7月
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プロローグ
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言葉にしなくても思いが伝わればいい。なんて考えはエゴだ。
現実問題、言葉にしたところで伝わらない思いだってあるのだから。
だから、人に自分の全てを理解してもらうなんて不可能だ。
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一節 -7月1日朝-
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完全に梅雨入りし、ずっと雨の日が続いていたが、今日は珍しく晴天だった。まあ、雨だろうが晴れだろうが、僕の行動は一切変わらないから何も意味は無いのだけれど。たしかに前は雨が嫌いだったけれど、今はそんなことどうでもいいし。
さて、僕は昼ごはんを買うためにいつも通りにコンビニへと入ろうとするとそこで、コンビニの前にいる見知った顔を見かけた。もちろん知り合いを見かけたら声をかける。
「おはよう如月。」
「あ、ハルくんおはよう。」
彼女は如月読心。先月の一件からよく話すようになった、本の元使用者で、人の心を読みたいと願って本に呪われた同級生だ。その一件を僕と神無月で解決し、本を回収することになった。その本は今も使用せずに家に置いてある。
「如月も昼ごはん買いに来たのか?いつもは弁当だって言ってたよな?」
「うん。自分で作ってるお弁当だよ。みんなと一緒に食べてるの。」
みんな。というのは例の友達のことなのだろう。どうやら上手くいっているらしい。
「じゃあ、今日はなんでコンビニに?」
僕が疑問を口にすると如月は答える。
「後輩の付き添いでね。今朝たまたま会って、一緒に登校してるんだけど、その子がお昼ごはん買うっていうから。私はここで待ってるの。」
「後輩?」
「部活の後輩だよ。」
「へえ。如月部活入ってたんだ。」
「うん。手芸部。といってもかなり緩い部だけどね。」
「ふうん。なんか意外だな。」
「そうかな?」
「ああ。」
うちの学校に手芸部なんてあったのか。全然知らなかった。部活なんて全然力入れてない学校だし、そもそも僕は部活になんて興味なかったから。
「今日は、神無月さんと一緒じゃないんだね。」
如月は僕の後ろを見てから言う。
「まあ、僕と神無月はいつでも一緒ってわけじゃないよ。」
そう答えると、如月少し悩んでから尋ねてくる。
「えっと、2人は付き合ってるの?」
この質問。たまにされるけどどうしてそう見えるのか。
「いや、ただの幼なじみだよ。僕にその気は無いし、向こうも多分ないだろうね。」
「ハルくんはどう思ってるか分からないけど、神無月さんはハルくんのこと好意的に思ってるように見えるよ。」
「そんなことは無い。如月も神無月の心を読んだなら少しはわかるんじゃないのか?神無月気叶がどういう人間か。」
僕がそう言うと、如月は少し考えてから、
「そうなのかな......。でも、そっか付き合ってないのか......。」
と嬉しそうにつぶやく。この話題は、あまり続けない方が良さそうか?僕は不自然にも話題を変える。
「あれから、特に何も無いか?」
「うん。大丈夫だよ。友達とも仲良いし、特におかしなこともないかな。」
「そっか。」
一度本に呪われた人や本の存在を知る人は、呪われやすくなる。と僕は考えている。不思議な力があると知ってしまったから。そして、自分の意思で解くことが出来ると実感してしまったから。だけど、多分2回目は1回目よりも呪いを解くのが格段に難しい。心の底から呪いを拒絶するというのが簡単に出来ることじゃあないからだ。
本の呪いを知らずに、不幸にも偶発してしまった場合には、そのことを後悔していて呪いを解くことも容易いかもしれない。しかし意図的に、自発的に本に願った場合は別である。心の底から呪いを拒絶することが出来ない。簡単なようでとても難しい。だから、ここで如月には念を押しておく必要があるだろう。
「まあ、本の事は忘れた方がいい。言っておくけど、呪いを解くのは2度目の方が圧倒的に難しい。心の底から拒絶すれば解けるという油断が結果として邪魔をする。」
そう釘を刺す。
「もう、本の力を頼りたくはないから大丈夫。ハルくんに心配はかけられないからね!」
「別に心配しているわけじゃないけどな。」
僕がそう言うと、如月は残念そうな顔をした。そして少し悩んでから尋ねてくる。
「そっか......。あの、ひとつ聞いてもいい?」
「なに?」
「ハルくんも本に呪われてるって言ってたよね。その呪いは解かないの?」
僕を呪っている本は現在2つ。1つは4月に受けた呪いで、青年を救うために肩代わりした。そしてもう1つは先月、如月の本を回収するために使用した、"周囲の人間の感情を操る"本だ。もっとも、こちらの本に関しては、僕が使っていることを如月は知らないが。
「言っただろう、本の呪いを解く方法。僕には心の底から呪いを拒絶することが出来ないんだよ。絶対にね。」
そう。僕には呪いを心の底から拒絶することが出来ない。
「もし、私にも手伝えることがあったら言って。私はハルくんの力になりたい。」
如月は、若干頬を赤らめながら、しかし真剣な眼差しで僕の目を見てそう言った。
「ありがとう。でも言っただろう?如月はもう本には関わらない方がいい。これは僕の問題だから。僕が自ら望んだ結果なんだ。僕の責任なんだよ。」
「でも、ハルくんはその本の呪いを解きたいんだよね?」
「まあ、そうだな。」
「なら私にも手伝わせて!」
「いや、だからこれは僕の問題で__」
「私が本に願って、本に呪われて。私の責任なのにハルくんは助けてくれたよ。」
「それは本を回収するのが目的だったって。」
「なら私も、私の目的のためにハルくんを手伝う。それなら平気だよね。」
如月は引かなかった。ここまで強情だったとは。
「そう言われたら拒絶は出来ないけどさ。どうしてそこまでしてくれるんだ?」
「え、どうしてって......。そ、それは......。」
と如月は突然顔を紅潮させ、口をもごもごとさせる。この反応は確かめる必要があるかも知れないな......。少し考えてから僕は行動する。
「如月、そこ動くなよ。」
言いながら僕は如月に近づく。ちょうど、如月に密着するかしないかのその距離まで。
「あ、あの!?えっと、その。ハルくん!?」
如月はいきなりのことに動揺して、顔を真っ赤にした。
「......。」
そのまま僕が黙っていると、この距離が意味することを理解したようで、
「あ、この距離もしかして。使ったの?私の本......。あ、だめ!今読まれたら私!」
再び慌てふためいた。実際には"心を読む"本を使っていないが、如月はそれを知らない。唐突に近づかれれば、当然、自分の心が読まれたと勘違いする。そして今の反応を見て僕は理解した。如月読心は僕のことを好意的に思っている。
