294:影の集い
「……」
2024年9月14日土曜日。
イチは東京都内某所にある雑居ビルを訪れていた。
此処は表向きの名義は別であるが、実際には天石家が所有し、拠点の一つとして利用しているビルである。
その警備は一見すればただの雑居ビルであるが、正しい手順を踏まなければ、エレベーターにしろ階段にしろ、即席の檻と化して捕らえられる事となる程度には厳重。
「相変わらずの面倒さですね」
「仕方が無いだろう? 此処には表に出せないものが幾つかある。そう言うものがあると示すためにも、此処の煩雑さは必要な物だ」
そんな雑居ビルに、イチは所定の手順を踏んで入る。
そして、現れた案内役の指示に従って、奥へと進む。
なお、このビルに存在している表に出せないものと言うのは、表に出せないものであるけれど、此処にあると知られている物であり、本当の意味で存在すら知られてはいけないものは此処にはない。
それは諜報と護衛の分野における、ある程度重要な物を任せることは出来るけれど、決して失敗を許されない物までは任せられないと言う、天石家の立場を暗に示している物とも言えた。
「よう来た。市」
やがてイチは畳が敷かれた部屋に通され、部屋の中心に置かれた座布団に正座する。
そうして、座ったイチに声が掛けられると同時に、別の扉から大人たちが現れて、その内の一人……老人がイチへと声をかける。
「お久しぶりでございます。お爺様」
現れた大人たちの正体は天石家と天石家が統括する諜報部隊を治める者たち、合わせて約十名。
その内の一人はイチの祖父に当たり、この祖父こそが今の天石家の当主でもある。
また、叔父である夜来の顔も末席の方にだがあった。
イチが知らないだけで、他の者たちも多かれ少なかれ、天石家の血が入っている事だろう。
天石家はそう言う家であるからだ。
「学園はどうだ? 楽しくやっているか?」
「やっております。多少のトラブルもございますが、公私ともに順調です」
「そうか。それは良かった。ならば、今後も翠川鳴輝の護衛は市に一任する形でよさそうだの」
会話の初めはイチの近況。
なお、イチは当然の事として、自分の日々がどのようなものであるかを綴ったレポートを天石家の事務方に渡している。
また、今日は一日、学園には居なくて、実家へ報告へ行くことをナルたちに伝えているし、ナルたちに伝えたと言う事実もまた、レポートにして渡している。
プライバシーなど無いのではないかと言う日々ではあるが、護衛と諜報を行っている身の上なので、この程度は当然と言うのがイチの認識である。
「で、ひ孫は何時になりそうかの?」
「セクハラですか?」
「儂は何時でも構わんぞ。初孫の時も嬉しかったが、ひ孫も抱っこさせてもらえると、儂としては大層嬉しい。ああ、子育ての際には、求められれば、当然出来るだけのバックアップもするでな。そこは安心してくれ」
「セクハラですか?」
「いやぁ。若者たちで仲良くしたのなら、若気の至りでも何でもいいから、学生の内に一度くらいはそう言う事をした方が健全であると儂としては思うところでなぁ」
「セクシャルハラスメントをする家だからと言う理由で縁を切られたいのですか? お爺様」
祖父の言葉にイチは軽く怒りつつも、反撃を試みる。
が、返って来た祖父の言葉は……。
「構わんぞ。それはそれでおぬしの道じゃし、有りじゃろ。まあ、その場合はお互いのためにも完全に縁を切って、その後は何があっても儂らには頼らないでもらうがの」
「……」
「思い出せ、市。この家は、国の為に必要ではあるものの、裏社会にずっぽり浸かっとる家じゃぞ。何時、口封じのために一族郎党の首が落とされたって驚きはせん。そんな家なんじゃから、居るのが嫌な人間なら、知ってはならない事を知る前に出て行った方が良い。それが儂の方針じゃ。そういう訳じゃから、足抜け出来る内に抜けたいなら、儂はそれで構わん。孫の死体何ぞ見たくないしの」
「……」
響きは軽くとも、中身は重ねた年月と覚悟に見合うだけの重さを伴ったものであった。
そして、暗に問われてもいた。
今ここで退くのであれば、縁を切る。
此処で残るのであれば、縁は続くが、何処かで退くことが許されない時が来る。
明確な言葉にはしていないものの、そう告げていた。
「はぁ……。今日の話は何ですか? お爺様。わざわざ直接尋ねたいことがあったから、学園でナルさんの護衛をしているイチを呼び出して、この場を設けたのでしょう?」
「そうか。では、話を進めようかの。ああ、ひ孫を抱っこしたいとかは冗談ではないので、そっちはそっちで覚えておくようにの」
「……」
「睨まんでも進めるわい。まったく、せっかちじゃのう……」
覚悟云々は自分が勝手に抱いた幻想だったのかもしれない。
イチは調子の変わらない祖父の言動に、内心で呆れつつ、白眼視しかけていた。
なお、流石に雑談が過ぎると言う事で、周囲の大人たちも祖父の事を呆れた目で見ている。
表情を一切変えていないのは、夜来一人くらいの物だった。
「では単刀直入に聞こうかの。此度の質問事項は二つじゃ」
ようやく話が進んだと、イチは息を吐きだす。
「一つ目、翠川鳴輝について詳しく教えてもらいたい。人柄も、長所も、短所も、全てじゃ」
そして、思わず息が一瞬止まり。
「二つ目、その翠川鳴輝の幼馴染である、水園涼美についても教えてもらいたい。特に……アビスの信徒として、例の深藍色の宝石、あるいは、それに類するものを作り出せるか否かを。じゃ」
真剣な目で見つめる。
祖父と叔父の二人を。