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夢の続きは山登りから  作者: 二宮シン
3/13

最弱との契約

体が、痛い――崖から落下して受け身もとれずに地面と激突した衝撃で、体のいたるところが悲鳴を上げている。エルフは青葉だけでも生きてくれと最後に残したが、こんな様じゃ立ち上がることもできない。

 ――だというのに、なぜ崖下の泥に塗れながら地面を這っているのだろうか。立ち上がる力もなく、崖を登るなんて無理だというのに、まだ諦めていないのか?

 ――いや、もう心は折れそうだ。思えば一方的に跳ねられて、天国にも地獄にも運悪く行けずに転生して、全く知らない世界に放り出された。どうにか今までの積み重ねを生かしてこの一か月を生きてきたが、赤ん坊が自然と言葉や世界を知るように何もかもを覚える事など、どだい無理な話だった。

 それでも青葉は地面を這い続けた。諦めという名の絶望に身を沈めさせないため、もう右も左もわからないというのに、心が折れないように、ほんの微かでもいいから希望を見出すために。

 だが、世界とはどこもかしこも残酷で理不尽なものなのだ。泥を踏みながら歩いてくるビチャビチャとした足音が近づいてくると、青葉は顔をあげた。そこには、マックダフが哀歓を帯びて佇んでいる。

「お前さんも、ついていないな」

 マックダフは静かにそう言うと、崖の下から白霧の山を見上げている。

「ネイバーで、傷だらけのお前さんくらいなら見逃そうとも考えた。だがな、それでは今までこの山に挑んでいった魂たちへ示しがつかん」

「おい、ちょっと待ってくれ……もしかして、崖に落ちただけでも白霧の山へ入ったことになるのか」

 言葉を出すたびに胸のあたりが痛む青葉へ、マックダフは例外など許されないと返してきた。

「登ることなどできないのは、見ればわかる。だが、ワシも責任を持ってこの山と過ごしてきたのだ」

 マックダフは片手を青葉に向けると、許せ、とだけ呟いた。その次の瞬間には、青葉の両目から光は失われた。

「あ、あああ……」

 底知れぬ闇が、眼前のすべてを覆っている。青葉はあまりの仕打ちにうめき声を出す事しか出来なかった。

「線香を、もう一本追加しなくてはな」

 マックダフの声がそれだけ聞こえると、なんとなく感じていた気配が消えた。それは、この崖の下に這うことくらいしか出来ない体と、視力を失った、異世界転生だというのになんの力もない一人の男がいるということだけだ。

「ちくしょう……」

 青葉の心を支えていた最後の一本は折れた。そのまま記憶の視界を頼りに崖の断面にまで這っていくと、骨が折れている両手に力を込めて起き上がり、断面に背を預けて座り込んだ。せめて死ぬのなら、泥に顔をうずめるのではなく、人として座ってだ。

「ふうぅ……」

 もっと錯乱すると思っていた。目が見えなくなればのたうちまわって泣き出すとも思っていた。しかし、青葉は一度死んだ身なのだ。もう一度死ぬ事に、不思議と恐怖は感じなかった。今度こそ、天国か地獄に行けるのだから。



 ――この声が聞こえているかい。


 ――まだ、生きているのだろう。


 ――それとも、諦めてしまったのかな。


 なんだ、誰だ、この声は。両目が光を失って、体感では丸一日座りっぱなしだった青葉の近くから、気配はないが声が聞こえる。中性的で、弱弱しく、小さい。そんな聞いた覚えのない女性の言葉に、乾いた喉を振り絞って放っておいてくれと口に出す。


 ――すまないけれど、ボクも放ってはおけないんだ。


 なぜだ。青葉は咳き込みながらも声にすると、小さな声の主はもうすぐ死ぬからと囁いた。

「死ぬのは、俺の勝手だ」

 唾液を飲み込んで言葉を紡ぐと、それは違うと小さな声の主は言う。


 ――死ぬのは、ボクの方だよ。ボクはとても弱いから。


 誰だか知らないが、こんな日の光さえ届かないであろう陰気な場所で死ぬのは残念なことだろう。

「あんたの名も知らないし、姿も見えないが、俺と同じだな……俺も弱くて、死にそうだ」

 人間は飲まず食わずなら何日間生きていられるだろうか。少なくとも一日で胃の中は空っぽになり、痛みも麻痺してきている。そしてとても退屈だ。死ぬ程退屈とは、こういうことを指すのかもしれない。