いや、普通に考え違いかもしれないけれど。しかし、もし本当だったら断らなければならない。僕にその気持ちは無いのだから。
「いや、本は使ってないよ。だけど、反応を見て確信した。如月、悪いけど僕は__」
そう言いかけたところで、コンビニのドアが開き中から女の子が出てきて、
「如月先輩。お待たせしました。」
と言いながら、僕たちの方を見る。多分この子が如月の待っていた後輩なのだろう。で、その女の子は僕たちをじっと見つめて黙る。
さて、状況を整理しよう。自分の部活の先輩が見ず知らずの男に密着していて、顔を真っ赤にして立っている。しかもコンビニの前。そんなところで何をやっているんだ。と思うのが普通の反応だ。
一瞬の静寂。それを破ったのは如月だった。
「あ!葉月ちゃん!そ、それじゃあ行こっか!」
そう言って、如月は後輩ちゃんを連れて走っていってしまった。結局、如月に話すことは出来なかった。
「そうだ、昼ごはん買わないと。」
僕はコンビニの中へと入っていく。
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「で、こんなところで何をやってるんだよ。師走ちゃん。」
コンビニの中に入って、そこにいたちんちくりんの少女に話しかける。師走ちゃん。年齢不明、正体不明の謎だらけの少女。容姿は小学生のくせして多分僕よりもずっと年上だ。
「少年くんは馬鹿だね。コンビニでやることなんて買い物くらいだろう。」
「そんなことを言って本当は迷子なんじゃないのか?女子小学生の容姿をしたちんちくりんな少女ちゃん。」
僕がからかうと、師走ちゃんはそのちっちゃい足で僕のスネを蹴ってきた。
「誰がちんちくりんな少女だ。」
全然痛くない。
「それで、本当は何の用だよ。まさか本当に買い物じゃあないだろう?」
「もちろん。朝っぱらから、コンビニの前で女子高校生とイチャついている、恥ずかしい少年くんをからかいに来たんだよ。」
「なんで知ってるんだよ。というか、イチャついていたわけじゃない。」
本当にこの少女は何でも知っている。いや、普通に中から見えただけなのかもしれないけれど。
「でもあれは良くないよ。少年くんとしては善意のつもりでやったんだろうけど逆効果だね。」
「善意とかじゃあないよ。それは師走ちゃんもわかっているだろう。」
そう、これは善意じゃあない。
「まあそうだね。でも少年くんにその気持ちがないのなら尚更関わるべきではないよ。触らぬ神に祟りなしってね。人生の先輩からのアドバイスだ。」
なんて、師走ちゃんはそんな事を言う。
「女子小学生からのアドバイス、ありがたく受け止めさせてもらうよ。」
師走ちゃんはそれで納得したように頷いて、話を続ける。
「まあ、それはそれとして。本題だけど、今日にでも本が出現することになるから、それを教えてあげようと思ってね。」
「出現することになる?変な言い方だな。」
「正確には、出現することになるかもしれない。かな。多分だし確実じゃあないんだよね。まあ出現したらアルに伝えるから、少年くんは神無月ちゃんからの連絡を待つことだ。」
この面倒な伝達方法は師走ちゃんが決めたルールだ。何故こんな方法を取るのかは教えてくれない。それで用件は済んだのか、コンビニを出ようとする師走ちゃんを僕は引き止めて質問する。
「そうだ、師走ちゃん。生きる意味ってなんだろう。」
「生きる意味は、生きることに意味があったと証明することだよ。」
そう答えて、師走ちゃんはコンビニを出ていった。
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二節 -7月1日昼休み-
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基本的に昼休みというのはすることが無い。昼ごはんを食べたら、あとは授業が始まるまでの間、何もせずに待つ時間が発生する。大抵の人は友達と仲良くすごすのだろうが、僕にそういった相手はいない。去年はそうでも無かったのだが。なんてことを考えながら、トイレに向かう途中で僕は声をかけられた。
「先輩は付き合っているんですか?」
うちの学校は学年ごとに階が分かれているから、本来、他学年の生徒が違う階に居ることは滅多にない。ましてや、僕はその子とはほぼ初対面だ。接点は今朝偶然、顔を合わせたぐらい。まあつまりは如月の部活の後輩ちゃんだった。
で、そんな話したこともないような先輩に対して、わざわざ付き合っているかどうかを聞くために来たって?意味がわからない。考えられるとしたら、自分の部活の先輩が付き合っているのか知りたいけど、本人には聞けないから僕に聞きに来たといったところだろうか。
「えっと。今朝の子だよね。何の用かな。」
「先輩は付き合っているんですか?」
それしか聞いてこなかった。なんなんだこの子は。
「如月とのことを気にしてるのか?だったら、付き合ってないけど。」
僕がそう答えると。
「そうですか。......。失礼します。」
とだけ言って、その場を離れようとした。それをすぐさま止める。
「何か用があったんじゃないの?」
「いえ別に。それでは失礼します。」
「待って。君、名前は?」
呼び止めて僕は会話を続けようとする。特に理由はないのだけれど。
「......葉月です。」
「下は?」
僕がそう聞くと葉月ちゃんは黙ってしまった。
「......。」
「えっと。下の名前を聞いているんだけど。」
「てんし、です。」
俯いたまま、そうつぶやいた。
「てんし?天に使えるで、天使?」
「いえ。伝わる思いで伝思です。」
葉月伝思。なんというか、どういう思いで子供にこういう名前をつけるのか。まあ、僕がどうこう言うことじゃあないのだけれど。
「ふうん。ああ、えっと僕の名前は__」
と言いかけたのを遮って
「聞かなくていいです。」
とつぶやき、葉月ちゃんは行ってしまった。なんだったんだ。一体。
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教室に戻って、神無月の席を見る。神無月は1人で昼ごはんを食べていた。あの様子を見る限り、まだアルくんから、メールは来てないのだろう。神無月に、本が出現するかもしれないことを伝えておくべきか悩んだが、それよりも先にやらなければならないことがあるので、僕は教室を出る。
向かう先は2年3組。如月読心のいる教室だ。教室の隅で集まってご飯を食べている4人組を見つけ、その中の一人に声をかける。
「如月、ちょっといいか?」
僕が後ろから声をかけると、如月は驚いてその場に立ち上がる。
「ハルくん!ど、どうしたの?」
「今朝のことで話があるんだけど。」
僕がそう言うと、
「け、今朝の事って......。」
と顔を真っ赤にして俯いて黙ってしまった。その様子を見ていた周りの3人が、
「なになに!?読心ちゃんの彼氏とか!?」
「そういえばこの前、読心ちゃんのお見舞いに行ってたし!」
「ていうか今朝って!朝から何してたの!?」
