第一章 異郷 1-2
1
クシナは、なにもかも不満だった。
里を出て――里を捨てて船旅に出てから七日。大きな島で一日を過ごし、皆の体を休め、それからまた航海に乗り出し五日。小さな島に寄って水と食料を手に入れ、さらに二日と、半月にも及ぶ間、舟に揺られてきたというのに、たどり着いたのがなにもない――船着き場すらろくに作られていない――未開の海岸だったのが、不満だった。
しかも、ようやく目的地に着いたと思ったのに、ここはただの通過地点で、今度は川伝いに山の奥へと入っていかなければならないのだという。
見れば、はるか遠くにぽつぽつと掘で周囲を囲われ、田を拓いた里――人の居住区域――こそあるものの、周囲にはまだまだ葦原が広がっている。
それならば、このあたりに根を下ろし、自分たちの住まう「里」を拓いてもいいではないか。
が、そのことを案内役である「江の父」マダカに進言すると、彼は優しげな笑顔のまま、ゆっくり顔を左右に振るのである。
「このあたりは『おもて』だ。だから、お前たちのような客人が、数多くやってくる。田を拓く土地としては申し分ないかも知れぬが、危険だ」
だが、クシナは納得できない。
客人が多いのはよいことではないか。それだけ賑やかで、故郷のことだってよく分かる。数多くの人と協力すれば、力仕事も楽にこなせる。大勢の人間が集まれば、それだけ危険も少なくなる。一体、なにが問題だというのか。
が、そのように抗弁しても、マダカは困ったように笑ってあたまをなで、
「落ち着いた頃に、ニグィ殿にゆっくり尋ねるとよい」
そう言って、話を打ち切ってしまったのである。
故郷の里では、次代のトゥジ――マツリの総責任者――の最有力候補と目されていた上、「聡明で、年に似合わぬ落ち着いた物腰を身につけている」と、里の有力者で、舵取り役でもある大人たちからすら、彼女は一目置かれていた。それが、ここではまるっきりの子供扱い。そのことも、クシナには大いに不満だった。
そして、なにより気に入らなかったのは、
「そなた、なにも分かっておらぬのだな。この場に住みつくなどというふざけたこと、我らには到底考え及ばぬ。愚かな娘っ子は、黙って我らに従っておけばよいのだ。さすれば、無事に安全なところへ連れてってやる。そうだな、マダカ?うはははは……!」
下品で尊大、粗暴で傲慢なこの青年――カグチが、旅に同行するだけでは飽き足らず、なにかというとクシナにつきまとい、ねっちょりと絡みついては、いちいち気に障ることをほざくのである。
青年、といっても、カグチはようやっと「少年」を脱皮しはじめたばかり、という風情。クシナと――間もなく12となり、間近に成人の儀を控えている――せいぜい一つ二つしか変わらぬ年格好である。当然ながら、男としてはまだまだ半人前で、本来ならば、成人した男たちのあとをくっついて歩いては、あれこれ教えを請わなければならぬ年頃である。だが、このカグチ、父親が多くの人々から尊敬を集める「クムタクル」――部族連合のとりまとめ役――である上、本人もまた、まれに見る弓矢の名手。ということで、すっかり天狗となり……一族の長である「モノヒク」を務めるマダカに大してすら、ろくに敬意を払わず、逆に手下扱いをして、あれこれとあごで指図する始末。そのあまりにも傲慢な態度に、誰もが苦々しい思いを抱いているが、クムタクル本人が、遅くに生まれた末子ということで、このカグチを猫かわいがりしているという事情もあり、どれほど生意気な態度を取ろうと、誰一人として、叱責することはおろか、たしなめることすらできない。
この時も、カグチは、年近き甥であり腹心の部下でもある「ククチ」を引き連れ、ふらっと里の方へと出かけていったかと思うと、間もなく、中に食料がいっぱいに詰まった大瓶を二つ、自分とククチで背負い、意気揚々と帰ってきた。
マダカは、めざとくその姿を見とがめ、
「……その瓶。まさか、ムラの衆より奪い取ってきたのですか?」
厳しい声で尋ねる。が、カグチはまるで平気な様子である。
「奪うなど、人聞きの悪いことをいうな。そろそろ我らの手持ちの食料が少なくなってきたのでな、ちょっと拝借してきたのだ」
「また、そのような勝手なことを……!」
「心配するな。奴ら、皆快く食い物を差し出したぞ?ま、もっとも、差し出さなければどのような目に遭うか、痛いほど分かっておるだろうからな。たまには、このように我らクムの一族こそが主だと思わせておかぬと、いつ何時、下らぬことを考えぬとも限らぬ。よいかマダカ、奴らをきっちり絞ること、忘れてはならんぞ?うはははは……」
苦虫をかみつぶしたような顔となったマダカに対し、悪びれることもなく、かえって訳知り顔で訓示を垂れる始末である。にもかかわらず、その思い上がった態度や言動を、マダカは叱りつけることすらせず、
「こうなっては致し方ない。あとから干し魚なりなんなりを山ほど持って、我らでわびを入れに参るとしよう……」
憤りを諦めにすり替え、早速瓶の中の菜を手づかみで取り出しては、むしゃぐしゃ、ペちゃべちゃと頬を大きくふくらまして飲み下している若造を尻目に、「里の父」ニグィとこそこそ話し合うばかり。
ニグィは、普段はこの上なく穏やかな、優しい父親だ。優しいだけではなく、クシナがなにか問題を起こしても――今まで数えるほどしかそんなことはなかったが――決して頭ごなしに怒鳴りつけたりせず、きちんとクシナの話にもうなずきつつ、諄々と道理を説き、間違っていることは「間違っている」とはっきり指摘してくれる。場合によっては、迷惑をかけた人物のところへ、クシナとともに謝りに行ってくれたりもする。長いこと里の要職である大人を――そして現在は総責任者である村長を――務め、里人からの信頼と尊敬を一身に集める立場であるにもかかわらず、ちっとも偉ぶったりせず、いつでも人々の悩み事に親身に耳を傾けては、あちこちばたばたと駆け回り、問題解決に努めている。働き者だががさつで高圧的な母親「アタカ」とは裏腹に、まさに理想を絵に描いたような父親なのである。
また、一方のマダカも、久しぶりに会えば、言葉数こそ少ないけれど、必ずクシナの頭をゴツゴツした手でガシガシとなで、愛しさがこぼれ落ちそうな笑みを浮かべてうなずき、持ってきた中で一番大きな魚の、もっともおいしい部分を切り分け、好きなだけ食べさせてくれる。無口だけれど、普段離れて暮らしている分だけ、会った時には手放しでかわいがってくれ、精緻な耳飾りとか、目の覚めるように美しい布だとか、里の誰一人持っていないような素晴らしい細工物を、会うたびに渡してくれる。その上、舟を操る腕前は絶品で、どれほど荷物を載せた舟であろうとも、マダカが舵を握れば、水面をすべるようになめらかに進み、船着き場へぴたりと停止する。モノヒクとして、そして誰よりも腕のいい船頭として、仲間たちから全幅の信頼と尊敬を受けているのである。
