再会と衣替えと緊急事態
『第二部』
焦げ臭い匂いが鼻を刺激すると、何かに押さえつけられるような圧迫感が体をベッドに縛り付ける。辛うじて首を動かすと、時計の針は午前三時を示している。夜明け前の一番暗い時間に、もがき苦しみながら目を見開くと、真っ黒い見たこともないような化け物が闇を裂いて現れた。怖い、苦しい、頼むから誰か助けてくれ。あの恐ろしい――。
パチリ、そんな擬音が聞こえてくるように瞼を開くと、ガタガタと揺れる荷馬車の荷台で目を覚ます。太陽から暖かい日差しが指しており、エルピスも荷台に積まれている毛皮に包まって昼寝をしていた。
「またこの夢か」
白霧の山を下りて一か月が経ったろうか、シエルとの約束のために王都ステンツへ向かう旅路の途中に、今見たような夢をたまに見るようになった。見える光景はパーガトリーにある中世のような建物の部屋ではなく、日本で住んでいた部屋の光景とも違う。しかし、青葉はその光景に見覚えがあった。詳しく思い出せないのだが、夢で見る前に見たことがある気がする。
「所詮は夢か」
きっと疲れているだけだろうと、クマの毛皮へ横になる。白霧の山の麓からステンツまでは徒歩で行けば半年はかかると聞いていたので、道中で知り合った行商人に護衛として雇ってもらえないかと、黒斬りと雲霧を使った戦い方からエルピスの各魔法、それから頭の良さを武器に交渉して、荷台にだけは乗せてもらえた。
しかしここ最近、旅人が最も恐れるという黒衣を着たクラッドの連中が鳴りを潜めているので護衛の仕事は回ってこない。その上ボロボロで小汚い格好の青葉は取引の際マイナス要因ともなりかねないので、給金はなしだ。光の聖堂があるステンツには入国料が取られるらしいが、シエルのくれた一枚の羊皮紙があれば問題ないと言っていた。
「とはいっても、これで大丈夫か?」
目が見えない時に受け取ったままポケットに入れてグシャグシャになっている羊皮紙を広げてみる。紙だったらとっくに破れて使い物にならなかっただろうが、一応はインクでシエルの名が書かれた跡と青いしるしはしっかり見てとれる。もうあと数日でステンツに着くというので大事に折りたたんでポケットにしまい、なるようになるかと毛皮を布団として横になり、大きな欠伸をするとまた昼寝に戻った。今度は悪夢を見ないようにと願いながら。
見上げるような、と例える時に抱く感情として、威圧感を感じる時と冷たさを感じる時がある。白霧の山にはその威圧感を心に感じたが、眼前にそびえ立つ王都ステンツを円状に覆う市壁からは冷たさを感じた。人が造った物だからか、人がいるからか。どちらにせよこれから潜らねばならない市壁の検問近くで行商人と別れると、旅人や徒歩で移動する見習いの商人。鉱石や機材を運び込む人々などの列に並んで順番を待つ。入国料はエベル銀貨一枚と非常に高額で、文無しの青葉に払えるわけがない。幸い人霊には入国料はかからないが、青葉が通る時はシエルのくれた紹介状を使うことになる。通れなければ諦めるかエベル銀貨を用意するしかないので、不安に包まれながら順番が回ってくると、持ち物として黒斬りと雲霧を検問台に乗せて、ふとそのままでは抜けないので抜身と鞘に分けて並ばせる。臭っているのか体に危険物や密輸品がないかとチェックする検問官が嫌な顔をしながら調べ終わると、エベル銀貨の代わりにシエルのくれた羊皮紙を広げて見せた。それを見ると、検問官の顔が驚きに満ちた。
「これは……失礼しました。司祭様のお知り合いとは知らず。どうぞ通ってください」
なにやら印鑑のような青いしるしを目にした検問官は頭を下げると、黒斬りと雲霧も手渡されて、そろそろ千切れそうなベルトに挟む。
「ステンツをお楽しみください」
丁寧なお辞儀の検問官に戸惑いながら礼だけ口にしてステンツに入ると、初めてパーガトリーのしっかりした街というものを目にする。
「村とは大違いだね」
ひょっこりと肩から飛んだエルピスは辺りをグルグルと飛んでは、こんなところに人霊がと住民や商人たちを驚かせている。
「あの行商人、一人前とは言っていたが辺鄙な村にしか行かなかったからな」