などと騒ぎ出してしまう。
「ち、違うよ!ちょっとハルくんこっち来て!」
如月は慌てて僕を連れて廊下に出る。人気のない所まで行ったところで、如月は僕を見て尋ねる。
「それで、話って?」
「今朝は悪かった。如月の気持ちを確認するような真似をした。」
僕が率直に謝ると、如月は悲しそうな顔になった。
「なんで、そんなことを......。」
「もしも、如月が僕に対して好意的に思ってくれているなら、早めに断るべきだろうから。僕にその気は一切ない。」
絶対に叶わない恋心を抱き続けるのは辛いだろうから。もちろん、如月が僕の事を好意的に思っているという考えが間違いなのであれば、それに越したことはないのだが。
「どうして......。まだ話すようになってからちょっとしか経ってないのに......。まだ......。」
そうつぶやく如月に、僕は言葉を続ける。
「いや、如月が悪いとかじゃあないんだよ。問題があるのは僕の方だ。本に呪われているこんな状況で、誰かを好きになるなんて出来ない。だから、諦めてくれ。」
言い切ってその場を離れようとするが、袖を掴まれて立ち止まる。
「じゃあ、ハルくんの呪いが解けたら、可能性はあるの?」
俯いたまま尋ねてきた。僕の呪いが解けたら。この、呪いが解ける日が来たら。僕が本来の僕に戻り、今の僕が消える日が来たら。それは......。
「それは、考えてなかった。」
僕が答えると、如月は顔を上げて、
「じゃあ、諦められないね!」
と、満面の笑みでそう言った。
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恥ずかしい場面、と言われたらどんなシーンがあげられるだろう。たとえば、先生にお母さんって言ったとか、ドヤ顔で言ったことが間違えだったとか、盛大にすっ転んだとか。恋愛に関しても恥ずかしい場面というのは多く存在する。恋愛感情というのは人に知られるだけでなんだか恥ずかしくなるようで、あまり知られたくないものだろう。たとえば、満面の笑みでほとんど告白みたいなセリフを男に伝えている姿、なんてものを部活の後輩の女子に見られたりしたら。顔を真っ赤にして、俯いて何も言葉が発せなくなるだろう。
というわけで、如月は現在その状態であった。
「......。」
僕が振り向くと、そこには僕たちをじっと見つめる葉月ちゃんの姿があった。
「あれ、葉月ちゃん。」
「どうも。」
部活の先輩のこんな姿を見たにも関わらず、無表情のまま何も触れずにただじっと僕たちを見つめている。
「じゃ、じゃあね!」
それが逆に辛かったのか、如月は走り去っていった。
「......。」
「......。」
お互いに無言。葉月ちゃんが何を思っているのかが全く分からない。
「えっと、聞いてたの?」
僕が尋ねると、
「はい。」
葉月ちゃんはそう答えた。
「いつから?」
「最後だけです。」
「そっか。」
じゃあ、本の呪いとかは聞かれていなかったと考えていいだろう。それはひとまず良かった。
「......。」
「如月に何か用だったのか?」
「いえ。」
駄目だ。聞かれたことしか答えないから、会話が弾まない。単純に人と話すのが苦手なだけなのか?よく分からないけれど、ここに居てお互いに黙っていても意味が無いし、僕は教室に戻るか。
「それじゃあ。」
と言って立ち去ろうとする僕を、葉月ちゃんは止める。
「待って下さい。」
「え?」
「如月先輩じゃなくて、先輩に用です。」
葉月ちゃんは僕を見てそう言った。
「僕?」
「はい。」
さっきも会ったばかりで、直ぐに立ち去っていったというのに、今度は何の用なんだ。
「それで?」
「私の名前......。」
名前?葉月伝思。と言っていたけど。
「名前がどうしたの?」
「私の名前、聞いてどう思いましたか?」
今度はしっかりと質問してきた。変わった名前だから、どう思われたのか気になって聞きに来たのか?
「まあ、変わってるとは思うけど。別に気にすることじゃあないんじゃないかな。」
僕が素直に答えると、それを聞いた葉月ちゃんは、俯いて黙り込んでしまった。
「......。」
その顔は少し寂しそうに見えた。それまで何があっても無表情だったのに。自分の先輩の恥ずかしい姿を見ても無表情だったのに。変わってると言われたのがそれほどショックだったのだろうか。本来であれば何かしら、声をかけて慰めるべきなのかもしれない。だけど、今朝の師走ちゃんの言葉がふと頭に浮かんだ。その気がないなら関わるべきではない。触らぬ神に祟りなし。僕が葉月ちゃんに声をかけたところで、そんな心無い言葉を受けたところで本人は喜ばないだろう。
だから僕は、葉月ちゃんのその寂しそうな表情を無視して立ち去った。
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三節 -7月1日放課後-
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結局、放課後になっても神無月から声をかけられることは無かった。まだ本は出現していない、ということなのだろう。
「神無月。一緒に帰ろう。」
僕が神無月の席まで行き、そう言うと驚いた顔でこちらを見てきた。
「え?ハルどうしたの?普段は絶対にそんなこと言わないのに。」
「今朝、師走ちゃんに会ったんだよ。」
「師走ちゃんに?」
「ああ。多分今日、本が出現するってさ。」
「師走ちゃんはどうしてそんなことまで分かるんだろう?」
神無月は首を傾げる。たしかにそうだ。そもそもいつもどこから本の出現の情報を得ているのかは知らないが、出現したものが分かるというのは理解出来る。だけど、まだ出現すらしていない本の情報を得るというのは可能な事なのか?まあ、そんなことは考えたところで答えは出ないのだけれど。
「そういうわけで帰ってる途中にアルくんから情報が届くかもしれないから、一緒に帰ろう。」
「そういう事ね。分かったよ。」
神無月は納得したように頷く。
歩きながら僕は葉月伝思のことを考えていた。結局何を思っていたのかはよく分からなかったけど、多分彼女なりに何かを話したかったのかもしれない。
「なあ、神無月。自分の名前が変わってるって言われたらどう思う?」
女子の気持ちは女子に聞くのが手っ取り早い。僕は神無月に聞いてみる。
「何、その質問?」
「今日、後輩の女子に聞かれたんだよ。私の名前を聞いてどう思ったかって。ちょっと変わった名前だからさ。変わってると思うけど気にする事はないって答えたら、寂しそうな顔をして黙り込んじゃってさ。」
僕が、昼休みにあったことを話すと、神無月は首を傾げて答える。
「聞いて?」
「え?」
何?聞いて?なんだ今の質問は。
「あ、えっと。その女の子。私の名前を聞いてどう思ったかって言ったの?」
「そうだけど。まあ正確には、私の名前、聞いてどう思いましたか。だったかな。」
「なんかおかしな聞き方じゃない?」
「......?」
「いや、普通だったら。私の名前どう思いますか?じゃない?」
ん?たしかに?
