269:契約とは何ぞや
「契約とは、複数者の合意のもとに結ばれ、当事者の間に権利と義務を発生させる物であり、多くの場合には誰が誰のために、どれほどの対価で何をするのか。そして、不履行となった場合にはどうするかを示している」
何時の間にやら夏季休暇も終わって、二学期に入った。
気温は未だに高く、まだまだ暑いのだが、教室内は冷房がしっかりと効いているので、授業に集中できるようになっている。
「契約は非常に重要で重いものだ。後から知りませんでした、気づいていませんでしたは通用しない。だから契約書はしっかりと読み込む必要があるし、些細な疑問であっても、分からないならば、きちんと質問をして明確にした方が良い」
と言うわけで現在は座学の授業中。
教室内に居るのは、先ほどから黒板の前に立って契約について説明してくれている先生が一人に、俺、徳徒、遠坂、曲家のいつもの生徒四人だけだ。
まあ、授業態度については真面目に受けてはいる。
覚えていられるかは別として。
「契約は人と人の間だけでなく、神を対象に行われる事もある。これらは各地の神話の一部として語られていたもので、女神降臨前は悪く言えば、自分たちの正当性を示すために後世創作されたある種のプロパガンダであると考えられていた。だが現在では、一部の契約については本当にあったのではないかと考えられているものもある」
神と人の契約か……。
有名どころだとモーセの十戒などは、神と人の契約にあたるんだろうな。
他にも世界各地にある豊穣の儀式や雨乞いの儀式なども、見方によっては神と人の契約になるのかもしれない。
「理由は言うまでもなく女神と人の間で交わされた契約が現在の世には存在しているからだ。今に契約があるのなら、過去にも契約があっても何もおかしな事ではない。と言うわけだな」
で、今は女神と人の間で交わされた契約が存在している、と。
「では、女神と人の間で交わされた契約についての話に移ろう。女神と人の間で交わされた契約は一部は非公開となっているが、今こことテストでは、明らかにされている契約だけ扱うので安心するように」
女神と人の間で交わされた契約の一部を、先生は語る。
それは入学式でも聞いた、俺でもよく知っている話だ。
譲れない事柄については、マスカレイドを用いた決闘によって決着をつける。
大規模な武力行使……つまりは戦争やそれに準ずる行為の一部禁止。
魔力を利用した、意図的な殺人の禁止(例外規定有り)。
この辺りが代表的で、よく知られたものになるだろう。
「つまり、普通のナイフを持った通り魔に襲われた時に、マスカレイドを発動して反撃。これは女神的にはセーフって事か?」
「そう言う事になる。自分の命を守るためにマスカレイドを使う事は咎めないと言うわけだな。ただ、ほぼ間違いなく後で過剰防衛には問われるから、自分で捕まえようとか、反撃しようとか思わず、まずは逃げるように。仮面体で手加減するのは難しいからな」
徳徒の言葉に先生は肯定の言葉を返しつつも、もっといい解決策を提示する。
なお、今更な話となるが、今回の授業もまた、本来の授業日程とは微妙に異なるものである。
そうなった理由は言うまでもなく若良瀬島での綿櫛たちの一件。
つまり、微妙にではあるけども、未だにあの事件は尾を引いていると言う事である。
「ふーん。大規模な武力行使って、国が戦車とか沢山の軍人を出すだけなら当てはまらないんだな。ワイはてっきりその時点でアウトなのかと」
「国によっては大規模な犯罪組織やテロ組織が国内に居て、それらに対処する必要があるからな。決闘にも応じないそれらの不穏分子への対応では、質を問う前に数が必要になる。よって一部禁止となっている形だな」
「逆に国境線を変えるような行為で軍を出すと、確実にアウトなんすね」
「その通りだ。そちらは過去に幾つも例がある」
まあ、気に入らない事があれば決闘で決着を付けろが、何処まで行っても最終結論になりそうだけど。
ちなみにこれらの行為に対する罰は、魔力が一時的に回復しないようにするものから、命令者の死刑まで、色々とあるようで、女神の胸先三寸で決まるようだ。
軽くない事だけは確かであるらしい。
「……。それで、これらの女神が動いた例を見れば分かるが、女神について先生から言える事は非常にシンプルだ。『試すな』『謀るな』だ」
「何処の神話でも最終的には碌な事にならない奴ですね」
「その通りだ。一時的な栄光は手に出来るかもしれないが、最終的にはそんな栄光など誤差となるほどの罰が与えられる事になる行為がこれらであり、女神も厳しく対処している事が明らかなものである」
過去にあった話として、こんなものがある。
支払い能力がないのに、決闘で負けたら1キログラムの純金を渡すと言った男が居たらしい。
そして、その男が負けた時、女神は男の体を1キログラム分、純金に変えてしまったそうだ。
また、その話を聞きつけた男が、自分の奴隷二人を脅して、似たような条件で無理やり決闘をさせようとした。
すると、女神は奴隷たちの主の前に現れて、女神が去った後には奴隷たちの主の体重と同量の純金が残っていたそうだ。
前者は支払い能力がないのに契約を結んだらどうなるかと女神を試した話。
後者は女神を謀って利益を得ようとしたらどうなるかと言う話になるわけだな。
「……」
「翠川、どうかしたのか?」
「いや、ちょっと思ったことがあってな」
こうして契約の話を聞いていて思った。
アビスの力による魔力の貸し借り。
アレは正しく神と人の間で交わされた契約であるな、と。
となれば、アレもまた契約を守らなかったり、おかしな真似をしたならば、相応に酷い事になるのだろう。
だってアビスもまた神には違いないのだから。