15:普通のマスカレイド授業
今回はナルもスズも不在回です。
予めご了承ください。
ナルが一人で初めてのマスカレイドの授業を受けていた頃。
今年の新入生299名は決闘学園のグラウンドに集められていた。
二日目にして既に小さなまとまりが出来上がりつつある新入生たちの視線は、グラウンドに置かれた台の上に立つ教師に向けられている。
「ふむ。時間になったな。よし、それでは今からマスカレイドの授業を始める。まずは私の自己紹介から、私はこれから三年間、君たちのマスカレイドの授業を総括する事になる味鳥天斗と言う。見ての通り、実技よりの人間だが、理論も行けるので、分からない事があったら、安心して質問に来てもらいたい」
教師の名前は味鳥天斗。
2メートルの身長に筋骨隆々の肉体を持つ男性である。
彼は拡声器なしにも関わらず、400mのトラックを内包しているグラウンド全体に聞こえるような大きな声で話し続ける。
「さて、諸君らに本日行ってもらうのは、マスカレイドを発動した状態で、このグラウンドをひたすらに走って周回してもらう。それこそ仮面体が維持できなくなり、マスカレイドが解除されるまでだ。本当にただこれだけである」
「「「?」」」
味鳥の言葉に幾らかの生徒が首を傾げる。
その顔は、そんな事をして何になるのだと言いたげだ。
「ふむふむ。疑問を覚えるのは尤もな事。だが、疑問について自分で考えるのも、決闘者ならば大事な事。とは言え……そうだな。初回であるし、これだけは言っておこう。これは、考えられる中で、最も効率的に諸君らを鍛えられる方法なのだ。安心して、限界まで走りなさい」
「「「……」」」
味鳥の言葉に対する反応は様々だ。
相変わらず首を傾げるもの、不満げな表情を隠しもしないもの、何も考えていなさそうな顔、真意はどうあれ納得している様子、周囲の顔色を窺う者、やる気を見せるもの、逆にやる気を損なっている者、正に十人十色と言った状態である。
ただ、誰であれ、無駄口の類を叩かない辺りに、彼らの大半が全国各地から集められた成績優秀者である事を窺わせる。
「さて、走る際には走った距離と時間を楽に計測出来るように、こちらのタグを持つか、手首に付ける事。自動で計測してくれる優れものだぞ」
生徒たちに長めの紐が付いたタグが配られる。
このタグは所有者のマスカレイドに巻き込まれない特殊な物であり、中にICチップが内蔵されていて、誰が何時トラック内に入り、走り、出たのかを自動で記録してくれると言うものである。
「走る順番については、まずは魔力量甲判定組の9人が一斉にスタート。その後、彼らが半周ほど走ったところで、乙判定者組から……そうだな。まずは12人ほどスタートさせよう。以降は、マスカレイドが解除された人間は素早くトラック外に移動。それに合わせて、次の人間がトラック内に入り、走ってもらう」
味鳥の指示に従って生徒たちが移動。
スタート地点に中学三年生時の魔力量検査で甲判定を受けた9人が横一列になって並ぶ。
9人の内7人はマスカレイド発動補助用のフードを身に着けていて、残りの二人……赤髪ポニーテールの少女、護国巴と、黒髪の男子生徒……縁紅慶雄はフードを身に着けていない。
それはまるで、この二人だけ他の甲判定者から既に一歩抜きん出ているのだと言わんばかりの姿だった。
「では、始め!」
「「「マスカレイド発動!」」」
そしてそれは正しかった。
味鳥の開始の合図とともに、9人の生徒が一斉にマスカレイドを発動し、仮面体を纏う。
そして、変身が終わるよりも早く駆け出し、他の生徒たちよりも前に出る影が二つ。
「私に付いてこれますか?」
一つは当世具足と呼ばれる日本の甲冑を全身に身に着け、兜の隙間から黒く変わった髪の毛を伸ばし、肩で薙刀を担ぎながら走る少女……護国巴の仮面体。
その足取りは軽快であり、マスカレイドは元より、走る事にも慣れている事がたった数歩で分かるものだった。
「ほざけ。お前が俺に付いてくるんだよ。魔力量の差だけじゃないのを見せてやる」
もう一つは黒地の全身タイツの上に黄金色のベストやプロテクターを身に着け、顔の上半分を黄金色のマスクで隠した青年……縁紅慶雄の仮面体。
こちらの足取りは護国ほどしっかりとしたものでは無いが、遅れるほどのものでもなかった。
「変身完了、はっや!?」
「俺たちも続くぞ!」
「あいあいっす!!」
そんな二人を追いかけて、他の甲判定者組も走り始める。
彼らの姿は、特定のカラーリングで統一されたヘルメットに全身スーツのものも居れば、式典向けの軍服一式を身に着けたものに、スケバンそのものな姿のもの、ふわふわモコモコとした見るからに走るには向かない姿のものも居て、正に千差万別である。
「え、は? うわ何だこれ」
「これが、マスカレイドの力か!」
「凄く足取りが軽いっす!?」
そうして走り続けた彼らは直ぐに自分たちの異常……足の速さに気付き始める。
先に例を出そう。