「まあ、言われてみればたしかに、そっちの方が分かりやすいけれど。そんなに気にするところなのか?」
「何となく気になっただけ。そうだね。名前が変わってるって言われるのは少なくとも嬉しいことではないんじゃないかな。」
神無月はそう答えた。
「でも、向こうから聞いてきたってことは、本人も少なからず自覚しているんじゃないのか?わざわざ変わってないよ。なんて言っても。」
「さあ。私はその子と話したわけじゃあないから、そこまでは分からないよ。」
「それはそうか。」
結局、葉月ちゃんがどういう意図であんな質問をしたのかは分からずじまいか。
「でも、どうして後輩の女の子と急に話す機会があったの?」
「その子、如月の部活の後輩なんだよ。如月と話してる時に会って、流れでそういう話になった。」
「如月さんと話してるんだ。」
「あれ以来、ときどきね。」
「そっか。」
そこで会話は終了する。結局、アルくんからの情報が届くことは無かった。
「じゃあアルくんから情報が来たら連絡をくれ。」
それだけ告げて僕は神無月と別れ、家に帰った。
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「ただいま。」
僕が家に帰ってリビングに入ると、そこにはツイスターゲームをしている僕の妹2人が居た。
「兄貴、おかえり。」
「あ、おかえり兄さん。」
中学3年生の双子の妹。姉の弥生と妹の文月。
活発で何も考えていないような方が、弥生。マイペースで、何を考えてるのか分からない方が文月。で、そんな2人は何故かツイスターゲームをしていた。
「何してんの。」
と尋ねると、
「何って、兄貴の目は節穴かよ。ツイスターゲームに決まってんじゃん。見りゃ分かんだろ。」
と弥生が答える。続けて文月が、
「兄さんも一緒にやる?」
と聞いてくる。何してんのって、そういう意味で聞いたわけじゃないんだけどな。
「やらない。」
それだけ答えて、僕は自分の部屋に行こうとする。
「待った兄貴。せめてルーレット回す役をやってくれ。」
「そう。兄さんが回してくれないと、私らが困る。」
「断る。勝手に困ってろ。」
言って僕は自分の部屋に入る。
さてと、ベッドに座って僕は考える。本は一体いつ出現するのだろう。師走ちゃんは今日って言っていたけど、可能性があるとしたら、その人物が家に帰ってから何かを願ったときか。学校で何かあって、何か嫌なことがあって、家に帰って一人になったことでそのことを思い出し、本に願ってしまった場合。これがおそらく一番あり得るだろう。
いや、学生が呪われると決まったわけじゃあないのだけれど。しかしそうすると、時間的にはそろそろ出現するかもしれない。その出現した本が、僕の呪いを解く為に役に立つものであれば良いが。そうでなかった場合も、回収しないことには師走ちゃんから次の本の情報は貰えなくなる。せめて、簡単に解決出来れば良いのだが。
「......それで、なんでお前ら入ってきてるんだ。」
僕はいつの間にか部屋に入ってきていた、弥生と文月に声をかける。
「兄貴がルーレット回す役やってくんないから、暇なんだよ。」
弥生はキレながらそう言った。なぜ僕が悪い事になっているのだろう。というか、じゃあさっきまでどうやって2人で遊んでたんだよ。
「勝手に入ってくるなよ。」
「兄さん、前はそんなこと言わなかったのに。何か卑猥なものでも隠してるの?」
卑猥なものではないが。たしかに隠してるものはある。如月の所有していた未使用の本だ。あれは本を開くだけで呪われる。いちいち面倒事を増やすわけにもいかない。
「いいから出ていけよ。」
「なんだよ兄貴、進級してから随分と冷たくなっちゃってさ。つまんねーな。」
「兄さん学校で何かあったの?フラれたの?」
4月から続いている本の呪いのことは、家族の誰にも話していない。両親には話してもいいのだが、変に心配させることになるだろう。妹たちの方は、心配なんてこれっぽっちもしないだろうけど、本の存在なんて知ってしまえば、それに頼る可能性が十分にある。
だからこいつらには絶対に教えられない。そんなわけで、僕は家では反抗期という認識をされている。まあ変に探られることも無く、家ではそのフリをしているだけでいいから都合がいい。適当に無視していれば、2人も諦めて部屋を出ていくだろう。と僕はおもむろにベッドに寝っ転がって、携帯をいじる。
「姉さん、兄さんがおもむろにベッドに寝っ転がって、携帯をいじり始めたよ。」
「......。」
「無視してればあたしらが諦めて出て行くと兄貴は思ってんだろ。」
「......。」
「姉さん、これ見て。兄さんが小学生の時の卒アル発見した。」
「......。」
「おお!兄貴可愛いな!」
「......。」
「あ、こっちには中学の時文集があるよ。」
「......。」
「ほんとだ!えっとー兄貴は何を書いてんのかな。」
「いい加減にしろ。」
先に折れたのは僕だった。別に卒業アルバムや文集を見られるのは一向に構わないが、このまま部屋を漁られると、本を見つけられる可能性がある。それは避けないと。
「なんだよ。文集読まれるの恥ずかしいのかよ?」
「兄さん、私は姉さんとツイスターゲームしたいな。」
こういうとき、文月はずる賢い。
「はあ、分かったよ。ルーレット回すだけならやってやるから。」
そう言って、僕たちは部屋を出る。
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「弥生。右手、赤。」
「あいよ。」
「ふみ。右足、緑。」
「分かった。」
「弥生。左足、青。」
「まじ?きついなーそれ。」
「ふみ。左手、黄色。」
「ラッキー。」
「......。」
「兄貴!早く次!」
はあ、何をやっているんだろう僕は。いや、ツイスターゲームのルーレット回す役なんだけど。
「兄さん早くしてー。」
どうせこいつらからはルーレット見えないんだし、絶対に無理な指示にして、さっさと終わりにするか。そもそもの目的は2人を部屋から追い出すことなんだ。ちょっとでもツイスターゲームやったら満足するだろうし。僕はルーレットを回してから、絶対に無理な指示をする。
「じゃあ弥生。左足、赤」
「じゃあってなんだよ!ってかそれは無理だー。」
言いながら弥生は倒れる。これで終わりだ。僕が立ち上がると、
「次、私と兄さんの番ね。姉さんはルーレット回す役で。」
文月はニコニコしながら言う。
「やらないから。」
断って部屋に戻ろうとすると、
「また兄さんの部屋見たくなってきたなー。」
文月がそんなことを言った。
「わかったよ。1回だけだ。」
こいつからしたら、僕は、文集を見られたくないから従っているように見えているのだろう。とにかく、部屋に戻ったら本は絶対に見つからない所に隠しておこう。そうしないと、こいつらのわがままにずっと付き合わされることになる。
「じゃあ、最初は兄貴な。我が家特別ルールで、最初は両手両足全部ルーレット回すからな。右手青、左手赤、右足緑、左足青!」
