ブレイカー/お転婆娘
「……うぅ……うぁっ……っ!」
その少女は天国で生まれた。
「……私は……神を……あれ、ここは……どこ……?」
少女は天使たちに見つかった。
「あら、新しい命が生まれていますわ」
「素晴らしい!今日も主に感謝を送りましょう」
「あなたは誰?私たちの言葉は分かる?」
少女は天使たちに祝福された。
「名前……わたしの……」
「生まれたばかりなら名前が分からなくても当然ですわ」
「とにかく主の元に連れていきましょう」
*
「ぶっ……!」
「ユノ様?」
「とんでもないのが生まれてる……」
「ユノ様?」
「聞いてる。この子の名前についてよね」
ユノはまじまじと少女の姿を眺める。
「汝、その身にあるまじき力を持つもの」
「長い!」
「……別に名前として呼んだわけじゃないのだけど。でも、そうね。じゃあそれを縮めて“ミア”。あなたの名前はミアよ」
「どんな思考回路してたらその略し方になるの」
「こら、主に失礼ですよ」
「構わないわ。みんな堅くてつまらないんだもの。傅かれるのは気持ちの良いものだけど、柄ではないから。あなたはそのままで居なさい」
「分かった!」
「じゃあ、私は行っていいかしら」
「はい、ユノ様。あなた様に至上の感謝を!」
少女はすくすくと育った。
少女が生まれた世界では、誰しもが優しかった。誰しもが彼女に優しくした。
少女は、彼女たちがユノへしてるのと同じように、周りの人間に感謝を始めた。
誰もが少女の変化を喜んだ。
ユノは喜ばなかった。
「……あなた、どんどん周りに……」
「あぁ、ユノ様!私に声をかけて下さるのですか!ありがとうございます!」
「……私はあなたに破壊者であることを期待していたのに」
「え?」
「……何でもないわ。あなたの在り方は、私が決める事ではないから」
「ユノ様?」
「けれど……いや。きっともうあなたには、私の声は届いていないのでしょうね」
「そんなことありません!私はいつだってあなた様の声に耳を傾けて——」
「いいわ。失せなさい」
「……ユノ様」
ユノが少女に含めた毒は、徐々に少女の思考を侵す。
ところで少女は不器用であった。とびきりの不器用であった。少女は周囲に与えられた恩を返そうと躍起になっていたが、少女は、天使たちがその行いを必ずしも歓迎していないことを、天使たちの言葉以外から感じ取っていた。
「あの、これ手伝います!」
「いいえ、いいのよ。あなたは他のみんなを手伝ってあげて?」
「はい!」
「あの、なにかお手伝いしましょうか?」
「いいえ、ありがとうね。でもわたし一人でも出来るから」
「そうですか」
「あの……、わたしあなたの役に立ちたいです……」
「いいえ、あなたは何もしなくてもいいのよ?生きているだけで私たちは嬉しいから」
「……はい」
少女は、とびきりの不器用であった。優しい天使たちは決して、少女を傷つけるような言葉を、彼女に与えなかった。
少女はただただ恩を返そうといそしみ、やがて少女は、それとなく避けられ始めた。
「ユノ様……」
「なに?私は忙しいの」
「いいえ、あなたは暇です……さっきからぼぅっと、あの虹色を眺めているだけではありませんか……」
「……どうしたの?」
「わたし、どうしたらいいか分かりません」
「それじゃあ私も分からない」
「あなたは全てを知っているのではないのですか、主」
「興味の無いことは何も知らない。それから、次に主と呼んだらもう口をきいてあげないから」
「ユノ様」
「様付けも駄目」
「……ユノ?」
「そう。やっと、らしくなった」
「らしい……私らしいとは何ですか?ユノ」
「自然体であることよ」
「自然体とは?生まれたばかりの私に、そんなものはあるのですか?」
「知らないわ」
「役立たず」
「ふふっ、私は必ずあなたの役に立つための存在ではないもの」
「もう崇めてなんてやんないから」
「別に頼んでないもの」
怒る少女とは裏腹に、ユノは楽しげである。新しいおもちゃが見つかったみたいだ。
「……ユノ、寂しいよ」
「あなたの周りにはたくさんの天使たちが居るじゃない。みんな、あなたに優しくするわ」
「彼女たちはただ優しいだけ。頼んだら側に居てくれるけど、なにも言わなかったら、そうじゃない……」
「もしかして、友達が欲しいの?」
