181:イチとの体術訓練
さて、絶対にやらなければいけない事として、補習授業と夏季合宿のための準備。
個人的な用事ではあるけれど優先度の高いものとして、スキル『ドレスパワー』の確認。
そして、日常的なトレーニングまたは業務として、朝のランニング、サークル『ナルキッソスクラブ』の書類確認や写真撮影、俺のユニークスキルである『恒常性』と『ドレッサールーム』についての自室での特訓。
と言った具合に、実は夏休みに入っても普段と同じぐらいには忙しい俺だが、他にもやる事はある。
「じゃあ……行くぞ!」
「いつでもどうぞ、ナルさん」
それがイチとの体術訓練である。
以前にも言った通り、この訓練が始まったのは四月の頃。
始めた頃は俺もイチもそこまで目立っていなかったので、普通に屋外の適当な場所でやっていたけれど、最近では俺への注目度の高さもあって、サークル『ナルキッソスクラブ』があるフロアの空き部屋の一つに畳などを準備して、そこで行っている。
では、その体術訓練の光景はどんなものかと言われれば……。
「すぅ……せいっ!」
俺はイチに向かって全速力で一歩踏み込み、拳を突き出す。
相手が女性である事も、自分より頭一個半分も背が低い事も考慮していないような、もしも部屋の外でやったら批判される事間違いなしの一撃だ。
「はい」
「うっ……」
が、イチは俺の拳を普通に横から叩いて弾くと、そのまま俺の服の襟を掴むと同時に、俺の足の側面に自身の足を軽く当てる。
これが何だと思われそうな状態だが、イチが本気ならば、この時点で俺は足を払われて倒され、煮るなり焼くなりの状況にされてしまう形だ。
つまりは、今の攻めは俺が失敗したことになる。
俺がその事をきちんと理解したところで、イチは俺から手を放し、距離を取って、仕切り直しとする。
「では引き続きどうぞ」
「言われなくても」
うん、やっぱり、大振りと言うか、あからさまな仕掛け方では、素人同士ならともかく、イチ相手では通じないな。
「ふっ!」
「……」
と言うわけで、今度は踏み込みを浅くし、イチが反撃を仕掛けて来ても直ぐに返せるように備えながら、ジャブを打ち込んでいく。
が、イチは俺の攻撃を普通に躱すし、弾くし、いなし、俺が少しでも隙を見せれば踏み込んできて反撃を狙ってくる。
それを俺は距離を取ったり、伸ばされた手を弾いたり、足を中心に力を込めて払われないようにと、何とか凌ぎつつ、更なる返しを狙うのだが……あっ、やべっ。
「詰みです」
「……はい」
気が付けば、服の後ろを掴まれていて、俺がそこから逃れようとする前に倒される状態になっていた。
うーん強い。
実を言えば、イチに体術を習い始めてから、この手の実戦形式では、まだ一度もイチに勝てていないんだよな、俺。
技術で追いつけないのは、これまでの積み重ねの差があるのだから、当然以外の何物でもないのだけれど、体格の差を生かして破れかぶれで仕掛けても普通に制圧されてしまうのだから、実力の差は圧倒的である。
これが決闘なら、イチの仮面体で俺の仮面体を打ち破る方法が極めて限られているので、俺が勝ててしまえるのだが。
なお習った順番としてはだ。
身の守り方や逃げ方、緊急時の対処マニュアルに始まって。
次に素人でも使えると、組み技に持ち込んだ時の相手の拘束の仕方とその返し方を学んで。
今はようやく立った状態からスタートして、拳打、蹴り、投げと言った技術と、それを利用した実践的な訓練に移行したところである。
なお、いずれも促成栽培であるため、もしも本当の緊急事態に遭遇した時は、最初に教えた緊急時の対処マニュアルに従って逃げるようにと言われている。
中途半端に覚えた素人の方が何も知らない素人よりも危険、生兵法は大怪我のもととは、散々言われた事である。
「ナルさん。少しずつは良くなっていますので、安心してください」
「それは嬉しい話だな」
そもそも何故俺はこうしてイチから体術を学んでいるのか。
それは勿論、決闘で勝つためだ。
俺の仮面体は現状遠距離攻撃が使えなくて、しかも使える見込みもない。
となれば、近接戦闘に持ち込む手段は別途考える必要はあるが、近接戦闘をやらずに勝つことは想定しない方がいいだろう。
しかし、そうして近接戦闘に持ち込んだ時に俺が近接戦闘の素人であったら、勝てる決闘も勝てなくなってしまう。
だから、実家の都合とやらで十年以上……それも決闘での使用を想定した、実戦的な体術を学んでいるイチから教わっているのである。
ちなみに、イチの使う体術は空手や柔道をベースとしているらしいが、古今東西の体術を取り込んでいるし、マスカレイド中に使用して相手の仮面体を倒す事を目的としたものであるため、原型の類はあまり留めていない。
技の名前とかも……いやこれは俺に興味が無いだけだな。
たぶん、イチに聞けば、普通に教えてくれる。
「では次は守りの方で。マスカレイドと盾をお願いします」
「分かった」
イチに言われて俺はマスカレイドすると、強化プラスチック製の盾を『ドレッサールーム』で呼び出して手に持つ。
対するイチは木刀を手にしているが、マスカレイドは抜きだ。
こうすれば、俺が受け損なった上に、万が一イチが打ちどころを間違えても、俺が怪我をすることは無い。
「いつも通りです。当たっても痛くはありませんが、実戦のつもりできちんと防いでください。避けるのも当然ありです」
「言われなくても」
と言うわけで打ち合いを始める。
俺の体の大半を隠せる盾があれば、対処は容易ではないかと思われそうだが……現実はそう甘くはない。
確かに正面から打たれた攻撃はただ盾を構えれば防げるが、イチは素早く左右に跳んで、次の攻撃を打ち込んでくる。
ではそれに対処しようと盾を動かすが……。
「いつも言っている事ですが、フェイントです」
「っう!?」
盾を向けた先とは逆の方向にイチが居て、俺の頭を木刀で軽く叩く。
それはつまり、俺が完全にフェイントに引っ掛かった上に、避ける事も出来ず、次善の対処も出来なくて、軽く叩くなんて手加減を行う暇すらイチにあった事を示している。
うん、完敗だな。
「……。ナルさん」
「なんだ?」
さて、どうしたものだろうか?
一応、フェイントの見破り方や、逆にこちらからやる場合にどうすればいいかはイチから聞いているが……上手くいってはいないな。
イチ曰く、此処からは実戦形式でひたすらに経験を積みましょう、との事なので、今やっているように実戦形式でやっているわけだが。
「夏季合宿の最中は毎日夜に特訓をしましょう。イチの知っている通りなら、その方がいいはずです」
「分かった。その時はよろしく頼む」
「はい、こちらこそお願いします」
とりあえず夏季合宿中は、イチとの体術訓練を毎晩する事になるようだ。
こちらとしては願ったり叶ったりと言う話だな。