そんな、クシナが知る中で最も頼もしい男であり、自慢の父親でもある二人が、ちょっと弓がうまいぐらいで天狗になっている生意気な若者に意見の一つもいえず、言うなりになっているのも、クシナをいらだたせる原因の一つだった。
(ああ、なんでこんなところにきてしまったんだろう。懐かしい里に帰りたい。あそこで、トゥジ様とともに、ずっと、ずっと暮らしていたかった……)
見知らぬ土地で、なじみのない隣人たちと付き合い、勝手の違う苦しい生活を送りながら、田を拓き、畑を作る……途方もなく困難な将来を思うたび、クシナは、ため息をつかずにはいられない。
父に無理矢理かどわかされるような形で、このような遠いところまで連れてこられ、彼女の胸中には、不安と不満、やるせない思いと怒りが、ぐるぐると渦を巻いていたのである。
弥生時代初期、中国大陸から戦乱を避け、日本に大勢の民が渡来した。
大陸から日本に渡るにあたり、今のところ一番有力とされているのが、中国大陸から朝鮮半島を経、対馬をへて北九州へと上陸する、という説である。
陸地伝いに航海ができるため、迷わず確実に日本へとたどり着けるから、というのがその根拠。なるほど、説得力がある。
けれども、それは「海に不慣れな民が、自力で日本海を乗り切ろうとする」場合に限られた話だと、僕には思われる。
もし、航海に慣れた海洋民が、ガイド役として避難民を誘導するのであれば……例えば、今回この物語で採用した、長江河口から済州島、対馬を経て北九州に上陸する、という航路を取ることも可能だったのではないだろうか。
そうであれば、長江周辺からの避難民が多く日本に上陸したことになり、「日本人と江南地域の人々との遺伝子距離が非常に近い」という人類学的研究の結果にも、よく合致する。
となると、問題はその「航海に慣れた海洋民」である。
この時期、日本海や東シナ海を股にかけて舟をこぎ出し、漁業や通商に従事した、屈強な海洋民が存在したのだろうか。
実は、その候補ともいうべき民族は、実在した。
この時代よりさらに一万年を遡る昔から日本列島に住みついていた先住民族――いわゆる縄文人である。
このように言うと、意外な感があるかもしれない。
縄文人といえば、森の中に巨大な集落を建造して居住し、その恵みを存分に活用して生きた「森の民」というイメージが強いであろうからだ。
だが、実のところ、この「縄文人=森の民」というイメージが成立するのは、紀元前5500年~4400年頃までの、縄文中期――いわゆる「縄文海進」の時代まで、なのである。
この時期以降、世界はどんどん寒冷化し、弥生時代にさしかかる頃には、世界的な寒冷期がやってきていた。農業による食料生産は先細りとなり、生き残るために、より大きな耕地、より肥えた耕地が必要となり、世界各地、特に北方から戦乱が勃発、広がっていく……ということを第一部で書いたが――この寒冷期の影響が、日本にも影響を及ぼしていたのである。
四方を海に囲まれているおかげで、大量の雨と温暖な気候に恵まれ、日本の森林は――食うや食わずの土地ばかりだった大陸に比べ――あきれるほど豊かな実りを恵み続けてくれていた。とはいえ、大勢が定住して生活する大規模集落は、さすがに維持し続けることができず、縄文後期以降、人々は再び、獲物や木々の実りを求めて森の中を巡回し生きる、正しい意味での狩猟採集生活に、再び戻っていたのである。
その縄文人たちの中に、海辺に住みつく者たちがいた。
巨大貝塚を作るほどの魚介を採集し、それらを食べると同時に、加工して多くの地域へと運び――貝塚の研究から、定住した人数に比べ、あまりにも捨てられた貝殻や魚骨が多いことから、このように考えられている――生きる人々である。
そもそも縄文人――原日本人は、遙かな大昔から、航海に長けていた。約二万年前(!)というはるかな昔――後期旧石器時代から、(おそらくは)丸木舟を操り、鏃の原料となる黒曜石を、長崎から朝鮮半島まで運びこんでいたらしいのである。
さらに、縄文晩期――弥生時代初期になると、マグロやシイラといった大型の魚を捕り、それを他の集落に持ち込むことで生計を立てる者たちさえいたという。ならばきっと、更なる獲物、新たな漁場を求め、既存の航路とは違う「海の道筋」――例えば、九州から台湾、中国南部へと至るような――を発見していたとしても、あながち無理な推測ではないだろう。
さらに言えば、これほど航海に長け、航路を知悉した民であるからには、中にきっと、交易――あちらの集落でしか取れぬものを他の集落へと持ち込むことで、(物々交換ながら)大きな利益を得る活動に、目覚めた一族がいたと思われる。
はじめは漁業のかたわら、舟の空いた場所にちょっとしたものを積み込み、他の集落へ持ち込む程度であったものが、どんどん定業化し、そのうち、むしろ交易の片手間に漁業を行う、といった状態になった集団さえ、いたかもしれない。
日本海、東シナ海を股にかけ、漁業のかたわら交易に従事していた海洋民。交易で利益を上げようと思えば、情報収集は必須だから、彼らはきっと、いくつもの言語を操り、集落を訪れるたび、そこの民と話し込み、さまざまな情報を仕入れる「情報通」であったに違いない。
そんな目端の利く「商人」でもあった彼らが、大陸で徐々に戦乱の嵐が巻き起こりつつあることを知り……その戦乱を避けてどこかに移住しようと希求している人々――交易する価値のある特産品を作る技術を要した農耕民――の存在を知る。
他にはない「特産品」を作れる民は、実に貴重だ。その品物を仕入れてちょいと舟を動かし、他の集落へ持ち込めば、労せずに多くの財物を手に入れることができる。なんとか彼らを生き延びさせ、交易相手として存続させることはできないものか……と考えた末、ならば、大陸から故郷である自分たちの「豊葦原の地」へ移住させたらよいのではないか、と誰かが考えついた。
幸い、土地はある。農耕民の住む土地は山の麓の低湿地帯で、自分たちの好む森林の中や、海辺とは違うから、棲み分けも可能だ。「もっともっと広い土地を」と望む、強大な力を持った「おう」は存在しないから、移住した者たちも、比較的安心して生活でき……そして自分たちは、わざわざ海を越えることなく、多大な富を生み出す交易品を手に入れられる!
