バンシー
疲れた。非常に疲れた。契約者となって何倍にも膨れ上がった体力をもってしても、シエルを同行させるのは夏場に一度だけやった引っ越しのバイト以上にハードだった。
エルピスが説明してくれたドライアドを見ては樹皮を舐める様に観察して、怒ったのか根っこに絡まれそうなところを咄嗟に飛びこむように助けて、ネレイドを見れば下に履いていたスカートをめくって水の中へと入っていき、邪魔だと思われたのか水流に飲み込まれたところをびしょ濡れになりながら助けに入った。それを昼間から夜になるまで、懲りずに何度も繰り返していたのだ。
それから暗くなり、慣れているのか焚火を起こしたシエルへ、炎で温まりながらため息を吐きだす。
「悪いことは言わないから、さっさと山を出な」
なにやら今日あったことを記録しているシエルに忠告するが、悪びれる様子も反省する様子もなく、まだあと二、三日はついてくると言っている。
「ワイバーンならこの笛を鳴らせばいつでも来てくれるけど、まだ出会ったことのない精霊や人霊に会いたいのよ」
「ならせめて、こいつみたいに静かな奴だけにしてくれ」
エルピスを指差すが、スリルがあるから観察のしがいがあると跳ね除けた。
「まあ、いいんじゃないかな。ボクとしてはこれから先青葉と生きていくわけだから、スプレンドーレに貸しを作っておくのは損にはならないよ」
「まず山を登ってからの話なんだが……それにしても、そんなに大層な連中なのか」
「当たり前だよ。なんていったって四大精霊の内の一人、ウンディーネが指揮を執っているからね。王都ステンツにも入れるし、身柄を保護してくれる相手としては最高なんじゃないかな」
分かっているじゃないと、シエルはエルピスと打ち解けているが、正直言って足手まといだ。だからといってこの山を登り終えた後に行ける場所があるということは精神的にも前向きになれる。
しかし、少しひっかかるのだ。契約しているとはいえ、ここまで順調に来られていることが。マックダフは護衛をつけてもいいと言っていたし、村にやってきた貴族も騎士を連れていた。それでも登り切った人がいないというのはおかしい。それに、登るだけとはいえ誰かと遭遇してもいいはずだ。昼間に立ち寄った水辺のようなところで飲み水を補充するような人がいてもおかしくない。
嫌な予感がする。シエルとエルピスが談笑している夜に、一抹の不安が心に宿った。
朝が来て、シエルが持ってきた遠出用の携帯食料を食べてから進むこと三時間ほど、日が頂点に登り切りそうな時間帯に、異常は起きた。青葉は荒い輪郭だけしか見えなかったので気が付かなかったが、土に宿る人霊を探して草木を分けていたシエルが声をあげてのけぞっていた。
「今度はなんだ」
また人霊を怒らせたのかと呆れかけたが、エルピスもそこにあるなにかを見ると、言葉を失っている。
「この臭いは――血か?」
分けられた草木のあいだから漂ってきた血の臭いを、契約で敏感になった嗅覚は逃さなかった。屈んでなにがあるのかと見れば、人の輪郭が倒れている。
「あ、あんたら……人間だよな」
今にも途切れそうなか細い声で、倒れている人は確かめるように手を伸ばしてくる。
「動いちゃだめよ!」
シエルがその手を取ると、その手で塞いでいたのか、腹から白黒だが血が流れ出てくる。
「エルピス! 回復魔法だ!」
「わかっている! シエル、甲冑を脱がしてあげて!」
甲冑と聞いて騎士なのだと理解していると、シエルが器用に脱がしていく。だが、エルピスは動かなかった。
「なにしてる! お前ならできるだろうが!」
骨折も吐血も治せたのだ。流血くらいならなんとかなるはずだ。しかし、エルピスとシエルは押し黙っている。
「……もう、無理だよ」
