215:夏季合宿四日目・船内保健室
「ナルさん申し訳ありません。イチの反応が遅れたばかりに……」
「さっきのは気にしなくていいと思うぞ。明らかに不自然な揺れだったからな。むしろあの程度でバランスを崩した俺が叱責されるべき話だ」
「ですが……」
「ですがも何もない。さっきのは、ビーチボールを使って遊んでいた奴も含めて、誰も悪くない。本当にただの事故だ」
「はい」
「そうですネ。それで終わらせるべきだと思いまス。マリーだって反応できませんでしたかラ」
イチ、俺、マリーの三人は保健室に向かって歩いていく。
「しかし、さっきの揺れの原因は何だったんだろうな?」
「地震……は無いですネ。此処は船の上でス」
「高波にしても不自然だと思います。ここは天然の良港と言われるぐらいには波が来ない場所ですので」
「うーん、分かれば船内アナウンスくらいはあり得るか」
「あり得ると思いまス」
「そうですね。おかしな揺れでしたから、話はあると思います」
ホープライト号の船内にある保健室は、船内及び若良瀬島の中で発生した傷病者を収容し、基本的な診断と手当てをするための場所である。
なんでも、歯の治療や簡単な手術くらいなら出来るぐらいの、病院並みの施設を備えているらしい。
まあ、本当に手術をする必要があった場合、この場では応急処置だけ施して、本土までヘリで輸送する事になるのだろうけど。
「と、着いたな。すみませーん、一応、手の方を見てもらっていいですか? 先ほどの揺れで手を着いた際に捻ってしまったようなので」
「今行きます」
保健室に到着した俺たちは扉を開けて、中に入る。
室内に声をかけて帰ってきたのは女性の声で、奥から現れたのは学園制服に身を包み、保健委員会の腕章を付けた女子生徒。
その髪の色は血のように真っ赤だ。
うん、先輩の誰かだな。
「では見せてください」
「はい、お願いします」
とりあえず俺は手を見せる。
先輩は俺の手を掴んで、軽く動かして……自身の首を傾げる。
「本当に捻りましたか?」
「一応捻りましたね。自前のユニークスキルでもう治っていると思いますけど」
「ああなるほど」
俺がユニークスキル持ちである事、俺の背後にいるイチとマリーの姿から、先輩はだいたいの所を察してくれたらしい。
「私が見た限りでは健康そのものですね。一応お聞きしますが、体の他の部分に痛さや怠さは?」
「無いですね」
「そうですか。では診断は終わりと言う事で」
「はい」
うん、やっぱり何の問題も無かったな。
しかし、奥の方から保健の先生が見守っているとはいえ、やって来た人間の診断を任せられているとは……この先輩は何者なのだろうか?
「そして、折角ですから自己紹介をしておきましょうか。私の名前は赤桐佳穂と言います。戌亥寮の二年生で、魔力量甲判定を貰っています」
「これはご丁寧にありがとうございます。俺は……」
「翠川鳴輝さんですよね。有名ですので、よく知っています」
「あ、はい」
なるほど、この人が赤桐先輩、魔力量甲判定の先輩の一人か。
「それで……そうですね。物はご相談なのですが、採血など受けていきませんか? 魔力と仮面体を利用した医療に関わるものとして、翠川さんのユニークスキル『恒常性』には非常に興味があるのです。どれほどの再生能力を有しているのか、再生に伴って必要な物をどうやって生み出しているのか、怪我と病気をどのように判断しているのか、『恒常性』の仕組みを解明する事が出来たならば、医学の発展に対するとても大きな貢献となり、これまでの医療では治すことが出来なかった患者を助けられるかもしれません。その為にまずは翠川さんの血を少量採血させていただき、こちらで検査させていただきたいのです。もちろん対価はお支払いいたします。さて如何でしょうか?」
「えー……あー……」
なんか唐突に凄い勢いで血を求められた。
いやまあ、医療従事者なら、俺のユニークスキル『恒常性』に対して関心を抱くのは当然の事なのだろうけど。
圧が、圧が凄い……。
「すみません。その話は合宿終了後にお願いします。サークル『ナルキッソスクラブ』へと文章で要望を送っていただければ、後は順番と交渉次第となりますので……」
「そうですか。では私からこの場で言う事はこれ以上はございません。お帰りはあちらとなります」
「あ、はい」
とりあえずこの場では断っておいた。
悪い話ではないのだろうけど、今ここでするような話ではない。
「では、失礼しました」
「失礼しましター」
「お邪魔いたしました」
「お大事にどうぞー」
と言うわけで俺たちは保健室の外に出て……。
「ちょっとビビった。圧がヤバい」
「戌亥寮の空気をこれでもかと纏っていましたネ」
「赤桐先輩は学生ながら、医療方面で既に色々とやっている方だそうなので、だからこそかもしれませんが……驚きましたね」
お互いに思わず感想を言い合う。
「しかし、俺が言うなと言われたらそうなんだが、戌亥寮の甲判定者は五人とも濃いな。なんで戌亥寮に入れられたのかがよく分かる」
「本当にナルが言うなって話ですネ」
「イチはノーコメントとさせていただきます」
さて、先ほどの赤桐先輩との接触を以って、俺はようやく戌亥寮の甲判定の先輩たち全員と関わりを持ったことになる。
そして、その濃さに思わず呟いてしまった。
麻留田先輩は風紀委員長で仮面体はロボだし。
燃詩先輩は顔を知らないどころか言葉を交わしたこともないが、スキル関係で世話になり続けているし。
熊白先輩は語尾に「くま」と付けているし。
赤桐先輩は医療関係だと止まらない気配がしているし。
俺は魔力量がぶっ飛んでいて、美貌に並ぶものが居ないからな。
俺自身と麻留田先輩以外は詳しく知っているとは言えない程度の付き合いだけど、それでも濃いとは言えてしまうくらいには濃いな、うん。
「さて、この後については……」
「念のためにもう休んでおきましょう。ナルさん、もしも違和感などがあったら、迷わず保健室へ連絡してください」
「ですネ」
「分かってるって。じゃあ、今日は此処までだな」
そうして俺たちはこの日の活動を終えた。