85:体育祭本決定
月曜日の午後。
体育祭の各競技に誰が出場するかを本決定するために、戌亥寮の一年生たちはミーティングルームに集まっていた。
「それでは今からミーティングを始めます。まずはこちらが、先週時点での各自の希望をまとめたものになります」
そこではまず、全員の希望をまとめた表が張り出された。
で、人数が多すぎる競技と、誰も希望者が居ない競技については、赤い縁取りがされていた。
「さて翠川さん」
「ああうん、分かっているから大丈夫だ。諏訪さん」
前者については、当事者が話し合って、譲っても良い人間が他の競技へと移る事になる。
なお、ここで譲ったなら、他の競技への参加希望はその分融通されると言うのが、一年生の間で共有されている不文律である。
戌亥寮は個人主義が強めの寮ではあるが、だからこそ、あまりにも身勝手な振る舞いは抑制されている。
そんな事をする人間は必要な時にも協力してもらえなくなると、理解しているからだ。
「10000m徒競走の出場資格を戌亥寮の一年で満たしているのは俺だけ。だから、そこは俺が出るしかない。そう言う事だろ?」
「分かっていてもらえて何よりだ。ああ、当然だけれど、無理はしなくていいから。無理やり出てもらう以上、どんな結果になっても許容するのは当然の事だからね」
そんなわけで後者……誰も参加希望者が居なかった競技である徒競走の10000m部門については、ナルが出場する事に決まった。
ちなみにだが、此処までは諏訪、獅子鷲、スズ、その他戌亥寮頭脳労働陣にとっては先週の時点で規定事項である。
マスカレイドを発動したまま10000mを走破すると言うのは、偶然やデバイスを変えた程度で早々に達成できるものでは無いからだ。
それでも実際の変更をこの場にまで伸ばしたのは……何かのきっかけで才能が開花して、ナルよりも速く10000mを走れる一年が出てくる可能性や、ナルが諏訪たちの考えを尊重してくれる様を見せるパフォーマンスなどが理由となる。
「さてと。じゃあ、他の競技についても絞っていこう」
そうして誰も損しない茶番を挟みつつも、着々と各自の参加競技が決まっていく。
なお、今日この日に至るまでに、事前にスズたちが根回しを計っていた事は言うまでも無いことであり、だからこそ、誰も損しない茶番なのである。
「では、これで本決定とさせてもらう。もしも変更したい場合には、体育祭開催の二週間前までなら間に合うから、俺こと諏訪か、獅子鷲さんのどちらかに申し出て欲しい。ただ、既に満杯になっているところに入りたいと願うなら、交換でない限りは決闘案件になるから、その事は十分に理解しておくように」
諏訪の言葉に一同が頷く。
とは言え、多少の変更はあっても、決闘を伴うほどに揉める事はまず無いだろう。
そうなるように根回ししているからこそ、今があるのだから。
「さて、無事に決まったな」
「うん、そうだね」
「揉めなくて良かったです」
「方々に手を尽くした甲斐がありましたネ」
さて、ナルたちの参加する競技はこうなった。
ナル:10000m、強行突破、特殊決闘・プロレス
スズ:曲線、円盤投げ、特殊決闘・プロレス
イチ:飛び石、射的、借り物競争
マリー:ダンス、やり投げ、借り物競争
「マリーはだいぶ変わりましたね」
「調整の煽りをもろに喰らった感じですねネ。とは言エ、元よりマリーと相性のいい行事ではありませんからネ。ほどほどにやらせていただきまス」
「スズがプロレスに来ているんだが大丈夫なのか? はっきり言って相性がいいとは言えないルールだろ」
「うーん、何とかする。調合の時間さえ確保できれば、戦えるはずだから」
諏訪たちが各競技の一般的な練習方法や練習場所の借り方、今後の予定などについてアナウンスをしている間、ナルたちは感想を言い合っている。
周りもそれを咎めたりはしない。
アナウンスを邪魔するような声量で話をしているわけではないし、ナルたち四人は諏訪がアナウンスしている事くらいなら知っているだろうと言う共通認識があるためだ。
「あ、そうだ。ナル君。せっかく一緒の競技になったわけだし、これだけは言っておくね。手加減無用、だよ」
「言われなくても。俺は決闘の場に臨んだのなら、誰が相手であっても全力を尽くすだけだ」
「ふふっ、流石はナル君だね」
「決闘者として良い心構えですね」
「本当ですネ。良い事でス」
手加減無用。
スズの言葉にナルは一片の躊躇いもなく頷き返し、スズはその返答を嬉しそうに受け取る。
それでよいのかと思われそうではあるものの、マスカレイドを用いた決闘は基本的に命のやり取りにまでは至らないし、男女の性差と言うものも存在しないものである。
だから、躊躇いなく返せるかは別として、ナルの返答そのものは一般的なものと言える。
「それでは本日は解散とする」
そうして諏訪の宣言と共にミーティングは終了。
この場は解散となった。
そして、生徒たちがそれぞれの用事を始めるべく部屋から去っていき、ナルたちも部屋を後にしていく中で……スズは一人で笑みを浮かべる。
「ふふっ、ふふふふふ。よかったぁ。上手くいって。ナル君がプロレスに参加するからと、他の参加希望者の人たちと頑張ってお話をした甲斐があったね。これで後は体育祭本番の時に私が負けないように頑張るだけ。そうすれば自然と……ふふふっ、ナル君と舞台の上で二人っきりになった上に、ナル君が私だけの事を考えてくれる、そんな素敵な時間が始まってくれるんだね」
既に部屋の中にスズ以外の人影はない。
いっそ不自然と言ってもいいほどに、解散は素早く進んでいた。
『負けるために戦いを挑むのなら、挑む意味なんてない。女神の恩寵著しいあの男に勝てる見込みはあるのか? 無いなら、我が恩寵は……』
「五月蠅い。人払いはありがたいけど、人が悦に浸っているところを邪魔しないでくれる?」
『五月蠅いだと? 我が……』
「心配しなくても勝てる見込みはあるよ。そうでもなければ、ナル君に決闘を挑んだりしない。勝てない勝負に自分から無意味に突っ込むだなんて、ナル君に嫌われるだけじゃない。でも絶対に勝てるわけでもない。だってナル君だもの。ナル君のことも良く分かっていない女神の癖に、変な事を言わないでくれる? ふふふっ、私の思っている通りに動いてくれても、私の思わないように動いてくれても、素敵なナル君を間近で見られる。嬉しいなぁ……。あ、恩寵とか要らないから。と言うか決闘の邪魔をしないで。ナル君との逢瀬に干渉するのなら、貴方がアビスと呼ばれる女神であっても……許さないから」
『……』
「一応言っておくけど、助けてもらっている分で、出来る限りの協力はする。でも私はそこまで。それ以上が欲しいなら、まずは貴方の使徒を名乗る不逞の輩を何とかしてからにするべきじゃない? でないと、貴方の信徒と名乗る事だって出来やしないんだから」
否、事実として不自然であった。
不自然であったから、スズは自分にだけ聞こえるように響く声に返事をしてから、部屋を去った。
人ならざる者からの尋常ではない囁きを、何でもない普通の言葉のように聞き流して。




