267:アビスには選んで欲しい
「「ふぅ……」」
カフェでアイスコーヒーを一口飲み、座席に深く腰掛けて、大きく息を吐く。
そうすることで、俺とスズはようやく気持ちが落ち着いてきたのを感じた。
「寮の夕食まで……まだ結構な時間があるな」
「そうだね。その気になれば、もう一度ショッピングモールか『ナルキッソスクラブ』に戻ってもいいと思うけど……」
「今日、これ以上はちょっとと言う感じだなぁ」
「うん、同感」
こうして落ち着いたからこそ思う。
ハクレンとの決闘は普通にきつかったなと。
流石はプロと言うべきか……いや、たぶんだけどプロの方でも強い方だったんじゃないかなぁ。
そうでなければ、『ノマト産業』だってわざわざ雇わないだろうし。
「ところでナル君」
「なんだ? スズ」
「メールが来る前にナル君が話そうとしていた事は何だったの?」
「ああそれか」
俺は一度周りを見渡す。
客は……そんなに多くないし、こちらを気にしている様子も見られない。
声量や話し方に気を付ければ、たぶん大丈夫だろう。
「スズの話を聞いて思っただけだ。後遺症ではなく貸し借り、恒久的な何かでないって言うなら、体育祭の後に言ったことを撤回してもいいのかなって」
「それって……そう言う事?」
「そう言う事だな。スズの話を聞いている限り、正しい関係を築いた上で力を借りるのであれば、問題はなさそうだなと思った」
「ナル君……」
俺の言葉を聞いてスズが嬉しそうにしている。
なお、俺が言っているのは、勿論のことながら、アビスとの魔力の貸し借りについての話である。
「今回の件だって、あの力を使わなくても大丈夫ではあったけれど、あった方が楽に勝てたと言うか、もう少しやりようはあったように思えた。それに、本当に負けられない決闘の時に、俺が使うなと言ったから使わずに負けてなんてなったら……こう、申し訳ないと言うか、嫌と言うか……まあ、気分が良くないなって」
「ふふっ。そうだね。でもナル君。私だったら……どうしてもって時は使っていたから、ナル君が気にすることは無いんだよ」
「それは分かってる。スズはスズだからな。俺じゃないし、俺の付属品でもない」
実際、ハクレンとの決闘は楽にはなっていただろうな。
スズなら、体育祭の時に見せた使い方以外のアビスの力の使い方もたぶん知っているだろうから。
いやでも、アビスは俺の事を嫌っているんだったか?
となると、今回くらいの決闘だと足を引っ張られそうな気も……。
「ナル君?」
「ああいや、ちょっと思ったことがあっただけだ」
と、俺が悩んでいる事をスズに疑問に持たれてしまったか。
えーと、そうだな。
誤魔化しではないが、これは言っておくべきか。
「ただそうだな。体調不良と言うか、違和感と言うか、そう言うものがあったら直ぐに使うのは止めてくれ」
「うん、それは言われずとも」
「それと、相手は選んで欲しい。色んな意味で。綿櫛たちはギリギリ大丈夫だったろうけど、返済見込みがない相手には貸さない方が良い」
「あー、うん。それは私からも言っておく。私も同じことは思っていたからね。とは言え、それについてはハモの方に言うべきな気もするけど……」
魔力の貸し借りとスズは言った。
貸し借りと言う事は、返済する必要があると言う事で、体育祭の後のスズの様子からして返済にはそれなりの時間がかかるものと考えても問題ないだろう。
だが、綿櫛たちの一件でもしも俺が斬り殺されていたら……俺でなくとも死者が出ていたら……アビスが貸した魔力も、利子として支払うはずだった魔力も、返ってくる前に綿櫛たちが女神によって処分されて、返ってくることは無かった事だろう。
それはアビスにとって純粋に損となるはずだ。
この点から考えを伝えれば……少なくとも今後は綿櫛のような使い方をする人間は現れないんじゃないかなと、俺は思うところである。
まあ、詳しい仕組みは分からないから、意味をなさない指摘に終わるかもしれないけれど。
「まあ、アレについて俺から言える事はそれくらいだな」
「うん、ありがとうね。ナル君。気にしてくれて」
言うべき事を言い終わったからか、なんだかスッキリした気がするな。
「「……」」
サンシェードが降ろされた窓の先はまだまだ暑そうだ。
アイスコーヒーは少しずつ薄まっているけれど、まだ残ってる。
店内にかかっているオシャレで静かな曲も、あと少しで一区切り。
日差しの感じからして、まだまだゆっくりとしていたい気持ちはある。
「ナル君。今日は楽しかったね」
「そうだな。スズが楽しかったなら何よりだ」
ああうん、目を瞑ったら、そのまま眠れてしまえそうな環境だな。
しかも自覚をしたからなのか、眠気がますます強くなってきた。
「ナル君。少し寝てても良いよ」
「いいのか?」
「うん。私も九月に入ってからの予定をちょっとまとめておきたいと思っていたから」
「そうか。じゃあ、ちょっと失礼させてもらうな」
思えば夏季合宿から帰って来てから今まで、割と忙しかったからなぁ……。
巴とのデートに始まり、イチと一緒に行った顔合わせ、マリーとのデートと来て、最後にスズとのデートに決闘。
うん、少し休もうか。
そう思って、スズに見守られながら、俺は少しだけ眠り始めた。
スズ「ナル君の寝顔ゲットオオオォォォッ! これがラストかつ幼馴染だからこその成果!!」
巴「コピーして送ってください。言い値で買います(現ナマ)」
マリー「マリーにもお願いします(金貨)」
イチ「メタ空間にしても酷過ぎませんか……? あ、本作はまだまだ続きますので、ご安心ください」