そんなふうに考えた、ヤズやマダカのような縄文海洋民が、ニグィやクシナのような避難民を、積極的に受け入れ、日本へと道案内していたのではないか……そのように、僕は考えるのである。
だが、このように言うと、多くの読者は、やはり違和感を抱かれることと思う。
というのも、縄文が弥生へと移り変わった状況について、今までほとんどの学者、書物が、「進んだ文化を携えた弥生人が日本に上陸することで、文化的に劣っていた縄文人を駆逐、一部融合する形で新たな時代を築いた」という説を採用しているからだ(昨今、ようやくこれと違った説が提唱されるようになりつつあるが)。
現代人の感覚でいえば、これは至極当然の現象だ。先進的な地域――西ヨーロッパに居住していた人間たちが、未開人しか住んでいなかった土地――アフリカ、アメリカ、アジアを次々と征服し、植民地化していったことは、歴史的な事実であるのだから。
だが、この図式をそのまま縄文人と弥生人との関係に当てはめるのは、かなり無理があるのでないか、と僕には思われるのだ。
まず、後に弥生人となる「大陸の農耕民」たちだが、彼らの多くは、望んで日本にやってきたわけでは、おそらくない。
農耕民とは、土地に居着く人たちである。
湿地を開拓し、田を拓くには、かなりの面積の土地を畦で囲いこみ、水が漏れ出ることのないよう整地した上で、水路を引き、邪魔な木を切り倒し、さらに根を掘り起こし、石を取り除いて整地し……と、とてつもない量の労力を投下する必要がある。
それだけではない。
田ができ上がった後も、毎年毎年、畦を整備し、土を耕し、水を張って田植えをし、稲の成長に合わせて水量を調節しつつ、毎日のように草取りをして……と、まさに手塩にかけて世話をしてやらなければ、実りの秋を迎えることはできない。
農耕民にとって「田んぼ」とは、幾世代もの人々が流した大量の汗と涙によって作り上げられ、磨き込まれてきた、何物にも代えがたい財宝のようなものなのである。
それほどまでに大切な、代々受け継いできた家宝をあっさり見捨て、新しい土地に移るなど、ちょっとやそっとのことでできるものではない。
ましてや、農耕民はほぼ例外なく、保守的で慎重だから――決められた手順を守ってさえいれば、一定の収穫を得ることが可能な農業の性格上、それに従事する者も、自然とそういう性質を身につけていくのである――それこそ、ニグィらのように、北方からの征服者たちによって自らの財産はおろか、命さえも脅かされるような「絶体絶命の状況」に陥ってはじめて、しぶしぶ土地を離れ、別天地を目指して移動を開始する、というのが、移住の実情であったと思われる。
そうである以上、移住してきた者たちのほとんどは少人数で、しかも尾羽うち枯らした者たちばかりであったはずだ。
征服者たちに蹂躙され、住み慣れた土地を離れざるを得ず、身も心も憔悴した避難民たちが、土地に慣れ、森の実りを熟知し、さまざまな食料を手に入れては充実した食生活を送っていた森の民を打ち倒し、征服することが、果たして可能だろうか?
