88:丑三つ時の密会
時刻は午前2時過ぎ。
俗に丑三つ時などとも呼ばれる頃。
殆どの人間が寝入り、通路などの共用スペースの消灯も済んでいる時間帯。
そんな時刻であるのに、戌亥寮0504号室の前には、一人の女子生徒の姿があった。
「燃詩先輩。頼まれていた品物を持ってきました。鍵を開けていただけますか?」
女子生徒の正体はスズだった。
その手には中に何かが入ったビニール袋が提げられている。
そして、スズの言葉に合わせるように部屋の鍵が独りでに開いて、それを確認したスズは部屋の中へと入る。
「それにしても、どうしてこの時間だったんですか? 私にしてみれば、一眠りしてから届けに来るだけなんで問題は無いですけど」
その部屋の中は寮の他の部屋とは全くの別物と言っても良い部屋だった。
部屋の床の上には何百本ものコードが敷き詰められ、それらによって繋がれた大型のサーバーが駆動音と言う名の唸り声を上げ、それらが発する熱を処理するための水冷式ヒートシンクが動き続けており、何処かの企業のサーバールームと言われた方が容易に納得できる光景となっていた。
そんな部屋の中、コード群の中心、極めて座り心地のいいリラックスチェアの上に、周囲のコードとも繋がっているゴーグルを付けた一人の少女が座っていた。
少女の手は十の指がそれぞれ別の生物のように動き回り、虚空をタップし続け、その度に周囲の電子機器がネオンカラーに輝く。
「そんなの決まっている。麻留田の目を誤魔化しつつ、吾輩とそちらの取引を完了するのに最も都合が良いのが、この時間だったからだ」
少女の名前は燃詩音々。
国立決闘学園三年生、戌亥寮所属、魔力量測定で甲判定を受けて強制的に入学させられると共に、寮の自室で引きこもり続けている少女である。
その髪の毛は魔力の影響でネオンカラーに輝いており、引きこもりの影響で手足は細くて肌は白い。
彼女の姿を見れば、多くの人間は不健康と称するだろう。
「麻留田風紀委員長の目込みでも、昼間でも問題なかったと思うけど?」
「吾輩が嫌なのだ。本人にその気や悪気が無いのが分かっていても、身が竦む。用件なんて書面越しで十分だ、十分。だから、出会う可能性は1%でも下げておいた方が好都合。そうでなくとも、吾輩の存在と能力を知っている人間なんて一人でも少ない方がいいに決まっている。荒事なんて見たくもない。麻留田の前では話しづらい話題もあるしな」
だが、彼女……燃詩が自室に引きこもっている事を問題視されることは無い。
それは燃詩のマスカレイドが極めて特殊な能力を持っており、ある意味では既に現役かつ最前線のプロ決闘者と言っても過言ではないからだ。
「そうですか」
「そうだ。それで例の物は?」
「はいどうぞ。昼間の内に受け取っておいた、有名和菓子店のお饅頭です」
「うむ。よろしい」
スズは燃詩にビニール袋を渡す。
それと同時に燃詩が虚空を何度かタップすると、スズのスマホがメールを受信したことを知らせる音を鳴らす。
「しかし、自分の対戦相手ではなく、恋人の対戦相手の方の情報を優先するのか。それも吾輩の手まで借りて。先に言っておくが、裏も隠し玉も無かったぞ」
「構いません。打てる手を打っておきたかっただけですから」
スズのスマホに届いていたのは、グレーターアーム……時刻的には今日の午後にはナルと決闘する事になる生徒の情報。
それもスズ自身でも簡単に調べられるような既に公開されている情報から、本名に生年月日、出身地、家族構成と言った現代ではあまり表には出せないプロフィール情報に、本人の趣味嗜好に始まって、次の決闘ではどのようなスキル構成で行くつもりなのかと言った、表には出てはいけないような情報まで揃っている。
おまけに、それらに付随するように各種企業や団体との繋がりまで、明記されていた。
正にグレーターアームと言う決闘者が何者であるのかを完全に明らかに出来るだけの情報が揃っていた。
「なるほど。うん、これならナル君が慢心しなければ、勝ちは揺るがないかな」
「モグモグ……それはそうだろう。今回の決闘の主題は最初から勝ち負けではなく、どれほどの攻撃ならばナルキッソスの守りを揺るがす事が出来るのか、その指標を学園側が求めての事だ」
さて、そのような情報を燃詩はどうやって得たのか。
決まっている。
これが燃詩の仮面体の能力である。
燃詩の仮面体は、一般の電子機器に接続し、その性能を飛躍的に向上させると共に自由自在に操れるようになる、と言う能力を有している。
その力の前では、魔力が関わらないプログラムやハードウェアは無力と言っても差支えが無いほどである。
そして、そのような力を利用すれば、生徒一人の個人情報程度、幾らでも入手可能であった。
つまり、燃詩は電脳戦とでも呼ぶべき領域を舞台にして、戦う事が出来る貴重な決闘者なのである。
では、そんな貴重な決闘者とスズはどうやって知り合ったのだろうか?
「そしてこの情報は吾輩たちにとっても重要だ。ナルキッソスは太陽の女の恩寵を極めて厚く受け取っている。その守りを打ち砕く事が出来れば、我らが大洋の女に対する信仰も少なからず増す事だろう。ふっふっふ、これで忌々しい真夏の太陽ももう少し陰れば……」
「女神と現実の太陽の間に相互関係は無いって、女神自身が言ってましたよ、燃詩先輩。後、狂信者共が騒がしくなるので、現状でアビスへの信仰が盛り上がるのは良くないと思います」
「どちらも知ってる。だがフリくらいはしておけ。吾輩もお前も、大洋の女の恩寵を受けている身である事に変わりはないのだからな」
「その恩寵にしても、私の場合は現状だと、便利で助かってはいるけれど普段は……と言う程度なんですけどね」
二人の間でだけ通じる共通項……アビスあるいは大洋の女と呼ばれる存在を認識しあっていると言う事情があったからである。
そうしてスズと燃詩は知り合い、燃詩が求める物品とスズが求める情報を交換し合う関係性が生まれたのだった。
「機嫌を損ねすぎるとヒステリックに叫び出すぞ。四六時中、耳を塞いでも聞こえてくるようにだ」
「ナル君に相手されないからって私に喧嘩を売ってくるメス共のがヒステリックだから、あの程度だと煩わしいとも思えないんですよね」
「そのずぶとさは吾輩にはないものだな。羨ましい」
「これくらいでないとナル君の隣なんて務まらないですから」
「大洋の女関係で愚痴らせるためにも、時々はこの時間に来い。そうすれば、必要な情報をくれてやる」
「ありがとうございます。燃詩先輩。無理でない程度に尋ねさせてもらいますね」
二人の関係性は現在は良好と言っていい。
他の人間には二人の繋がりが何故生まれたのかは知られていない。
しかし、スズはナルの為に、燃詩は自身の精神の安寧の為に、互いを利用し、密かな関係を維持する事を選ぶのだった。
スズの情報源の一つです。
なお、アビス繋がりがあったので、スズは容易に接触できていますが、そうでなければ燃詩の方が接触を拒否します。
燃詩の例外は麻留田風紀委員長くらいです。




