292:羊歌の狙い
「あそこまで詰めてなお勝てないのか。俺が言うのもアレだけど、あの人は本当に人間か?」
「ナル様の気持ちはとてもよく分かります。バラニーの攻撃は避ける事も防ぐ事も出来ない状況だったはずなのに」
「流石に、そんなのアリ? って気持ちになるよねぇ……」
バラニーとウィンナイトの決闘はウィンナイトの勝利で終わった。
決闘の勝敗そのものについては、俺としてはどっちが勝っても関わりが無いことなので、どうでもいい話なのだけど……流石に最後の攻防については、信じがたいものを見た気分になっている。
バラニーはスキル『リフトアップ』を利用してウィンナイトを高く打ち上げた。
空中で行動するのは、レッドサカーのようにそのための機能を持っているか、何かしらのスキルを利用しなければ、精々が手足をバタつかせる程度しか出来ない、はずだ。
なのにウィンナイトは、俺たちが気が付いた時には空中から地面へと急降下していて、おまけにバラニーの事を剣で貫いていた。
何をどうやって、そんな事を成し遂げたのかは後で記録映像を見て探る事になるのだろうけど……。
うん、少なくとも今回の負けでバラニーが油断してたとか、弱かったとか、そう言う事を言いだす奴は絶対に出ないだろう。
あそこからでも逆転可能だって予想できる方がおかしい。
「ただ、私とナル様はいずれ決闘が組まれてもおかしくないので、対策は考えておかないといけないでしょう」
「そうなんだよなぁ……まあ、本当にそうなった時にそれは考えよう。今から考えてもリソースの無駄だ」
「そうですね」
まあ、決闘そのものについては、また後で考えるとしよう。
それよりもだ。
「今回の決闘でアビスの力の評価はどうなると思う? スズ、巴、イチ、マリー」
「うーん、高まる事は間違いないと思うよ。バラニーの普段の実力を考えたら、ウィンナイト相手にこれだけ戦えたってのは、最終的には負けても、評価をプラスする事にしかならない」
「私もスズと同意見です。デメリットの件はこれから確認する事になりますが、切り札としての評価は確実に出来ると思います」
「イチも同感です。それとウィンナイトが勝ったことで、魔力量が多くなっただけでは駄目だと言うのも示されました。魔力量至上主義者潰しを考えると、こちらの方がありがたい部分ですね」
「目に見える成果は上がりましタ。これで評価できないなラ、そいつは無能って奴ですネ。問題は此処からどうなっていくかの方ですよネ」
「まあ、そうなるよな」
とりあえずアビスの宝石の評価は高まる。
普段使いには向かないが、負けられない決闘で使う分には、何の問題も無いと判断されるだろう。
「ん?」
「ナル君? どうかしたの?」
となれば、それを作り出せるハモの評価も上がる。
だが、宝石の効果で一時的にウィンナイトを上回る魔力量になったバラニーが負けたので、魔力量至上主義と言う主張の正当性は薄れた。
しかし、先述の通り、今回の決闘を見てバラニーの評価が落ちることは無い。
そうなると……。
ん? もしかしなくても、今回の決闘で損をしたと言うか、マイナスの評価を受ける可能性があるのは、魔力量至上主義者だけか?
まあ、そもそもの根本からして間違っている思想だから、マイナス評価を受けるのは当然の事なのかもだが。
「いや、なんでもない」
後、気づいてしまったのだが……羊歌さんなら、此処までの事を全部分かった上で、決闘に臨んでいそうだな。
だからと言って、ワザと負ける気は欠片も無かっただろうけど。
それでも、勝っても負けても自分の利益になるように、周辺を整えている感じがあって……流石は羊歌さんと言う他ない。
「さて、ナル様。私はそろそろ行きますね」
「分かった。羊歌さんには、俺の目から見ても凄い決闘だった。そう伝えておいてくれ」
ちなみにだ。
羊歌さんと巴は固定メンバーで小隊を組んでいる仲であるし、普段から一緒に居る事も多い仲である。
そんな仲であるのに、負けた羊歌さんを慰めに行ったり、アビスの宝石のデメリットを確認するべく、控室の方へいち早く駆け付けなかったのには、当然ながら理由がある。
「分かりました。とは言え、そんな時間があるかは疑わしいですが」
「それはそう」
「真っ先に駆け出していたもんね」
「アレで意識していないは無いですよネ」
ウィンナイトの勝利がコールされると同時に、縁紅が観客席から控室の方へと全力疾走で駆けていくのが見えたからである。
縁紅と羊歌さんの関係性がどのようなものであるのかは、外野である俺たちには分からない。
分からないが、出来る限り邪魔をしない方が良いんじゃないかなと、周囲が思う程度の空気は醸し出している。
だから、巴はこの場で俺たちと感想を交わしつつ、少し待つことを選んだのだ。
流石である。
なお、控室の周囲には味鳥先生も居れば、風紀委員会の副委員長である青金先輩も居るはずなので、トラブルの心配はしていない。
「大切な相手であるならば、周囲からどう見られるかも気にせずに駆けつける……ですか」
「イチ?」
「いえ、何でもありません。ナルさん」
なお、こんな俺たちの会話を聞いて、イチは何か考え込んでいるようだった。
いったいどうしたと言うのだろうか?
何でもないと言うのなら、俺の立場からだと流す他ないのだが。
これは余談となるが。
アビスの宝石のデメリット効果は確かに発揮された。
羊歌さんは昏睡こそしなかったものの、この日から三日間ほどは魔力が回復せず、今回の決闘で用いられたデバイスはアビスの宝石も含めて粉々となった。
当然のように羊歌さんはこのデメリットについても周知。
アビスの宝石……一般的には深藍色の宝石と言われるアドオンパーツは、十分な資金を持つ一部の決闘者が、負けられない決闘に持ち込む使い捨ての道具として、多くの決闘者から認識される事となった。