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弥生の空に2 定住編  作者: 柴野独楽
2/6

第一章 異郷 3-4  

     3

 その夜は、期せずして(うたげ)となった。

 マダカとニグィが、連れ立ってカグチらの無礼を詫びに行ったところ、相手方は快く謝罪を受け入れ、手厚い謝罪と豪華な手土産に対しての礼を、ということで、一行を招いてくれたのである。とはいえ、よそ者を大勢、集落の中に呼び込むのには、やはり抵抗があったようで、クシナらが案内されたのは、少し離れた、川沿いにある空き地――よそから誰かがやってくれば、交易所となる場所であった。

「このたびのお招き、まことにありがとうございます。こちらの失礼があったにもかかわらず、快くお許しいただいた上、このような心遣いまでいただけるとは、まこと望外の幸せ。里人一同を代表し、感謝の念を伝えさせていただきます……」

 腰を低くし、笑顔を浮かべて、ニグィは、ぺこぺこと頭を下げる。が、父がそうせざるをえない元凶であるカグチは、

「ふん。土いじりどもにあのような媚びを振りまくとは、情けないやつめ。あのようなヤツらなど、一発殴りつけてやれば、すぐに泣き声を出してへたり込むというのに」

と、反省はおろか、かえってニグィを嘲るようなことを口にし、にやにやと侮蔑の笑みを浮かべるばかり(さすがに、土地の者たちの耳に入らぬよう、声の大きさを絞ってはいたが)。

 それでも、宴が始まり、目の前に並べられた菜を存分に食べ、酒を口にすれば、この粗暴で単純な若者はすぐに上機嫌となり、例によって、近場に座った者たちを捕まえては、大声で自慢話を語りはじめる。

 そして、酒と、周囲の者たちの感嘆の声とでほどよく酔いが回ったところで、カグチは器を持っておもむろに立ち上がり、火を挟んで反対側に座っていたクシナの側へと、のっそり歩いてきた。

「どうした。元気がないな」

 弱き者を気遣う庇護者然とした口調である。が、そのぺらぺらの見せかけの下に、何とかしてクシナの気を引きたい、距離を少しでも縮めたい、という性急な意図が透けて見えている。

「なんだ、ちっとも食っておらんではないか。ほれ、これを食え。うまいぞ」

 いかにも「たった今、クシナの小食に気がつきました」といわんばかりの見え透いた言葉を吐くやいなや、持ってきた器――中に、せっかくの菜をごしゃごしゃと手当たり次第に押し込んだ、見るだに食欲の失せるような代物――を押しつけるように、クシナに差し出す。問題を起こすばかりでなにひとつ役に立っていないというのに、すっかり兄貴面、主人面なのである。

 カグチが側に来た時点で早くもうんざりしていたのに加え、これら全てのもったいぶった、わざとらしい行動がいちいち気に障り、表情こそ平静を装っていたものの、クシナは、この上なく気分を害していた。

「いいえ、結構でございます。私は、これでも十分食べておりますし、楽しんでおります」

 のぞき込むように首を伸ばし、こちらの顔色をうかがっているカグチの方に目も向けず、切り口上で言い捨てる。が、それでもカグチはへこたれない。

「いやいや、先ほどから見ていたが、まるで食っておらぬではないか。遠慮することはないぞ、俺は席に戻ればまだまだ山ほど残っているからな。ほれ、これを……」

「結構でございます。食べるものぐらい、自分の手で取れます」

「そのようにわがままを申すな。そうだ、あちらの席に来ぬか?あちらなら、ここよりもずっと多くの菜が……」

「私はここで、結構でございます。どうぞ、あちらでお仲間とお楽しみください」

 しばらくの押し問答の後、あくまで冷たい声のまま、やや強い口調でそう言い切る。と、ここでようやくクシナの不興を買ったことに気づいたのか、カグチは、いかにも心外だといわんばかりに目をむき、唇をとがらせた。

「なんじゃ、せっかくわざわざ誘ってやったというのに、それならよいわ!後悔しても知らぬからな!」

 生まれ落ちてからこれまで、ずっとちやほやされて育ち、拒絶らしい拒絶に出くわしたことがないからなのか、この単細胞の若様は、自らの思い通りにならないものに出くわすと、途端に子供に戻る。そうやって「俺は不機嫌なのだぞ」という素振りを見せさえすれば、今までは、「やれやれ仕方がありませんわね」とばかり、周囲の者が折れてくれたに違いない。

