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21 悲憤の魔女 3

 攻撃する(いばら)

 蔓の先端には鋭い(とげ)がびっしり生えているが、先端から半ばを過ぎると、その数はかなり減る。もともと太いので、その上を走ることはそんなに難しくはない。

 しかしこの闇、水分、そして激しくのたくる動きである。

 (びょう)のついた靴でなければできない芸当であった。

 クロウは装備を整えてくれたジャルマの職人に感謝したが、それも一瞬のこと。

 蔓の躍動に合わせて跳んだクロウは、右から襲い掛かる別の蔓を蹴って受け流し、その勢いを借りて大剣を打ち下ろした。

 ずしゃっという嫌な音と確かな感触。太い蔓は見事に一刀両断されて、どろりとした液体が辺りに撒き散らされた。

 これで五本目だ。

 残りは先ほど足場にした一本のみ。だが時間を置くと、他の蔓が再生される可能性もある。もしかしたらまだ何か攻撃手段を隠しているかもしれない。

 この戦いに時間をかけているゆとりはないのだ。

『ははは! ははは!』

 濡れた森に魔女の哄笑(こうしょう)が響く。しかし、それはどこか(うつろ)に聞こえた。ゾルーディアの細い湿った声とも、また違う性質を持っているようにも思える。

 クロウは体勢を立て直すため、一旦着地する。

 雨はほとんど止んでいた。


 さぁどこだ?


 蔓の気配を探るが、どこからも風を切る気配がつかめない。

 クロウは瞳を閉じ、周囲に感覚の網を張り巡らせた。

 やがて──

 かっと目を見開いたクロウは、渾身の力を込めて真上に跳んだ。

 その真下の地面から──。


 ぐわっ!


 まるでサンドワームのように、地中を割って蔓が垂直に飛び出す。しかし、もうその動きは、クロウに恐れも感じさせることはなかった。

「えやああああ!」

 大剣を水平に構えたクロウは、落下と共に蔓を縦に切り裂いていく。


『ぎゃああああああ!』


 空気を切り裂いて悲鳴が上がる。


『痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃいいいいいいい! おのれおのれおのれぇええええ!』


 それの声はやはり、ゾルーディアの声ではないような気がしたが、そんなことはもうどうでもよかった。

 血とも樹液とも言えない液体がクロウに降り注ぎ、一瞬視界が狭窄(きょうさく)する。

 その一瞬、縦に裂かれた蔓の片方がクロウに向かって伸びた。(かわ)すのがわずかでも遅れていたら、クロウの頭は鋭い先端に貫かれていただろう。

 だがそれは、クロウの鉢金を吹き飛ばしただけで目の前を通り過ぎ、素早く立て直したクロウに、今度は横に真っ二つに両断される。

 再び空間が悲鳴で満たされたが、それはもう襲いかかってくることはなく、惨めに地面に転がり、タール状になって崩れた。


 やったか……?


 クロウは額にかかった樹液を(ぬぐ)おうとして、あることに気がつく。

 レーゼにもらった青い石がなくなっていたのだ。石が埋まっていた額には小さな穴があいている。蔓が奪っていったものか?

「俺の石を返せ!」

 だが石を探している余裕はない。まだ魔女ゾルーディアの本体を倒したわけではないのだ。

 クロウは首をふり仰ぎ、イトスギに吊るされたようにも見える白い顔を睨みつけた。

 雨は完全に上がっている。しかし、湿気が霧と化し、森に立ち込め始めていた。

 視界が白く霞んでいく。


 水気を操る魔力か……厄介な!

 しかし、わかる。

 レーゼの石がなくても、魔女の場所が!


 その気配は、先ほどまでのように高い位置にはなかった。

 ──むしろ。

「そこだ!」

 叫ぶなり、クロウは糸杉の根元に剣を突き立てた。確かな手応え。

 その部分だけ薄く霧が晴れていく。見えたものは大きな黒い塊だ。

 ぼろぼろの黒衣に全身を覆われ、巨大な芋虫状のものが、イトスギの根元に体を巻き付けていたのだ。

 クロウの上に何かが落ちてきた。

「……っ!」

 それは、目と口だけがぽっかり空いた仮面だった。高い位置にある顔だと思っていたものは、ただの(まが)い物だったのだ。それが移動して黒布の塊に取り付く。

 クロウの剣は、黒衣の一端を突き刺していたに過ぎない。

「ゾルーディアか!」

「ふふふ! あはは!」

 悲痛な笑い声を立てながら、ゾルーディアは仰向けに横たわったまま、地虫のように地面を()いずり回った。(まと)った衣によって移動しているのだ。森のさらに奥へと。

 しかし、もうクロウにはその場所が伝わる。視界は霧で遮られているのに、理屈ではない、ただ()()()のだ。

「……っ!」

 クロウはただ走った。

「やっ!」

 何度も追い付いては突き刺すが、ゾルーディアはムカデのように体をくねらせ、傷を与えることができない。それどころか体を覆う黒布が針状に変質し、次々に飛び出してきて、クロウを下から貫こうと狙ってくるのだ。