現実の2023年度、日本の男子高校生の100メートル徒競走の記録は、速いもので10秒ちょっととされている。
普通の生徒ならば14秒で、遅い生徒だと18秒との事だ。
7人の甲判定者組の先頭を走る徳徒は中学生時代は球児であり、その足は陸上部ほどではないが、普通の生徒よりも確実に速い程度で、先ほどの例から考えれば100メートル走のタイムは12秒から13秒の前後と言うところだろう。
そして今、マスカレイドを行い、仮面体を纏った徳徒は……100メートルを10秒切る速さで走り切った。
それだけではなく、次の100メートルも、その次の100メートルも、更にその次の100メートルもまた10秒を切る速さで走り切り、トラックを一周。
それでもまだ息は切れず、万全な状態のままに走り続ける事が出来ていた。
「これが、マスカレイド! こんなに身体能力が上がるものなのか!?」
「というかこの感じ、同じペースで走り続けるだけなら、魔力が尽きるまで行けそうだぞ」
「ウ、ウチ、そんなに運動が得意な方じゃなかったんですけど、こんなに変わるんすか」
おまけに徳徒たちの格好は走るのに適しているとは言い難いものである。
であるのに、喋る余裕すらあった。
それは、徳徒たちだけでなく、見ている誰もがマスカレイドの力を実感するには十分な光景だった。
だがそうして、誰もがマスカレイドの力を実感したからこそ、気づかされるものもある。
「どうして俺はこんな角を付けた! 邪魔くせぇ!!」
「四足歩行のやり方とか分かんねぇ!」
「装備担いで走るのキッツイ!」
例えば、初日に作り上げた自身の仮面体の何処が動き回るに当たって邪魔になっているのだとか。
「うっぎゃあっ!?」
「ちょ、ま、急に転ばないで!?」
「みぎゃあぁっ!?」
例えば、急激に上がった身体能力を制御しきれなければ、転ぶなどの結果を招く事になるだとか。
「お、俺たちのが後に始めたのに……」
「もう、魔力が尽きて……」
「こ、これが魔力量の差……」
例えば、魔力量の差がマスカレイドを維持できる時間をどれだけ変えるのかとか。
「ふむ。生徒諸君、皆気づき始めたな。このランニングがどれだけ優れた教材であるかを」
今の自分に何が出来て、何が出来なくて、何を削るべきなのか、足すべきなのか……そして、魔力量甲判定者たちがどうして優遇されるのかを生徒たちは実感として学んでいく。
これらの気づきこそが、この授業が狙うものである。
「はぁはぁ、クソ。流石にもう限界だ」
「ワ、ワイもだ。ああくそ、この三人だと魔力量的にはワイが一番のはずなのに」
「ヒーヒーフー、ヒーヒーッスー」
そうして走り続ける事暫く。
時間にして10分ほど。
徳徒たち甲判定者組も脱落を始めるが……依然として最初から変わらぬペースで走り続ける影が二つ。
「そろそろ諦めたらどうですか? 魔力量もそうですが、基礎体力の時点で私の方が貴方よりも優れているのはもう明白かと」
「舐めるなぁ! 俺はまだまだ走れるんだよ! そう言うお前こそ諦めたらどうなんだ!」
護国と縁紅である。
二人はただ走り続けるだけでなく、お互いに挑発を繰り返し、更には加速までしていた。
現時点で既に100メートルを走る時間は8秒を切り、それで安定している。
決着がついたのは走り始めてから20分近く経った頃。
「く、クソォ……俺がこんな……女に……」
「すぅ、ふぅ……良い感じに走れましたね……」
縁紅が魔力の限界を迎えて脱落した事でだった。
解除後はその場でヘタレ込み、教師によって急いで回収されるほどの疲労具合だった。
そして、縁紅が倒れた後も護国はしばらく走り続け、魔力量の限界と共にマスカレイドを解除。
しかし、解除後の足取りはしっかりとしたものであり、観客に笑顔を見せつつ手を振る余裕すらあり、誰の目にも格の差を……ナルが居なければ新入生の魔力量一位だった少女の実力を認識させるには十分な光景だった。
それから、そんな光景が見せつけられたからこそ、誰かが呟いた。
「あの二人であれだけ走れたなら、今日出てこなかった甲判定組……翠川はどれだけトンデモないことになるんだ?」
その呟きを聞いて、また誰かが呟く。
「いや待て、魔力量だけあっても使いこなせなくちゃ意味がないだろ。もしかしたら、実践では大したことは無いかもしれない」
言葉は続く。
「今回はただ走っただけだ。実際に舞台の上で決闘をしたら、どうなるかは分からないぞ」
「過去の記録を見ても、魔力量だけに優れた奴があっさり打ち倒されるなんてよくある事だ」
「私たちだって、アレぐらいの力を持てるようになるかもしれない」
「表に出てこないのは特別な授業を受けているかららしい」
「一年生の代表は護国さんで決まっている。なんたって次代のエースなんだから」
これらの言葉は切り取られて、あるいは曲解されて、予期せぬ相手に伝わっていく。
「俺は……俺は強い! 優れている! 選ばれたものなんだ! 次こそはそれを証明してやる!!」
そして誰かは決意した。