白霧の山付近から乗せてもらった行商人は荷馬車と馬を持っていれば一人前だと胸を張っていたが、大きな街、というより王都に訪れるのすらはじめてだったようで、横目で見た荷馬車が並ぶ検問では文無しの青葉よりも緊張していた。
「しかし、ファンタジーなことで」
ドレスに身を包んだ、見るからに偉そうな女と、それに続く召使のような腰の低い男たち。それからマックダフのようなずんぐりむっくりとしたドワーフたちが鍛冶場で鉄を打ち、聖職者のようなローブを着て祈りを捧げながら歩く集団もいる。見たくはないが、ここにもエルフの奴隷は当たり前の様に存在し、腹の出た偉そうな男の荷物を運ばされている。良くも悪くも、色々な人、というよりは色々な階級と色々な精霊が入り乱れる場所だった。道も入り口である検問から枝分かれしており、赤茶色の煉瓦で建てられた家々や商店が立ち並んでいる。道そのものにも石畳が敷かれており、視界の端にはずれた石畳を調整する土方のような人も見えた。
「それで? せっかく王都に来られたわけだけれど、みすぼらしい相棒はどうするのかな」
「からかうなっての。ただでさえ腹減ってんだから」
いくら成長した契約者とて、やはり腹は減る。行商人は固い黒麦パンとやらを水に溶かして渡してきたが、味もなく腹も満たされなかった。正直そろそろ限界なので、スプレンドーレとやらが集まる光の聖堂を探さなくてはならない。客なのだから飯の一つでも出るだろうと、淡い期待を寄せながら通りすがりの人に道を聞くと、目の前に広がる一番広い王城へとつづく道を歩いていけばいやでも目に入ると教えてくれた。なんでも教会のようで、貧しい人々に施しを与えたりもしているらしい。
「これで水に溶けたパンとはおさらばだ」
久しぶりに元気が出た青葉は服装からして場違いな大通りを進んでいく。エルピスもそこらを縦横無尽に飛び回っては、初めて見る物に興味を示していた。
「そっちの用がすんだら、次はボクに付き合ってくれよ」
「それは飯が出るかしだいだな」
食べ物を必要としない人霊にはわからないであろう空腹という苦痛に耐えながら、人の目を気にせずに道を行く。そうすると、天高くそびえ立つディズニーランドにあるシンデレラ城のような王城に隣接するように、煌びやかな装飾の施されたキリスト教会のような青を基調とした建物がある。またしても道行く人に聞いてみると、あれが光の聖堂らしい。
「期待度が上がったね」
エルピスは光の聖堂を見るとそう口にした。
「外側を綺麗に構えるということは、中にも気を配っているのだろう? 人間には当てはまらないがけれど、建物ならそういう風に捉えられるからね」
「いや、人生は何事もチョコレートの箱だよ。開けてみるまで中身は分からない。受け売りだが、そういうものだと俺は思うね」
とはいえエルピスの言うことも一理ある。期待を込めながら羊皮紙を手に、光の聖堂へと駆け寄っていった。
シエルの名を出すまでは施しを貰いに来た浮浪者だと思われていたようだが、羊皮紙を見るとすぐに呼んできますと頭を下げて、背中に青い刺繍の入ったローブを着た女性はステンドガラスに彩られた結婚式にくるような聖堂の中を走っていった。違う所があるとすれば、奥に佇むのが聖十字ではなく、手を伸ばす人間の壁画と、その上に二匹の白と黒の竜をあしらった銅像が天井まで鎮座しているところか。
「白竜アルブムと黒竜アートルムは精霊の頂点だから、精霊とのいざこざをなくそうとしているスプレンドーレらしいね」
「そいつは結構だが、どこの世界も金のあるところにはあるもんなんだな」
外装も内装も光り輝いていて、竜の銅像はそこに違和感なく溶け込めるように宝石で彩られている。どうやらここはチョコレート箱の中ではなく宝箱の中らしい。青葉は別に貧しい家に生まれたわけではないが、こうも見せつけられるとため息が出るというものだ。
「そんな世界の話を聞きたくて、私がどれだけ待っていたと思う?」
声を聞いて振り返れば、青い詩集の入ったローブに身を包み、長い青い髪を右側にサイドテールとやらにしている貧相な体つきで同い年くらいの女――シエルが腕を組んでいる。
「悪いが、話が詰まっている腹がへこんでいてな」