 大きな毒虫と争うような気味の悪い戦いだが、魔女にはもう樹木によじ登る力はないのか、ひたすらに地面を這っている。

 もうあの巨大なイトスギとはかなり離れてしまっているだろう。厄介な蔓も(しお)れてしまったのか、追ってくる気配はない。

 そして地上戦なら、多少視界や足場が悪くてもクロウには有利だった。

「ほら! ほら! ほら! そなたを貫く毒針じゃ! 動けば動くほど、毒が回って体が痺れる。ほら、まだまだあるぞえ。防ぎきれるかや?」

 その声はもう幻ではなく、直に耳に届く。

 しかしクロウは応じない。

 突き出される針を払うのみである。一つ二つ、傷がついたが構うものではない。針は斬れば元の布へと姿を変え、散っていった。

「……」

 魔女は下からクロウを見上げた。穴の空いた仮面の下のその目が、確かにクロウの視線を捉える。目が合ったのだ。

「どうじゃ!」

 突き出た針は今までよりも長く鋭かった。

 クロウは背後に跳んで体を(ひね)り、針を躱しざま、針を斜めに叩き切った。惨めな黒布へと変わったそれが、べしゃりと地面に広がり崩れる。

「……っ! どこに逃げた」

 地虫のように逃げた魔女の姿は見えない。

 いつの間にか霧も晴れている。森のイトスギの梢の先には、細い三日月が引っかかっていた。

「逃がさないぞ」

 冷たく弱い月光の下、クロウは迷いなく森を進んだ。

 毒に冒された傷口は紫色に変色し、早く対処しなければ命に関わるのかもしれないが、クロウの足は止まらない。

 手足が冷たく(しび)れ、視界が狭まっても、見つけなくてはならないのだ。

 やがて、古く朽ち果てたイトスギの切り株に(わだかま)る白い面を見つけた。その体は、古木の根に取り込まれるように埋もれている。

「……ここまでようきたの、若者」

 かすれた声が言った。それが悲憤の魔女、ゾルーディアの本体だった。

「っ!」

 クロウは無言で剣を払った。面が割れて転がる。

 その顔は、一般の人間が魔女という言葉から連想する、邪悪な美貌ではなく、怨嗟(えんさ)に凝り固まった醜い老婆でもない。

 美しいと言えないこともないが、特に特徴のない女の顔だ。

 一日の仕事を終えて疲れきった中年女。黒い髪と瞳の、拍子抜けするほど普通な容姿。

「……」

「何じゃ。若者、妾の顔に驚いたか」

「別に」

「妾は醜いか?」

「普通だ」

 クロウは正直に答えた。

「……そうか」

 女は疲れたように笑った。

「お前は美しいの、若者。戦い、見事であった。その豪気に免じて、毒を抜いてやろう。お前には妾の血が混じっておるから、いささかの耐性はあるようだが辛かろう」

 言い終えた途端、傷はそのままにクロウの体が楽になる。

「なぜ、こんなことをする」

「お前には、やってもらわねばならぬことがある故な」

「やってもらうこと?」

「そうだ。そして妾にはもう()()と戦う魔力は残ってはいない。もともと妾にそれほどの魔力はないのじゃ」

「……この後に及んでそんな偽りを」

「そう邪険な顔をするな、若者。この惨めな女の話を少し聞いてたもれ」

「その後で俺はお前を()つが」

「望むところじゃ。この惨めな生に未練など既にない。それに妾の話は聞いておいた方がよいぞえ」

「なせだ?」

「そなたに関わる部分もあるからの」

「俺に?」

「そうじゃ。例えば……レーゼルーシェ姫」

「レーゼだと!?」

 クロウの顔が変わる。

「そうとも。そら、聞く気になったであろ?」

「……」

 そして、ゾルーディアは話し始めた。

 一人の平凡な女が転落していく有様を。




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