神のいない者-ノーネーム-
side:アリア・ローズル
私は夢を見た。それはもう3年も前になる過去の記憶。
守らなければならない約束を忘れないように、時折こうして夢を見る。
しかしそれはただの夢。新しい朝が私を迎える。
「んぅ・・・またこの夢か・・・。」
相変わらず朝に弱い私は重い体をゆっくりと起こして、天敵の朝日を浴びる。
部屋を見渡すといつもと変わらない部屋・・・ではなかった。
クローゼットと本棚が倒れ、服や本が床に気持ちよさそうに寝そべっている。
「え、なにこれ?」
寝ぼけた頭で状況を整理する。
泥棒が入ったわけじゃない。盗まれるような者はないし、というかそもそも入れるわけがない。あの怖い一階の酒場のマスターを突破して2階のこの部屋に入れる泥棒がいるのなら、むしろ見てみたい気もする。
窓が破られた様子もない。となると・・・
「あなたがやったの?ノア。」
未だにベッドの中で朝日を避けて隠れている小さな同居人に声をかけてみる。
「ニャァ〜オ」
僕じゃないよ、とでも言いたげに私の顔に飛び乗り柔らかい肉球で頭を叩く。
「この重い本棚をこの子が倒せるはずもない、か・・・。」
まだ寝ぼけてるみたいと一つ呟いて、寝ている本と服を叩き起こす。
「まぁマスターに聞けば何か知ってるでしょ。」
頭の上で返事をするように鳴く猫をベッドに下ろし、私は朝の支度を始めた。
ノアの悪戯を回避しつつ、片付けが終わり、いつもの修道服に着替え終わって部屋を出ようと扉に手を掛ける。
しかしその手がドアノブに触れることはなかった。バンッという大きい音を立て、扉は勢い良く開き目の前には初老の男が一人。
マスター・・・この家の主人、ジョージ・ヴェルナー・バッカスが肩で息をしながら廊下に立っていた。
「・・・アリア!無事か!?」
いつもの寡黙なマスターはそこにはいなかった。店の仕入れで買ったであろう肉や野菜も廊下に放り投げてある。
「ど、どうしたのマスター?そんなに慌てて。」
「どうしたってお前・・・まさかとは思うが、気づかなかったのか?」
全くわからない。強いて言うなら今朝やたらと部屋が荒れていたことだろうか。
「・・・ね、寝てた。」
目を逸らし、吹けもしない口笛を吹く。
「・・・お前というやつは。」
マスターの焦りは呆れへと変わっていく。しかし表情にあった焦燥感は、安堵の顔に変わっていた。
「・・・今朝方、かなり大きい地震があった。街は今結構な騒ぎだ。」
「え?そうなの?全然気づかなかった。」
なるほど。それで部屋が荒れていたんだ。危うくノアに濡れ衣を着せるところだった。ごめんね、ノア。
そのノアはというと、気づけば頭の上でわかればいいと言わんばかりにふんぞり返っている。
「・・・前々から思っていたが本当に寝起きが悪いな。まぁいい、飯にする。」
そう言ってマスターは私の部屋を出ていった。廊下に落ちている食料品を拾いながらキッチンへ向かう姿は普段とは違い、どこか間が抜けていた。
「食べ物、一階に置いてから二階にくればよかったのに。・・・私を心配して市場から走ってきてくれたんだもんね。お礼、言いそびれちゃった。」
私は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
マスターは普段私とはあまり会話してくれない。理由はわからない。だが彼のやさしさは私が誰よりもわかっていると思う。タダ飯食らいの私を3年もここにおいてくれているのだから。
いや正確に言うならば、ただのタダ飯食らいではない。今の私は、少ないけれど収入がある。何度も家賃や食費だと言って渡そうとしているのだが受け取ってくれないのだ。
「そんな小銭など、受け取ってもしょうがないだろう。」
その一点張りなのだ。確かにマスターの酒場で稼ぐ額と比べたらはした金かもしれないけれど・・・。少しでも恩返しがしたい。
ただでさえ、私はマスターに命を救われている。まだこの世界のことをほとんど何も知らない私を、彼は救ってくれた。彼は命の恩人なのだから。
閑話休題
「そろそろ、朝ご飯出来たかな。」