エルピスは、体中に剣で斬られたか貫かれた傷があり、出血量からして死は免れないと言う。
「せめて、苦しまないようにだけはしてあげるよ」
エルピスが騎士の頭に触れると、だんだんと眠るように体から力が抜けていっているのがわかった。
「ありがとなぁ、人霊さん……でもよぉ、この先にも仲間が戦っているんだ……馬鹿みたいに強くて、一方的で、怖くて俺は逃げちまったがよぉ……助けて、やって……くれない……か……」
ガクリと、首は支えられる力を失って倒れた。シエルは屈んで、なにも言わずにその目を閉じてあげると、どうするかと青葉を見上げた。
「もしも、この先にいるらしい人たちを助けに行くならば、忠告しておくわ。この山にはどんな精霊や人霊がいるのかわからないから、契約者だとしてもどうなるか想像もつかない」
「見捨てろ、とでもいうのか?」
青葉の瞼が開いていれば、おそらく怒りが宿っていただろう。一方的な力とは、青葉を怒らせるのに十分だった。
「行くとして、青葉は剣を抜けるのかい?」
マックダフから託されて一か月以上なにも斬っていない荒削りは、今もベルトに挟んである。それを抜けば、契約者としての力も合わさって、こちらが一方的に剣を振り下ろすかもしれない。だが、ただの大学生に剣で何かを斬れというのが滅茶苦茶な話なのだ。青葉の信念も加われば、斬るという行為が一層難しくなる。
「――なにがいるのかはわからないが、力を見せつけて穏便に済ませる」
「なに甘いこと言ってるのよ! 下手すれば死ぬのよ!」
「それでもだ! 俺の世界では人の生き死にに剣で斬り合うようなことはなかったんだから仕方ないだろう!」
本音を打ち明けると、シエルはため息を付く。これを機にワイバーンを呼んで帰ってくれれば一石二鳥だ。だが、青葉の期待は裏切られた。
「まず一に、一人の人間として見捨てるなんてできない。二に、一日とはいえ何度も助けてくれた盲目のネイバーとリャナンシーを放っておけない。三に――それほど強い精霊か人霊がいるのなら、この目で観察しておきたい」
最後はどうでもいい理由だったが、シエルも怒りを覚えていて、借りもあると自負している。
「来るというのなら、ウィスプとやらが使う防護壁について教えてくれ。戦いになれば、剣よりも盾の方が役立つかもしれないからな」
言うと、ウィスプとは光の聖堂にいるウィスプの母のような精霊から生まれ落ちた人霊であり、光の球体となったウィスプが前に出て壁となってくれるらしい。その範囲と継続時間を詳しく問いただすと、頭の中でイメージする。聞いた限りでは前面に直径が二メートルほどで百八十度ほどの半円が展開されるようだ。破壊されたらウィスプ自身が消滅してしまうが、光となって光の聖堂で転生するときた。それならば気にせず使えるというものだ。
「時間を食っちまったな、急ぐぞ」
エルピスが見つけた血痕を頼りに山の斜面を登っていくと、次第に腐臭と血の臭いが風に交じって飛んでくる。エルピスはなにかに気が付いたようだが、それを待たずに開けた場所に出た。平坦で木々も少ない山の一角には、二十名ほどの人影が倒れている。
「不味い……これは不味いよ!」
エルピスがそう言った直後、視界の奥で倒れていた人影がゆらりと立ちあがった。こちらを向くが、体から流れ落ちている流血が尋常ではなく、サラマンダーと対峙した時のような悪寒が脳裏を駆け巡る。しかし、それは遅すぎた。
周りに倒れていた人影たちもユラリユラリと立ち上がる。だが、奥にいる一人と違って人形劇の様に空から糸で操られているような、不気味な立ち姿だった。
「エルピス、あいつらは……なんだ」
シエルも知らないようで、二人して固唾を飲んでエルピスに問うと、覚悟を決めるべきだよと肩から飛び上がった。
