58:名付けの授業
「それでは定例の甲判定限定ミーティングを始める」
月曜日の午後。
ナルたち魔力量甲判定組はいつもの教室へと集まると、今週のマスカレイドの授業で何をするか、今後どのような行事が予定されているのか、その際に何をする事になるのかと言った各種連絡事項を伝えると共に、話し合いが必要な部分については話し合うためのミーティングが始まった。
「知っての通り、来週の水曜日、5月1日にはデビュー戦が行われる。その為、来週のミーティングは無し。その日はもう各自の最終チェックに専念する事になる。では、今週は何をやるかと言えば……名付けだ」
「名付け? ああ、麻留田さんの『鋼鉄の巨兵』シュタールみたいな……」
味鳥先生の言葉にナルが呟く。
その言葉を聞いた味鳥先生は一度頷くと、再び口を開く。
「その通りだ。ただ、麻留田で言うところ『鋼鉄の巨兵』のような『二つ名』については、自分ではなく周囲が決めたものの中から、これならば名乗っていいと言うものを選ぶ形になるため、考えなくてもいい。今お前たちが考えないといけないのは、麻留田で言うところのシュタールの部分だ」
味鳥先生はそう言うと、名付けの意義についての説明を始めていく。
その説明を端的にまとめるならば。
名付けによって仮面体の能力が大きく変動するような事は無い。
変動したとしても、それはほぼプラシーボまたはノセボの範疇であり、そうと分かっていれば問題が無いものである。
しかし、一度名付けた名前の変更には、相応の理由が必要となるため、慎重に決める事。
となる。
「味鳥先生、そもそもどうして名付けなんてする必要があるんです? 本名じゃ駄目なんですか?」
「いい質問だ、遠坂。そうだな。名付けの必要性については、伝統的にそうなっていると言うのもあるし、名前を利用した一部のスキルや仮面体の機能対策と言う面もある。ただ一番大きいのは……成人して本格的に活動を開始した後、一部の変なのへの対策だな」
「変なの?」
味鳥先生の言葉にナル、徳徒、遠坂、曲家と言った面々が首を傾げる。
変わらないのは、既にその辺りの事情を察しているらしい縁紅、吉備津、羊歌の三人ぐらいであった。
味鳥先生はそんな生徒たちの反応を確かめてから、話を続ける。
「学園卒業後、此処に居る面々はほぼ間違いなく決闘者として、様々な人物、組織、国家から依頼を受けて決闘に臨む事になるだろう。すると当然な話だが、全戦全勝とはいかず、時には負ける事だってあるだろう。そうして負けた時に……本当に極稀な話だが居るんだ。負けた決闘者に対して逆恨みとしか言いようのない感情を抱いた上に、その怨みを暴力の類で晴らそうとするものが」
「……」
「仮面体に自分とは別の名前を付けておくことで、そう言う連中の逆恨みからの犯行が届きづらくしているわけだな。現に名付けが一般化して以降は、その手の犯罪は一気に起こりづらくなった」
「でも、ウチたち甲判定組はお披露目会で名前も仮面体も知られてしまっているっすよ? 今更名付けても意味がないんじゃないっすか?」
曲家の疑問は尤もなものだった。
だから味鳥先生は言葉を続ける。
「普通ならそうだな。だが奴らはそうじゃないからな。あるいはこれが女神の加護なのか。その手の連中はどうしてか、あのお披露目会で出された名前や仮面体を真実であると認識できなくなるらしい。だから、お披露目会については大丈夫だ。逆に言えば、守ってもらえているのはお披露目会の時だけ。だから、次からは別の名前を付けておく必要があるわけだな」
お披露目会の場。
アレはある種の儀式が行われていた場であり、その手の人間を炙り出して監視するための装置であったと言う真実を。
「なるほど……」
「ああそうだ。お披露目会の秘密については甲判定者、一部教師と政府関係者しか知ってはいけない事なので、外では喋らないようにな。家族にも話すんじゃないぞ。私が話す前から知っていたものも若干名居るようだが……何処で知ったのかは聞かないし、聞くな。いいな」
「今それを言うのっ!?」
「うわ、不安になって来た……」
「あはは。あー、僕が知る限り、お披露目会の秘密は真実みたいだけど、気を付けてね」
「公然の秘密にも近いみたいだけどな」
なお、その後に続いた言葉によって、教室は一時騒然とした。
「……」