「ん。」
「次はふみちゃん。右手赤、左手黄色、右足赤、左足緑!」
「分かった。」
というかこの我が家特別ルールとやら。やってみて分かったが先手が相当不利だ。僕は上向きの体勢になったのだが、文月は僕に覆いかぶさって、下向きの体制にしてきた。
で、僕の右足に全体重が乗っかるようにしてきた。
「痛いんだけど。」
「勝つためだし。」
別に僕は勝ちたいわけでもないし、とりあえず適当にやって、適当なタイミングでそれっぽく倒れて終わりにしよう。
「そういえば兄さん、最近は正義活動しなくなったの?」
文月は僕の右足に乗っかりながら話始める。ほんとにせこい奴だな。
「まあな。」
「そういえば兄貴、中学の時はお悩み相談室とかやってたよな。あれは辞めちゃったのか?」
「高校に入ってからやってないよ。まあ若気の至りだな。というかなんでそんなこと気にするんだよ?」
「最近兄さんの噂聞かなくなったから。何かあったのかなって。」
「ああ、あたしも兄貴の噂聞かなくなったな。ちょうど4月くらいからぱったりと。」
「兄さんの付き合いが悪くなったのもちょうどそのくらいだよね?やっぱり何かあったの?」
「何も無いし、もし何かあったとしてもお前らには何も話さない。」
こいつらに話したところで、何かが変わるわけでもない。その僕の発言に文月は寂しそうな表情になる。
「なんか、最近の兄さんつまんないな......。」
「悪かったな。ところで、ふみ。その体勢疲れてこないか?」
「たしかにちょっと疲れてきたかも。早く始めよ!」
先に話し始めたのはお前だけどな。とそんなことを考えている時に事件は起きた。いや事件といっても、大したことじゃあない。ただ、僕の携帯に電話がかかってきたのだ。携帯は僕のズボンの右ポケットに入っていて、携帯に電話がかかってくると当然振動するわけだ。
文月は僕の右足、具体的には僕の右太もも辺りに体重をかけている。で、僕はそんなこと気にするわけがなく、そのまま電話に出た。
「あ、神無月だけど__」
電話をかけてきた人物は神無月だった。そして、ちょうど僕が電話に出たタイミングで、文月は限界が来たようだ。まあ考えてみれば、弥生との連戦で既に身体は疲れている上に、不意打ちの振動があったわけだから、仕方のないことなのかもしれない。あるいは単純に、その方が面白いからという理由だけでこんな行動をしたのかもしれない。というか文月のことだから、十中八九、面白そうだったからやったのだろう。真意は本人にしか分からないけど、とにかくそんなわけで文月は、
「兄さんー!私もうダメー!」
と叫びながら倒れ込んだ。
同時に神無月からの電話は切られた。
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「ハル......。妹相手に何してるの。」
僕が電話をかけ直すと、神無月は冷たく言い放った。妹とツイスターゲームをしていたと答えればいいのか?そんなこと言ったら、絶対に誤解される。
「何でもないよ。それより何の用だ?」
「何でもないわけないでしょ。まあ、いいや。えっとね、アルくんからメール来たよ。本が出たって。」
ということは、師走ちゃんの言った通り、本当に本が出現したのか。
「内容は?」
「本自体はどんな効果か分からない。だけど、その使用者の名前は書いてあったの。」
前回、如月のときは霜月高校の生徒としか書いていなかったらしいが、今回は名前まで分かっているのか。一体どういう基準なのだろう?それもまた、師走ちゃんしか知りえないことか。
「それで、使用者は?」
そして、神無月は使用者の名前を口にする。
「えっとね、霜月高校一年生の葉月伝思って子。」
それは、僕が今日知り合ったばかりの後輩の名前だった。
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四節 -7月1日本編-
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僕は、部屋から未使用の本を持って、神無月気叶の家に向かった。これから話す相手が葉月ちゃんならば、この本は役に立つだろう。葉月ちゃんが何を思っているのか。何を思って本に願ったのか分からない以上、解決のしようがない。だからこそ、"人の心が読める"この本は解決のために必要になる可能性が高い。
とはいえ出来ることならこの本は使わずに解決した方が良い。周囲の人の感情を操る本と違って、人の心を読むのは強制発動だから。そんなことを考えながら、僕は神無月と合流した。
「とりあえず葉月ちゃんの家の場所を調べないといけないよな。一度、如月の家に行ってみるか。」
僕がそうつぶやくと、
「葉月伝思さんの家ならメールに住所が載ってたよ。」
神無月はそう答えた。
「へえ、今回はやけに詳しく教えてくれたんだな。」
というか住所って。プライバシーのかけらもないじゃないか。
「ところで、どうしてここで如月さんの名前が出てきたの?」
「ん?ああ、さっき帰りに話した後輩。それが葉月伝思なんだよ。」
「なるほどね。伝思。たしかに変わった名前だ。」
「先に言っとくけど、その子かなり会話が苦手っぽいから。」
「そうなんだ。分かった。」
だけどこの本の出現のタイミング。もしかしたら、僕との会話が関係しているのか?学校で嫌なことがあって本に願ったとすれば。たとえば、先輩から自分の名前を変わってると言われたとか。あのときの葉月ちゃんの寂しそうな顔。本当は僕になんて言って欲しかったのだろう。
名前のコンプレックスが、本に願うきっかけになったのであれば、その責任は多少なりとも僕にあるのかもしれない。なんて、僕らしくないことを考えてしまう。だって、本なんかに願ってしまうのは本人の弱さが原因なのだから。
本に呪われるのは自業自得だ。そして当然、責任感も罪悪感も。僕には無い。
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葉月家に着き、僕たちはインターホンを押す。少し待っていると、スピーカーから声がした。
「先輩?と、えっと......どちら様ですか?」
声の主はおそらく葉月ちゃんのものだろう。インターホンにカメラが付いていて、中から映像が見られるようになっている。
「葉月ちゃんか?話があるんだけど。」
と、僕はマイクに向かって喋る。先月は神無月に話してもらったが。今回は神無月よりも、面識のある僕の方が良いだろう。しばらくして、ドアが開き葉月ちゃんが出てきた。
「どうぞ。」
葉月ちゃんはやはり無表情に見えた。まるで、呪いのことなんて気にしていないように。あるいは、それすら表に出さないようにしているのかもしれない。家の中は随分と静かだった。
「家の人は?」
僕が尋ねると、
「居ません。」
と葉月ちゃんは答えた。居ないって、そんな簡単に男を家に上げていいのか。神無月がいるとはいえ、少しは警戒した方がいいだろうに。そういうところは如月とは正反対だな。