なんだか朝からドタバタしてしまった。急ぎの用事があるわけではないが、無為な時間を過ごすつもりは無い。
ご機嫌なノアを肩に乗せ、一階の酒場に降りる。
当然といえば当然だが、お客さんはいない。まだ開店時間は夕方からだ。
しかしいつもより店の前の通りには人が多いように見える。右へ左へと、人が慌ただしく流れている。やはり今朝あったという地震のせいだろうか?どうにも実感がない。
二人分のフォークとナイフ、それにコップを出しながらそんなことを考えていた。
朝食を作り終えたマスターと二人で席につく。相変わらずご飯は美味しい。王城のシェフにだって負けてない。いや、そっちは食べたことはないけれど。
「今日もおいしいよ。今朝は心配させてごめんねマスター。」
「気にするな。」
そう一言呟いて、私達の間に沈黙が訪れる。気まずくはない。いつも通りの、心地よい沈黙だ。
朝食を食べ終え食器を片付けた後、私は酒場ーーーバッカスの宿り木を後にした。
✴︎
少し普段より遅くなったが、今日も仕事を貰いにギルドへ向かう。その足取りは鉄球でもつけられているのかと思うほど重い。憂鬱だ。
酒場から10分ほどのところにある一際大きい赤いレンガの建物に着き、その見た目以上に重い扉に手をかける。
「いらっしゃいませ〜♡こちら整理券になりま〜す♡」
甘ったるい猫撫で声で愛想と笑顔を振りまきながら、ギルドに依頼に来たらしき人に整理券を渡す女がいる。
「生産ギルドは中央左の階段を上がって右手にございま〜す♡」
海のように青い髪に、森のような翡翠の眼、そして旅行帽を被ったギルド職員は案内を終え、こちらに振り向き貼り付けた笑顔でテンプレートを繰り返す。
「いらっしゃいま・・・なーんだ、あんたか。」
テンプレではなかった。貼り付けた笑顔は剥がれ落ち、心底嫌そうな顔を作る。
「今日はもう来ないと思って喜んでいたのに。また性懲りもなく来たのね神がいない者。いい加減ここで小銭を拾うのはやめたらどう?」
出会い頭の一発目、これがジャブでしかないことは知っている。
「あんたも毎回毎回私に突っかかってくるの本当に飽きないのね偽乳女。嘘つきの神の系譜だとやっぱり胸も偽りたくなるのかしら?」
少しだけ芝居がかった話し口調で、負けじと私もジャブを放つ。
彼女はシェリー・エイプリル・ヘルメス。世界各国に在るギルドをまとめるエイプリル家の親戚筋らしい。ここ軍事国家ルートペリア支部ギルドマスターの娘とは何年経ってもとても信じられない。性格悪いし。いやほんとに。
「私は偽乳じゃねーー!!それにっ!?・・・ヘルメスは旅の神だって何回言ったらわかるわけ・・・!?」
声が大きくなってしまったことに途中で気づき、静かに威圧するようにこちらを睨む。
シェリーは表向きいい子ちゃんで通しているから。
このチャンスは逃さない。すかさず二発目のストレート!
「え?チビの神?ごめんね、最近耳が遠くて・・・。」
とぼけたように、シェリーを煽る。私達のコレは先に熱くなった方が負けなのだ。
「チビと貧乳はあんたも一緒じゃないのよ、名無しめ・・・覚えてなさい・・・。今日は地震で忙しくて相手してる場合じゃないの。猫の手どころかあんたの手すら必要になるかもしれないんだから。」
今日の軍配は私に上がったようだ。私は15歳、彼女は17歳。私はまだ、成長期だ。身長も胸もまだ大きくなる余地がある。
そんなことを考えながら、ハンターギルドへ向かう。三年間の勝敗はほぼ五分五分、勝てた日はいつもより少しばかり気分よく1日を始められる。
しかし依然として憂鬱な気分は変わらない。原因は彼女ではない。あんなことを言っている彼女だが、不思議と悪意は感じない。実はあんまり腹も立たない。いや本当に不思議だ。まぁ慣れてしまっただけかもしれないけれど。
先程彼女が言った「神のいない者」、「名無し」という言葉。
それは私に対する侮蔑の言葉だ。
この国にきたばかりだった頃、私は考えなしに街中で「名もなき神は知らないか?」、「私の神を探している」と聞いて回った。
これがマズかった。今思い出してもあの頃の自分の計画性のなさを悔いている。本当にぶん殴ってやりたい。
