46 光は闇を包み、闇は光に焦がれる 2
ここは山なのか、塔なのか。
もう二人とも。そんなことはすっかり忘れ果てていた。
手を繋いで闇の中をただ進む。登っているのか下っているのかすらわからない。大気は澱んでひどい匂いだった。
「レーゼ、大丈夫か?」
「大丈夫。鎧が守ってくれる」
レーゼは目だけを出した状態で、周囲に気を配っている。
「腹たつけど、役に立つ鎧だな」
「はらたつ? なんで?」
レーゼは首を傾げた。
「だって、そいつ──ビャクランは、俺より長くレーゼの側にいて、いつも一緒だったんだろう? 眠る時も」
「ええ。それがどうしたの?」
「いや……なんでもない。ちょっと羨ましかっただけだ……あ」
ナギは足元を確かめた。
「ここから登りのようだ。きっと塔の上層部にいくんだな。空間が捻じ曲げられているようだから気をつけて」
「そうね。空間が変ね。それほど急斜面じゃないし。でも、どうして攻撃してこないのかしら?」
「さぁ、わからない。様子を見ているのかも」
「確かに……そうね、ナギ、わかる?」
「ああ。視線だけは四方から感じる」
「上も下もね」
レーゼは気味悪そうに言った。
「私たちの一挙一動を見ている。エニグマは」
「そうだな」
闇の中では空間認知が難しい。
しかしナギは闇の中でものを見る訓練を積んでいるし、レーゼは感覚が鋭いので、二人はそれほど困難は感じないはずなのだ。
けれど、確かにこの中は空間が歪んでいるようだった。
上に登っているのは確かなのだが、上昇したかと思うと、突然急な下降感に襲われたりして、眩暈が起きる。
「レーゼ、惑わされるなよ。幻覚だ」
「わかってる。灯りさえあればいいんだけど……」
レーゼはしばらく考えて、手を水平にかざした。
「ビャクラン、あなた光ることはできる?」
その言葉が終わらぬうちに、レーゼの左手が光を発した。
「できるんなら、さっさとやってくれたらいいのに」
「ナギったら。多分、私が思考しないとできないのよ。それにビャクランは、なんでもできるわけじゃないわ。鎧なんだし、そもそも実体がないんだから」
ナギはむすっと黙り込んだが、光のおかげで奇妙な錯覚は緩和され、周囲の状況が多少なりとも把握できた。
「だいぶ登ったみたいだわ」
「そうだな、外から見た高さから考えると、おそらく七合目というところだろう」
そろそろ仕掛けてくる頃合いか……。
やがて二人は、平坦なドームのようなところに出た。
その奥に、両開きの扉が見える。暗い岩壁には場違いなほど、優美な装飾が施された金の扉だ。
「入れということのようね」
「だな。さぁ何が出るか」
「お茶でも出るといいんだけど」
二人が扉の前に立つと、それは音もなく開いた。
中は豪華な居間のようだった。
山の中のはずなのに、窓からは燦々と陽光が降り注ぎ、緞子の帷を揺らしている。
華奢な作りの家具があちこちに置かれていて、靴が埋まるほど、ふかふかの絨毯も敷き詰められていた。壁にはいくつかの肖像画も掲げられている。古いゴールディフロウの衣装を纏った男女だ。
「ここは……?」
「私、少し覚えてるわ……ここ、お爺さまの私的な部屋の一つだわ」
「私的なって、ゴールディフロウの王族が使ってた?」
「ええ。私は離されて暮らしてたから、二回くらいしか入ったことなかったけど……じゃあ」
レーゼは身構えた。
次の攻撃がわかるわ。
二回も同じ手を使うなんて、案外馬鹿ね。エニグマ。
居間の奥の方には、綺麗な椅子が二つ並んでいる。
背もたれが大きい安楽椅子だ。今どき、こんな豪華な家具を有している国や街はないだろう。
冗談でレーゼが言った、お茶が本当に出てきそうである。
