296:影は踊る
「喋れ」
「……」
何を言っているんだコイツは。
それがイチの頭に浮かんだ言葉だった。
「聞こえなかったのか。ナルキッソスの弱点を喋れって言っているんだよ。それとも何か? 一発殴られるくらいでないと理解できないのか?」
「……」
イチは改めて目の前の男を見る。
その顔は間違いなく、叔父の部下の中でも取りまとめ役に居る人間で、天石家の役目も知っている人間だった。
体は鍛えられているし、凄みを利かせつつも、イチの反撃を受けないように油断なく立っている。
だからこそイチには解せなかった。
人通りが少ないとは言え、こんな公共の往来で、こんな馬鹿なやり方で、馬鹿な質問をしてくるような人間に思えなかったからだ。
「ちっ、恨むなら、喋らなかった自分を恨み……っ!?」
「……」
男が殴りかかってくる。
イチはそれを無難に捌きつつ後退して……周囲を見る。
怪しい人影は……幾つもある。
明らかに目の前の男よりも諜報員に向かない、チンピラのような男の影が幾つもあった。
「チッ、流石は夜来さんの姪だけあるか。だが、喋ってもらうぜ。勝率は少しでも上げておきたいんでな」
「なるほど」
優秀な人間が、馬鹿な人間に見張られながら、これからお前たちに決闘を仕掛けるから対策をしろと暗に言ってきている。
イチはこの状況を、ある種の茶番あるいは情報提供の場なのだと判断した。
でなければ、決闘学園に通っている上に『シルクラウド』社がスポンサーになっている生徒に対して、声をかけて来てから仕掛けるような真似をするわけないのだから。
「誰が?」
「ちょこまかと! ああクソ、アイツにも見習わせたいくらいだぜ! アイツがこの前の闇オークションで大ポカしなけりゃあ、こんな面倒くさい仕事もしなくて済んだのによぉ!」
だからイチは接近して軽い掌底を当て、避けやすいように打たれた男の拳を捌きつつ、その言葉に耳を傾ける。
まずは誰が仕掛けてくるのか。
それは先日、学園で開催された闇のオークションで失敗した誰かであるらしい。
失敗した誰かと言う事は……トカゲのしっぽ切りあるいは、ナルに負ける前提で挑まされる誰かなのだろう。
勿論、勝ったら勝ったで、利益は得られるようにしているのだろうけど。
「どうして?」
「クソッ! 例の宝石を使わせてもらえば、こんな奴は楽に捕まえられるってのに、無駄に値上がりしちまいやがって! おかげで俺の手元にまで回ってこねえじゃねえか!」
だが、その誰かはアビスの宝石は使ってくるようだ。
恐らくだが、価値が吊り上がりすぎてしまったアビスの宝石の価値を調整しておきたいのだろう。
とは言え、それだけのために貴重なアビスの宝石を使わせるとは思えないので、他にも複数の狙いがあるだろうけど。
「何時?」
「はぁはぁ……くくく、今更謝ってももう遅いからな。怒っちまったぜぇ……」
そして既に決闘の申請については終わっているようだった。
でなければ、怒ったフリをしつつ、怒ったなんて言わない。
「質問だけれど、誰の指示でこんな事を?」
「あ? 言うわけねえだろ。それよりも早くナルキッソスの弱点を話しやがれ、魔力量で劣る癖に口答えなんてしているんじゃねえよ」
「魔力量? ふふっ、魔力量で言えば、貴方よりイチの方が多いし、貴方の後ろに居るのが誰であっても、イチの後ろに居るナルさんより少ないのは明らかなのに?」
「うるせぇ! あんなマトモなスキルを使えない欠陥魔力の持ち主なんざ、どれだけ魔力量を持っていても関係ねえんだよ!!」
やはりそうだったかと思いつつ、イチは理解する。
男に指示をしているのは尾狩参竜だ。
でなければ、魔力量至上主義の事は口に出さないし、ナルがマトモなスキルを使えないと言う立派な弱点を既に知っている事を口に出したりもしない。
と同時に……やはり、天石家の面々は尾狩参竜とその周囲の面々をナルとぶつけて、負けた方を切り捨てる方向で動く事にしたようだと確信を持つ。
当然、家の外に居る人間……例えばこちらを見張るチンピラたちのような者には、気づかれないように。
仮に尾狩参竜側が負けたとしても、契約に従って最後まで忠誠を果たしたと認識されるように。
損なう人員を最小限に抑えつつ、天石家と国がより多くの利益を得られるようにするつもりなのだと。
イチはそう理解した。
「お前たち! そこで何をやっている!」
「ちいっ! 警察か! ずらかるぞお前ら!」
「「「!?」」」
「待て! お前ら何処へ行く!!」
と、ここで警官……の格好をした天石家の人間が現れて、逃げた男を追いかけていく。
そして、イチは一人で取り残されて、怪しまれないためにも、直ぐにその場から去った。
「……」
去って、安全圏にまで移動して、スマホにスズからメッセージが届いているのを認識して。
そこでイチは思った。
不快だと。
自分でも何故ここまで、不快に思うのかは分からない。
天石家がコウモリのような立場で立ち回ろうとしているのを不快に思っているのか。
仕事とはいえ悪党に身をやつし、味方をしている叔父に憤っているのか。
この程度で騙されるような連中に挑まれると言う、ある意味で侮られている事を嫌に思っているのか。
自分を蚊帳の外に置いて、大人たちが好き勝手に事を進めているに腹立つのか。
”好ましく”思っている主であるナルが、都合のいいように使われている事にイラついているのか。
とにかく、酷く不快な状況であると、イチは思った。
思いつつも……気づく。
「あ……っう!?」
自分がいつの間にか、ナルの事を随分と好ましく思っている事に。
主と仰ぎ仕えるだけでなく、その先の……プライベートな面でも親しく、そして深く付き合いたいと思ってしまっていた事に。
何かあった時には助けると言った時の凛々しい表情も、失敗した時の申し訳なさそうな顔も、普段の笑顔も、自分の美を誇っている時の顔も、何もかもが好きで、何時までも眺めていたいと思ってしまう程度には、好きになっていたと。
「い、今は! 今はまず、徹底的な勝利を! 絶対的な勝利を目指しましょう! 既に賽は投げられてしまったのですから!」
イチは自分の顔が赤くなっていない事を確かめてから、学園へと急いで戻ったのだった。
男A「俺、色々な意味で仕事した」(ドヤアッ
※天石家の人間、若手のまとめ役に付けられるだけあって、実はとても優秀な人。
ただし、魔力は乙判定者の中でも最下級レベルなので、決闘者にはなれない。