絶対に無理、とか言わないまでも、相当難しかったのではないか。
さらに、なんとか田を拓き、幾棟も住居を建てて、どうにか「里」の体裁を整えた後であっても、弥生人が縄文人を「駆逐」することなどできなかったのではないか、と僕は考えている。
その理由は、両者の生活環境の違いにある。
先ほども述べたが、弥生人は農耕民――土地に居着き、土地に執着する民である。数ヶ月もの時間をかけて作物を育て、収穫することによって生活を成立させている彼らにとって、耕地は、それなしでは生活できない、なんとしてでも守るべき「命綱」である。
が……襲撃する側に立ってみれば、これほど襲いやすい目標はない。収穫前の時期を狙って火をかければ、それだけで作物は全滅。農耕民は、たちまち困窮することになる。
襲撃を防ぐには、田畑の周りに堀や板塀を巡らし、いくつも見張り台を立てて、昼夜を分かたず不審者の影に目を光らせる必要がある。が、農業技術の発達していない時代のこと、集落に住む者全員の生活を成り立たせるだけの収穫を得ようと思えば、相当広大な面積の耕地が必要となる。それら全てを囲い込もうと思えば、相当多くの労力を投下しなければならない。加えて、24時間体制で見張りを立てようと思えば、こちらの方でもまた、多くの男手が――農作業に従事する者以外に――必要となる。
それほどの「余剰」労働力を確保するのは、人口数百人程度の大規模なムラであっても、相当難しかったはずだ。
である以上、さらに時代が下り、ムラがいくつか集まり、同じ統治者の元で統合され、一体となって一つの作業に打ち込めるようになるまでは――つまり、さまざなな社会機構が整備された吉野ヶ里遺跡のような「クニ」が誕生するまでは――他者の襲撃を完全に防ぐことなど、不可能であったと考えざるを得ない。
これに対し、一方の縄文人たちはどうか。
彼らは弥生人と違って、守るべきものを持たない。
狩猟採集民である彼らは、常に食物を求め、山々を巡り歩く生活を送っている。ために、襲われて困るような耕地などない。実りをもたらしてくれる木々が焼き払われたとしても、他の森へと出向き、そこに実る木の実を利用すれば、それで事足りる。
放浪が前提の生活だから、しばらくの間どこかに腰をすえるにしても、手間暇かけて立派な住居を作ったりはしない。風雨をある程度しのげる「草葺きのテント」のようなものをすみかとする。だから、もしも居住地が襲われたとしても――森の中のちょっとした空間に数時間で作れる「居留地」なのだから、よそ者にその存在を知られる可能性など、ほぼなかったと思われるが――そのまま全てを捨てて逃げ出せばよい。首尾よく逃げおおせた後、山一つほど超えたあたりに仮の居住地を再び作れば、それでなにごともなかったかのように生活を続けられたのである。
さらに、両者の生活形態の違いからくる「戦士としての資質」にも、大きな隔たりがある。
機械化される前の農耕には、激しい肉体労働が必要だった。
土地を耕し、苗を植え、草を抜き、水路を整備し、石や根を取り去り、刈り取るまでのありとあらゆる労働が、すべて過酷なものばかり。朝から晩まで半年以上もの間、これらの厳しい労働に耐えなければ、収穫を手にすることはできない。意外に思われるかもしれないが、農耕とは、狩猟採集に比べ、ずっと過酷な生活形態なのである。
若年のうちから、このような激しい労働に明け暮れることで、肉体は、おのずと丈夫で打たれ強い、頑丈なものになった。そして、長年クワを振るい続けることで練り上げられた腕の力――膂力――はすさまじく、その太い腕に捕らえられたら最後、狩猟採集民の細腕など、苦もなくへし折られてしまったに違いない。
捕まえることができれば、だが。
残念なことに、彼ら農耕民が長年向き合ってきたのは、稲――すなわち「植物」である。
植物は、どれほど強大な敵が近づいてきたからといって、逃げ出したりはしない。じっと地面に根を生やし、なにをされてもされるがまま、じっと耐えるだけだ。だから、対峙する農耕民も、せかせかと行動したりはしなくなる。悠揚迫らぬ態度でじっくりと腰をすえ、相手の様子を見ながら、毎日毎日、ひたすら同じ作業を繰り返すのである。
これに対し、狩猟採集民――の中の、特に男性――が獲物とするのは動物、すなわち「獣」である。
野生の獣は、この上なく臆病で敏感だ。敵の気配を察知すれば、その瞬間、素早く逃げ出してしまう。鉄砲などの火器が発達した現代ならいざ知らず――いや、製作技術の進歩と、鉄などのさまざまな素材の活用により、強靱で安定した弓矢を作れるようになった平安期以降と比べたとしても――射程が短く、殺傷力の低い矢しかなかった時代である。獲物を仕留めようと思えば、相当の近距離まで近づき矢を射なければならなかっただろうし、また、一矢で仕留めることも難しかったであろうから、手負いの――いわゆる「半矢の」状態で逃げまどう獲物を追い、山中を駆け巡ることも、度々であったに違いない。
さらに、小動物が相手ならばまだよいが、シカやイノシシ、クマといった大動物と対峙すれば、相手から反撃を喰らうことも――そして、その痛撃により、狩人の方が死亡させられることも――ままあったはずだ。
落とし穴などのわなを併用することも多かったのであろうが、それにしても、敏感で素早い動物を相手に、日々野山を駆けまわっては、気配を殺してごく至近距離まで近づき、時には自らの命を危険にさらしてまで、獲物を狩る――狩猟採集民は、日々の糧を得るために、毎日そのような生活を送っていたのである。
このような生活形態の違いは、そのまま両者と「戦士としての資質」差になったと思われる。
腕力はあり、丈夫で屈強だが、植物相手に暮らしていたため動きが鈍く、どたどたと不格好にしか走れない弥生人は「集団戦における歩兵」タイプ。重武装に身を固め、隊列を組んで敵を圧倒する戦闘で真価を発揮する。
一方、毎日の山を駆け巡り、逃げ惑う獣を追いかけて足腰を鍛えていた敏捷な縄文人は「忍者・盗賊」タイプ。敏捷でトリッキーな動きで相手を翻弄し、遠方からの弓矢や投擲武器などで、少しずつ相手にダメージを与えていく、ゲリラ戦に向いたタイプ。
さらに、いざ戦場に立ち、命のやりとりをするとなった時、修羅場慣れしているかどうか、という点でも、農耕民は狩猟採集民に後れを取ったであろうことが想像されるが……とりあえずそういった「心情的な」点は考えないこととし、ある程度客観的な推測が可能な、両者の「戦士としての資質」と、想定される「戦場」「勝利条件」を考えていく。
すると、実のところ、それだけでも、戦闘の結果は明らかなものになってしまうのだ。
わかりやすいように、ちょっとモデル化してみよう。
「ある陣地を守って、屈強な兵士が一人いる。兵士は、手にした剣を使い、一撃で相手を殺すことができるが、動きが鈍重なため、なかなか敵を捕らえることができない。武器として弓も使うことができるが、不慣れで、なかなか当たらない。
一方、この陣地を狙う盗賊がいる。盗賊は俊敏で、弓矢の技術に長け、遠くから正確に目標を射貫くことができる。また、陣地の周囲にある隠れ場所にひそみ、思いもよらぬ時、思いもよらぬ場所から、兵士に不意打ちをかけることもできる。
兵士は、盗賊が陣地に少しでも触れたら――火をつけられてしまうので――即刻敗北する。だから、陣地から離れることができず、せいぜい、その周囲をうろうろすることが可能なぐらいである。一方の盗賊は、どこであろうと自由に移動し、時と場所を選ばず、いつでも襲撃をかけることができる。
そして、盗賊には――守るべき陣地がないので――敗北条件はない。兵士に捕まり、殺されてしまえば敗北するが、相手は陣地に縛られ、しかも、動きが鈍い。丈夫なことは丈夫だが、遠方を駆け回り、攪乱し、弱ったところで矢を打ち込み、また距離を取って攪乱し、というのを繰り返してさえいれば、そのうち必ず斃すことができる。」
さて、このようなゲームがもし存在したとして、あなたは「兵士側のプレイヤーになりたい」と思うだろうか?