「ただで貴重な話を聞くほど安い女じゃないわよ。なにがいい? 小麦のパンと焼いた豚肉だったらすぐに用意できるけど」
「俺の世界ではパンに肉を挟んだハンバーガーっていう食い物があるんだが、この情報料でそれを作ってくれないか?」
「サンドイッチとは違うのね……わかった、用意させるからついてきて」
こうして姿を見るのは初めてでも、相変わらず勉強熱心なシエルについていくと、聖堂から廊下を挟んで別館に移動する。シエルはそこにいた青年になにか伝えると、シャンデリアの下に並ぶ細長いテーブルにナプキンと皿が用意され、注文通りのハンバーガーもどきが出てくる。久しぶりのまともな食事にがっつくと、それだけで腹は満たされた。腐っても契約者なのだ。
「にしても、ずいぶんと偉くなったようだな」
「まぁね、白霧の山の調査が認められて司祭の中でもトップに上り詰めたのよ」
先ほどの青年も同じローブを着ているというのに、シエルにはぺこぺこと頭を下げていた。入り口で出迎えた女も急いでいたし、なにより検問官の態度が小汚い旅人を扱うものから急変していたのがシエルの立場の高さを証明していた。
「そこらへんに関してはあんたたちに感謝しているし、命を救ってもらった恩もあるけど、まず言わせてもらうわ」
向かいに座ったシエルは青い瞳に青葉を映すと、ニッコリと笑った。
「白霧の山登頂おめでとう」
日本にはいない、というより元の世界にはこういった女性は少ないだろう。高い地位にいるというのに、見下すわけでも皮肉でもなく他人へ賞賛を送れる女性というのは。だから青葉も素直にありがとうと返した。
「意外とお似合いかもね」
「何か言ったか?」
「別に? 褒められてよかったじゃないか」
はぐらかされた気もするが、とにかく空腹からは逃れられた。しかし、シエルは青葉に話があるという。
「水をつかさどる四大精霊のウンディーネ様があんたたちと話がしたいって仰っているんだけども、ちょっとね……」
シエルは顔をしかめると、青葉をジロジロと目にする。
「その格好だと無礼極まりないから、先にそっちを整えてもらえない? それに正直臭うのよね……」
「へこんでいた腹は膨れたが、財布の中身はへこんでいるどころか厚みすらなくてな」
「そんなところだと思ったわ。お金なら出すから、この世界とウンディーネ様の前に出てもふさわしい格好を用意しに行くわよ」
人生にうまい話はないと心がけておくように元いた世界で育てられたので、金を出すという言葉をどうしても疑ってしまうが、シエルは得意顔で口にする。偉くなったから給料も増えてボーナスも出たと。
「でも忙しくなったし、なによりそのせいで男どもが寄ってこなくなったから、なおさらお金余ってるのよ」
「目の前に都合のよさそうな男ならいるけれどね」
「ん? エルピスちゃん何か言った?」
「別に、人間とは耳が遠いのだなと思っただけさ」
またはぐらかされた気がするが、とりあえず王都一番の呉服屋に赴くことになった。
光の聖堂を出て大通りを少し戻ったところに、これまた豪華な佇まいの呉服屋が建てられている。入り口のドアノブからしてピカピカに磨き上げられている扉をあげると、まず青葉を見たスーツ姿の店員は露骨に嫌な顔をしたが、次いで入ってきたシエルを見ると深々と頭を下げてにこやかに若い男が寄ってくる。
「ご注文の方はお決まりでしょうか」
「この男に品があって、尚且つ動きやすい服装一式を頼むわ」
「ご予算の方は……?」
「私を誰だと?」
「失礼しました。ではこちらへどうぞ」
こういう女なら日本にもいそうだなと思いながら店員に連れられていくと、採寸された後になにか希望はあるかと聞かれた。
「この二本を腰に挟んでおけるやつを頼む。後はそっちのセンスに任せるよ」
かしこまりましたと残して陳列している服を他の店員も一緒に選んで何着か持って来た。そこから組み合わせを選べと言われるが、大学にジーパンとTシャツだけで行く青葉にファッションセンスなどない。困っているところを察してか、エルピスが任せてくれと名乗り出た。
「人霊に服の良し悪しがわかるのか?」