そのひとつから人影が立ち上がる。豪華な金髪に、美しい桃色のドレス。
レーゼの妹、ジュリアだった。
「久しぶりね。レーゼルーシェお姉さま、あのぼろぼろの塔屋以来かしら」
ジュリアのギマは、悪意をたっぷり塗り込めた美しい顔で微笑んだ。
「そうね。ジュリア、あなたはまだこんな闇の中を彷徨っていたのね」
彼女の登場を予想していたレーゼは平然と言い返す。
「まぁ闇だなんて。ここはこんなに美しいのに。でも、お姉さまは相変わらず醜いのねぇ。そんなろくでもない鎧まで着こんで。大仰ったらないわね。私はこんなに可愛い子どものままなのに」
「レーゼ」
ナギはレーゼを庇うように立ちはだかった。
「いいのよ。ナギは手を出さないで。このギマは私の血縁。双子の妹のジュリア。これは私の仕事だわ」
「あら? その黒い方はどなた? もしかして恋人かしら? やっぱり醜いのね。真っ黒。カラスみたいで」
「そうよ、素敵でしょう。彼は私の恋人。ナギっていうのよ」
「……」
こんな時ながら、ナギはレーゼの言葉に少し驚いていた。
しかも、あの温厚なレーゼが、ジュリアの毒気に当てられずに、立ち向かっている。
「まぁ。変な名前。それに随分と見窄らしい方ね。身分も低そうだし」
「そうね。でも、あなたの婚約者の、隣の国の王子様? は、とっくに死んじゃったものね。それともあなたと一緒でギマにされちゃったのかしら?」
「ギマ? 私はジュリアよ。お姉さま、ここで一緒にお茶でもいかが? 東の大陸から取り寄せた上等の茶葉があるのよ」
テーブルの上にはいつの間にか、優雅な茶器のセットが用意され、濃いお茶が湯気を放っている。まるでさっきのレーゼの言葉を聞いていたようだ。
「アルトア大陸の国々には、東の大陸に行ける船を出す余裕はないわ。あなた達のおかげでね。でもそうね」
レーゼはつかつかと歩み寄り、カップを掴むと中身をいきなりジュリアの美しいドレスにぶちまけた。
途端にそれは茶ではなく、どす黒い血に変わる。
「何をするの!? せっかくの綺麗なドレスなのに!」
「黙りなさい、ジュリア! もう喋るな! あなたはとっくに死人なのよ」
レーゼは厳しく命じた。途端にジュリアのギマはネジが切れた人形のように、ガクンと動きを止める。
「エニグマ! いい加減にジュリアを解放しなさい!」
レーゼは、動きが止まってしまったジュリアに向かって言い放った。
すると、ついさっきまで美しい微笑みを浮かべていたジュリアの顔が、どんどん崩れてゆく。
「お、おねえさまぁ〜」
ジュリアが両手を伸ばして、すがりついてくる。彼女の中が崩壊を始めているのだ。
「わたしをたすけてぇ〜、おねがいぃいい〜。くるしい……くるしいのよぅ〜〜」
「黙りなさい! エニグマ!」
レーゼは光を放つ左手で、ジュリアの顔をしたギマの頬を思い切り叩いた。
「ぎゃああ!」
たちまち炎がジュリアの顔を焼く。
豪華な金髪はちりちりとした燃えかすになり、ドレスはぼろ雑巾のように垂れ下がった。
「レーゼ!」
「大丈夫よ、ナギ。こんな茶番でしか攻撃できないなんて、舐められたものね。それとも力が弱まっているのかしら? エニグマ?」
いつの間にか豪華な居間だった部屋は、ただの澱んだ空間に変わり果てている。ジュリアだったものは一掴みの灰となっていた。
「心理攻撃で俺たちを削ろうというわけだ」
「だったら、やり方を間違えたわね。相手がジュリアだったら、私対抗できるもの。妹にこんなこと言うのなんだけど、親切なように見せかけて、意地悪するのが得意な子だった。昔は騙されてたけど」
「すごいな、レーゼは」
ナギは心から感心したように言った。
「じゃあ、次に進もう」
二人は奥に空いた道へと飛び込んでいった。




