308:女神降臨
「女神!?」
俺が気が付いた時には、女神は既に俺の隣に立っていた。
一瞬見間違いや偽物の類かとも思ったが……太陽を女性の形に押し固めて、黄金の衣服を身に纏い、耳ではなく魂へと響かせるように声を発する存在が女神以外に居るとも思えなかった。
だから……間違いなく女神当人がやって来ていた。
「どうして此処に」
『身構えなくても問題はありません。ナルキッソス、貴方が勝ったことは私も確認していますので。私が来たのは……』
いや、身構えるに決まっている。
女神が普段手にしているのは天秤であり、それは決闘に賭けている物や勝敗のバランスが取れているかを確認するものだと言われている。
だが、今の女神はその天秤を持っていない。
代わりに持っているのは……黄金で出来た鎖と剣だ。
『決闘に無関係の第三者を一方的かつ無差別に巻き込んだ上に、後遺症が残らない形ではあったものの心身への傷害を行った、と言う明確な契約違反をした、そこの愚か者を捕縛、処刑する為です』
「ギッ!?」
「っ!?」
気が付けば鎖が動いていた。
そして、舞台に倒れていたペインテイルが顔以外の部分を鎖でグルグル巻きにされた上に、直立させられている。
鎖の隙間からはペインテイルでないものの顔がはみ出ていたりもするが……何かをする事は出来ないようだ。
『では、処刑を……』
女神が剣を振りかざす。
その光景に俺も観客たちも思わず目を見開き硬直してしまう。
『その処刑。少し待ってもらおうか』
だが、剣が振り下ろされるよりも早く、聞き覚えのない……けれど女神と同じように魂を震わせるような響きを伴った声がして、女神の動きが止まる。
『おや、出てきていいのですか?』
『流石に出てこないわけにはいかんだろう』
そこには海を女性の形に押し固めたような女性が立っていた。
肌は深海を思わせる深藍色。
黒い髪を束ねて通しているのは石筍のような白い筒で、その内の二つはどうしてか般若の角のように伸びている。
身に付けているのは石油のようにネバつき揺らめく黒よりのローブ。
不機嫌そうに開かれたその口はマグマのように熱く赤く輝いている。
「まさか……」
その姿を見て、俺の脳裏に浮かんだのはアビスと言う、女神とは別の神の名。
そして、俺は反射的にスズの姿を観客席から探す。
スズとアビスの間には相応の繋がりがあるから、スズならばこの状況に対して何かしらの説明をしてくれると思ったからだ。
が、スズの姿は観客席の何処にもなく、俺はそれで察した。
恐らくだが、今そこに居るアビスは、スズが何かしらの協力をする事で顕現しているのだろう、と。
『先に言っておく。最終的にこの男を処刑をする事には同意する。が、その前にこの男には払うべきものを払ってもらわなければならない』
『契約の対価ですか?』
『いいや、違約金だ。この男、我への支払いにもあの金貨を使おうとした。事前の契約ではこの男自身の魔力で契約の対価を払う事になっていたにも関わらずな』
『ああなるほど。それは明確な契約違反ですね』
アビスと女神の顔がペインテイルへと向けられる。
ただそれだけだった。
ただそれだけだったのに……。
「「「ーーーーー~~~~~!?」」」
観客席にまで二柱の神の圧力が伝わって来て、少なくない数の観客が悲鳴を上げ、中には失神する者も現れる。
勿論、アビスと女神に観客を威圧する意図など無いだろう。
なんなら手加減だってしているはずだ。
でなければ、顔面蒼白な状態になっているペインテイルなど、今更物理的に潰れていたって不思議ではない。
ただ、神と言う存在がその場にいるだけで放たれる威圧感と言うものに、多くの人間が耐えられないだけなのだ。
「っ」
そしてそれは俺も同様で。
観客よりも近い位置に居た俺も気圧されて、自然と足を引いてしまいそうになり……。
そこで不意に思ってしまった。
ふざけるなよ、と。
『さてどうしましょうか。最終処分については私が担当すればいいですか?』
『先にも言ったが、それは構わん。問題はこんな男から違約金を取ろうとしても取れないと言う点だ。だが、何かは取らねばならん。見せしめのためにもな』
『一罰百戒と言う事ですか。悪くはありませんね』