 だが、もちろん、クシナには折れるつもりなど毛頭なかった。

 相手が不機嫌な顔になろうと、声を荒げようと一切構わず、ひたすら目線を前方にすえ、唇にうっすらと笑みを浮かべ続ける。とりつく島のひとかけらすら見当たらぬその態度に、カグチはだんだん、内心の焦りそのままの顔となり……とうとう、

「もう……もう、よいわ!」

 ここには全く自分の居場所が用意されていない、と気づき、大いに傷ついた子供の声でそう言い捨てると、すたすたと元いた席へ向かって戻りはじめた。

 そこへ。

「でもまあ、お気持ちだけはいただいておきます。ありがとうございます」

 最後の「ありがとうございます」にだけ、ほんのわずかに柔らかな口調をにじませ、クシナは、そうささやいた。

 ぴたりとカグチの足が止まり……やがてまた、動き始める。ただし、それまでは正しく「負け犬の早足」そのものであったのが、大きくゆったりとした足取りへと変化している。

 その晩、宴が果てるまでの間ずっと、カグチは上機嫌なままだった。

 相変わらず目線と表情を動かさぬまま、その実ひそかに様子をうかがっていたクシナは、その無邪気にはしゃぐ様子を見て取り、心の中で、深くうなずいていた。

(生かさぬよう、殺さぬように扱い、相手を手のひらの上で、ずっと転がし続ける……里人皆のために私はしなければならぬこととは、こういうことなのですね、先代様?)

 と、その心の声が届いた、というわけはあるまいが、クシナの耳に、先代の楽しげな、笑い声が、ころころと耳に届いたのであった。


 数刻後。

 久々の宴にすっかりくつろいだ気分となったクシナら一行は、夜になってやや冷気をはらみはじめた空気に押し流されるかのようにされるかのように、広場の片隅、すっかり下火になったたき火がちらちらと瞬いている周囲にかたまって寝床を作り、思い思いに寝転がっていた。

 宴の歌や踊り、笑いの余韻が濃厚に残る空気の中、じっと身を横たえて、時折炎を揺らめかす残り火にじっと目を注いでいると、クシナの胸中に、つい里での思い出がよみがえってくる。

 あの頃……まだ幼く、マツリのなんたるかを知らぬ頃から、当代様につれられてマツリ()にこもり、おこした火をこうして、じっと見守っていたものだった。当代様は、そんな私を心より慈しみ、そっと肩を抱き、髪をなでてくださった……。

 懐かしい、そして、二度と戻ることのできぬ幸福な記憶があまりに切なくて、思わず涙ぐみそうになった、そこへ。

「やれやれ、とんだことであったわ……どれ、どっこいしょ……」

 疲労をにじませながらも、どこか満足げな独り言とともに、隣へ用意した寝床へ身体を下ろす気配に、クシナははっと我に返った。

「父様」

 そっと声をかけると、暗闇の中、ニグィがびくりと身を起こす気配が伝わってくる。

「起こしてしまったかの?そなたも疲れているだろうに、すまぬな」

「いえ、横になっておりましたら、さまざま考えてしまい、寝付けなくなってしまって」

「そうか。まあ、そのような時もある」

 明日も早くから旅立たねばならぬで、眠れるものなら早く眠った方がよいがな、などとつけ加えながらも、ニグィは半身を起こし、右手をまくらにこちらへ向き直ってくれる。誰よりも疲れているであろうに、クシナが寝付くまで見守ろうという心づもりなのである。

(父様は、いつも変わらず優しい……)

 クシナの顔に、自然と柔らかな笑顔が浮かんだ。

 里にいた頃は、よくこうして寝転がったまま、二人で話をしたものだ。それが、旅に出てからは、クシナは意固地になってずっと父親を避けていたし、ニグィはニグィで、忙しさを言い訳に娘からやや距離を取っていたしで、ろくに話もできていない。

(里にいた頃は、分からぬことはなんでも父様に聞いたものだった……)