「まず、ここにいる人たちはみんな死んでいるよ。だけれども、あの奥にいる騎士に宿った人霊が、死体から離れていくべき魂を無理やり繋ぎ止めて意のままに操っている。その人霊の名は……バンシー」
聞いたことがあると、シエルは声を上げた。
「人霊の中でも一二位を争う凶悪で残忍な人霊。契約を人間の意思と関係なく無理やり結ばせて、人殺しを楽しむ危険な人霊……」
考えが甘かった。穏便に済ませるなど、所詮それは日本での話だ。例を挙げるとしたら、どんな争いでも警察という力を交えて解決させることだろうか。つまり青葉にはまだ、日本にいた頃の根本的な思考が残っていたのだ。逃げるかと背後へ目をやるが、囲まれてしまっている。
「全員甲冑に身を包んでいるよ! でも斬られた跡から削げ落ちているのがほとんどだ! その細い剣なら戦いにはなる!」
エルピスの声に、荒削りを抜こうとした。だが、どうしても抜く勇気が出ない。そんなまごまごしている内に、奥にいるバンシーが宿った死体が声を発した。
「いいねぇいいねぇ、この山は本当に得物だらけで助かるよ。私の殺戮衝動を満たすのには、絶好の場所さねぇ」
ねっとりとした女の声は、騎士ではなくバンシーの声なのだろう。こういう輩が、きっとこの山の壁として立ちはだかっているのだろうと疑惑は晴れた。
せめて無用な争いはやめないかと声に出そうとしたとき、囲んでいた騎士の一人が斬りかかってくる。人形の様にぎくしゃくした動きなので、シエルを抱えながら避けることはできたが、今度は一斉に襲ってきた。
「殺すんじゃないよ、とどめは私がさすからねぇ」
即座に右側面をウィスプによる防護壁を展開させたシエルのおかげで半分は足止めできた。問題は、もう片方からやってくる連中だ。
「クソッ!」
結局荒削りを抜けずに、蹴りや拳で対応する。ノイズ越しでも近距離なら区別はつくので丁寧に攻撃するが、相手は甲冑を着ているのだ。いくら契約で力を得たといっても、鉄で作られた甲冑を砕くなんてできない。
「青葉! 覚悟を決めて!」
「しかし……」
魂が残っているのなら、斬れば人殺しだ。一方的に操られて、一方的に斬り殺される。そんな真似は、頼まれない限りは……。
背後で、防護壁を乗り越えてきた死体がシエルに襲い掛かる。それを守らんと、ウィスプは光の球体となって死体たちに体当たりをしたが、剣に斬られて消滅した。エルピスも不器用に振るわれる剣からヒラリヒラリと避けてはいるが、時間の問題だ。
青葉は、ただ荒削りを握りしめている。殺せない。どんな形であれ、意思のある罪のない人は殺せない。
俺は――。
「――なら、聞かせてやろうかの」
どこからともなく声がした。よく聞けば、それはマックダフの声だった。
「どこに!」
辺りを見れば、死体たちもバンシーも動きを止めている。シエルとエルピスも、なにが起こったのかわかっていないようだ。そんな戦いの止まった渦中に、いつのまにかマックダフが立っていた。
「あんた、どうしてここに……」
当然の疑問を投げかけると、エルピスとシエルが同時に声を上げた。ノームと。バンシーも舌打ちをしている。
「なに、戦いの邪魔をしに来たわけじゃない。ただ、あの崖下からここまでやってきたネイバーに賭けてみたくなっての」
マックダフは指を鳴らすと、途端に囲んでいた死体たちから声が聞こえてきた。殺してくれ、苦しい、地獄だ……数多の苦悶の言葉が、死を望むように青葉へと向けられている。
「お前さんの抱えている迷いは見させてもらった。一方的な力を嫌い、自分もそういったことをしない。だがの、お前さんが一方的に戦わないのなら、スプレンドーレの娘も、リャナンシーも死ぬ。まわりで苦しみもがいている者たちも、お前さんがバンシーを斬らねば、これから先死ぬ程の痛みを抱えたまま生き続けることになる」