この国、いやこの世界において、己の神の名を知らない者。それは神話における叛逆の神の寵愛を受けた一族に他ならない。
他の者からすれば遠い遠い過去の事とは言え、世界を終末一歩手前まで追い込み、自らの信仰する神を消し去った一因。汚れた血。裏切った人族なのだ。
少なくとも今いる軍事国家ルートペリアでは私を罰する法は無い。
しかし私を裏切り者だと蔑む人の心を縛る法も、また無いのだ。
結果、街を歩いていても、公平を謳うこのギルド内でさえも、少し耳をすませば
「またあの神のいない者が来てるぞ。地震で仕事が増えていることをいいことに。ハイエナめ」
「恥知らずの裏切り者が」
「魔法も使えん弱者が何ができるというんだ」
この有様だ。今でこそただの雑音でしかないが、初めて見る母以外の人から、身に覚えのない悪意を向けられるのは恐怖でしかない。
そんなわけで私はこの国とまではいかないが(そうであって欲しい)この街ではちょっとした有名人だ。
もう慣れてしまったがやはり疲れるし、不快な事には変わりない。しかし“約束”を守るために、ここに来ることは必要なことだ。
そんな考え事をしながら歩いていると私が所属するハンターギルドの部屋まで着いていた。
玄関の扉よりさらに重い扉を開ける。
開いた先にあるのは右手に採集科、左手には狩猟科の受付がある。
そして中央には今日の依頼がコルクボードにズラリ。
やっぱりあの偽乳が言ってたように普段より依頼がかなり多い。
『地震による倒壊した建物の瓦礫撤去。浮遊魔法、土系統に魔法を扱える者求む。』
『川の氾濫を抑える協力要請。水系統の魔法を扱える者を急募。』
『森の木々が折れ、住処にしていた冥府の残滓が森の外に出ている。討伐を求む。魔法は不問とする。』
とは言ったものの、私が受けられる依頼はそうない。結局普段とあまり変わらない依頼を受けることになりそうだ。
なぜか。私は魔法を使えないからだ。
魔法とは神からの寵愛により、分け与えられた神の力そのものだ。
神が消えた今でも、創世の時代から代々受け継がれているらしい。
だが、その力を行使するためには絶対的な条件が存在する。
それは寵愛を受けた神を呼ぶ事。
それさえ出来れば力の強弱はあるものの子供にすら魔法を扱うことができる。
つまるところ神の名前が伝わっていないローズル家には魔法を使うことが出来ないのだ。
さらに言えば、この国ではまだマシな方らしいが弱い魔法しか使えない者への差別もある。
当然、叛逆の神の系譜であり、さらに魔法も使えない私にはそれ相応の対応をされる。
シェリーが言うにはこの街に私が来たことで差別の矛先が全て私に向いて他の弱い者達への差別は減ったらしいが。
はた迷惑でしかない。
そんなわけで私は魔法を問わない依頼しか受けることが出来ない。
災害特別依頼のコーナーから森からでた冥府の残滓討伐依頼をひっぺがし、常設依頼のコーナーから討伐系を一枚、採集系を一枚取り受付へ向かう。
いや、直ぐに向かうことは出来なかった。振り返ると真後ろに刀身の無い剣を腰に刺す大男とその取り巻きが立っている。
嫌な奴に会ってしまった。
「おい、今取った特別依頼を置いて行け。」
嫌味ったらしくそういうこのデカブツはエイジ・オーガスト・アフロディーテ、正真正銘のクズ野郎だ。
「知らないの?ここの依頼は全て早い者勝ちなんだけど。」
普段はこいつに会わないために早めにギルドに来ていることを忘れていた。失敗したなぁ。
「失敗したら再依頼や再発行でギルド職員が迷惑するだろうが。いいから置いて行け。」
「私、今まで依頼を途中で投げ出したり、失敗したことなんてない。黙ってそこを通しなさい。」
失敗するような依頼は受けてないというのはもちろんあるが、森の冥府の残滓・・・俗に言う魔物はそこまで強力な奴はいない。
「いいからさっさとその紙を置いてけやノーネーム!」
「前に痛い目見たのをもう忘れたのかぁ!?」
「あんたらとなんて喋ってないわモブ共。金魚のフンはフンらしく、黙ってお山の大将にくっついて餌貰ってればいいの!」
以前も同じようなことがあった。半年ほど前だろうか、私はこいつらに喧嘩を売られ、我慢できずについ喧嘩を買ってしまった。