 里を出てから、まだ一月も経っていないというのに、はるかな昔のことのように思える。

 ゆったりと流れる(うみ)、川沿いに広がる田、斜面の畑、森の木々、そして、当代様の優しい笑顔……。生まれてよりずっと慣れ親しんだ、そして、今となってはもう決して手に入らぬものとなってしまったものを思い起こすと、再び、胸の奥がうずくように痛む。

(いけない。昼間、先代様にも言われたではないか。私は、相手にそれと悟らせぬほどに、強く賢くあらねばならぬ者。かつてのことに思いをはせ、ぼんやりたたずんでばかりなどいられぬ。これから先のことを考えねば……)

 と、そこで、クシナの頭に、昼間のマダカの言葉――このあたりは『おもて』だ、だから危険だ――がよみがえる。

(江の父様は答えてくれず、カグチは鼻で私を笑った。けれど、なぜ……)

 クシナは、寝転がったままもぞもぞと身体を動かし、いつの間にか真剣な表情となっていた(かんばせ)を、ニグィの方へと向けた。

「父様」

「ん?どうした?」

「実は、お聞きしたいことが」

「ふむ」

「この地には、田に適するような場所が、まだそこかしこにあるように思います。なのになぜ、この地に落ち着き、里を拓いてはいけないのでございましょうか?昼間、同じことを江の父様にお聞きしたのですが、どうしてそのように当たり前のことを尋ねるのか、と言わぬばかりの戸惑った様子を見せられるばかりで、なにも答えていただけなかったのです!」

 努めて冷静に話したつもりだったが、言葉の端々に「子供扱いして」という不満げな響きがにじむ。そんな声音を耳にし、ニグィの頬に、思わず苦笑が浮かぶ。

「父様は、なぜこの地ではいけないのか、おわかりなのでしょうか?」

 まっすぐな問いかけに、ニグィは苦笑を引っ込め、

「ふむ……」

 愛娘の遙か彼方に散らばる無数の星明かりに目をさまよわせつつ、考えを巡らせた。

「わしにも、はっきりしたことは分からぬのだが……」

「はい」

「昼間、わしがマダカどのと連れ立ち、この里の中へとあいさつに行った時のことだ。里人ははじめ、わしのことを、稲の害虫かなにかを見るような目つきで見ておった。顔をしかめ、目を細め、針のような目線を送りつけ……なんとも居心地が悪かったわ。だがの」

 ニグィは、ここでいったん言葉を切ると、秘密の打ち明け話をするかのように、娘の顔に顔を近づけ、声量を絞った。

「マダカどのが、この方たちは遠い海の向こうからやってきた方々で、ここよりさらに遠く、山の奥に向かうところであり、ここにはその途中、ほんの少し足をとどめただけだ、というようなことを口にするとな。里人たちは、ほっとしたかのように険しい顔を和らげ、そうですか、それはご苦労なことです、などと、あたたかなあいさつを返してよこし、ここでの宴と、一番の寝泊まりとを許してくれたのだよ」

「……私たちがどこかへ去ると聞いて、安心し、歓迎する気持ちになった、ということでございますか?」

 暗闇の中影が動き、ニグィが考え深げにうなずいているのが、クシナにもかろうじて見てとれた。

「わしも、不思議だった。なぜそれほどまでに客人を警戒するのか、とな。さまざま考えた後、そういえば、と、はじめ村を訪ねたときの里人たちの目の中に、疑いと嫌悪の他、わずかに恐怖が見て取れたように感じたことを思い出して、ようやくはたと思い当たったのよ。あの里人たちは、我らがこの里を奪い取るつもりでいると思っていたのではないか、とな」

「そんな!」

「これ、クシナ!」

 ニグィの制止に、クシナは自分が思わず甲高い大声を出してしまったことに気がつき、慌てて口を閉じた。

 周囲に眠っている人々の中で幾名かが、「ううん……」とうめき声を上げたり、身じろぎをしたりしたが、またすぐに寝入っていく。

 静けさが戻り、また夜の虫たちがやかましくすだきはじめたところで、クシナは再び――今度はよくよく声量に気をつけて――口を開いた。

「カグチがいきなり菜をゆすり取ったりしましたから、我らを信用できない者と見なすのも仕方ありませぬ。けれど、里を奪い取るつもりなどという疑いをかけるとは、いくらなんでもひどすぎます!われらを、一体なんだと……」

