298:陽は困惑する
「何を言っているんだお前は」
あまりにも理解しがたい要求だった。
スズたちの身柄を要求するとは、人を物として扱っているようにしか思えない物言いであり、その時点で理解しがたく、どうあっても受け入れられない要求だった。
と言うか、そもそもとしてスズたちの身柄と言うか、体と言うか、何処に居て何をするかと言うのは、スズたち自身が決める事であって、俺がどうこう出来るものじゃない。
なんかもう、この時点で徹頭徹尾反りが合わないと言うか、関わりたくない雰囲気を醸し出しているな。
「黙れぇ! 貴様に許されているのは、この俺、ペインテイルと決闘して敗北する事か、俺に全てを明け渡すかのいずれかだ!!」
男……ペインテイルが口と目を大きく開き、唾を吐き出しながら叫ぶ。
ああうん、隈とやつれ具合からしてそんな気もしていたが、心身の状態に問題があるのではないだろうか。
正気とは思えない。
「スズ、マリー」
「「……」」
俺はスズとマリーの二人に呼びかけつつ、手首に付けている『シルクラウド』社製のマスカレイドだけ出来るデバイスに手をやる。
目の前の相手が正気とは思えない以上、何をしでかしてきてもおかしくはないからな。
「何もするんじゃない! これは女神に与えられた正当なる権利の行使だ! 邪魔する事は誰にも許されない! それでも何かやると言うのなら……覚えておけよ?」
ペインテイルが手に持ったスマホの画面を見せる。
そこに映っているのは道を歩くイチの姿であり、俺の実家の写真であり、スズの両親の写真でもあった。
「……。決闘を受けなかった、決闘に負けたから、そんな理由で誰かを害したり、脅したりするなら、それこそ警察も女神も全力で動く話になると思うが?」
「ああそうだなぁ。けどよ、何もかも失った奴が魔力も使わずに破れかぶれで襲い掛かるなら、女神は何かが起きるまで何も出来ない。不幸にも、偶然にも、運悪く事故が起きただけなら、これもまた女神は何も出来ない。女神が何かしたくても、後手に回る事だけは確実なんだぜ」
ああなるほど。
女神と言えども、事が起こる前に止める事は出来ない……いや、してはいけないから、最初に一人が犠牲になる事は止められない。
一人犠牲になったところで止めて処分したとしても、処分した奴が本当にただの偶然でその一人を襲っていたのなら、それ以上の人間を処分する事は出来ない。
そもそも、何時何処で報復が来るか分からないと言う状況そのものが、普通の人間なら精神を病むのに十分なものでもある。
と言う事か。
「舐めた真似をしてくれる……」
「ゲスですネ……」
「契約の抜け道……馬鹿な事を……」
本当に舐めた真似をしている。
二重の意味で舐めた真似をしている。
俺たちもだが、女神の事も舐め腐った提案をしている。
「なんとでも言いやがれ。俺は……俺には他に道なんてねえんだよ。此処で失敗するわけにはいかねえんだ。俺は何としてでもお前の全てを奪って……くひっ、くひゃひゃ」
ペインテイルが笑う。
その姿が、顔が、本当に気持ち悪い。
心の底から思いつつも、俺は一つ察した。
コイツは使い捨ての駒だ。
コイツが俺に勝てれば好都合、負けても何かしらの利益が得られるように、コイツの後ろに居る誰かは組んでいるな。
それぐらいは俺にも分かる。
「……。スズ、マリー、悪い」
「謝らなくてもいいよ、ナル君」
「ですネ。イチと巴がこの場に居れバ、ナルを支持したと思いまス」
「決めたかぁ?」
となると……逃げられないな。
俺が逃げて、俺の評判が傷つくだけならどうでもいいが、俺が逃げたせいで誰かが傷つくのは受け入れがたい。
ペインテイルとの決闘なら、俺が直接コイツをぶちのめせば済む話であり、対処できる範疇。
だが、俺が関与できないほどに遠くで起きたことは対応できない範疇。
しかも女神や警察でも、その性質上、完璧な対処が出来ないと考えた方が妥当。
「いいだろう。俺、ナルキッソスはペインテイルとの決闘を受けてやる。ただし、こちらからお前たちに要求するものについてはこれから決めさせてもらうんでな。多少の時間は貰うぞ」
「いいぜ。それくらいの時間はくれてやるよ。くくっ、くくくくく……」
正にゲスのやり口としか言いようがない。
腹立たしいことこの上ないが……こうするしかないな。
『決闘の申請を確認しました。天秤の釣り合いが取れるかは不明ですが、現状では問題ありません』
何処からともなく二組の書類が現れて、俺とペインテイルの手の平の上に乗る。
どうやら女神は聞き耳を立てていたらしい。
そのせいか、スズの顔から感情がオーバーフローして消え去っているように見える。
『ナルキッソスがペインテイルに何を求めるかは三日後の9月16日までに。決闘そのものは9月20日の午後といたしましょう。これ以上に詳細な日時と場所は追って連絡します』
色々と決められてしまったな。
だがこれで。
『また、これよりお互いとその関係者に何かあったのならば……覚悟するように』
「おお、怖い怖い……」
ペインテイルとその後ろに居る黒幕が、俺たちの周囲に居る誰かへと攻撃を仕掛ける事は出来なくなった。
それでもなお何かをしたならば、女神は徹底的に調査し、黒幕まで絶対に処分を行き届かせる事だろう。
それを窺わせるほどには、聞こえて来る女神の声は怒りに満ちている。
どうやら、女神も自分の在り方を利用されて気分を害しているらしい。
ただ、その怒りをペインテイルが感じ取れていない辺りからして……何度も同じような事をしているのだろうな、こいつと、その後ろに居る連中は。
「じゃあな。楽しみにしてるぜ。くひっ」
ペインテイルが去っていく。
カフェの中に平穏な空気が戻ってくる。
「本当に悪い。そして厄介なことになったな……スズ、マリー」
「そうだね……。何処の誰なのかは知らないけれど、通り魔と同じだよ、あんなの」
「決闘制度の悪用者。ほぼ間違いなく魔力量至上主義者と言う名の身勝手したいだけの連中ですネ」
俺は息を吐きつつ、イスに深く腰掛けた。
「とりあえずイチと巴に連絡する。二人には勝手な事をして申し訳ないと謝らないとな……」
「ナル君は何も悪くないから気を落とさないで」
「ですネ。そしテ、負けなければ何も問題はないんでス。気合いを入れていきましょウ!」
さて、勝つために決闘の場で全力を振り絞るのは当然として。
ペインテイルが何者であるかや、どんな戦術を使って来るのか、相手側の黒幕が誰なのか、そう言ったのをきっちりと調べないとな。
また同じような事をさせないためにも、今回は徹底的にやるとしよう。
03/26 誤字訂正