「ともだち……?うん、きっとそう」
「私がなってあげましょうか」
「いいの?」
「あなたがあなたのままでいる限り、ね」
こうして、少女はユノと一緒に居ることにした。
それから、ユノは自由であった。沢山の天使たちに崇められていながら、その日々の振る舞いは、まるで神聖さの欠片も無かった。なんでこいつこんな偉いんだろう、少女は疑問に思いながら、ユノとの日々を楽しんだ。
遂に聞いた。
「ユノ」
「なに?」
「ユノはなんで偉いの?」
「何でだと思う?」
「わたしには微塵も分からない」
「少しは何か答えなさい」
「うーん……偉そうなところ?」
「ふふっ、私が偉そうだから、偉いの?」
「わかんない」
「そうかもね。彼女たちには聞いてみた?」
「聞かなくても分かるよ」
「へぇ」
「“ユノ様は神聖な存在だから崇めるのは当然です”。返ってくるのは、きっとそんな答え」
「ふふっ、らしいわね。ちょっと前までのあなたみたい」
「もうそんなこと、口が裂けても言わないけどね」
「ふふっ、それはどうして?」
「わたしはあなたを知ってるから」
「そう」
ユノは少女の頭を撫でる。
「そろそろ頃合ね」
「え?」
ユノは少女を抱きしめる。
「あなたを人間の世界に送るわ」
「え、どういうこと?」
「ここはあなたの居るべき場所じゃない。そうね、神々のところにでも送りましょう。きっと、自由なあなたが歓迎される。ふふっ、思い上がったなんちゃって神たちが振り回される姿が今から目に浮かぶわ」
「よく分からないけどまた悪巧み?」
「……あなたの前で悪巧みをしたことなんて一度もないでしょ?」
「いっぱいしてたと思うけど」
「そうだったかしら」
「なにが悪いかなんて私が決めてるからね」
「だったらいつもの事ね」
「わかってるなら自重しろ」
「そんなことはどうでもいいの。あなたが行くべき場所の話よ」
「……ユノと離れ離れになるの?やだ!」
「駄目よ。あなたまで私になる必要はないから」
「なに言ってんの?」
「偶にはぶっ飛ばすよ」
「何を言ってらっしゃるのですか?」
「その言い方のほうが駄目ね」
「面倒なやつだ」
「ふふっ、ともかく、あなたはここに居るべきじゃない。私とはここでお別れ。心配しなくても大丈夫、私は会いたい時にあなたに会えるから」
「ホントに?」
「えぇ。あなたは会いたい時に私に会えないけど」
「じゃあダメだ。来なさそう」
「行くわよ。気が向いたらね。ここは退屈だもの」
「絶対だよ!絶対、また会いに来てね!」
「えぇ」
「寝る前とおはように!」
「一日二回?それはちょっと……」
「なんで?暇でしょ?」
「暇ではないわ。私は、ただ見守っていなければならない。私の可愛い愛し子たちを」
「別にいらないと思うけど」
「言うわね。けれどあなたの言う通り、彼女たちの多くにとっては、わたしの実在はきっとどうでもいいこと」
「じゃあ」
「でも偶に居るの。手の掛かる子が、ね」
「……」
ユノはもう一度だけ、彼女の小さな体を抱きしめた。抱きしめて、その温かさを覚えた。
「私は彼女たちが生まれてくるのを見守っているの。だから行けない」
「ユノ……」
「心配しないで。そうね、あなたが大人になったら鍵をあげる。あなたが何処にでも行けるように、何処にでも繋がる扉の鍵を」
「ホント!?いいの!?」
「えぇ。私はあまり要らないの。私の決めた居場所はここだから」
「おとなって何?」
「そんなもの、自分で探しなさい」
「ここにはあるの?」
「あなたはここで、それを見つけた?」
「年を重ねたら、自然になるものじゃないの?」
「いいえ。大人になろうとしなければ、いつまで経っても大人にはなれない。だからミア、あなたに言うわ。大人になりなさい。大人になろうと、足掻き続けなさい」
「ユノは大人なの?」
「そう見える?」
「ぜんぜん」
「ふふっ、でもきっとそう。私はまだまだ大人じゃない」
「冗談だよ。わたしにとって、ユノは一番大好きな大人だから」
「そう。嬉しいわ。私はまだまだ大人ではないけれど、あなたの前では、大人であろうと頑張ったから」
そして門が出来る。
「ユノ?」
「準備は出来た。さぁ、行きなさい」
ユノは少女を突き放す。一人で歩けるように。
「約束だよ!必ずまた、会いに来て!」
「えぇ、約束。また会いましょう」