「これでも女だからね。元が悪くない青葉なら女たちが寄ってくる組み合わせを選んであげるよ」
自分で選ぶよりはマシかとエルピスに任せると、店員たちも人霊が決めるのかと困惑していたが、いくつか目を通した後に指を指した物を着させるように頼むと、試着室に男の店員と入る。ひとりで出来ると言ったが、シエルの連れに手を煩わせるわけにいかないのか、かたくなに譲らなかった。
過剰な程丁寧に、慎重に着させられた服装を姿見で見ると、とうとう見た目だけでネイバーだとは思われないだろう格好になっていた。
ベルトの代わりに黒い腰巻と赤い腰までのマント。それから紺色の柔らかい生地のズボンに膝までの茶色いロングブーツ、下には黒いスーツを着ている。黒斬りと雲霧も腰帯に丁度よく挟めて、これでいいとシエルの待っている入り口に戻った。
「なかなか似合うじゃない」
「褒められて悪い気はしないが、本当に金出してくれるのか?」
そこは気にしないでと会計に向かったシエルの方から、アリオーヌ金貨二枚になりますとの声がして吹き出してしまった。たかが服に日本円で計算すると一枚二十万円ほどのアリオーヌ金貨を二枚などと馬鹿げた話だが、シエルは顔色一つ変えずに支払うと、選んでくれた店員にチップなのかエベル銀貨を数枚渡している。
「言ったでしょ、お金余ってるって」
視線に気づいてか、自信満々に財布を振ってみせたシエルに、本当金はあるところにはあるのだなと一日に二度も思い知らされた。
このままウンディーネとやらのところへ行くのかと聞こうとしたら、輝く翼が生えた、輪郭だけ見えていたウィスプによく似た人霊が飛んできた。
「ウンディーネ様からの伝言です。もうしばらく国王との会議が長引くとのことですので、ネイバーとの話は少し後になりました」
「そう、ありがとね」
機械的な感情を感じさせない声を発した人霊はそのまま帰っていくと、説明していなかったとシエルが口を開く。
「この前のウィスプはエルピスちゃんが吸収しちゃったからね。それに昇格したから、ウィスプの中でも会話が可能なグランウィスプを与えてもらったのよ」
「また光の壁を作るのか?」
「それもあるけど、怪我人の治療から暗闇を照らすまでしてくれるのよね。契約者として私も強くなったし」
力こぶはないが腕を見せつけてくるシエルにエルピスが近寄っていった。
「うーん……あのウィスプが十なら、ボクは百だね」
話の見えていないシエルに、ため息を付きながら教えてやった。
「もともと弱かったリャナンシー時代からの反動か、人霊や精霊を見ると力自慢をするんだよ。今のエルピスからすると、そのグランウィスプは自分の十分の一くらいしか力がないってことだろうよ」
「人霊も自慢するのね……これも興味深い話だわ」
とことん勉強熱心なシエルはそう呟いた後、時間を潰すがてらカフェに行こうと提案してきた。話も聞きたいからと後付したが、この中世と同じくらいの文明レベルのパーガトリーにカフェがあるとは初耳だ。そこのところを聞くと、五十年ほど前に現れたネイバーがコーヒー豆と紅茶の豆と茶葉の栽培に成功して、大きな街にはチェーン店の様に作られているらしい。
「あんたのいた世界……というよりは時代ね。そこでもコーヒーや紅茶は飲まれていたの?」
「あるにはあったが、五十年でだいぶ変わったぞ。この世界にあるか知らないが、アイスクリームっていう冷たくて甘いお菓子を乗せたりしていたな」
「いい機会だから、いろいろ教えてくれない? お会計は私が払うから」
自慢げに財布を振るわせるシエルなど眼中に入らず、久しぶりに故郷の味が楽しめると心が躍った。
ドトールやらとまではいかないが、これまた大通りに『ブラック&ブラウン』との看板が置かれたカフェが賑わっている。訪れているのは見るからに金持ちばかりだが、こちらも服装を整えてシエルが金持ちなので堂々とカフェの中に入ると、やはりスプレンドーレの司祭は特別なのか、他の客から離れた静かで落ち着きのあるテーブルに通される。
「私はレモンティーをお願い。あんたは決まった?」
「そうだな……」
所詮は五十年前のネイバーだと侮っていたが、日本にある若者に人気のカフェとまではいかないが、ある程度の品は揃っている。