「仕事なの?」
「はい。」
「そっか。」
葉月ちゃんは昼間と変わらない素っ気なさだ。
「どうぞ。」
そう言って、廊下の奥にある部屋へと入っていく。そこは、可愛らしい部屋だった。床にはカーペットが敷かれており、明るい色の家具が多い。そして、ベッドの上には大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。
「ここ、葉月ちゃんの部屋?」
「はい。」
「へえ。」
一般的には普通なのだろうが、葉月ちゃんの部屋だと言われると、イメージしていたよりもずっと可愛らしい部屋だ。僕が部屋を見回している間、葉月ちゃんはずっと神無月を見ていた。ああ、そういえば初対面なんだった。
「あ、えっと。こっちは神無月気叶。僕の幼なじみだ。」
と、僕が紹介すると、
「神無月気叶です。よろしくね。葉月ちゃん。」
と丁寧に挨拶をする。一方で葉月ちゃんは、
「どうも。」
とだけ会釈をした。
「本当に会話苦手なんだね。」
神無月が僕に耳打ちしてくる。その様子を見て、葉月ちゃんは、
「お二人は付き合っているんですか?」
と尋ねてきた。またその質問か。どうしてそんなに気になるんだろう。
「付き合ってないよ。ただの幼なじみだ。」
「そうですか。あの、それで何の用ですか?」
と聞いてきた。ようやく本題だ。葉月ちゃん相手に遠回しに質問しても、何を考えているのか分からない以上無駄だ。やはり単刀直入に聞くのがいいだろう。
「葉月ちゃん。君はどんな力を手に入れたの?」
僕は尋ねた。そして、僕は知ることになる。葉月ちゃんが手に入れた力。葉月ちゃんの願った本の呪いを。
そう、僕は知ることになる。はずだった。
「力?何の事ですか?」
葉月ちゃんはそう答えた。一切の動揺もなく。一切表情を崩すこともなく。
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人間は驚いたときに必ず動揺する。必死に抑えようとしても簡単に抑えられるようなものじゃあない。同様に、嘘をつくときだって何かしら表情に変化が出るものだろう。普通ならば。僕は、それまで本のことには一切触れていなかった。そんな中でいきなり力について聞かれたら動揺は少なからずするはずだ。考えられるとするならば、普通ではない状況。たとえば、本の呪いが関わっている場合とか。とにかく、詳しく話を聞く必要がある。
「葉月ちゃん。本に心当たりはあるか?」
「本?小説ですか?」
「いや、えっと......。」
本当に心当たりがないのか?だけどこの反応は嘘をついているようには見えない。
「私、先輩が何を考えてるのか分かりません。」
それは僕が君に言いたいことだよ......。しかし、これはどういうことなんだ?葉月ちゃんは呪われているようには見えないし、実際に本人も自覚がないようだ。師走ちゃんが間違えた?そんな事あり得るのか?あるいはアルくんが間違えたのか?だけど、住所は正しく葉月ちゃんの家だった。呪われた人物の名前が葉月伝思で、書かれていた住所も葉月伝思のものならば、アルくんが間違えたという線も無いだろう。
「葉月ちゃん。君は何かを願ったはずだ。そして、そのときに君の目の前に本が出現したはずだ。」
僕はそう尋ねる。願った。という言葉に一瞬だけ、葉月ちゃんが動揺したように見えた。僕はすかさず言葉を続ける。
「葉月ちゃん。なにか心当たりがあるんじゃないか?君は何を願ったんだ?」
「......。」
無言か。仕方がない。持ってきた本を使って葉月ちゃんの心を読ませてもらおう。僕は、鞄から本を取り出しながら、葉月ちゃんに近づいて行き、そして途中で立ち止まった。
「そうか。葉月ちゃん。君の願いは"思いが伝わること"か。」
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本には有効範囲が存在するものもある。たとえば、僕が今使おうとした"人の心を読む"本は半径15cm程度。そして、"周囲の人の感情を操る"本は半径10mぐらいだ。
多分、葉月ちゃんの本の効果は半径1m程なのだろう。だから僕が近づくまでは発動されなかった。そして本人が無自覚だということは、如月の時と同様強制的なものだ。
「葉月ちゃん。君はこれをどこで願った?」
僕が尋ねると葉月ちゃんは俯いたまま
「リビングです。」
と答えた。
「神無月。頼む。」
僕は、神無月の方を見て促す。その意図を理解しすぐさま部屋を出ていく。
「あの!......。」
葉月ちゃんは顔を上げて何かを言おうとするが、また俯いて黙り込んでしまった。僕が近づいたとき、葉月ちゃんの思いが僕に伝わってきた。しかし分かるのは思いだけで、他のことは全く分からなかった。如月の願った、心を読む本とは根本的に違うのだろう。如月は、何を考えているかも何となくわかると言っていた。
「葉月ちゃん、話を聞かせてもらいたいんだけど。神無月は居ない方がいいか?」
それに対し葉月ちゃんはこくりと頷いた。
「分かった。」
そして、神無月が戻ってくる。
「あったよ本。リビングの床に落ちてた。」
「そっか。葉月ちゃんは、本の出現に気づかなかったんだな。」
「"思いが伝わる"呪いじゃあ、本人も自覚がないわけだね。」
力や本の事を聞いても無反応だったのは、本当に心当たりがなかったからなのだ。葉月ちゃんは本に願い、本に呪われたにも関わらずそのことを知らなかった。
「神無月。悪いけどここからは2人で話すから。」
「分かった。外で待ってるね。」
そう言って神無月は出ていった。随分あっさり出ていったな。
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五節 ‐7月1日熟考編‐
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「さてと、まずは僕が話すけどいいかな?」
「はい。」
葉月ちゃんは頷く。
「と言っても何から話すべきか。まず僕の目的は本を回収する事だ。で、この本なんだけど、人が何かを願った時に出現してその人物に特別な力が与えられる。僕たちはその力を呪いと呼んでいるんだけど。葉月ちゃんの場合は、さっきの範囲。多分半径1mくらいの中にいる人物に、自分の思っていることが伝わるってものだろう。思いや感情は伝わってきたけどそれ以上のものは分からなかった。そして、葉月ちゃんが自覚していないってことは、強制的に使用され続けているんだろう。これから先ずっと、自分の思ってることが勝手に周囲の人間に伝わっていくんだ。それが嫌だと言うなら僕はその呪いを解く手伝いをする。報酬として、本を譲ってくれればそれでいい。」
葉月ちゃんは黙って僕の話を聞いていた。その表情はやはり無表情だ。もう本の範囲からは出ていたので、何を思っているのかは分からない。僕の話を聞き終え、葉月ちゃんは答える。
「嫌......です。」