「もっと近くで、なんでもいいから話してくれ。さっきから声が遠くて聞こえづらい」

 そうかい。小さな声の主がそう言うと、右肩がほんの少し重たくなった。

「すまないけれど、もう飛んでいる力も残っていなくてね……このまま肩に座らせてもらって構わないかな」

「別に気にはしねぇよ。しかしあんたは、いったいなんだ? 俺はネイバーだから知らないことが多くてな。それでも、最後を共にするかもしれない相手のことくらいは知っておきたい」

 そして咳き込むと、喉の奥から血の味がした。落下した際の怪我か、飲まず食わずだから食道のどこかが傷ついたのか、生まれて初めて、死ぬ前に吐血というものを体験した。

「大丈夫、じゃないよね。でも、せめて……」

 小さな声の主は首に触れると、そこから温もりが体に伝わった。喉から胃へ、血液に乗って腸や心臓にも優しい温もりが流れ込んでくる。

「今のボクの魔法では、苦痛を紛らわすことくらいしか出来ないけれど……どうかな」

 穴があきそうだった胃も、骨が折れたのか痛み続けていた胸周りも楽になる。もしこのまま眠るように死んでいければ、どれだけ楽だろうか。しかし、小さな声の主は耳元で荒い呼吸をしている。

「ずいぶんと辛そうだが、なんとなくわかってきたよ。さっき飛んでいるのがやっとだとか言っていたから、あんたは人霊か?」

 見えないのによくわかったねと口にした小さな声の主は、喉にもたれかかっている。

とはいえ、人霊とは人に宿り生きていく妖精のような小さな精霊の総称。村人から聞いた限りでは様々な種類の人霊がいて、各々が違う魔法とやらを使うらしい。それによって人間に宿るための契約を結んで、互いが今までよりも強くなれるという理由で共存しようというのが人霊の大義名分らしいが――。

「俺を乗っ取らなくていいのか」

人霊たちのほとんどが抱いている野心にも似た感情。小さく弱い人霊としての体を捨てて、契約を結ぶことにより人間の体の――意識や魂の中にさえ入りこみ、寄生虫の様に体を乗っ取る。木や水に宿るのは、まだ人を騙して契約を結べていない人霊たちが避難先にしているだけ。この肩にいる人霊の苦しんでいる呼吸も、演技かもしれない。青葉の苦痛を和らげ、それによって苦しんでいるように思わせて、互いが困っているからと契約を結ばせる。村人から聞いた話では、そういうことは当たり前のように行われており、人霊は信じるなと強く言われたものだ。

 けれど、例外もある。心の底から人間と共にありたいと願う人霊や精霊と、それを受け入れた人間が『契約者』と呼ばれ、人間の限界を超えると。

 この肩にいる人霊はどうなのだろう。乗っ取りに来たのか、本当に飛んでいるのも限界な程に弱っているのか。

「……ボクたち『リャナンシー』は、他の人霊と違ってとても弱く、木々や湖を仮の住まいにできない。人間の男性にしか宿れなくて、一人ではこの世に生まれ落ちてから二十年も生きていられないんだ。ボクも、もう十四だからね。もうあまり長くない……それでも、リャナンシーとして人間と契約して役に立ちたかった。それこそが、全てのリャナンシーが抱く願いだから」

