうと、風の力を借りて部屋の中を暴れ回った。「太陽、起きて! 逃げるんだ!」 飾られていた僕たちの写真を何枚も床に落とし、君を起こそうとした。

君は目を覚まし、床に散らばった写真に手を伸ばした。僕たちの思い出を拾おうとする君。このままでは君が危ない。僕は歪んだ窓から勢いよく飛び出し、炎が君を飲み込むのを阻むように、燃え盛る炎へと突き進んだ。炎は夜空を真っ赤に染め、上へ上へと舞い上がる。僕は空気としてその流れを押し、君の部屋への延焼を防いだ。

窓に君の姿が見えた。君は真っ赤に染まった夜空を見上げ、手には僕たちの思い出の写真を握りしめていた。君の目には涙が光り、まるで僕を感じているようだった。「さよなら、太陽。お別れだ。」 僕の空気は炎と共に燃焼し、君が霞んでいく。僕を照らし、焼き尽くした光。さよなら、君。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