「いや、カグチの狼藉(ろうぜき)や、我らの風体のせいだけではあるまい。いや、まあ、少しはそれらもかかわっているのかもしれぬが……」

 闇が少し優しい雰囲気となり、クシナは、ニグィが苦笑しているのだと悟った。

 確かに、これまで長く「うみ」を旅してきたために、身体や服にはすっかり潮がしみこみ、いやなにおいを漂わせている。その上、マダカやカグチのような、田畑を持たずに暮らす「異人」と行動を共にしている、となれば……多少はうさんくさく見られるのも仕方がないのかもしれない。

 そのことに気づき、

(確かに、里で暮らしている時に、今の我らのようなようなものに出会っていたら、まず間違いなく、里へ招き入れようとはせず、できるだけ離れたところへ導き、泊まらせたはずだ……)

と、クシナも自嘲めいた笑みをもらした。

 そこへ、ニグィが、低い、考え深い声でつぶやく。

「……だがの。我らを里盗人と疑った一番の理由は、我らが客人であるという、そのこと自体ではないかと思う。おそらくだが、この里は、これまでにも幾度か、客人たちに襲われ、奪われかけているのだ。そして、あまり考えたくはないが、あるいは……」

「かの里人たち自身も元は客人で……あの里を誰かから奪い取ったのかもしれぬ、ということでございますね?」

 慄然(りつぜん)としながらそうささやくと、またしても暗闇が動き……ニグィが先ほどより深く、大きくうなずいているとわかる。

「ここは、おそらくそういう土地なのだ。水はあり、田に適した土地もあり、穫れた作物を海の幸と交換してくれる異人もいて、暮らしていくには申し分ない。だが、「うみ」から――その先のある我らの元いた地から――あまりにも近いがゆえに、ひっきりなしに客人が現れ……戦が起こるのだ。この里のムラの周囲に、堀が掘られているのも、カグチらのような者の襲撃を防ぐため、というより、「うみ」よりやってくる者たちが存亡をかけて挑むいくさに負けぬためなのかもしれぬ」

 おそろしい話だった。だが、考えてみればあり得ない話ではない。現に、クシナの里も、北からやってきた「くに」の連中によって、それまでの平穏な生活を奪われ、苦しい暮らしを強いられることとなったではないか。

 あの「北の民」のように、田を、家を、財宝を弱き者から根こそぎ奪い、自ら取って代わろうとする者たちが流れ着くことを思えば……なるほど、近隣の里より人を集め、物々しく武装し、客人を例外なく猜疑の目で眺めるのも、無理からぬことだ。

「マダカどのがそなたに詳しい説明をせなんだのは、おそらくそういった事情を知りすぎるほどに知っておるがゆえに、なにゆえ我らが「この地に腰をすえてもいいのではないか」などという世迷い言を口にするのか、全く理解できなかったからではないかな?あまりに当たり前すぎることを正面から尋ねられても、戸惑うばかりでうまく答えられることが多いものだからの」

 それは、そうかもしれない。

 クシナとて、里にいた頃「なぜそなたはそれほどまでに木登りがうまいのか」と尋ねられ、答えに窮したことがある。登る時に手がかりとなる出っ張りや枝に、どのように手足をかければよいか、当たり前のように分かるからなのだが、ではなぜ分かるのか、といわれれば、分かるから分かるのだ、としか、答えようがないからだ。

 当たり前のように知っていることを人に分かるように話すというのは、案外難しいものなのだと、その時しみじみと感じたものだが……今思えば、クシナの問に答えようとしていた時に、江の父の(かんばせ)に浮かんでいたのも、あまりな無理解に対する困惑であったように思われる。

「マダカどのが案内してくださる土地は、ここより山をいくつも越え、はるかに遠くまで行った先であるという。であれば、おそらくここよりはずっと安全な場所なのであろう。だが……」