思うはずがない。なぜなら、百パーセント勝機がないと、わかりきっているからである。
これが、縄文人と弥生人の――狩猟採集民と農耕民の――「里」防衛戦における戦闘力の違いだった。
戦えば必ず負ける。弥生人たちは、そのことが分かりすぎるほどに分かっていたのだ。
だから、弥生人たちは、定期的にやってきては収穫物を奪い取っていくこと縄文人たちを受け入れ、その機嫌を損なわぬようにひたすら頭を低くし、もてなして、自分たちの命と里の安全を守っていた。
そう考えると、縄文人たちが、大陸からやってきた者たちの移住を許し、耕地を拓いて住みつくことを許し、積極的に奨励した理由も理解できる。
縄文人たちにとって、弥生人たちの「里」は、いわば「数多くのドングリを実らせる大木」のようなものだったのだ。
山の木の実が不作で、獲物も満足に捕れないような時であっても、「里」を訪ねていけば、必ず一定量の食料を手に入れられる。そういった「食料源となる場所」の一つにするため、縄文人は積極的に避難民たちを受け入れ、土地を与え、居住させた。それが後の弥生人となっていったのではないか……そんなふうに、僕は考えているのである。
2
「干し魚の入った瓶を二つ、用意しました」
「それならば我らは、酒の瓶を一つ、用意しよう」
「おお、それは助かります。かの里の者たちが作るのは『くちかみの酒』ばかりのはず。あなた方がお作りになるような酒は、ついぞ飲んだことはないはずだ。きっと、機嫌をよくするに違いない」
「なに、それぐらいならお安いご用だ。そなたに言われたとおり、酒だけは、舟に積み込めるだけ積み込んできたのでな。今までの宴で幾分目減りはしているが、それでもまだ瓶一つぐらいならば……」
「それでは早速、あちらに出向いて参ります」
「おお、それならば、私も一緒に……」
「なんとありがたい申し出。あなたのような年長の、物わかりのよい方がご一緒してくださるなら、きっと相手にも誠意が伝わるに違いありません……」
真剣な表情で対策を協議した後、ニグィとマダカは、彼方にほの見えるムラへと向け、あたふたと出かけていった。
その姿を、この上なく高慢な、見下した態度で、カグチは冷ややかに見送った。
「海の者とはいえ、我ら誇り高きクムの一族に連なる者が、なんとも情けないことだ。土にへばりつき、泥まみれになって草をはやすことに執心する賤しい者たちに、モノヒク自らが貢ぎ物を手に、頭を下げに行くとはな。そもそもあの土いじりどもがこの地に住めるのも、我らが一族が特別に情けをかけてやっているからではないか。なぜ、その気になればいつでも蹴散らせる、あのような弱い奴らの機嫌を取らねばならぬ?むしろ、ことある度に思い知らせてやるべきなのだ。貴様たちなど、我らの胸先三寸でどうにでもなるのだ、ということをな!それを……ああ全く情けない!」
クシナは、思わず眉をひそめた。
この言葉を、それこそクムタクルのような、一族を束ねる指導者が口にしたのであれば、まだしも重みがあるのであろうが――それでも、実情を理解していない、思い上がった言葉であることには間違いないが――吐き散らした当人が、里の舵取りすら経験したことのない、尻の青あざが消え残っているような若造なのである。おそらくは、一族の誰彼が常々口にしていることを、そのまま繰り返しているだけなのであろうが、何らの実績がない者がいくらご高説を述べたところで、誰の耳にも届くものではない。そのことすら理解せぬまま、とくとくとして傲慢な言葉を口にし……それで周囲が自分を認め、感心するだろうと思い込んでしまっているところに、このマダカという少年の「甘やかされて育った」経歴が、赤裸々に浮かび上がっている。
大言壮語すればするほど、周りの人間は失笑をこらえるばかりになるというのに、それすら分からないとは、とんだお坊ちゃんだ……などと、心中高らかに嘲笑しつつ、
「ええ、そうですね。あなたのような誇り高い方々のお考えは、よく分かりません。私たち下賤な土いじりには」
なにか勘違いしているようだが、自分たちも、郷里では稲を育て、土にまみれて生きてきた「土いじり」そのものだと、そんな自分たちの前で、よくもまあ、それだけ思い上がった口をきけるものだと、そんな意味を込めて――しかし、表面上は、あくまで無表情な、冷静な態度のまま、ぴしゃりと言い放ってやる。
と、カグチはようやく、自分の失策に気づいたのか、いきなりおろおろし始めた。
「クシナよ、お前なにを言うのだ。お前とあいつらとは、全く違うではないか」
「いえ、同じく土を耕し生きる、土いじりでございますわ、マダカ様」
「いやいや、同じ土いじりであっても、全く違うぞ。なにしろお前たちは、遠きところよりやってきたのだし……」
「あの里の方々も、元は遠いところからいらっしゃったのでは?」
「素晴らしい酒を造るではないか」
「今は耕す土地もなき身なので、それもこの先できるかどうか」
「そうだ!ならば、我らの一族に加えてやろう!どうだクシナ、我らとともに来い!ともに山に住み、木の実を集め、シシやシカを取って暮らせばよい!」
「私は里の者です。そのような暮らしができるとは思えませぬ」
「いや、できるとも!どうだ、このわしが皆に口を利いてやるから、一族の者としてともに……」
「無理でございます」
「里のものが食いたくなれば、このようにいくらでも食うことができるぞ?どうだ?ほら、お前も一緒に食え!そして、我らとともに……」
カグチは、抱え込んでいた瓶を両手で押し出し、その中身を押しつけるように、クシナへと差し出した。
中には、コメを炊いて葉で包んだものの他に、干した魚や貝、イモやマメなど、里の者が丹精して作ったとおぼしき多くの作物が、ぎっしりと詰まっている。
