360:ナルVSドライロバー -中編
「は? 誘ってんのか? じゃあ、仕方がな……っ!?」
ナルの声が響き始めると同時に、ドライロバーは一歩、ゆっくりと踏み出し……そして、自身の耳に届いた金属音で正気を取り戻す。
今自分は何をしようとしていたのか、何をしていたのかと困惑した。
気が付けば武器である斧を手放して、両腕を緩やかに曲げつつナルに向かって伸ばそうとしていたのだから、気が付くことが出来るならばそれは当然の困惑であった。
「『銀を紡いだ髪、トルコ石の瞳、白磁の肌、薔薇のような赤。それらを見たいとは思いませんか?』」
「精神干渉か!? 舐めやがって! そんな物が俺に効くと思っているのか!!」
ナルが何をしているのか、ドライロバーは気が付いた。
魅了と呼ばれる精神干渉の一種であり、好意を増幅する事によって相手を意のままにするタイプのものであることまで直ぐに察した。
「『黒の絹に秘された肢体を、力に満ちた体を感じたいとは思いませんか?』」
「そんなに誘ってくれているなら、喜んで乗ってやるよ! 決闘が終わって、女になってからなぁ!!」
そして同時に、自身がナルに向かって敵意を滾らせるほどに魅了の力が抜けていく事から……ドライロバーはこれがイチかバチかの賭けで撃ったものだと判断。
ドライロバーはナルに向かって斧を振るう。
「『美しい、美しい、私のこの身を……貴方の手に収めたいとは思いませんか?』」
が、ナルは言葉を紡ぎながら、ドライロバーの攻撃を紙一重で避け、その上で囁きかける。
言葉に魔力を乗せて、害意を秘めて、舞台上へと響かせる。
その響きはドライロバーの耳に届き、ドライロバーの体に浸透し、攻撃であるとドライロバーも認識しているからこそ伝わっていく。
『縁の緑』と言う切れても繋がっている紐を通して、音と言う振動が伝わっていく。
マスカレイドと言う鎧を纏わずに戦場に立っていた愚か者たちにまで。
「『思うのならば見てくださいな。貴方の道を阻むものを。貴方が望むものを壊そうとする者を。貴方から奪うだけで返さぬ王の姿を』」
「何をゴチャゴチャと言ってやがる!」
ドライロバーは次々に攻撃を放っていく。
だが、そのいずれもドライロバーの攻撃を学習済みのナルには通らない。
時には浅い切り傷を作る程度の事は出来るが、それ以上の傷を負わせることは出来ない。
それどころか、傷口から流れ出る赤は見るものの嗜虐心を昂らせ、欲を膨らませていく。
そう、『縁の緑』で繋がっているドライロバーの部下たちの欲を。
「『ああ醜い。煩わしい。恥ずかしい。力に優れているだけで、他の優れた者を貶し、全てを手に入れようだなんて。貴方が欲しいものを独占しようだなんて』」
「くそっ、その耳障りな声を止めろ!」
「『悔しいと思わない? 悲しいと感じない? 怒りを覚えない? この王は貴方たちに守られている分際でありながら、その恩を仇で返そうとしている。もしも貴方が王であったのなら……ねぇ?』」
気が付けばドライロバーの部下たちは誰もが両目を大きく開き、口を大きく広げ、ナルの一挙手一投足を自分の内に取り込んでいた。
そして作り上げつつあった、自分だけの偶像を。
「『私をもっと見たいのなら、声をもっと聴きたいのなら、触れて、嗅いで、それ以上に感じ取りたいのなら……選んで。王への忠義を果たすのか、私への愛を取るのかを。天秤を傾けて、貴方が王になるために』」
「っ!? なんだ!?」
不意に結界に外から何かがぶつかる音がした。
その音に驚いて、ドライロバーが思わず振り返る。
「俺は、俺は……!」
「許さねぇ! 許せねぇ!」
「なんでお前が! お前じゃなくて俺なら!」
「お前ら!? 何をして……!?」
そこにはドライロバーの部下たちが結界に掴みかかるようにして並んでいた。
焦点の合わない目をして、口から泡を零しつつ、掴めるはずもない結界を掴もうとする光景は、異常極まりない姿だった。
既に観客は騒然としており、いざという時は部下たちを取り押さえる役目を担っていた者たちで困惑を隠せないでいた。
「ナルキッソス!? まさかお前の狙いは……っ!?」
ナルの狙いを察したドライロバーが、ナルに詰問しようとする。
が、その前にナルがドライロバーの正面に立ち、その首筋に手を当て、息を吐きかける。
ドライロバー自身はそのナルの行動に恐怖と気味の悪さしか感じられなかった。
だが、『縁の緑』を介して、ナルの行動に込められた魔力を感じ取った部下たちは……。
「『どうか、私の願いを叶えてくれませんか?』」
「「「ーーーーー~~~~~!」」」
まるで闇の中に光が差したような感覚。