「なら__」
と言いかけたのを遮って、葉月ちゃんは言った。
「私はこのままでいいです。力が無くなるのは嫌です。」
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本に呪われたということは、すなわち願ったからだ。願わなければ呪われることは無い。つまり、葉月伝思は願ったのだ。自分の思いが周囲に伝わって欲しいと。僕は改めて理解する。本の呪いを解くことの難しさを。
いや、考えてみれば当然だ。心の底から願ったものを、心の底から拒絶しなければならないのだから。如月の願いはまあ理解出来る。人の心が知りたいというのは、誰もが一度は思ったことがあるのではないだろうか。それに、周囲の感情に操るというのも理解出来なくはない。
しかし、自分の思いが伝わるというのは僕には理解出来なかった。自分の思っていることなんて、他人に知られても良い事なんてないだろう。実際、如月読心は、他人の思いを知った事で人間不信に陥ったのだ。
僕は、葉月伝思が何を思い、何故願ったのか理解しなければならない。本を回収するために。
「どうして?葉月ちゃんはどうしてそんなことを願うんだ?」
「......。」
「まただんまりか。僕には君が何を考えているのかが分からないよ。」
「ごめんなさい......。」
とだけ言って、俯く。謝るということは、話さないことに後ろめたさがあるのか?僕は今、本の範囲の外に立っている。葉月ちゃんは自分の思っていることを知られるのが嫌だろうからだ。だけどこのままじゃあ埒が明かない。もう一度入ってみるか?しかし、たとえ思いがわかっても考えが分からないのでは。
「話すつもりは無いのか?」
「......。」
「そうか。」
行き詰まったときは考えをリセットする。突破口は見えるはずだ。整理しよう。
葉月伝思は本に呪われている。内容は"思いが伝わる"こと。しかし、何故それを願い、何故呪いを受け入れるのか話そうとはしない。
神無月は出ていった。葉月ちゃんが2人きりで話すことを望んだからだ。だけど黙っているだけなら神無月が居たところで何も変わりはしない。つまり、葉月ちゃんは2人きりになることで何かを望んでいるんだ。
思いが伝わることを願い、呪いを受け入れ、しかし話はしない。伝えたいことがあるはずなのに話そうとはしない。僕が今日一日話した限り、葉月ちゃんはおそらく会話が苦手だ。そして、さっき伝わってきた葉月ちゃんの思い。そこから考えられること。葉月ちゃんが何故こんなことをしているのか。
可能性は、ある。
「駄目だ。僕には葉月ちゃんが何を思っているのかが分からない。」
そう言っても、
「......。」
葉月ちゃんは黙ったままだった。しかし僕は見逃さなかった。そこだけに注目して見ていたからだ。僕の言葉を聞いた葉月ちゃんは、少しだけ、ほんの少しだけ口角が上がった。口角が上がる。つまり嬉しくて笑った時だ。どうやら僕の考えは間違っていないらしい。
さあ、解決編といこう。
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六節 ‐7月1日解決編‐
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「葉月ちゃん。僕には君が何を思っているのかが分からない。」
「......。」
「君が何故、思いが伝わることを願ったのかが分からない。」
「......。」
「だから、この本の回収は諦めるよ。じゃあね。」
「え?」
そこで初めて、葉月ちゃんは狼狽えた。僕の言葉は葉月ちゃんにとって想定外だったのだろう。
「それじゃあ。また学校で。」
そして僕はドアノブに手をかけ、
「......。」
「いいのか?僕は本当に出ていく。このまま帰るよ?葉月ちゃんが話したいことは本当にないの?」
そう言うと葉月ちゃんは決心したように、
「待って......下さい。」
と僕の腕を掴んで引き止める。そのために近づいてきた。つまり本の効果範囲に僕が入ったということだ。もちろん葉月ちゃんの思いは伝わってきた。しかし、
「何?」
僕はその伝わってくる思いを無視して聞き返す。その返答に葉月ちゃんは困惑する。
「え、えっと......。思いが伝わってるんじゃ......。」
たしかに思いは伝わっている。だけど、
「葉月ちゃん。思いってのは言葉にしなきゃ相手に伝わらないんだ。本なんかに頼ったら駄目だよ。」
それを聞いて葉月ちゃんはずっと俯いていた顔を上げ、僕の目を見て言う。
「わ、私は。先輩の事が好きです!」
顔を真っ赤にして、少し震えながら。それが葉月伝思が本に願ってまで伝えたかった思いということだ。葉月ちゃんは、そのまま俯いて黙り込んだ。だけど、今までとは違い、ただ単純に恥ずかしがっているだけのようにも見える。
「全部話してくれるか?君が願った理由を。」
僕の問いに、やがて葉月ちゃんは決心したように答える。
「はい。」
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「私は、昔から感情を表に出すのが苦手なんです。恥ずかしくて。だから、何も気にしないフリをすることにしました。だけど、そんな事を繰り返してたら。いつからか本当に会話が苦手になりました。思ってる事を伝えようとしても、上手く伝わらないんです。
今朝、先輩が如月先輩と一緒にいるのを見て、私気づいたんです。結局、私には行動する勇気がないだけなんだって。だから、勇気を出して昼休みに先輩に声をかけました。一度目は恥ずかしくなって、途中で逃げちゃいましたけど......。その後で如月先輩が先輩に気持ちを伝えてるのを見て、もう一度だけ頑張ってみようって思いました。私なりに精一杯、先輩に話しかけたつもりなんです。でも、やっぱり思いは伝わらなくて......。」
「それで願ったんだな。自分の思いが伝わることを。」
「はい。」
葉月ちゃんは、葉月ちゃんなりに頑張ったのだろう。だけど、僕にはそれが分からなかった。ただのクールな女の子ではなかったのだ。普通に色々なことを感じていて、色々なことを思っていて、だけどそれを表に出すことが出来ない。恥ずかしがり屋の女の子だったんだ。葉月ちゃんは僕に伝えたかったのだ。僕のことを好きだという思い。
それを僕は......。いや、違う。昼休みの時点で僕に伝えたかったのは、それじゃあない。だってそんなことは一言も。本当に一言も言っていない。つまり、葉月ちゃんが本当に聞きたかったのは、
「名前。葉月ちゃんの名前。そんなに気になるのか?」
僕は尋ねる。昼休み、僕が聞かれた質問。葉月ちゃんが勇気を出して聞いてくれた質問。葉月ちゃんが本に願ってまで伝えたかった思い。だけどその質問に対して葉月ちゃんは、
「やっぱり、覚えてないんですね。」
と言って寂しそうな顔をした。
「覚えてない?えっと?」
聞き返すと葉月ちゃんは諦めたように話し出す。