 ニグィは、まだ見ぬ目的地を、そして自分たちのこれからの運命を探るかのように、しばらく言葉尻をさまよわせた後、

「……どれほど安きところであろうとも、元の里と全く同じ、というわけにはいくまい。よくよく心をとがらせ、さまざまなものに目を配って生きていかねばなるまいよ」

 ため息とともに、そう吐き出した。

 その声にべったりはりついた諦念と疲労とに、何やらぞっとするものを覚え、思わずクシナは、

「致し方ありませぬ。あの地に残っていたら、間違いなく、もっとひどいことになっていたのでありましょうから」

 内心とは裏腹の励ましを口にしていた。

 そして、次の瞬間、そんなことを口走った自分に、ひどく驚いていた。

(私は、この地を嫌っていたはず。ここへ私を連れてきた父様を恨み申し上げていたし、できることなら、今すぐにでも我らが懐かしき里に帰りたい、と思っていたはずだ。なのに、なぜ今のようなことを……)

 問いかけるまでもなく、答えはすぐに見つかった。

 そうするより他に、道はなかったからだ。

 あのまま里に残っていれば、よくて奴隷のように働かされ、悪ければ、「新たな権威」を盤石のものにするための見せしめとして、親子揃って首を斬られ、さらし者にされていた。戦う術を持たぬ自分たちが、人としての命を全うするには、逃げるしかなかった。逃げて逃げて、少しでも希望があると思われるところを目指すより他――先ほど思わず自ら口走った言葉の通り――致し方なかったのだ。

(ならば……もう振り返るまい。前にしか道が続いておらぬのであれば、その道を精一杯たどるまでだ)

 自らに言い聞かせるように心の中でそうつぶやき、クシナは、一人小さくうなずく。

 そして。

「父様。今日はもう休みましょう。明日からはまた、旅の日々が続きます。ゆっくり体を休めておきませんと」

 いまだなにかを思い悩むふうのニグィに、吹っ切れた声をかける。

 その、あまりの歯切れの良さに、

「あ……ああ。あ……」

 ニグィは、やや戸惑った様子であったが、やがて。

「……そうだな。今は思い悩んだところで、致し方ない。休むとしようかの」

 落ち着きと優しさとをたっぷり含んだ声音でつぶやくと、ごそごそと身じろぎし、起こしていた半身を、寝床に横たえる。

 程なく、静かな寝息が、クシナを押し包むように、そっと聞こえてきた。

 その響きに心安まるものを感じながら、クシナ本人も、

(明日からは、また忙しくなる)

 それまで満天の星空をかっと見つめていた両目を、そっと閉じたのだった。



     4

 文献という形で当時の状況を垣間見ることができる歴史時代と違い、遺跡発掘による考古学的アプローチ以外、ほぼ不可能な弥生時代には、いまだ解明されていない謎が多い。

 その中でも、200年以上にわたり、人々がさまざまな説を唱え続けてきた、最も大きな謎の一つが、「邪馬台国はどこにあったのか」である。

 この「邪馬台国所在地論争」、主な候補地は「北部九州」と「畿内」の二つ。東大を中心とする関東、そしてもちろん、ご当地である九州では「北九州説」が主流で、九州地方の歴史博物館を訪れると「邪馬台国は九州にあったことはもはや既定のことと思われる」的な説明がなされていたりする。一方、京大を中心とする畿内地方の学者は、ご当地「畿内」――それも、ちょうど卑弥呼の生きた時代に作られたとおぼしき巨大前方後円墳「箸墓古墳」のある奈良県桜井市あたりにあった、という説を支持し、こちらもやはり、「箸墓は卑弥呼の墓としか考えられない」的な説がたびたび述べられている。

 どちらの説にもそれぞれ有力な傍証はあるものの、決定的な物的証拠は出ておらず、だからこそ、現在も盛んに論争が行われている。そもそもなぜそのような論争が起こったのかといえば、当時の日本の状況を記した唯一の文献史料である「魏志倭人伝」にある邪馬台国の位置の描写がやや不可解なものであり、言葉の通り理解すると、日本列島を通り越し、遙か南の海中に存在したことになってしまうためだ。

