ハウリングナイトの七日目 また明日から誰かが死ぬ
夜が来た。
佐藤美穂十六歳は自室の窓からそっと夜空を見る。深い紺色の海を背負っているかのように明るく照らす満月がぽっかりと浮かんでいた。
星々のきらめきは月明かりに紛れてしまっている。この世界では満月が主役だ。星々はただの脇役として主役を引き立てているにすぎない。
何せあと一週間は満月が続くのだから。
そして、それまでに全て終わらせないと皆死ぬ。
いや、正確には美穂たち人間が、だ。
ここはバーチャルリアリティによる体感型人狼ゲームの中。ハウリングナイトと呼ばれるこのゲームはプレイヤーが人間と人狼の二つの陣営に分かれて勝敗を競う。
人間は毎日日没までに人狼と思しき人物を投票によって一人決め処刑する。一方、人狼は毎夜一人ずつ喰い殺すことができる(作戦としてあえてスルーすることも可能)。これを繰り返し人狼が全滅すれば人間の勝利。人間の数が人狼と同じ数になるまで減れば人狼の勝利。
母と娘の二人暮らしだった美穂はひょんなことから手に入れたエントリーチケットでゲームに参加していた。長時間の拘束を強いられるとのことだったが、母は都合良く泊まりがけの仕事に出ているし美穂もテスト明けの休日に入っていたので何ら問題はなかった。親のいぬ間にゲームし放題である。
そう、これはただのゲーム。
処刑だの喰い殺すだの物騒な言葉を使っていても現実には誰も傷つかない。頭に装着した専用のヘッドセットを外せば平穏な日常に戻ることができる。
……はずだった。
誰かがゲームのシステムを乗っ取った。
ゲーム開始から十三日経過した時点で決着がつかなければ無条件に人間側の敗北となる。該当するプレイヤーはヘッドセットから放射した強力な電磁波によって脳を焼かれて死ぬ。また、ゲーム中に死んでも電磁波が流れる。
と、アナウンスされたのは美穂たちが最初の処刑を執行し終えた時のことだった。
この段階で生存者数は二十二名。
人狼の数はゲーム終了まで公表されないので一人とは限らない。過去にはゲームの途中から人狼に目覚めたケースもある。
期限までゲームが続く保障などどこにもないのだ。
また、一度ゲームに参加したのならば終了するか死亡するまで抜けることはできない。無理にシステムとの接続を切ろうとするとやはり電磁波が放たれて死ぬ。
体感的にはゲーム内でも二十四時間だが現実にはゲーム内での一日はリアルの一時間ほどである。つまり、十五時間くらいの時間で大量の死者が出るかもしれないのだ。
今日は七日目。
システムアナウンスは言った。七日目は安息日である、と。故に人間側の投票はない。
極端に圧縮された時間感覚と人間の死という脳への負荷を一旦リセットするために必要な措置をするのだそうだ。
美穂にはそれがどんなものかを知らない。知ったからといってどうにかなるとも思えなかった。とにかくこの狂ったゲームから降りたかった。人を処刑するのも殺されるのももう沢山だった。
コツコツ、とドアが叩かれる。
反射的に身体をびくりとさせてしまった美穂は声を上ずらせつつ応じた。
「は、はい、どなたですか?」
「朝比奈です。佐藤さん、ちょっといいかな?」
その声は同じ人間側のプレイヤーで、美穂がゲーム内であてがわれた部屋の隣人の朝比奈優だった。彼は最初の犠牲者が出たときに美穂のアリバイを証明してくれた人だ。そのことがきっかけでよく行動を共にするようになっていた。
ドアを開けると朝比奈が柔和な笑顔を向けてくる。長身の彼は手足も長くモデルでもやっていそうなほどの美形だ。一部のプレイヤーが彼とお近づきになりたがる気持ちもわかる。
美穂が部屋の中へ導くと朝比奈は疲れたように眉尻を下げた。
「いや参ったよ。さっきまで山下夫人に捕まっていたんだ。彼女、なかなか解放してくれなくてね」
「わあ、それはご愁傷様です」
美穂の頭にやたら身体のラインを強調した服を着た気の強そうな女性の姿が映った。早口でまくし立てる様はまるで言葉のマシンガンだ。
あんな人が奥さんだと旦那さんも大変だろうなぁと美穂は思う。エントリーチケットに恵まれなかったため幸運にもゲームは不参加とのことだが。
「どうやらあの人、桃子さんを疑っているみたい。きっと二日目に揉めたのを根に持っているんだろうね」
「あ、はい。そうかもしれません」
ふわっとした髪型の優しそうなお姉さんが頭に浮かぶ。美穂は彼女には好感を抱いていた。美穂のことを人狼だと決めつけた山下夫人の意見に最初に反対したのが桃子だった。
それに何かと気遣ってくれる桃子は一人っ子だった美穂にとって姉のような存在になっている。
「大体怪しい人は処刑されてるから今後は投票も難しくなるだろうね。それと誰につくのが有利とか誰を売るべきかとかの駆け引きも必要になる」
「えっ、でも私たちの勝利条件は人狼を全滅させることですよね?」
「うん」
うなずき、朝比奈は窓の外に視線を向けた。
「けど、誰が人狼なのかわからない現状では結局信用とか好き嫌いで選ぶようになると僕は思う。たとえば山下夫人のような人は自分に都合の良くない人間に投票するんじゃないかな。そして、彼女のような声の大きい人は他の人にも同調を求める」
「……」
あり得る話だ、と美穂は判じた。
実際、山下夫人にはすでに数人の取り巻きがいる。その人たちが山下夫人と同じ投票をしたら……多数決での数の暴力はとても危険だ。
美穂はまた自分が標的にされるのではないかと内心震え上がった。ただのゲームなら「あーあ、残念」で済む。だが、これは命がけのゲームなのだ。絶対に負ける訳にはいかない。
その必死さが伝わったのだろう。朝比奈が優しく微笑んだ。
「大丈夫、佐藤さんは死なないよ。僕が必ず守るから」
「朝比奈さん……」
とくんと胸の鼓動が弾む。美穂は顔が熱くなっていくのを自覚した。これが好意なのかどうか自分でもまだはっきりしないが嫌ではない感情だと思う。
「山下夫人や人狼なんかに君を殺させない。君は無事にゲームを終えるんだ。だから安心して」
「はい」
処刑は多数決で決まるし人狼は誰かもわからない。
助かる保障などどこにもない。
だが、朝比奈は妙に自信たっぷりに断言した。今はそれでいいと美穂は納得する。
そして、朝比奈は自身の言葉を守ろうとするだろう。彼は信じるに値する人物だ。この狂ったゲームの世界で彼の存在がどれほど心の支えとなることか。
美穂の頭を軽く撫で、朝比奈は言った。
「じゃ、僕も自分の部屋に戻るね。また明日から大変だけど頑張ろう」
「はいっ!」
美穂が元気良く返事をすると彼は満足げにうなずいて部屋から出て行った。
よし、私も頑張るぞ!
そう決意した美穂ではあったが翌朝彼女はこのゲームの恐ろしさを思い知ることとなる。
喉を裂かれた山下夫人と顔を潰された朝比奈の死体が見つかったからだ。
急遽告げられたアナウンスにより今後人狼による犠牲者は一人とは限らないということになった。
ハウリングナイト後半戦スタート。
さて、美穂の運命やいかに?
了?