「エスプレッソを頼む」
畏まりましたとさがっていった店員を見送ってから、よくそんな苦いものを飲むものだと驚かれていた。青葉はあまり流行やファッションに気を使う性格ではなかったが、たまにカフェにやってきては眠気を吹き飛ばしてくれるエスプレッソを何倍も飲んで勉強に励んでいたのだ。
ほどなくしてレモンティーとエスプレッソが運ばれてくると、一口舐めてみる。どうやら味まで完璧に再現しているようで、懐かしい苦みを口の中で味わう。
「真っ黒い泥みたいな物を飲むなんて、青葉は変わっているね」
食い物も水も必要のないエルピスはエスプレッソの臭いを嗅いでむせていたが、この芳醇な香りと苦味がいいというのに、わからん奴だ。
「それで、聞きたいことは山の様にあるけれど、まずは実用的なことから聞くことにするわね」
なんでもどうぞとエスプレッソを口にしていると、青葉の住んでいた世界について、どんなものがあって、どんな人がいたのかと、ずいぶん大雑把な質問が投げかけられた。
「教えるだけじゃカフェみたいに再現なんてできないが、街中を車――例えるなら人間を乗せた鉄のイノシシが走り回っていて、遠くに行くには大きな鉄の白い鳥に乗って空を飛んでいった。どんなに離れていても一瞬で言葉を伝えられるし、剣や槍の代わりに馬でも勝負にならないほどの速さで鉛玉を飛ばす武器を治安とかを守る騎士みたいな連中が持っていたな」
言い終え、おかわりのエスプレッソと追加で運ばれてきたサンドイッチに手を伸ばすと、シエルは開いた口がふさがっていなかった。
「まあ、俺は今話した鉄のイノシシに跳ねられて死んだんだけどな」
あまりに現実味のない話から未だ戻ってこないシエルに声をかけると、ハッとして頭を掻いている。
「文明が発達しすぎてて参考にもならないわね……」
「ボクも同じ意見だよ」
女二人は日本の話について来られなかったようで、残念そうにしていた。だがこっちがこれだけ喋ったのだ。今度はこっちの番という奴だ。
「スプレンドーレだったか、なんでお前はそこに入ったんだ?」
疑問というより、話題の種だ。エスプレッソを口に含みながら聞いてみると、いつもの勝気で元気な顔に影が差した。
「すまん、話したくないことなら無理にとは言わないが……」
「ううん、大丈夫。私自身、この話を誰かに聞いてもらいたかったし、ちょっと暗い話だけど聞いてくれる?」
無言で頷くと、シエルはまだ小さいころのことだと話し始めた。
「この王都で産まれて、なに不自由なく暮らしていたんだけどね……ちょっとした旅行で煉瓦に囲まれた王都から自然豊かな森にある別荘へ遊びにいったときに、闇に属するオーガっていう危険な精霊に出くわしちゃってね。必死に家族三人で逃げていたら私だけ迷子になっちゃって、それっきりお母さんとお父さんがどうなったのか知らないの……」
それからボロボロになって首都に戻ったシエルは生きていくために商会の雑用や屋敷の掃除などで生計を立てて行きていき、二十歳を過ぎたらスプレンドーレに入ったという。
「精霊との溝が埋まって、オーガみたいな言葉の通じない精霊とも対話ができるようになれば、悲劇はなくなる。その一心で白霧の山みたいな危険地帯にも率先して行って頑張ってたら、この地位まで上り詰めたってわけ」
表面上は明るい性格でも、一皮剥けば誰だって抱えているものがある。青葉はそれを思い知ると、力になれることなら何でも手を貸すと約束した。
「俺もこの世界で生きていくためにはどこかで腰を落ち着けなきゃいけないからな」
「なんなら、私の護衛にでもなる? 報酬は弾むわよ?」
それもいいかもしれない。マックダフから託された使命を終えてからも世界は続くのだ。就職ではないが、働き口は必要になる。
「前向きに考えとくよ」
二杯目のエスプレッソを飲み終わり、サンドイッチも食べ終えると、そろそろウンディーネの都合もよくなったかなとシエルは立ち上がり、会計をすませて光の聖堂へと戻ることとなった。