(こいつは、全然わかってない。このコメを、イモを、マメを作るのに、里の者がどれほど苦労して地を耕し、水路を掘っているか。どれほどの汗を地にしみこませて、草を抜き、虫を退治しているか。それを知ろうともせず、ようやく手にした作物を、当然のごとくかすめ取ってきたんだ……)
むらむらと湧き上がる怒りが、自然に言葉を形作り、口から転がり出る。
「要りませぬ。里人から盗み取った菜を食べるなど、そのようなことはできませぬ」
「な!こ、これは、盗み取ったのではない!奴らが、我らに差し出した……」
「力で脅し取ったものなど、盗み取ったとおなじこと。仲間から奪い取ったものをおめおめと口にできるほど、私は恥知らずではございませぬ」
「な、な、な……なにを言う!こ、これは……」
「なにを、どれほど言われようと、私はそのようなもの、決して口にいたしませぬ!」
怒りそのものをそのままぶつける勢いで、言葉を吐きかけられ、カグチはようやく、自分の好意が完全に拒絶された、ということを理解した。
「お、お前……本当に良いのだな!こ、このわしが、せっかく、お前のためにと、こうして……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、お断りいたします」
「あ、後で泣いても知らぬからな!ええ、知らぬ、知らぬぞ!」
そう叫んでいるカグチ本人が、半ば泣いているような声を出していることにも気がつかず、ひとしきり恫喝の言葉を口にした後、
「もう、良い、よいわ!えい、腹の立つ!今度二度と、お前のためになにもしてやらぬ!ああ、二度とだ!おい、里の者ども!貴様らに、これらの菜を分けてやる!食え、うまいぞ!たっぷりあるからな、さあ食え!……」
恨み言とも捨て台詞ともつかぬ言葉を残し、カグチは里人たちが寄り集まっているところへと歩き去って行く。
その後ろ姿を見送った後、クシナは、いまだ残る気持ちの高ぶりを吐き出すかのように、ふん、とため息をついた。
と、そこへ。
「毎回毎回、見事にやり込めるの」
どこか楽しんでいるような、からかっているような涼しげな声が、背後からクシナを包み込んだ。
振り向くと、先代トゥジが、予想通りの笑顔でちんまりと立っている。
「これは、先代様」
クシナは、不承不承ながら、慌てて頭を下げた。
そのクシナに、にこりとほほえんだままうなずきを返すと、先代はゆっくり、口を開く。
「クシナ。そなたが賢く聡き娘に育ってくれたこと、ほんに嬉しいかぎり。近い将来、おそらくそなたには、皆の中心であり、心の支えでもある者になってもらわねばならぬ。その役目は、決して愚か者に務まらぬからの」
てっきりお小言を頂戴するものとばかり思っていたところが、思わず褒め言葉をいただき、やや面食らいながら、
「はい……ありがとうございます」
再び頭を下げる。そんなクシナを、さも愛おしそうに見つめたあとで、
「だがの、クシナ。そなたは、ほんの少しだけ、自らの賢さを表に出しすぎてしまうところがある。まだ年若きゆえに、仕方のないことではあるが……先ほど申したように、間もなくそなたには、ここにおる皆の運命を背負ってもらわねばならぬ。そのためには、今よりもやや鈍く、やや愚かな小娘でいてもらいたいのよ」
たしなめる、というよりも、気の毒だがそうしてもらうよりも仕方がない、どうか許してほしい、と言わんばかりの口調――今までに聞いたことすらない、まさに「慚愧に堪えぬ」といった口調で、先代からそのように言われ……クシナは目を丸くし、次いでいぶかしげな顔となった。
「その……先代様。私には、分かりかねます。私たちは里を捨て、この先、どこともしれないところへと導かれるままに流れていかなければならぬ身。これから一体どんなつらいことが待ち受けているのか、どれほどひどい困苦に耐えなければならぬのか、分からぬ立場です。であるなら、皆の気持ちを一つにまとめ、苦境を乗り切るためにも、中心となる者は強く、賢く、聡くあらねばならぬのではありませんか?」
そこで、いけない、この言い方では、あまりに傲岸不遜だ、と気づき、慌てて言葉を付け足す。
「いえ、これは決して、私が賢く聡い者だから、トゥジの座を受け継ぐのは当然のこと、と思って言っているのではございません。そうではなくて、もしも私が里人であれば、そのような者にこそトゥジとなり、導いてほしいと思っている、ということでございまして……」
謙遜するつもりで口を開いたはずが、気持ちが高ぶっているせいか、言い訳をすればするほど、どうにも傲慢さがにじみ出、自身を高く評価していることがしみ出してしまうような気がして、なんとももどかしく……とうとうクシナは、言葉の途中で黙り込んでしまった。
頬を赤らめてうつむき、立ち尽くしているクシナの様子を目にして、いかにも優しげにころころと笑い声を立てると、先代は、いたずらっぽく首をかしげた。
「クシナ。そなた、先ほど、声をかけたのが私だと気づくと、多少心模様に背くところがありながらも、丁寧なお辞儀をしてくれたの」
「いえ、そんな、先代様。心に背くだなんて……」
「よい、よい。あの時そなたは、私から叱られると思っていたのであろう?そんな思いを抱きながら、心より声をかけられたことを喜ぶ者など、おらぬからの。気にせずともよい」
「はい……」
「私がそなたに聞きたいのは、そんなことではなくてな。なぜそなたは、そのように「私とは話したくない」と思いながらも、私があなたに話しかけたことを喜ぶかのような礼を返してくれたのか、ということよ。そなた、どう思ってこの私に、あのように礼を尽くしてくれたのかの?」
「え、それは……」
先代様に礼を尽くすのは当然のことですから、と言いかけ、クシナははっと目を見開いた。
その様子に、先代は満足げにうなずく。
