302:尻尾払い VSペインテイル -決闘前
「……」
2024年9月20日金曜日。
その日の学園内はどうにも微妙な空気に包まれていた。
なんと言えばいいのだろうか……不安、不気味、不穏、そんな感じか。
少なくとも通常の学園内の空気とは明らかに違った。
「ナル君? どうかしたの?」
「妙な空気はあるが、出所が分からなくてな……」
「妙な空気ですカ。特に感じませんけどネ」
当初はペインテイルと言う学園を卒業した人間が、在学生に対して突然決闘を仕掛けてきた上に、マトモとは言えないような要求をしてきたが為に、このような空気になったのかと思った。
だが違う。
たぶんだが、物理的に何かしらの原因が存在している。
その何かがどのような影響を及ぼすのかまでは分からないが。
「ナルさん。方角だけでも分かりますか?」
「んー、あっちとそっちと……色々なところに散らばっている感じだな」
「なるほど。分かりました。後で調べておきます」
そして、恐らくだが、イチも俺と同じように何かは感じているな。
俺はだいたいの方角を指し示しただけだが、イチは確信をもって何処かを見つめているように思える。
俺とイチが気付いて、スズたちが気付いていないのは……たぶん、これが魔力系統の何かで、ユニークスキル『同化』とその劣化版を扱う都合で、俺とイチの魔力に関する感覚が鋭いからだろうな。
まあ、この話はこれくらいにしておこう。
即座に対処しないといけない問題でないなら、決闘の後に対処すれば大丈夫だ。
「ナル様。分かっているとは思いますが、決して油断はしないでください。ペインテイルは確かに決闘者として知られている人間ではありません。ですが、ナル様に勝てると思える何かは持っているはずです。そして、その何かは掴み切れませんでした。ですので、何が出てきてもおかしくはありません」
「ああ、分かってる」
それよりも今気にするべきは目の前の決闘だ。
俺の前には既に決闘の舞台まで一直線に伸びる通路がある。
大ホールは当然のように満員御礼で、ざわめきも歓声もこちらまで十分に伝わってきている。
「そう言う巴たちも気を付けてくれ。こんな決闘を挑んでくる時点で、マトモな倫理観や知識を持っている事は期待出来ない相手なんだ。女神の脅しなんて気にしたことじゃないと、舞台の脇で観戦しているスズたちに何かをしてくる可能性は否定できない」
「はい。気を付けます。なので、ナル様はこちらの事は気にせず、集中を」
「そうだね。ナル君の言う通り、警戒はしておこうか」
「ですネ。場合によっては席を立っテ、身を隠す事くらいは考えてもいいかもしれませン」
「その時はイチが案内させていただきます」
ペインテイルの基本戦術や持っているであろう特殊な道具の一部は、この一週間で無事に探る事が出来た。
しかし、相手がマトモな戦術を取ってこなかった場合の想定はしきれていない。
イチの叔父さんとその手の者たちが会場の何処かに潜んでいて、何かをする可能性だってある。
警戒はあらゆる意味でしておくべきだろう。
『まずは東より……ナルキッソス!』
「じゃ、行ってくる」
さて、時間だな。
名前を呼ばれた俺は通路を歩き、舞台へと向かって行く。
「頑張って、ナル君」
「ご武運を。ナル様」
「信じていまス。ナル」
「気を付けてください。ナルさん」
「ああ」
背後からかけられた巴たちの声に片手を軽く上げて応じる。
そして、観客の目に触れるところまで来たところで、上げた手を軽く振って、観客たちの声にも応えていく。
そうして、舞台の上へと登ると、腰に手を当てて、ペインテイルの到着を待つ。
『続けて西より……ペインテイル!』
「「「ーーーーー~~~~~!!」」」
「くひっ。いい歓声だ。あー……学生の頃が懐かしいぜ。こんな歓声を浴びたのはあのころ以来だ……くひっ、くくくくく……」
向かいの通路からペインテイルが現れる。