光の聖堂の二階に広がっている、まるで王様との謁見の間のような長細い部屋の奥には、水色の椅子に座り羊皮紙ではなく紙の書類に目を通している青く床につくほど長い髪と青いローブに身を包んだウンディーネが疲れた顔つきで青葉たちを出迎えた。マックダフと違い、バニッシュと同じような人間と変わらない姿をしている。
「こちらが、ネイバーの蒼海青葉とリャナンシーのエルピスです」
すっかりかしこまったシエルは片膝を付いてウンディーネに説明しているが、楽にしていいと口にした声は、今まで聞いた声の中で一番やさしい声音だった。
「はじめまして、私はウンディーネのランシールと申します」
挨拶をされれば返すのが日本人というものだ。シエルが先に紹介していたが蒼海青葉頭を下げて名乗り、エルピスも青葉を真似てか頭を下げた。
「それで、話があるとか聞いているが、具体的には何を話せばいい」
立場をわきまえろとシエルが小突いてくるが、ランシールがそんなにかしこまらない方が本当の姿を見られると制した。
「それに、私はマックダフやバニッシュ、シルフのアールズの中で一番年下ですからね。いつの間にか四大精霊などと呼ばれていましたが、三代前にステンツの国王となった者と精霊との確執をなくそうと誓っただけの、たいして力も持たない一人の精霊ですし」
ランシールはそのままエルピスを見ると、微笑んで遠くを見るような目つきになった。
「四大精霊など、もう古い人々が決めたものです。これからの時代は、あなたのように力を持った新しい精霊たちが――それこそ人霊でも、前に立って融和を進めていくべきだと、私は思うのです」
「古いとはいえ、四大精霊にそう言われると自信が湧いてくるよ」
敬語を使えとシエルは言いかけたようだが、ランシールの言葉を思い出してか口を閉じた。
「それと、白霧の山を登り切ったネイバーの青葉ですが――清く正しい心を持っていますね。その二振りの刀とやらが悪意を持った者の手に渡らなくて、本当によかった」
心を見通せるのか驚いていると、ランシールは言葉を続けた。
「マックダフから聞いているとは思いますが、大昔よりパーガトリーを――更には白竜アルブムの守る天国の扉の先に広がる世界を支配しようとする悪意と闇を心に宿した魔が存在します。そして、四十年程前でしょうか。クラッドを名乗る魔を信仰する一団が現れ、黒竜アートルムは闇と魔の力に飲まれ、己の役割を忘れてしまった。私たちはアートルムと対話をして正気に戻そうとしていますが、上手くいく兆しは見えません……もしどうしようもなくなったら、その刀で闇と魔の力に飲まれたアートルムを斬ってください。しかし、殺してはなりません」
どれだけ巨大な竜だか知らないが、黒斬りは闇を斬る刀だ。黒牙一閃で翼を斬り落とせれば勝ち目は見えてくる。しかし、殺すなとはどういうことだ?
「疑問も分かります。ですが、アートルムが死ねば地獄の門が開かれ、この世界を維持している理が崩壊し、世界が壊れます。その隙に我々が魔と呼ぶ地獄の住人――悪魔がパーガトリーに押し寄せてきます。殺すのではなく封印するのが、私たちの計画なのです」
ただぶった斬るなら簡単な話だったが、殺すなとは面倒な話だ。光の聖堂に鎮座していた竜の姿は長細い蛇のようなものではなく、足も腕もある最新の研究で羽毛があったものなどとは違う、ジュラシックパークに出てくるティラノサウルスに翼が生えたような姿だった。そんな相手と戦うかもしれないのだ。対話が上手くいけば青葉の出番はないが、覚悟しておく必要があるかもしれない。
そんな時だった。扉を乱暴に空けて息を切らした青い刺繍の入ったローブの男がランシールへと駆け寄っていくと、緊急事態だと声を荒げた。至急、国王と騎士団長を交えた話し合いが必要だとも騒いでいる。
「シエル、お二人を別室に通してからあなたもついてくるのです」
わかりましたと答えたシエルは、なにが起こったのかは後で話すからとベッドのある部屋に案内されると、走って戻っていった。
「嫌な予感がするね」
「奇遇だな。俺もだ」
とはいえ部外者である青葉たちは待つことしかできない。仕方なく用意されたベッドで横になると、これから何が起こるのかと頭痛を覚えながら布団に包まり、話し合いが終わるのを待った。