「さすが、聡く賢いだけあって、もう気づいてくれたようだの。ええ、そう。「トゥジ」などという役割は、里あってのこと。里を逃げ出した今となっては、そのような肩書きなど、なんの意味もない。ましてや、私はもはやそのトゥジですらない、ただの隠居した婆に過ぎぬ。右も左も分からぬままに右往左往し、里長の――あなたの父様の言われるがままに行動する、無力な里人の一人。それが、今の私の偽らぬ姿よ。その私に、なぜそなたは――そなたに限らず、里人皆が、礼を尽くしてくれるのかの?」
「それは……」
今までずっとそうであったから――トゥジの一族には礼を尽くすものだと教えられてきたから、だから今もそうしているのだ、と口にしかけ……クシナはあやふやに口をつぐんだ。
確かに、今までの慣例として、礼を尽くしているという一面はある。確かにそれはあると思うのだが、それだけで理由を説明し尽くしたとは、到底思えない。先代様に頭を下げる時、慣例によって自動的に頭を下げているという思いもないではないが、それよりも、お声をかけていただいたことに対する純粋な喜びから――たとえ、先ほどのように、叱責されると思い込んでいるような時であっても――礼を尽くしているという意識が自分の中にあることを、クシナは確かに感じとっていたのである。
考えこんでしまったクシナに、先代は、限りなく優しい表情を向けた。
「分からぬようになってしまったかの。では、答えを教えて差し上げよう。皆は、そなたは、なぜこの私に頭を下げてくれるのか。それはの、私が皆に慕われているからよ」
どれほど重大な秘密を打ち明けられるのか、と思っていたところへ、至極あっさりとした口調で、ごく当たり前の事実を告げられ、クシナは拍子抜けのあまり、ぽかんとした表情で、先代を見つめるばかりになった。
その反応を舌で転がすように味わってから、いつまでも若々しい老女は、再び口を開く。
「おや、意外な答えだったかの?」
「いえ……というより、あまりに当たり前すぎたお答えでしたので……」
「当たり前すぎ、ときたか」
先代ののどが、再びひとしきりころころと朗らかな声を立て……それから、ふと真剣な色を帯びた。
「今そなたは、私が慕われるのは当たり前、と言ってくれた。ですが、里に残っていた者たちは、どう感じていたかの?私を慕い、尊ぶのを当たり前、と感じていたかの?」
「それは……」
クシナは、顔を曇らせた。
北の民からもたらされた、数々の珍奇な宝物。そして、圧倒的な「力」の感覚。それらに酔いしれ、溺れていった者たちは、あっという間にトゥジとその一族に対する敬意を忘れ、「力なき者」とさげすみ、ついには、当代トゥジをその手でとらえてまで、里の実権を握ろうとした。一体、どこでどうしてどうなったがゆえに、それをなくしてしまったのか、全く想像もつかないが……もし、ひとかけらでもトゥジにたいする敬慕の念が残ってたのなら、ホヒをはじめとした「北の民」派が、あれほどの暴挙に出られたとは思えない。
「……我らは、自らの立場と地位にあぐらをかいておった。里人たちが我らを見捨て、侮り、他の者に靡くことなど、天地がひっくり返ってもあり得ぬと、慢心し、油断しきっておった。それが、きらびやかな文物や圧倒的な力を見せつけられると、皆、ほんの数年で心変わりし、やすやすと我らを見限り、新たな権威に傅いていった」
先代の、静まりきった口調の言葉、一つ一つが鋭い針となって、クシナを――当代トゥジを見捨ててきてしまったことへの苦い後悔の念を再びかみしめるクシナの心を、容赦なくえぐっていく。
「我らの権威など、しょせんその程度のもの。何かことあれば揺らぎ、壊れた鍬のように捨て去られるぐらいのものよ」
「そんな!でも、私の父をはじめ、大勢の者たちが……」
「ええ。権威の失墜した我らを最後まで見捨てず、手助けし、ともに運命を分かち合おうとしてくれた、そなたの父のような者もいた。その者たちは皆、私が先代トゥジではなく、私が、私であったから――私自身を慕ってくれていたからこそ、救いの手を差し伸べてくれたのよ。おかげで、ほれ、私はここに、こうして生きていられる」
「それは……」
「よいか、クシナ。全ての飾りをはぎ取られた後に残る我らの正体――冷たい目でじっと見られた時の「我ら」は、ただ「マツリを執り行うことができる」というだけの、無力なつまらぬ女にすぎぬ。そして、そなたもよくよく分かっておるように、マツリに覆い被さった「権威」という薄衣など、何かことあればすぐ、いともやすやすとはぎ取られてしまう。そうなった時、我らが頼るよすがとなるのは、民からの敬慕の念のみ。しかし、人の心は、この上なく移ろいやすいもの。敬い慕う思いなど、朝日にわずかの間照らされただけで、はかなく消えてしまう朝露のように、ほんのちょっとしたことで、跡形もなく消え去ってしまう。そうなれば……我らには、なにも、なにひとつ残らぬ」
先代の慈悲深い笑顔に、どこか諦めの表情が混じる。その、なんとも言えず哀しい顔を、クシナは、食い入るように見つめていた。
「クシナ。そなたは、たおやかでなよやかな、おなごらしいおなごであるように見えて、実はこの上なく芯が強く、激しい気持ちを持っておる。その捉えどころのない、揺れ動く不安定さは、男衆もおなご衆も、否応なく惹きつける。あの、カグチという若様が、そなたに夢中になっておるようにな」
思いもよらぬことを言われ、クシナは反射的に鼻に皺を寄せた。
「まさか!私があのけだもののような男に好かれていると?先代様、そのようなこと、いくらご冗談でも……」
「冗談ではない。そなたがどれほどつれなく接しようとも、いつの間にかすり寄ってきては、そなたの気を引くようなことばかり口にし、動く。そなたをどうしようもなく好いておるのでなければ、そのようなことをするはずがあるまい」
