表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三題噺⑳誕生日に豆を食べよう

作者: 嘆木鳩

誕生日。自身がこの世界に産み落とされた日。

古くは創世主であるイエス・キリストが対象になっていたといわれているらしい。この日本で誕生日を最初に祝うようになったのは、一説では織田信長という武将が、自身を神格化させるために祝わせたのだとか。当時はあまり庶民の間では浸透しなかったが、最近では多くの人に親しまれている日だ。

誕生日への考え方は人それぞれだと思う。誕生日が来ることが待ち遠しい子供たちがいれば、それを祝おうと楽しみにしている親たちもいるだろう。一方で、年齢を重ねることを何とも思っていない者や、逆に老いることに対する悲しみを感じる者もいる。だがいずれにしろ、人間にとって誕生日というのは、捉え方や感じ方はさまざまあれど、一年における一つのイベントであることに変わりはない。

そんなイベントの日。

私は、便所にこもっていた。

私も、この祝うべき日に便所にこもりたいわけではない。だが、便所にこもっているのは訳があるのだ。

私は今、人間の友人とともに、誕生日のお祝いをされている。私自身は、もう長いこと誕生日を祝ってこなかったし、あまり気にしてこなかったが、せっかくこっちの世界に留学してきたんだからと、友人が祝ってくれたのだ。その時友人が教えてくれたのだが、私の誕生日は、人間の暦でいうところの、「節分」と同じ日なのだそうだ。

古くは「追儺」という鬼払いの行事が元となっており、それが長い時間をかけて庶民の間に広まったらしい。私がいたところでは鬼というのはいなかったが、人間たちは人間の想像を超えた恐ろしい出来事を鬼の仕業と考え、それを払うために豆をまいたのだとか。鬼を払うのが何故豆なのかという点で腑に落ちなかったが、その理由は友人もよく知らないらしい。ただまあ、郷に入れば郷に従えという言葉もあることだしと、私はその行事を大いに楽しんだ。

節分では、豆まきのあと、豆を食べるのだと聞いた。私は普段豆を食べないから、少々楽しみでもあった。私は人間の友人に聞いた。いったいどれくらいの数を食べればいいのだろうか。

自分の年齢と同じ数だと初めて知った。

地獄が始まった。

食べても食べても減った気がしない。一粒ずつでは絶対に終わらないと、一気に10~20粒くらい口の中にほおりこむも、気休め程度にしかならない。友人は、無理しなくていいよと言ってくれたが、せっかく初めての節分なのだから、最後まで食べきりたいと意地をはった結果、便所にこもることになってしまった。

人間世界の行事というのはよいものであるが、時に我々にとっては恐ろしいものもある。そんなことを知った、エルフの留学生(年齢約2200歳)なのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