自分の心の内に燻ぶっていたあらゆる劣情に火が点いたような覚え。
そして、自身が作り上げてしまった偶像が囁きかけて来る。
ドライロバーを倒す手助けをしてくれたなら、貴方は私を手にする事が出来る。
と。
幸いにして、その手助け自体は非常に簡単だ。
だって、自身が身に付けている『縁の緑』、その子機を壊してしまえば済むのだから。
壊すために魔力を込める事だって簡単だった。
溢れ出し、有り余るナルキッソスへの感情を『縁の緑』へとそのままぶつけてしまえばいいのだから。
「「「ーーーーー~~~~~!!」」」
だから彼らは何の躊躇いも無く、自分の『縁の緑』を壊した。
そして……絶望する。
「あ……」
「なんで……そんな目を……」
「待て、待てよ。話が違う……」
光が閉ざされる。
火が消える。
偶像は侮蔑の目を向けながら去っていく。
彼らの誰ももうナルキッソスを感じられない。
当然だ、彼らがナルキッソスを感じ取れたのは、『縁の緑』を付けていたからこそなのだから。
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
「ーーーーー!?」
「オボボボボボボボッ……」
反応は様々だったが、いずれも劇的な物だった。
あるものは叫んだ、あるものは頭を抱えて床に打ち付けた。
目を広げたままに気絶する、全身に冷や汗をかき恐怖に震える、失禁する者、他者に掴みかかる者、嘔吐する者。
あまりにもな惨状に、取り押さえるための者たちが救護する人間に変わって、彼らを抑え込み、大ホールの外へと運び出していく。
「『ありがとう。騎士の風上にも置けない粗暴者ども。おかげでお前たちの王の鎧は剥げ落ちた』」
「魔王……っ!? テ、テメェ……こんな事が許されると思っているのか! ナルキッソス! 決闘の外に居る人間に被害を出す事を女神が許すことは……」
そして、その惨状にドライロバーも思わず声を上げていた。
自分の事を棚に上げて、存在しないはずの角と翼と尾をナルの背後に幻視してしまいながら、非難する。
これはルール違反である、と。
それに対してナルはただの微笑みで以って、ドライロバーも観客も凍り付かせながら、簡単に返す。
「女神には確認済みだ。『縁の緑』で舞台上の決闘者を補助する人間は決闘に参加しているのと同義である。故に如何なる影響を及ぼしてもルール違反にはならない。だそうだ」
これは女神が認めたルールの範囲内の行動である、と。
「だとしても、あんな姿を見せるような力を使うことが許されるとでも……っ!?」
「ドライロバー。何を勘違いしている? 俺は、俺たちの文化祭の台無しにしようとした連中を見逃してやるようなお優しい人間じゃない。俺の美しさを自分だけの物にしようとする奴を許すような甘い人間でもない。俺が大切にしているものを貶されて黙っていられるような人間でもない」
「テメェ……」
「そもそも、お前たちがしてきたことは、あの程度の悲惨さじゃないだろうが。だから、俺から言わせてもらうぞ。『お前らがそれを言うな』。耳障りにもほどがある」
その上で重ねる。
どの口がそれを言うのだと。
怒りと不快感を込められるだけ込めて。
「さあ、これでお前の身を守るものはない。だから次は……お前の力を増幅している物を壊させてもらう。俺が勝つためにな。『ドレッサールーム』『ドレスパワー』『ドレスエレメンタル』発動」
「合わせます。『エンチャントフレイム』」
ナルの服装が変わる。
妖艶なシスター服から、上質なシスター服へと。
そして光を帯びる。
圧倒的な守護の力、軽微な癒しの力、温かく包み込む炎、それらを兼ね備えた光を。
その姿は正に聖女と言ってよい姿であり、先ほどまでとはまるで別人のような姿だった。
「っう!? シセットォ! 最大火力を出せぇ! 『エグゼキューション』! 『ハイストレングス』!」
「かしこまりました。『エンチャントダーク』『ピンポインター』」
対するドライロバーは斧を振りかぶった体勢を取った上で、シセットと共にバフを重ねていく。
合わせて全身の黒い靄が、腰の金貨から漏れ出る何かが、ドライロバーの斧の刃に集まっていき、黒くて巨大な刃を形成する。
その姿は『首狩りの処刑人』の二つ名に相応しい恐ろしさを持つ者であった。
そして、動き出す。
スキル『ピンポインター』
次の攻撃の威力を一点に集中させるスキル。
集中させた場所で攻撃出来たなら威力は飛躍的に上がるけれども、それ以外の場所で攻撃してしまうとほぼ威力無しになってしまうと言うスキル。
何処に集中させたのかは傍目にも明らかなので、ハイリスクハイリターンでもある。