「だが、俺は……」
拳を痛いほど強く握りしめ、歯を食いしばる。マックダフの言葉は正論だ。それがわかるからこそ、迷いも生じる。
「よく聞け、お前さんの一刀にどれだけの人間の命が乗っていると思っておる。ここはもう、お前さんのいた世界ではないのだ。せっかく拾った命と、か弱き友と女と、これだけの死を望む声を見捨てるほどに、お前さんは頑固で臆病なのか? この世界で生きていくのならば、覚悟を決めるのだ。一方的な力に抗う、守るための力を振るう者として」
守るための、力……。思えばサラマンダーに、バニッシュ相手に戦える力があれば、あの村とエルフは救えた。斬る覚悟があれば、もっと早くにここまで登って来て、バンシーに襲われる前にここにいる騎士たちも救えた。そして今、救えるはずの命と、死を望む命を、青葉は背負っている。
『一方的な力に抗ってやると覚悟していた。それに挑戦すらできないまま死ぬ事だけは無念だった』
今の言葉は、青葉が日本で死ぬ直前に感じたこと。今の自分なら、このバンシーという一方的な力にも抗って、挑戦できる――。
気が付くと、マックダフは姿を消していた。代わりに動き出した死体たちと、邪魔者はいないと調子づいたバンシー。エルピスとシエルに死体たちが襲い来る中、青葉は荒削りに手をやった。
「――秘剣、無双乱舞一の太刀」
荒削りを目にも止まらぬ速さで引き抜くと、足から腰、胸も頭も荒削りを覆い囲むように体を捻り、その反動で刃を振り払。刀の届く死体たちは首が真っ二つに斬られ、青葉は鮮血をその身に浴びると、反対側にもう一度体を捻る。
「ありが……とう……」
斬られていった死体たちは、体を維持するのも難しくなってかバンシーの力から解放され死んでいく。最後に礼だけを残して。
剣道場で一人、誰からの教えもなく編み出してきた、たくさんの所謂必殺技、それが『秘剣』だ。まさか本当に使う日が来るとはゆめゆめ思っても見なかった。だが、今ならあの無駄と馬鹿にされていた秘剣を存分に振るえる。
「秘剣、無双乱舞二の太刀!」
反対側に捻った体でもう一度同じ姿勢を取ると、一歩踏み込んでさらに遠くにいた死体たちの首を斬り落としていく。そのみんなが、青葉に感謝しながら倒れていった。
バンシーも、エルピスもシエルも唖然としていた。おそらく見たこともないであろう日本刀による斬撃を、それぞれが目にしたまま止まっていた。
「俺はこの世界で生きる。たとえ矛盾を孕もうとも、信念を捨てようとも、俺は俺が守りたいもののために戦う!」
守るための刃。抑止力としての刃。とにかくいろいろな呼び方はあっても、青葉に覚悟を持たせる理由にはなってくれた。
後はすべての死体が倒れたことにより、バンシーが宿る一人だけとなった。
「なんだか知らないけれど、戦うのなら注意してね」
バンシーへと歩きながらエルピスが寄ってくると、宿っているのが死体とはいえ契約者に変わりはないので、今斬った連中とは違うらしい。
「もう覚悟は決めた。あとはただ、全力を出すだけだ」
秘剣、雷突き。文字通り突きを雷の如くひび割れるように振動させ、防御を超えて貫く技を構えながら突っ込んだ。しかし、ノイズ越しではどこが甲冑だったのかまでは見ることができず、荒削りは契約者となった青葉の力と鉄への衝撃で折れてしまった。
「は、ははは! なにをしてくるのかと思ったら、自滅するとは……え?」
バンシーが宿っている体の首から上と下がわかれて、頭が地面へと落ちていく。なにが起きたのか理解できていなかったバンシーは、宿ることができなくなった体から這い出てきた。