「私、先輩と同じ中学なんです。先輩、中学のときは悩み相談やってたじゃないですか。私は自分の名前にコンプレックスがあったから相談しに行ったんです。そのとき、先輩が言ってくれたことで私は自分の名前がそこまで嫌じゃなくなったんです。私にとっては大切な出来事だったんです。でも、先輩にとってはたくさんの悩み相談者の一人に過ぎないんだって思ったら悲しくなって......。」
たしかに中学の時に悩み相談をしていた。正義に憧れ、正義感を振りかざしていたから。だけどそういうことだったのか。葉月ちゃんのあの質問。
私の名前を聞いてどう思ったか。
それはつまり、名前自体をどう思ったか聞きたかったのではなく、僕が葉月伝思という名前に聞き覚えがあるかを聞きたかったということ。
「そっか。僕は葉月ちゃんと会っていたのか。それで僕の名前を。」
「はい。聞かなくても知っていましたから。」
「その出来事で僕を好きに?」
「いえ、きっかけはもちろんそれですが。先輩は中学の頃は有名人でしたから、色々な人を助けてる尊敬する先輩。憧れの人でした。そんな噂を聞いているうちにいつからか憧れは好意に変わっていって。今朝、先輩が如月先輩のすぐ近くにいるのを見て、私は......。私は、嫌だったんです!」
葉月ちゃんは、淡々と。ときに恥ずかしがりながら、ときに声を荒らげながら。そんな風に感情を表に出しながら。自分の思いを話した。葉月ちゃんは、全てを話してくれた。思いを伝えてくれた。だから今度は僕の番だ。
「僕は本に呪われている。そして、理由があってその呪いは解けない。だから、その呪いを解くために本を回収している。こんな状態で僕は誰かを好きになることは出来ない。」
「そうですか......。」
「この呪いが解けたとき、僕が何を思うのかそれは今の僕には判断できない。もちろん、君の思いに答えられるという確証もない。」
「はい。」
「僕は本さえ回収出来ればいいと思っている。だから、僕がこれから言う事は信じなくてもいい。」
葉月ちゃんが頷いたのを確認してから僕は言葉を続ける。
「葉月ちゃんと話して、君の思いはよく伝わってきたよ。本なんかに頼らなくてもね。」
そう言うと、葉月ちゃんは少し悩んでから答える。
「私は......。すごく恥ずかしかったです。自分の思いを伝える事がこんなに難しいなんて思いませんでした。」
「そっか。」
「だけど。自分の言葉で悩んで、考えて。頑張って思いを伝えようとして、先輩が、思いは伝わってきたって言ってくれて。すごく嬉しかったです。」
「うん。」
「それが本心なのかどうか、私には分からないけど......。でも私は......。私は、もっと先輩と話がしたいです!自分の言葉で、先輩にもっともっと思いを伝えたいです!」
そして葉月ちゃんは僕に思いを伝える。葉月ちゃん自身の言葉で。
「私、本に頼るのはやめます。教えてください。呪いを解く方法を。」
「簡単だよ。本の呪いなんて要らないって願えばいいんだ。心の底からね。」
僕は告げる。本の呪いを解く方法を。
こうして僕は、葉月伝思の所有していた本を回収した。
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「先輩、ありがとうございます。」
葉月ちゃんは頭を下げた。
「言っただろう。僕は本を回収しに来ただけなんだよ。感謝される謂れは無いよ。」
そう答えて僕は葉月ちゃんの家を出た。そして、外で待っていた神無月と合流する。
「ずいぶんと時間がかかったね。」
神無月は不思議そうに尋ねてくる。
「そうか?本の呪いを解くんだ。このくらいだろう?」
と聞き返すと、
「えっと、普通はまあこのくらいだろうけど。ほら、今回はもっと早く終わると思ってたから。」
神無月はそう答えた。
「今回は?どうしてだ。」
「いや、葉月ちゃんってハルのこと好きなんでしょう?」
「どうしてそう思った?」
「ハルが本の呪いに気付いてから、葉月ちゃん様子おかしかったもの。見ればわかるよ。」
さすが神無月というべきだろう。恐ろしいほどの観察眼だ。そのことに気づいたから神無月はあんなにもあっさりと、僕と葉月ちゃんを2人きりにしたということか。普段の神無月であれば、本の使用者と2人きりだなんて危険だと言っていたはずだ。
「でも、それと早さになんの関係があるんだ?」
「ハルが、僕のために本を回収させてくれって葉月ちゃんにお願いしたら、それだけで解決でしょ?よく言うじゃん、恋は盲目だって。それなら葉月ちゃんに恨まれる心配もないわけだし。」
「いや、そんなに簡単に上手くいくものでもないだろう?」
まあ、でも可能性はある。それに試す価値もある。どうして僕はそれをしなかったのだろう。どうして、そんな簡単な事を考えなかったのだろう。
結局、答えは分からなかった。
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エピローグ
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言葉にしなくても思いが伝わればいい。なんて考えはエゴだ。
現実問題、言葉にしたところで伝わらない思いだってあるのだから。
だから、人に自分の全てを理解してもらうなんて不可能だ。
だけど、自分のことを理解して欲しいと思う気持ちは悪いことじゃない。
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週明けの月曜日。いつも通りに登校していると、いつも通りじゃない事が起きた。というかまあ、葉月伝思に声をかけられた。
「先輩。おはようございます。」
「ああ、葉月ちゃんおはよう。」
葉月ちゃんは相も変わらず無表情だ。
「一緒に登校していいですか?」
「いいよ。行こうか。」
「......。」
「......。」
まあ、一日二日で話せるようになるなら。そもそも本に呪われたりはしないか。何か話題を提供しようとするが、しかしそれは葉月ちゃんによって遮られた。
「あの、先輩。」
「ん?」
「えっと......。」
葉月ちゃんは俯く。しかしやがて顔を上げて言う。
「よかったらその、先輩とお昼一緒に食べたいです。」
顔を真っ赤にして、少し怯えながら。だけど笑顔で、葉月伝思は思いを伝える。
-あとがき-
みなさまおはようございます。作者の「さくらもち」です。まずは、第二話「7月」を読んでいただき誠にありがとうございます!
世の中には、あとがきから読む方がいらっしゃるとか......。私自身はネタバレとかすごく嫌なタイプなので、ちゃんと最初から順番に読んでいくのですが、もしもあとがきから読む方がいらっしゃればそういった方への配慮としてネタバレは控えさせていただくのでご安心ください!
『December's Story』はまだまだ続きますので、気が向いたら是非、評価やコメントを頂けるとしていただけるとありがたいです。
それではみなさま、第三話でお会いしましょう。