エピローグ
『エピローグ』
あの戦いの後、シエルに無事だったと抱き着かれて二人して顔を赤くしていたら、そういうのは帰ってからにしてくれとエルピスが肩をすくめる。また鱗と命綱だけにしがみついて浸食の進んでいた大地を見下ろしながら飛んでいくと、暴れまわっていた精霊も、飲みこまれた町や村の住民も、夢から覚めたように茫然と立ち尽くしていた。
やがてアルブムを筆頭とする大きな街の前で繰り広げられていた戦いも、地獄の門が閉じたことで悪魔は力を失い、クラッドの連中はエミリー――アンネリーゼの呪縛から解き放たれて、戦いは終わっていた。激戦だったのだなと、見下ろす景色が物語っていた。木々が燃えて、地面は抉られて、もう一歩で街の市壁にまで到達していたのか、アルブムに放り投げられたあとよりずいぶん後退していた。それでも勝ったのだと、騎士や傭兵、スプレンドーレの聖職者たちは歓喜の声をあげていた。
それから一週間が経った。地獄に飲まれた町や村の復興と、亡くなった人々の数を記録して、パーガトリーのそこら中で葬儀が行われた。パーガトリーでは棺に亡骸を安置して、墓場に埋める。日本とは違うのだなと、王都ステンツでの葬儀に参加した時になんとなく頭に浮かんだ。その後もその前も酒宴が執り行われ、国王ユーランドが約束した通り舞踏会を王城で開いて、そんなところに来たことなどない傭兵たちが馬鹿騒ぎだったらしいが、青葉は行かずに光の聖堂の一室でぼんやりと寝ながらの日々が過ぎていった。
だがある日、国王ユーランドからの呼び出しがかかり、流石に断れないので寝癖を直しながら王城の謁見の間へと通されると、レッドカーペットの先に座るユーランドから感謝の言葉とアリオーヌ金貨百枚という、日本円にして二千万円の謝礼が用意されていた。
しかし、なんというか、青葉には金への執着心があまりなかった。アンネリーゼが死んで使命を終えてから燃え尽きたというか、とにかくそんな大金はいらなかったので、右から左へ、これから始まるエルフと人間との融和を取り仕切るスブレンドーレに寄付した。白霧の山へ挑む前に殺してしまったエルフへのせめてもの贈り物だ。
アリオーヌ金貨の詰まったどっしりとした革製の硬貨袋を受け取った聖職者は言葉を失っていたが、ピンハネするなよとだけ言い残すと長らく借りていた光の聖堂の一室でまたぼうっとする。やることもないので部屋の掃除をしていたら、扉をノックする音が聞こえた。
「入っていいぞ」
ならお邪魔するわよと、いつものローブ姿ではなく、茶色のホットパンツに紺色のロングブーツ、動きやすそうな半袖の服装と白く青い刺繍が入ったマントを羽織ってシエルが入ってきた。
「なんだ、その格好」
「そういえば、白霧の山では見えなかったのよね。初めて出会った時もこんな恰好だったんだけど、昇格してローブを着ていたから初お披露目みたいなものかな」
くるりと回って似合っている? などと聞いてくるシエルに、とっとと要件を言えと急かした。
「つまんない男ね、こんな美人が新しい服装に変えたのに褒めもしないなんて」
「ラブロマンスは苦手でな」
まあいいわ。シエルは部屋に入ってきてベッドに座ると、重荷を下ろしたとそのまま寝ころんだ。
「今回あんたをアンフェールまで届けたのと、それ以外にもクラッドに関しては色々と役に立ったからね。司祭より上に昇格しないかってランシール様から言われたんだけど、断っちゃった」
「殊勝なことで」
「いや、そういう意味じゃないのよ」
ならなんなのかと話しを待てば、降格してもらったと起き上がってニンマリと笑って答えた。
「今の私は司祭の中でも下っ端の下っ端みたいなものよ。でも、昇格していたら書類と睨めっこの生活が待っているだろうし、そのままの立場でも息苦しくってね。相変わらず私のことを上に見る人は多いけど、これからは、地獄の浸食で変化した精霊たちの調査に出るのよ。やっぱり私には現場仕事の方が性に合ってるからね」
それで早速ワイバーンに乗って飛んでいくようなので、屋上までついていって見送ってやった。この世界で初めてできた友達の新たな旅立ちを応援するために。
「いつ帰ってくるかわかんないから、またいつかどこかでね」
ウインクをしてサイドテールを風になびかせたシエルは雲の彼方に消えていった。
「いつかどこかで、ね……」
なんとなく詩的な表現が耳に残っている中、屋上へとランシールがやってきた。話があるというので、一旦屋上から降りて二階にあるランシールの部屋へ通される。
「まず大事な報告をします。地獄の門を守っていたマックダフの代わりとなる精霊が現れました」