「秘剣、折れ太刀……まさか使える日が来るとはな」
雷突きはいわば捨て駒だった。甲冑を着込んだ猛者を相手に、日本刀では距離を詰めなければ勝負にならない。だからあえて、状況のつかめていない相手に突きで攻撃することにより近づき、折れて飛んだ剣先を掴んで首を斬る。当然手のひらは血だらけになるが、青葉にはエルピスがいる。そして目の前には、宿るものがなくなって呆然と立ち尽くしている人霊としてのバンシーが佇んでいた。
「お前は、これだけの人を殺戮なんてものを楽しむ為だけに殺し、死者への尊厳を踏みにじった。今死んでいった騎士たちの命の安寧と、これから先この山へ挑む者を守るため、お前を斬る」
待てと言おうとしたのだろう。翼をはためかせたバンシーだったが、折れた荒削りによってその身が貫かれた。
「地獄で亡者の相手でもするんだな」
荒削りを引き抜くと、バンシーの体はパラパラと砂の様に崩壊していった。
一件落着。そう思って血まみれの右手のひらを開くと、エルピスが何やら困惑している。
「これは……?」
気のせいかとも思ったが、先程消滅したウィスプと、たった今消滅したバンシーが残していった砂のような粒が、エルピスを取り囲んでいる。エルピス自身もなにが起きているのかわからないようだった。それでも、その粒はエルピスに吸収されるように体へ溶けていくと、視界に大きな変化が起こった。何本にも分かれていたノイズの視界が急速に一本の線へと収束して、今までは見えなかった遠くの雲や山の頂が白黒で少し荒れてはいるが見えるようになった。
「なにが起きた?」
「ボクにもわからないよ」
そうしているとシエルも死臭が漂う中を寄ってきて、エルピスを見た。
「今のって、もしかして……」
顎に手をやり考え込んだシエルの問いに答えるように、マックダフが突然姿を現した。
「スプレンドーレの娘が考えている通りだ。リャナンシーのエルピスは、ここに『成長』した」
もしくは吸収か、などと口にしているマックダフに、人霊は成長しないのではないのかとエルピス自身が聞いている。それと、なぜノームがここにいるのかも。
「そういえばお前さんには言っとらんかったな。ワシこそ四大精霊の一人ノームだ」
知らないうちにとんでもない人――精霊と出会っていたようだ。エルピスもシエルも色々と聞きたいことがあるようだが、エルピスの変化についてだけ答えると、喉を整えていた。他のことは自分たちで調べろと。
「リャナンシーは非常に数が少ない。それにひ弱で、宿れるのも人間の男だけだ。だから今までリャナンシーと契約した者は少なく、真実は隠されていた」
「もったいぶらずに教えてくれよ」
「そう急かすな。簡単なことなのだよ。そんな弱い人霊と契約した者にだけ与えられるプレゼントのようなものでな。リャナンシーは他の人霊の力を我が物にして成長できるのだよ。それも今回はバンシーとウィスプの二つだ。だから、ワシのかけた盲目の魔法も解けかけておる。契約者であるお前さんも、より強くなったろう」
ためしにウィスプの防護壁を出してみろというので、エルピスは半信半疑集中すると、目の前にはいくつもの防護壁が展開された。ウィスプのように一つではなく、たくさんだ。
「ボクの、新しい力……!」
成長できる人間が羨ましいと言っていたエルピスからすれば、なによりもうれしいことだろう。そのすべては、青葉の覚悟がもたらした奇跡という結果だった。
「さて、お前さんは本当に面白い人間だ。最近のネイバーは弱いと聞いていたというのに、契約者となり、あれだけの数を相手に打ち勝ち、バンシーまで超えた。正直期待しておるよ。お前さんなら白霧の山を登り切り、すべてを託せるかもしれんとの」
