216:夏季合宿四日目・裏の情報共有
時は少々遡り。
夕食後、スズはホープライト号に移動してから一度も室外に出ていない燃詩の部屋を訪ねていた。
その室内は自分が宿泊しているもの同じ部屋とは思えないほどに機械とコード類に溢れており、複数あるモニターには船内と若良瀬島の各所の光景だけでなく、何かしらの作業をしている画面も映し出されている。
一見すれば、典型的な引きこもりの部屋。
しかしスズは知っている。
燃詩は生徒と言う立場があるから今回の夏季合宿に同行しただけで、実務上は既にプロの決闘者に変わりは無く、その上で風紀委員会の手伝いまでしている事を。
つまり、今も仕事中なのだと。
「ハモはアビス信徒の一人で確定したのか」
「うんそう。それで、昨日ハモが綿櫛たちに対して力を使っているところに出くわしたの。だから情報の共有くらいはしておこうかなって。話しておきたかったのはこれくらいかな。それじゃあ私は……」
だからスズは最低限の情報共有だけして、この場を去ろうと考えていた。
寮の自室に比べれば、この場にある機器や通信設備では、燃詩の仕事が普段よりしづらいのは明確であり、邪魔をするべきではないと考えたからだ。
「待て。私からも話がある。長くなるから適当に座れ」
「分かった」
だが、燃詩にも用事があった。
なので、燃詩はスズを呼び止め、スズはマリーにそちらへ行けないと連絡した上で、適当にベッドへと腰掛ける。
「ハモの奴だが、綿櫛の奴と二日目時点で接触を持っている事が確認できた。何をしていたのかと思っていたのだが……貴様の報告で合点がいった。どうやらそこで囁いたようだな。内容としては、大人しくしているようにと言うところか」
「なんでそんな事を調べていたの?」
「綿櫛たちが大人しすぎたからだな。アイツらの性格で素直に0ポイントジュースを飲むなどあり得ない」
「ああなるほど……」
そう言われてスズは三日目の夕食の時を思い出す。
確かに綿櫛たちは嫌な顔はしても、騒ぎはしていなかったな、と。
実際、もしも綿櫛たちが真面目に授業を受けるように言われていなければ、あの場で確実に騒いでいた事だろう。
「まあ、そんな事はどうでもいい。綿櫛たちが洗脳されようが、催眠されようが、そちらもどうでもいい。魔力を声に乗せて強く言い聞かせる技術は、魔力持ちならほとんど誰でも無意識にやっている事だ。おまけに、後押ししか出来ないからな。やりたくない事はやらせられない」
「アビス自身もそうですもんね」
「そうだ。だから繰り返すが、その件はどうでもいい。今この場で問題なのは、そうしてわざわざ綿櫛を大人しくさせていると言う事は、ハモが別で何かを企んでいると言う事だ」
「あー……そうだね。確かに何かを狙っているようなことは言っていたと思う」
なお、綿櫛が騒ぐ方が面倒だと言うのが燃詩とスズの共通認識であるため、その件はどうでもいい扱いをされる事となった。
自業自得と言えばそれまでである。
「言っていたのか。では分かってるな?」
「明日含めて残り三日間、その中で何かしらの異常事態が起きた時には、ハモが関与しているものと判断して、その身柄を抑える?」
「吾輩たち自身の安全を確保した上で、看過すると拙い異常事態ならそうなる。そうでないなら、放置安定だ。吾輩もハモが何をするのか自体は興味がある」
「つまり、私たちに火の粉がかからないなら、邪魔をしない事も考えろ、と」
「そう言う事だな。奴のしようとしている事次第では、健全にアビスの名を出せるようになるかもしれない。つまり、早合点するなと言う事だ」
「分かった。気を付けておく」
燃詩がスズに釘を刺す。
そうして釘を刺しつつも、内心で燃詩は思う。
アビスが女神の事を毛嫌いし、魔力量に優れたものを女神の恩寵を賜ったものとして嫌っている以上、ほぼ間違いなくハモの策の標的は翠川になるのだろうな、と。
同時に、その策の実行役として綿櫛たちが使われるのもほぼ間違いない、とも。
その上で燃詩は放置する。
燃詩が想像する通りの代物をハモが作り上げたのなら……それはむしろ尊重されるべき代物だからだ。
その実働試験をスズに邪魔されては堪ったものでは無い、だからこその釘刺しだった。
「「っ!?」」
そこまで燃詩が思った時だった。
ホープライト号が突如として揺れる。
そして、アビスの信徒たる二人は揺れと同時に、アビスの怒りに満ちた感情を感じ取る。
「アビス!? 今の揺れは何!?」
「どうした!? 何があった!?」
二人は直ぐにアビスに呼びかける。
アビスからの返事は……直ぐにあった。
『む、すまない。遠くの方の話になるが、我が力を貸し与えた者が女神の恩寵を受けたものに負けた挙句殺されてな……思わず荒ぶってしまった。ここが海辺だったために、強く揺れが出てしまったようだ』
「負けた? 決闘か? となると……ああ、シィス・アスニハ……あのクソ男か」
「あー……素行不良の甲判定筆頭……」
アビスの言葉を聞いた燃詩がパソコンで検索をかけ、直ぐに映像は出てきた。
そこに映っていたのは、外国で行われた一つの決闘。
魔力量にだけ優れた男が見た目のいい女を得るために決闘を仕掛け、それを阻止するためにアビスの力を借りた男が決闘を挑んで……マスカレイドが解除された後に追撃までされて殺された映像。
映像は決闘で得た女を抱えた男が嫌らしい笑みを浮かべつつ、その場から去っていく場面で終わっていた。
「これはアビスが怒るのにも納得しかないかな……」
「同感だ。決闘に互いの命を賭けていたせいで女神も動けないようだが、ルールの隙間を突く方法など幾らでもあるだろうに」
『全くもって度し難い。我は人間の機微に疎いが、それでもこの男が死すべきだと言うのは分かるぞ。ああ、改めて腹が立ってきた。この男にも! 放置する女神にも!』
「ストップ、アビス。ストップだよ。貴方が怒りに任せて動いたら、今度はさっきの揺れじゃ済まない。貴方の最終目的は何!? 発散には別の方法を考えないと」
『むー……むー……! どうすればいい!?』
「とりあえずは深呼吸。それから……」
アビスの怒りは尤もである。
それを理解した上でスズはアビスを宥め、燃詩は情報を収集する。
そうして、日付が変わる頃には何とかアビスの事を宥めたのだった。
その頃には、二人の脳裏からはハモと綿櫛たちのことなど、すっかり消え失せていた。
同時に。
「これは……アビス様の怒り……くっ、私が不甲斐ないばかり……いやですが、もうしばらくお待ちを。六日目には必ず事を起こして見せますので!」
ホープライト号の中では一人のアビス信徒が、自身に出来る事を急ピッチで進めていた。
なお、半日くらい経った頃にはシィス・アスニハがベッドの上で殺されたニュースが世界各地を巡るし、彼の身勝手を許していた国に決闘が殺到する模様。