そうして教室が騒がしくなっている中、一人の生徒が物憂げな表情を浮かべていた。
護国巴である。
「はぁ……」
巴の頭は昨日の昼からずっと、とある事で占められていた。
それは日曜日に行われたナルと護国家の話し合いでの出来事。
巴はスズが準備し、渡してくれた傍受装置によって、あの話し合いの場での会話を全て聞いていた。
だから結局は断れず、ナルが護国家の代理人となり、自分との婚約を賭けて決闘に臨む事になったのを分かっている。
問題は、その話し合いの内容ではなく過程。
『このやり方で夫婦としての時が得られると思っているのなら、今すぐ医者に掛かってこい。耄碌』
『最初の一歩すら成立しないって言ってんだよ。こっちは。国の為? 家の為? ふざけるな。本気でそれらを守るなら、まずは身内を守って協力するのが大前提』
『他の提案もそうだ。俺への褒賞とは名ばかり。実際には飼い殺しにするための首輪と餌』
『護国家が渡そうとしている褒賞モドキの汚物はほぼ全部突っ返す』
『俺が勝っても、護国さんへの護国家による干渉は今後控えてもらう。許すのは最低でも護国さんの側が望んだらだ』
『今回のこれはあくまでも婚姻の約束でしかない。だから事情が変われば、何時だって破棄は可能にさせてもらう。ただ、俺側から破棄する場合には護国巴個人が気に入らなかったのではなく、その後ろに居る護国家が信用するに値しないからであるのは、もうここで明言させてもらうぞ』
普段のナルからは想像も出来ないような激しい言葉の数々。
護国家の代理人となる事を強制されたのに、巴の為としか思えない行動。
護国巴自身は気に入っているともとれる台詞。
そして、これらの言動を気取る事も無く、驕る事も無く、誇る事も無く、ただ自然にやったと言う事実。
これらの事柄によって、巴は自分がナルに対してどう表現すればいいのか分からない感情を抱いてしまっていた。
そしてそのまま月曜日になり、ミーティングで同じ教室に入り、日曜日にそんな事があったなど露ほども感じさせない様子のナルを自然と目で追ってしまって……巴の中の名前の分からない感情は膨らんでいく。
巴はこの感情に名前を付けられなかった。
好意ではあるのだろうけど、恋、愛、好き、素敵、と言った感情ではないと思っていた。
確かにあの言葉の数々は素晴らしかったけれど、ナルは巴の父親と同様に何人もの女性との関係を持つことを良しとしている人物であり、そのような人物に対して、自分がそのような感情を抱くなど巴には信じられなかったからだ。
でももしも?
「もしも私だけを見てくれるのなら……」
もしもナルが巴だけを見てくれて、巴一人を選んでくれたのなら……巴は躊躇う事も無く、その手を取っていた事だろう。
そう巴は自分の事を客観視していた。
だが同時にそれは有り得ないとも確信していた。
ナルには既にスズと言う、陰に日向に、公私に渡って支えてくれるパートナーが居て、二人の仲は傍目に見てもとても良いもので、明らかにそう言う関係だった。
ましてや、巴は今回の件の為にスズが裏で色々と動いてくれていた事も知ってしまった。
それを知ってなお、その仲を引き裂いて間に入るようなことなど、天地が許しても自分自身が許せなかった。
なにせそれは、自分の母親の振る舞いと同種のものであると自覚していたからだ。
複雑な感情が渦巻いては静まり、荒波を立てては崩れ落ち、心の奥底まで掻き乱そうとする。
「決闘……。いいえ、それだけは絶対にない。もしも挑むのなら、それは決闘ではなく勝負にするべき事。決闘とは、本当にどうしようもない時の為の物なんだから」
だが、その波は心の奥底の泥濘まで巻き上げることは無かった。
そして、自らの心に折り合いをつけた巴は一つの決意をする。
「もしも私が決闘で勝ったのなら……いいえ、例え決闘で負けたとしても、その時に私はこの感情に名前を付けよう。そうすればきっと、一歩前へと……誇り高き護国の名前に相応しい人間に近づけるから」
国を護るためにマスカレイドの力を振るう護国家の一員。
それに相応しい行動をするのだと。
「では各自、今週中に自分の仮面体の名前を決める事。決まったのなら私か樽井先生へ提出。その後はデビュー戦へ向けて仮面体の調整を始めるように」
そうして、この日のミーティングは終わった。