「好き勝手言っているところ悪いが、決闘の勝者は俺だ。契約違反どうこうを言うなら、まず通すべきは俺の要求、俺が結んだ契約の方じゃないのか? 決闘が終わってからやってきたお二方」
だから俺は一歩踏み込んで声をかけ、そのままペインテイルの目前に立てるように歩みを進める。
女神とアビスが俺の方を見ただけで当然のように衣服が消し飛び、マスカレイドも解除されそうになるが、『恒常性』の力で以って無理やりに保って前へと進む。
『ほう。この我の威圧程度では怯みもしないか。だがそうだな。貴様は不愉快だが、言っている事は正しい。確かにまずは勝者である貴様の契約が履行されるべきだ』
アビスはそう言うと、威圧を少しだけ抑える。
それと、笑みの浮かべ方がスズにそっくりな辺り、やはりスズが何かしらの形で関わってはいるようだ。
『この男の頭と魂だけ残しておけば、そこからサルベージして喋らせる事くらいは出来ますが……そうですね。勝者の契約から順番に処理をしていきましょうか。本人が喋る方が、信じて貰えるでしょうし』
女神もそう言うと、威圧を少しだけ抑えて、剣の代わりに天秤を取り出す。
ただ、なんとなくだが笑っているように感じる辺り、此処までの全てが女神の手の平の上と言うか、何というか……うん、アビスが女神を嫌う理由がなんとなく分かる。
『では、この度の決闘の勝者であるナルキッソスが得るものの内、四つの情報について、この場で包み隠さず話しなさい。ペインテイル』
「あ、あ、あああああぁぁぁぁぁっ!?」
女神の天秤が輝き、ペインテイルが叫び声を上げる。
そしてペインテイルは語り出す。
一月前まで上司として認識していた人間は、天石夜来と尾狩参竜である事を。
これまでにやったヤバい事として、数名の子女をコンテナに詰めて海外へ送った事を。
闇のオークションで、一部商品の入札者を誰にするか操作した事を。
尾狩参竜の事を、己の主であり、尊敬するべきであると同時に、恐れるべき人物である事を。
「だが俺は切り捨てられた! トカゲの尻尾として繋がりも分からないように処分された! 今更もうあの人の下には俺が仲間だったことを示すような証拠は何も残っていない! チクショウ! ちくしょう! ちくしょ……」
『はい、黙りましょうか』
で、四つの質問を終えたところで、ペインテイルが騒ぎ始めたので、女神が鎖を動かして口を塞ぐ。
これで俺の勝者としての権利はペインテイルが所有する財産の一部を持っていく事だけとなり、これについてはまた後でいい話だ。
『さて、貴方の違約金はどうしましょうか』
『はっきり言って足りないが、この男の関係先にちょうどいいものがあったので、それを違約金代わりに貰っていく。ああ、ナルキッソス、貴様の取り分には元から含まれない物だから安心しろ』
アビスも何かしらの手段で確保したらしい。
気が付けばその手には、マリーのものに似てはいるが、絵柄が違う金貨が握られていた。
理屈は分からないが、アビスが納得したならそれでいいだろう。
そして、俺の取り分も、アビスの取り分も回収が終わったと言う事はだ。
『では、処刑と行きましょう』
「ーーーーー~~~~~!?」
女神が天秤を剣へと変え、掲げられた剣は光り輝き始める。
それを見た俺は距離を取って、少し遠くで立つ。
アビスはいつの間にか姿を消していた。
ペインテイルは身動きが出来ないままに喚き散らし、鎖の隙間から覗いているペインテイルでない顔たちもそれは同様だった。
『神罰執行』
女神が剣を振り下ろす。
それに合わせるように、建物の天井を透過する形で光の奔流が生じ、ペインテイルだけを飲み込む。
『処刑完了』
そして、光の奔流が消え去った後にはペインテイルの姿だけがその場から跡形も無く消え去っていた。
『今回の件に関するレポートは後日公表いたしますので、興味がある方はそちらを参照してください』
「……」
そうして何事も無かったかのように、女神はその場から姿を消した。
遂にアビスの姿公開です。
ちなみに髪を束ねているものですが、ナル視点なので石筍と言っていますが、正確に言えばチムニー(熱水噴出孔)モチーフとなります。
04/06誤字訂正