その結果が左腕の骨折。先に手を出したのは私だが、喧嘩を売ったのはエイジだったため外聞を気にしたオーガスト家が魔法による治癒を施したので割と早めに治った。
マスターも今後に影響が出ないよういろいろと動いてくれていたらしい。シェリーの話なので信用できるかは怪しいけれど。
それからしばらく、奴がギルドに来る時間よりも早く来ていたというのに・・・
「こいつ、修道女のくせに死ぬほど口悪ぃな・・・」
「マジで信じられねぇ。」
呆れなのか、怯えなのか、よくわからない表情をしている。
まぁこいつらは本当にどうでもいい。名前も知らないし。
「仕方ねぇさ。こいつは修道女と言っても紛い物にすぎん。」
そびえ立つ壁のように、そいつは言う。
「仕える神の名も知らず、寵愛を受けた一族でありながら魔法すら使えない、人類の裏切り者。」
耐えろ。耐えるんだ。またマスターに迷惑をかけるわけにはいかない。
いつものことだ。周りで囁かれていることを、直接言われているだけにすぎない。
「そういえば、前にお前を小突いた時に家の者から聞いたんだが。」
治ったはずの左腕に、幻痛が走る。
「お前、国防の英雄ジョージ・ヴェルナー・バッカスの所に住んでるんだってな?どんな魔法を使ったんだ?」
いや、お前に魔法は使えないか。そう言って取り巻きと嘲笑う。
やめろ。触れるな。
私の逆鱗に触るんじゃない。
「身体でも売って取り入ったか?あのジジィもういい年の癖して幼女趣味とは恐れ入るよ。」
パチン。
小さく、だが確実に私の中で何かが弾けた。
考えるより先に、意志よりも先に、体が勝手に動いていた。
風よりも速く、奴の足元に身を入れる。
一度だけ見たあの人の技を、見様見真似で練習したこの足技を奴の顎先に叩き込む。
しかし、その渾身の蹴りは緑色の腕に抑えられた。
奴の体から、その全身から緑色のおぞましいオーラが溢れ出る。
「おいおい、まだ懲りてないのかよ。ガキが。」
奴は腕を振り払う。反射だけでその豪腕を防御する。前回の敗北を生かした特訓の成果はきちんと出ている。
しかし私は壁と抱き合うことになった。
あまりにもパワーが違う。
魔力を持つものと持たないものの差。
周りは止めない。ただただ傍観しているだけ。
それでいい。私にとってもこいつらはただの背景に過ぎない。
軋む体に鞭を打ち、私は立ち上がる。
まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。
私が倒れたら、マスターへの侮辱を取り消させられないじゃないか。
紅蓮の双眸に火を灯し、ジッと敵を見定める。
「いい加減にその眼をやめろってんだよクソガキィ!」
悪意と暴力の塊が、私を蹴り飛ばす。
再び壁に激突する。
痛い。辛い。怖い。
それでも、譲れないものはある。
思考を止めるな。心が先に折れてはいけない。
以前敗北した時に考えた、あのおまじないを心で短く唱える。それだけで不思議と力が湧いた。
「・・・とりけ・・・しな・・さ・・・い・・・」
突っ込んでくる獣を、残った思考と体力と気力を限界まで使い、紙一重で躱す。レンガの壁は、まるで乾ききったパンを落とした時のように粉々になった。
「わた・・しのことは・・構わない・・。」
壊れた壁に向かって、あの緑色の化け物に向かって、息も絶え絶えに私は歩く。
もはや走ることはできない。
恐怖はある。痛い思いも、したくない。
それでも、わたしはわたしであるために、奴に向かって一歩づつ距離を詰める。
銀色の髪は既に自らの血で紅く染まっていた。
「・・・だけど、私の、恩人を、侮辱することは・・・」
折れたりなんかしない。
負けもしない。
諦めなんて、絶対にしてやるものか。
前へ。前へ。もう一歩だけでいい。奴に向かって、あと一歩。
「・・・絶対に!許さない!」
奴に向かって手を伸ばし、言い切った所で、私は気を失った。
その手はあの化け物には届かなかった。
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