平和すぎて忘れかけていたが、地獄の門はマックダフが時間稼ぎをしていたから閉じていたのだ。おそらく光と闇のバランスも。
「それで、どこの誰が引き受けてくれたんだ?」
マックダフとて四大精霊、そう簡単に変わりが見つかるとは思えないが、アルブムと話していた秘中の秘とやらがランシールの言葉で理解できた。
「雄であるアルブムと雌であるアートルムとの間にできた二つの卵が、丁度一週間前に孵化しました。竜とはあっという間に成長するもので、すでにワイバーンを超える大きさにまでなった黒竜がマックダフと変わり、アルブムがいい加減に疲れたと愚痴を零しておられたので、こちらも白竜が代わりを勤め始めたのです。アルブムも今頃は、どこかの空を自由に飛んでいることでしょう」
アートルムが雌だったとは知らなかったが、これでとうとう一件落着となった。後はどうするかと考えていたら、ランシールが待つように言う。
「あなた方二人はとても強く、世界を救った英雄です。ですから、人霊エルピスをバニッシュの居た席に招待し、蒼海青葉には騎士団に入ってもらい、いずれは騎士団長になってもらいたいのですが……」
四大精霊の仲間入りと、王都ステンツの騎士団団長。パーガトリーで地位や名誉だけを求めるなら、これ以上の誘いはないだろう。しかし、エルピスと顔を合わせるとお互いにニヤリと笑う。
「俺たちは弱い。パーガトリーに来てくたばりそこなったネイバーと、飛ぶ事すらできなくなった人霊だ。だが、俺たちは二人合わさると誰にだって、何にだって負けない力を得る。それは、俺たちが常に二人でいなけりゃ手にできない力だ」
だから、その誘いは断る。ランシールは若干動揺したように見えたが、すぐに表情は柔らかくなる。
「シエルといい、あなた達といい、今回の騒動で活躍した者は非常に謙虚ですね」
「謙虚というより、面倒くさがり屋なだけだ」
「似たようなものですよ。では、一つだけお願いします。これからは自由に生きてください」
微笑んだランシールの吹っ切れたような言葉に見送られて、部屋の外に出た。
「それで? ボクたちはこれからどうするんだい?」
金も寄付したので素寒貧に近く、せっかくの誘いは断った。しかし、エルピスの声には期待が籠っていた。
「いつまでも光の聖堂にいるわけにはいかないからな。新しい道を見つけるか」
「見つかるかな」
「見つけるとも」
そうして二人で笑って、部屋に残された荷物をリュックに詰め込んでいると、アンネリーゼの残したカセットテープと壊れたカセットプレーヤーが出てきた。
「許せる罪じゃないが、死んだのなら弔ってやらないとな」
黒焦げになったエミリーはアンフェールに野晒しで置いたままだ。だからせめて、この二つだけは、チラホラと花屋で見かけたドイツが特産地の花、青い花弁のヤグルマギクの下に埋めてやろう。
「それじゃ、行くか」
とりあえず、王都ステンツを出て稼ぎ口を探そう。この美しく輝く世界で生きていくためにも。
思えば、こうして検問を通ってステンツの外に出るのは初めてかもしれない。出る分には金がかからないので列に並ぼうとしたら、懐かしい顔が目に入った。
「あんた、まだステンツにいたのか」
よく見れば顔に痣のできている男は、白霧の山付近からステンツまで乗せてもらった行商人だった。
「その痣はどうしたんだ?」
どこか涙目の行商人は俯くと、ステンツでひったくりにあって財布が盗まれ、追いかけたら囲まれて身ぐるみを剥がされたと今にも泣きそうだ。
「な、なああんたら、ステンツを出るんだろう? なら、また護衛の仕事をやらないか? もう一人で街を歩くのが怖くて仕方ないんだ!」
「構わないが、財布がないんじゃ報酬なしになるのか?」
「そんなことはない! 商品なら無事だったから、これを近くの村で売ればいくらかにはなる! そこから支払うという形で、引き受けてくれないか……?」
丁度金もなく、移動手段も徒歩を覚悟していた青葉にとっては、乗せてもらえるだけでもいいのだが、どうせなら金ももらおうと契約の証として握手をした。
「改めて、ネイバーの蒼海青葉だ。計算も文字の読み書きも得意だから、取引の際には同席させてもらうといいかもしれない」
そういえば、最初に訪れたピヌ村でもそんなことをしていたなと振り返りながら、なら出発だと、荷馬車の荷台に飛び乗った。相変わらず動物の毛皮を取引しているようだ。
「ボクたち、どこまでいけるかな」
不意にエルピスがそんな事を言うが、答えは決まっている。
「どこまでもだよ」
崖の下から白霧の山を越えて、人々を襲うバニッシュも超えて、世界を覆い尽くす闇すらも乗り越えた。青葉たちは、これからも突き進んで行くだろう。未だ見果てぬパーガトリーの大地を。