顔は深藍色の宝石が付けられたオーダーメイドであろうデバイスに覆われて見えない。
だが、服の袖口やズボンの裾を見る限り、カフェであった時よりも更にみすぼらしくなっているように見えるし、緑色の紐を付けた手首などからはやつれ具合も見て取れる。
腰に付けたくたびれた袋と言い、まだ気温が高い時期に見合わない厚手の服装と言い、どうにも全体的に不穏な気配も漂っているし……。
『先ほども説明しました通り、今回の決闘は女神が関与する決闘となっております。よって、何人たりとも、その過程と結果に対して異議を唱える事は出来ない事を事前にご承知お願いいたします』
「百パーセント善意で言わせてもらうが、決闘をする前に病院へ行った方が良いんじゃないか? 今にも倒れそうだぞ、お前」
うん、色んな意味で大丈夫とは思えない。
なので、此処で棄権して不戦敗になりつつ、病院へ緊急搬送されてくれ、と言うのが俺の偽らざる感情である。
「ウルセエエエェェッンダヨオオォォッ! 年下の分際で! 量だけ嵩増しした魔力の分際で! この俺に指図をするんじゃあねぇ! テメェは黙って俺のサンドバッグにされた挙句に全てを俺に差し出せぇ! 俺の代わりに稼いで献上しろぉ! それがテメェの存在価値だあぁっ!!」
「そうか」
尤も、そんな感情はこの一瞬で霧散したが。
『ず、随分とヒートアップしているようですが……それではカウントダウンを始めさせていただきます。3……2……1……』
「じゃあ、遠慮なくサンドバッグにはなってやるよ。お前如きに俺は倒せないからな」
俺はデバイスに手をやる。
「舐めやがって……ぶち殺してやる!!」
ペインテイルもデバイスに手をやり、同時に腰を少しだけ落とす。
『0! 決闘開始!!』
そうして決闘が始まった。
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「マスカレイド発動! 魅せろ! ナルキッソス!!」
マスカレイドを発動したナルが光に包まれて、その光の中からナルキッソスが現れる。
身に付けている衣装は学園の女子制服。
既に身構えていて、万全の体勢である。
「マスカレイド発動! 払い除けろぉ! ペインテイル!!」
ペインテイルもマスカレイドを発動して仮面体を構築する。
濁った色の光の中から現れたのは、一言で言えばリザードマン。
右手に曲刀、左手に小ぶりの円盾、胴体に無数のポケットが付いた金属製の鎧を身に着けただけでなく、全身を見るからに硬質の鱗に覆われている。
そして頭部はトカゲのそれであり、瞳は爬虫類特有の縦長の瞳孔を持ち、瞬きはしない。
尾もトカゲのそれであり、ゆっくりと左右に揺れている。
『マスカレイドの発動を確認した。では、我も契約は履行するとしよう』
そうして現れたペインテイルの仮面体を黒い魔力が覆っていく。
威圧感と殺気が増していく。
鱗はより硬くなり、筋肉は張りを増し、口元から覗く牙も鋭さを増す。
その身に纏う不穏な気配が一気に膨れ上がる。
『む……なんだ?』
アビスが困惑する声が一部の者にだけ聞こえる形で響く。
「くひっ、くひひひひ……いいねぇ……いい感じだ。こりゃあ、次も次もってねだる奴が出て来るのも納得だぁ」
ペインテイルには当然その声は聞こえず、ただ自分の体の調子を確かめる。
「『ドレスパワー』『ドレスエレメンタル』発動。次、ね。お前に次なんてあるのか? ここでズタボロにされるのに」
ナルも聞こえていないため、普通に構えながら、スキル『ドレスパワー』とスキル『ドレスエレメンタル』を発動する。
「舐めてんじゃねえぇ!」
「ただの事実だろ?」
そしてペインテイルはスキルを使ったかのような加速で飛び出しつつ、手にした曲刀をナルに向かって振り下ろす。
対するナルはペインテイルの曲刀を盾で真正面から受け止めて、難なく防ぐ。
こうしてナルとペインテイルの決闘は幕を開けた。