 当時その場所にあった陸地が海中に沈んでしまった、などとする説を唱えるわけにはさすがにいかず、なんとか倭人伝の記述を「超解釈」し、無理矢理日本地理に当てはめた結果、「北九州」「畿内」の2大説が誕生した、というわけである(もちろん、これ以外にも邪馬台国の候補地としてあげられている場所は無数といっていいほど存在する。が、そのほとんどは「トンデモ説」として切り捨てられ、北九州か畿内かのどちらかであることは間違いない、と学界で認知されているようである。そんな中、科学者である中田力氏がその著作「日本古代史を科学する」の中で述べられた論証は非常に明快で科学的であり、北九州、畿内以外の「トンデモ説」と切り捨てられた諸説の中にも、再検証するべきものがあるのではないか、という思いを強くさせられた。興味があれば、ご一読をおすすめしたい)。

 僕――筆者がこの手の解説を聞くだに思うのは、とにかく自説の正しさを証明することに躍起になってきたという経緯があるからか、北九州説、畿内説どちらであっても、「ほら、こんな傍証があるんだよ!」と主張することばかりに躍起になり「なぜその地に大国が所在できたのか」「そもそも当時のクニとは、現在我々がイメージするような「国」と同じものだったのか」などといった「大局的な」視点が欠けているのではないか、ということである。

 つまり、いくら説明を聞いたところで「なるほど!そう考えると、確かにそうかもしれない」と思えるような説得力に欠けるのだ(そんな中、唯一「なるほど!」と思わせてくれたのが前掲書「日本古代史を科学する」である)。

 この物語の目的の一つは、そんないくつかの謎について、筆者が自分なりに考え、たどり着いた結論を、(こっそり)世に問うことにある。

 例えば、その一つ。

 子供の頃、古代史に興味を持ち、「謎の邪馬台国」的な本を読んで、魏志倭人伝の記述を知った時、「ふーん、なんか、えらく遠いところにに大国があったんだな」という素朴な感想をお持ちにならなかっただろうか?

 そうなのだ。

 当時の文明先進国といえば、春秋戦国時代から秦・漢・三国時代と続く中国、あるいは、大陸から突き出した半島に、こちらもさまざまな国が並び立っては滅びていった朝鮮、といったあたりであることに、異論を唱える方は少ないと思う。

 従って、弥生からもう少し時代が下り、古墳時代に入ってからの大国といえば、北九州に出雲、吉備、敦賀、越(新潟県)といった、山陰、北陸地方の国々――つまり、日本海に面した地方となる(それらを束ねたとされる畿内の「大和政権」を除けば、だが)。大陸からの渡来人を積極的に受け入れ、進んだ文明を取り入れた地域が力を伸ばし、やがて大国を形成していったなどと説明されるが、なるほど納得のいく話である。

 古代、日本列島の表玄関は「裏日本(失礼な言い方だが、この呼称が一番地域をイメージしやすい)」だったのだ。

 ならば、弥生時代であっても、北九州沿岸部にあったとされる、末廬国、伊都国、奴国、不弥国といった国々こそが、大陸からの進んだ文物を受け入れ、大国となってもおかしくない――というか、それが当然なのに、なぜこれらの国から最低でも「水行十日、陸行一月」も南(畿内説支持者によれば、東)に進んだ「へんぴな土地」に、「女王の都するところ」があったのか。考えてみると、かなり不思議な話である(同じことは、古墳時代の大和政権にも言える。大陸に面する側を「表玄関」と見なすならば、瀬戸内海の奥深く、そこからさらに川を遡った「ド田舎」に、なぜ日本でも有数の勢力を誇った(とされる)政権が成立したのか。改めて考えると、実に不可解である)。

 この謎について――寡聞にして、その理由を解説をなされている文書を知らないので――あれこれ考えた末、筆者は、一つの結論にたどり着いた。

 その考えは既に、物語の中でマダカやカグチ、ニグィの口を借りて述べているが……つまり、邪馬台国が建国し、その「女王が都するところ」を置いたと考えられる時代はおそらく、中国全土で泥沼の戦争を延々と繰り返していた春秋戦国時代であり、戦禍を避けた――大陸で食い詰めた人間が、後から後から、列をなしてたどり着く時代であった、と考えれば、納得がいくのである。