 嘘をついているようには聞こえない。いや、仮に嘘をついていてもいいかもしれない。このままジッとしていても死ぬだけだから。

 青葉は深くため息を付くと、痛みが和らいでいる手でリャナンシーに触れた。

「こんな俺でよかったら、契約を結ぶよ」

 荒い息のリャナンシーは触れても特に動かなかったが、青葉の言葉に動揺が隠せないのか、体が跳ねた。

「ボクなんかと契約しても、せいぜい回復魔法が使える程度だよ」

 上ずっている声だが、しっかりと自分にできることを伝えた。もしも騙すのが目的ならば、そんなことは不利になるだけだからしないだろう。それに、この声からは嘘が感じ取れない。あるのは、ただ思いやりと弱さだけだ。

「十分だよ。それで、どうやったら契約を結べるんだ?」

「……本当に、いいんだね?」

 大丈夫。青葉はそれだけを口にすると、リャナンシーは名前を伝え合った後、自分の言葉に同意してくれれば契約は成立すると説明した。

「青葉――蒼海青葉だ」

 言われるとすぐに名を教えてやった。リャナンシーは本当に驚いているのか無言だったが、我に返ったのか一度噛んだ後、落ち着いて優しい声音で名乗った。エルピスと。

「ボク、リャナンシーのエルピスは、ここに蒼海青葉と契約を結ぶよ。同意してくれるかい」

「男に二言はない、契約を認めるよ」

 それがきっかけだったのか、僅かに残っていた体の痛みが消えていく。同時に肩に座っていたエルピスは飛び上がったのか、体の各所をクルクルと飛んでいるようだ。

 そしてだんだんと不思議な感覚に包まれていく。暖かく、優しく、それでいて力強い。これが契約というものなのか。

「契約を結んでくれた大切な人の体だからね。契約のおかげで怪我そのものを治せるようになったから、ちょっと待っていてね」

 小さな手のひらが四肢や腹、胸などに触れていくと、折れていたはずの骨がくっつき、痛みが続いていた胸周りも楽になっていく。誤魔化しているのではなく、本当に怪我が治っている。それに、空腹だった胃の中も満たされていった。

「やはり、契約の力はすごいね。これなら大抵の怪我ならすぐに治せるよ。それに、青葉も契約者となったのなら、体に変化が起きたかじゃないかい?」

「腹が減らなくなったのも、そのおかげか」

「おそらくは、そうだろうね。それじゃあ、最後にこの目を……」

 と、瞼に触れたエルピスだったが、何やら唸っている。

「どうした」

「その、この両目にかけられた魔法がボクとは段違いで、治せたとしても中途半端になると思う」

 マックダフの力だとしたら、何百年も生きている精霊の力なわけで、契約がどれほどエルピスに力を与えたのかは知らないが、十四歳では届かないのだろう。それでも、中途半端でいいから治してくれと頼んだ。

「少し、集中するよ」

 両手のひらで両瞼に手をやると、一瞬光が走った。そしてポツリポツリと暗闇に穴が開いていったが、エルピスが強く両手のひらを押し込むと、一気に変化が起きた。

 視界がアナログテレビのノイズの様な細く荒れた線で映し出されている。辺りを見回せば、崖の上のような遠くはノイズが激しくて識別できないが、すぐ近くの木々や自分の手や足は何本もの線で白黒だが輪郭だけなら見える。エルピスも、小さな体と羽が線として見ることができた。だが、目を開けると何も見えなかった。瞼を閉じていなければ、このノイズも見えないようだ。

「しかし、体も軽いな……これなら、もしかすると……」

 一日座りっぱなしだった崖の断面から離れて立ち上がると、ためしに飛び上がってみる。すると、大きなトランポリンで跳ねたように体は宙へと登り、一回転して泥に着地できた。

「すごいな……!」

 これならできるかもしれない。白霧の山を登頂するという、今まで何百年と達成されなかった偉業を。登りきれば、両目も元に戻るはずだ。

「エルピス、だったな。悪いが、しばらく俺の勝手に付き合ってもらう」

「その勝手を共にするのが、契約者と人霊の関係だよ」

 エルピスの声にはもう、弱さはなかった。あるのは優しさと思いやりだけ。

「ここから、もう一度生きてみるか」

ちょっとだけ常人より強くなって、荒削りを持った青葉と、回復魔法を使うエルピス。 真の異世界転生は、きっとここから始まった。


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