すべてとはなんだと聞いても答えないだろうから聞き流したが、今の戦いで荒削りが折れてしまった。指の怪我はいつの間にかエルピスが治していたが、二本に折れた荒削りをどうするか。とりあえず拾おうとすると、マックダフが止めた。
「期待しておると言っただろう。バンシーとの戦いは平等にするだけしか手を貸さなかったが……今のお前さんなら託してもいいかもしれんな」
マックダフはどこからともなく荒削りとは違い鍔のある日本刀を取り出した。
「本当は登頂した者に渡すつもりだったのだが、色々と事情があってな。もうあまり時間もないから、お前さんに半分賭けることにするよ」
「半分?」
「登頂すればもう一本やるというだけだ」
そう言って渡された日本刀を見て、エルピスは鞘が真っ黒だと口にした。
「名は黒斬り。特別な鉱石で打った必ず折れない刀だ。よいか、よく覚えておくのだぞ、黒斬りならば精霊も人も容易く斬ることができるだろう。しかし、スプレンドーレの白い光がこの世界を照らす中、クラッドのように闇に紛れて影の様に生きる者たちがおる。悪意を持ち、力も持ち得る存在のことだ。時にそういった存在はただ斬るだけでは斬れぬことがある。そういったものを斬ることこそが、黒斬りの役目だ。だが、お前さんに抜けるかの……」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。黒斬りはその性質故に、抜く者を選ぶ。ためしに抜いてみろ」
言われるがまま、受け取って引き抜こうとするが、ほんの少しですら鞘から離れない。力ずくで引き抜こうと踏ん張っていると、頭を使えとマックダフは言う。
「黒斬りと対話するのだ。声を聞くと思ってもらえればそれでいい。とにかく、黒斬りの声を聞く努力をしろ。さすれば斬れぬものはないだろう」
黒斬りからなんとなくなにかを伝えたいという意思は感じ取れるが、このままでは普通の戦いで使える刀ではない。
とりあえずベルトに挟むと、マックダフは山頂を見上げた。
「あえて一つだけ、この山に乗り越えるべき壁を残してある。今回の様に迷っていては勝てない相手だ。だが黒斬りを託した以上、負けるなよ」
それだけ言うと、マックダフの姿は忽然と消えた。
「ノームは土の中を自由自在に移動できるってウンディーネ様から聞いたことはあったけど、とてつもなく速いわね」
そういう理屈で消えたのかと納得しがたいが、とにかく窮地は去った。しかし荒削りは折れて、黒斬りは抜く事すらできない。
「一本借りていくか」
バンシーが宿っていた騎士の剣と鞘を拾うと、両手を合わせて頭を下げた。
「なにしてるのよ」
「俺のいた世界では、死者にはこういうふうに接するんだよ」
「そう、じゃあいつか聞かせてね、そっちの世界の話」
さて、とシエルは体を伸ばすと、もうこんな臭いところにはいられないと、ワイバーンを呼ぶ笛を鳴らした。
「いい? たくさん聞きたいことがあるんだから、絶対に登り切ってステンツにあるスプレンドーレの光の聖堂にくるのよ!」
「調査はもういいのか」
「ドライアドにネレイド、成長するリャナンシーにバンシー、ノームまで見られたんだから、ボーナス出ちゃうかもね」
途端に現実な話に戻って肩を落としたが、気長に待っていてくれと握手を交わすと、光の聖堂に入れるよう、見えないがシエルの名が書かれた紹介状を受け取った。
「それじゃ、頑張ってね」
ワイバーンが臭くて嫌な顔をしているようだが舞い降りて来てくれたので、シエルはそれに乗って去って行った。
かくして、青葉の覚悟は決まり、エルピスも成長できた。この先になにが待ち構えているかはわからないが、乗り越えていくと心に決めて、まずは血を洗い流そうと水辺を探した。