 避難民たちの多くは、いくさのとばっちりで逃げ出してきた民なのだから、当然手持ちの食料は少なく、飢えたものばかり。当時、日本の人口はそれほど多くなく、多くの原野や森林が広がっていたと思われるが、それらの中から耕作に適した地を選び出し、木を切り、切り株を掘り起こし、石をのけて土を耕し「耕地」を作り上げていくのは、当然ながら、一朝一夕にできることではない。使える道具は石器のみという、人間が自然にあらがうための手段が、哀しいほどみすぼらしかったこの時代、いかに「耕作に向いていると思われる」土地があろうと、それを実際の耕地にするには、とてつもない時間と手間がかかったはずだ。

 ということは、当然ながら、里で養うことのできる人数は、狭い耕地からの作物の収穫量という「絶対的基準」で自ずから上限が決まっており、それ以上の人間がどこかからやってこようとも、決して受け入れられない、という状況であったと、容易に想像される。

 命からがら大陸から逃げ出してはきたものの、受け入れてくれる里はなく、今しも手持ちの食糧が尽きるかもしれない、となれば、とるべき方法は一つしかない。

 強奪である。

 もちろん、里人にとっては、自分たちの命ををつなぐ大切な食料を、みすみす奪われるわけにはいかない。襲撃から身を守るために、濠を作り、逆茂木を植え、板塀を張り巡らして、襲撃を防ごうとする。

 かくして、生き残りをかけた、血みどろの争いが勃発する。

 ようやくのことで相手を全滅させ、里を守り抜いても――あるいは、里の強奪に成功しても――安心はできない。なにしろ海の向こうでは、相変わらず大規模ないくさが続いており、ことあるごとに避難民が押し寄せては、里めがけて襲いかかってくるのである。

 さらに、拠点防衛でも襲撃でも、主力となるのは当然男たちであり、その男たちが攻防戦の結果、死んだり負傷したりすれば、当然、田畑の耕作に必要な人手も減ることになる。

 里人が総出で働いたとしても、田畑を拓くのは難事業であるというのに、襲撃に備えて見張りに立つ者を配置しなければならなかったり、あるいは死亡や負傷で脱落したりする者が増えたり、ということになれば、もはや開拓はおぼつかない。それどころか、既存の田畑の耕作すら、思うように進まなくなることさえあり得る。そうなってしまえば、当然作物の収穫量は落ち、里で養える人間の数は、先細り――とは言わないまでも、今ある人数を保持するのがやっと、という状況に成り下がる。

 以上のような考察から、弥生時代における「いくさ」――襲撃側、防御側の存亡を賭けた総力戦――とは、「国力を削減する最も効果的な手段」であったと思われる。であるならば、その「いくさ」が多発する、日本海沿岸部からほど近い地域に田を拓き、里を構えるということは、そのまま、将来的な国力増加が非常に難しい――いわば「ハズレ」の――エリアを選んだことを意味した、と結論できる。

 安心して開拓と耕作に励み、子をなし、後の繁栄を望むのであれば、沿岸部を離れ、山中へと分け入らなければならなかった(ご存じの通り、平野の少ない日本では、沿岸部を離れれば、すぐに山の中になってしまうのだ)。

 そもそも「邪馬台国」の当時の呼称である「ヤマト」という言葉は、「山への入り口」を意味するという。そのことからしても、邪馬台国は、山中深く分け入ったところに根を下ろし、そこで――先住民の手を借りながら――徐々に耕地を広げつつ、人口を安定的に増やしていった民が建国した国なのではないか、と推測できる。

 もしそうだとすれば、邪馬台国の「都」は、北九州であるにしても、ほとんどの人間が思い浮かべるような平野部ではなく、もっと奥地――日田か、あるいはもっと南方の、阿蘇にほど近い地域、ということになる。

 畿内説であれば、奈良と和歌山の県境付近から、さらに山中に分け入ったあたり、ということになろうが、物語のもう少し後で詳述する理由により、ここでは、北九州の日田市近郊か、あるいはもう少し南方の、山に分け入ったあたり、ということにしておきたい。


 後に伊都国となるあたりに上陸したクシナたちは、これより海岸沿いに南下、長崎の入り組んだ半島を越えて、有明海へと入り、そこから筑後川沿いに、いよいよ山の奥へ奥へと入り込んでいくこととなるのだが、その直前――筑後川の河口付近に足を止めた際、彼女は、思いもしなかった出会いを経験することになる……。 

 



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