命の値段(中編)
奴隷商人に連れ去られたリーゼを助ける方法を探しながら、アルバートは荒廃したスラム街を彷徨っていた。彼の中には、ただ彼女を見捨ててしまったという後悔と、何とかして彼女を助けたいという決意が渦巻いていた。
「奴隷制度が違法……?」
路地裏で出会ったスラムの少年から聞いた話に、アルバートは驚きを隠せなかった。少年はボロボロの服をまとい、痩せた体に似合わない大人びた目つきをしていた。
「そうだよ。今の領主様は奴隷制度を禁じているんだ。でも、影ではまだ奴隷商人が暗躍していて、貧しい子どもたちが犠牲になってる。」
少年の言葉に、アルバートの胸がざわついた。もしこの情報が本当なら、リーゼを助ける手がかりになるかもしれない。しかし、スラム街の現状を見た彼は、そう簡単に事が進むとは思えなかった。
「じゃあ、領主様に直接会って、このことを伝えれば……」
アルバートの言葉に、少年は小さく笑った。
「簡単に会えるなら、誰もこんな目には遭ってないよ。でも、ひとつだけ方法がある。」
「方法?」
少年は辺りを見回し、声を潜めて話し始めた。
「領主様は芸術が好きでね、特に優れた絵を描いた者には褒美として謁見を許してくれるんだ。だから絵を描けるなら、あんたにもチャンスがある。」
その言葉を聞いた瞬間、アルバートの心にひっかかるものがあった。絵を描くということ。それは彼にとって苦い記憶と向き合うことを意味していた。
少年と別れた後、アルバートはスラム街の片隅に腰を下ろし、過去の記憶に思いを巡らせた。学校での美術の授業――自分の絵が周囲に嘲笑され、先生にまで「もっと普通のものを描け」と言われたこと。あの時の屈辱と悲しみが、再び胸に蘇ってきた。
「僕が絵を描けるなんて……そんなの無理だ。」
アルバートは拳を握りしめ、自分の弱さを痛感した。しかし、リーゼの悲しげな表情が脳裏に浮かび、彼の中で何かが変わり始めた。
「いや、今の僕にはユメセカイでの経験がある。エドワードのように誰に何と言われても描き続けた芸術家の強さ、ミレイアの痛みを理解しようとした勇気、そしてルーミィのように困難に立ち向かった力……僕だって、やればできるはずだ。」
アルバートは深呼吸をし、立ち上がった。
「リーゼを助けるために、僕にできることをやるんだ。」
アルバートは少年達の協力で得た借りた古びた画材を手に、スラム街の一角にある静かな場所に向かった。そこはかろうじて日の光が差し込む場所で、彼は紙と鉛筆を広げ、描き始めた。
最初は手が震えて、何度も線を描き直した。過去の記憶が頭をよぎり、心が折れそうになるたびに、アルバートは目を閉じて深呼吸した。そして、ユメセカイで出会った人々のことを思い出した。
「エドワードならどうするだろう。彼は誰に見られなくても、自分の心の中の真実を描き続けた。」
その言葉を自分に言い聞かせながら、アルバートは鉛筆を動かし続けた。彼が描こうとしたのは、リーゼの姿だった。片目を隠した彼女の表情、その中に秘められた強さと悲しみを、紙の上に刻み込もうとした。
時間が経つにつれ、周囲の雑音が消えていくように感じた。ただ自分と紙だけの世界。描くことに集中するうちに、アルバートの心の中の恐れや迷いが少しずつ薄れていった。
紙に向かう時間は孤独だったが、同時にどこか満たされた気持ちでもあった。何度も失敗しては線を描き直し、構図を修正していく中で、アルバートは自身の成長を感じ始めた。ユメセカイでの経験が彼の中に根付き、筆先に力強さを与えていた。
「絵を描くって、こんなに大変で……でも、自分にできる事はこれしかない!」
ようやく絵が完成した時、アルバートは大きく息を吐いた。紙の上には、リーゼの穏やかな笑顔が描かれていた。片目が隠れていても、彼女の中に宿る優しさと強さが伝わってくる絵だった。
「これで……領主様に会えるかもしれない。」
アルバートは自分の描いた絵をじっと見つめ、自信を取り戻しつつあった。彼はその絵を抱え、再び少年のもとへ向かった。
「これで領主様に会えると思う?」
少年は絵を一目見ると、目を見開いて驚いた。
「すごい……自分には芸術なんてのはちっともわからないけど、ただすごいってのはわかる。きっと領主様も気に入るはずだ。」
その言葉に、アルバートは少しだけ安心した。だが、これからが本番だ。リーゼを救うために、彼は更なる困難に立ち向かわなければならない。
「待ってて、リーゼ。僕が必ず君を助ける。」
そう誓いながら、アルバートは絵を抱えて領主の城へ向かう準備を整えた。彼の心には、これまでにない決意と覚悟が宿っていた。