そう言われてみれば、確かに思い当たる節はある。というか、カグチに限らず、これまで何人もの男がクシナにすり寄っては、頼みもしないのにいろいろと余計な世話を焼き、その都度、祈るような表情で顔をのぞき込んできたが……あれは全て、「おれをみてほしい」「おれにもっと、気持ちを向けてほしい」という思いの表れだったのだろうか。
「どうかしましたか?」
「いえ……私の方にそんな気など毛頭ないというのに、誰かから、もの狂おしいほどの強い気持ちを向けられるというのは、なにか、ひどく気味の悪いことのように思えまして。ことに、あのカグチなどからと思いますと、肌が粟立つほどにおぞましくて……」
普段、それほど感情をあらわにしないクシナが、あからさまにいとわしげな様子を見せるのを、先代は、先ほどと同じような哀しく、疲れた顔で、じっと見つめた。
「そなたの気持ちはよう分かる。だがの、あの男は、我らがこれより住みつかなくてはならぬ土地で、力を持っている者の息子よ。あの者の機嫌を損ね、疎まれることにでもなれば、先々どんな災いが降りかかるか、分かったものではない。万が一にもそのようなことがないよう、そなたには、あの男に、気を向けてもらわなければならぬ」
「そんな!他のどのような者に笑顔を向けることがあっても、あの男にだけは……」
「それでも、我らのため、里人のため、してもらわねばならぬ。それが、里人の上に立ち、敬慕を受ける者としての務めなのだからの」
それならば、いっそ死んだ方がましです、とさらに食ってかかろうとしたところで、クシナは思わず、口をつぐんだ。
先ほどよりずっと、先代の顔にはりついている、笑っているような泣いているような、不思議な表情――見つめ続けていると、乾いてひび割れたもの哀しさと、胸の奥の奥まで根をはった疲れとが、しんしんと伝わってくる――を、これまで一度も目にしたことがなかった、ということに、ふと思い当たったのである。
(先代様は、いつでも朗らかすぎるほど朗らかで、時に無邪気で、はつらつとしていて、ころころとよくお笑いになる方だ。側にいると誰もが笑顔になるような、元気をくださる方だ。その方が、このような顔をしているところなど、今まで一度も……)
そこでクシナは、卒然と悟ったのである。
ああ、そうか。私は今、他に誰も見たことのない、先代さまの素顔を見ているのだ……。
怒りはいつの間にかしぼみ、クシナの顔には、気遣わしげな表情が、自然と浮かび上がる。そのまま、改めて先代にじっと目を留める。
目の前にいるのは――朗らかで、少々いたずらな愛すべき女性、という「飾り」を全て取り去った後、そこに立っていたのは――生きることに疲れ切っているのに、それでもなお、生きつづけていかねばならぬ、年老いた、ただの女であった。
(そうだ……トゥジとしての権威を削がれ、多くの里人たちからそっぽを向かれ、実の娘を捕らえられれ、追い立てられるように里を後にし……先代様はこれまで、並大抵ではない気苦労を背負われてこられた。それでもなお、我らの拠り所となるべく、朗らかで明るい風を装い、ころころと笑い声を立てて……今の今まで、ずっと気を抜くことなく、過ごしていらっしゃったのだ……)
誰の心が折れようとも、決して最後まで諦めることなく、ひたすら前を向き、里人たちの背中を押し続けた気丈な方の正体が、これほどまでに疲れ果てた、孤独で寂しげな老女である、と分かってしまった以上、クシナは、彼女をさらに責めることなどできなかった。
「……分かりました。仰せの通り、心を殺し、あの男に媚びて、心をつなぎ止めるよう、力を尽くします」
目の前の先代とよく似た表情で、そう口にしたのだが……その言葉を耳にして、先代は、やや毒を含む顔つきになった。
「クシナ。そのようなこと、決してしてはならぬ」
クシナが目を見開く。
もの問いたげなその様子を目で制し、先代は、再び口を開いた。
「もしそなたが媚びを売り、身体をくねらせ、側にすり寄れば、あの若様はきっと、そなたのことをたやすく手に入る手軽な女と見なすようになり、そなたを軽んじるようになる。そのようなことを許してはならぬ」
「でも……それでは私はどのようにふるまえば……」
「これまで通り、あくまでつれない態度で接するのよ。しかし、あまりにつれなすぎて、心離れることのないよう、ごくたまに、心遣いをしてやる。そう……痩せ衰えた犬が飢えて死ぬ、その間際にエサをくれてやるのだ、と思えばよい。そうすれば、犬は千切れるほどに尾を振ってそなたに感謝の念を示し、決して離れることなく、そなたを慕い続けるはずだからの」
薄笑いを浮かべつつ吐き出す言葉に含まれる、氷よりもなお冷たい気持ちに、クシナは、ぞっと背筋が凍りつくような感を抱いた。
が……自分とて、生き残るためには、このような考え方を身につけなければならぬのだ、と心を奮い立たせ、そっとうなずく。
「分かりました。生かさぬよう、しかし殺さぬようにするのですね」
「ええ、その通りよ。その見極めが肝心。そのために、いつも心の目を光らせておかねばならぬ」
「けれども、聡い様子を見せてはならぬのですね」
「ええ、ええ、まさにその通り。さすがは、里でも飛び抜けて聡き娘よ……」
先代は、クシナにすり寄ると両腕を伸ばし、この上なく愛しげな仕草で、そっと抱き寄せた。
「クシナ。まことに、まことにすまぬが、我が務め、いずれそなたに任せるより他ない。引き受けてくれるかの?」
「はい……先代様がずっと背負ってこられた重荷、いつか私が必ず肩代わりいたします……」
「そうか……すまぬの……」
「いえ……」
他に誰の姿も見えぬ葦原の中、二人の女は、果てしない疲れと、ひとしずくの毒とが混じった静かな笑顔のまま、しばらくの間じっと身を寄せ合い、たたずんでいたのだった。