第三話
働かざる者食うべからず。
三話目始まるよー
【前回のキーワード】
新トライアングル
俺は田所博吉。大学三年生で一人暮らしも三年目だ。大学生でその上一人暮らしならバイトしてるよねぇ? もちろんしてるさ! ザッツライトだ! 「いつまでも親に負担をかけられない」という立派な孝行心から、ではない。普通に自分の小遣い稼ぎだ。家賃もろもろは学生という身分振りかざして親の仕送り任せである。許せ、父さん、母さん。俺だって二十代の若者。遊びたいんです。まぁ、実のところ高校の頃から働いてますけども。もちろん校則NG項目。別に校則を破ってまで欲しい物があったわけでも金銭的に厳しかったわけでもないし、寧ろ小遣いだって十分にもらっていたさ。もらっていたけども……。
そう、あれは高二のちょうど今頃、当時付き合っていた彼女とメシを食いに行き、会計時にベリベリと財布を開け「俺が出すよ」と男らしく出たら、「どーせ親の金だろ!」と吐き捨てるように言われ、そのまま立ち去られてしまった。千円札二枚がきれいにゆっくりと落ちていった光景が、その時の彼女の表情とともに今でも鮮明に思い出される。以来、そのことが激しくトラウマとなってしまった俺は、弱冠高校生にして働く意識が芽生えてしまい、翌日、履歴書片手に即面接を受けに行った。何をとち狂ったのか、俺が正当かつミラクルな振られ方をしたカフェで、だ。いまだに店長にはそのことをネタにされ、入りたての新人ですら知っている始末(昼休憩時、コンビニで、「田所さん、もう財布マジックテープじゃないんですね」とにやにやしながら言われた時はさすがに死にたくなった)。しかもよりにもよってその時俺らの支払い受けてたのが店長だったもんで、事細かに事の詳細を言いふらして回るもんだからたまったもんじゃない。まぁ、いいんだけどね。そのおかげかお給料は通常より多く頂けてはいるから。店長曰く、ユニーク料らしい。トホホ……。
ちなみに俺のバイトスケジュールは、学校終わりの夕方と土日祝のフルタイム合わせて週五、六日である。多すぎ? いや、多くなったんだよ。
「ひろー! おかわりー!」
「自分で入れろ」
このあほのせいでな!
今までは俺一人だけだったからそんな必死に出稼ぎに行かなくてもよかったんだが、こいつが家に居座りぶっこいてからというもの、光熱費も水道代も電気代も倍に跳ね上がった(後日届いた明細見て思わず変な叫び声をあげたほど)。おまけに、ひょろい体のわりによく食うから食費がバカみたいにかかる。しかもこいつは人間になって米のおいしさに目覚めてしまい、何杯もおかわりしやがるから一日で三合炊きの炊飯器で三回も米を炊かなくてはならない。ここは相撲部屋か! 米は高いんだぞ! 猫は猫らしくツナ缶でも食っとけ!
そんな俺の嘆きなんぞ嘲笑うかのごとく、さらに最近は小麦のおいしさにも目覚めてしまい、パンや麺類と主食のレパートリーが増えた。加えてトーストにジャムとバターというベストコンビネーションを知ってしまったもんだから、余計に奴の食という欲に拍車をかけてしまう始末。おまけに食パンは近所で有名な老舗パン屋の五枚切りじゃなきゃ嫌だ! と注文にもうるさい。それを毎朝一斤ペロリと平らげてしまうんだから、家計はますます火の車だ。挙句、このあいだ美柑が「食パンにピーナッツバター塗ってバナナのっけるとおいしいよ!」と、余計なことを言ったせいで常備しとかねばならない食材が新たに二品増えてしまった。
だから俺はこうして働かなくてはならないのだ。こんなに働いているのに、ほとんど他人の食費に消えるって悲しくなる……。せめて自分の息子ならまだ耐えれるが、お腹を痛めて産んだ覚えもなければ俺は男だ。毎日ストレスで胃は痛いが。
そして今からバイトだ。今日は土曜日。昼から夜までの勤務。不甲斐ないがしっかり稼ごう。
「ねぇー、ひろってばお休みの日なのにどこ行くのー?」
さっさとメシを済ませかばんをひっつかんで出て行こうとしたら、どういう食べ方をすればそうなるのか、顔中に米粒を付けた間抜け面で、五杯目の米を頬張りながらウザが聞いてきた。「この間もそういえば出かけてたし、たまに帰り遅いし~」と重ねてきたので、しょうがないから答えることにいた。
「あー、バイト」
「ばいと?」
「働いて金稼ぐんだよ」
ちなみに、俺の働いている店は「どろんちょ」という、カフェなのにオシャレな空気がまったく漂わない名の残念なカフェだ。見た目も中身も、やたらテンションの高い店長が経営している。
俺の適当で簡潔な説明にウザは「ふーん」と、理解したんだかしてないんだかわかりづらい返事をしながら、相変わらず飯を掻き込んでいた。口に入れた米と共に俺の言ったことを咀嚼しているその様子に嫌な予感がしたが、気のせいだと言い聞かせ無視して出て行こう、と玄関に足を進めようとした時だった。
「ぼくもバイトするー!」
ゴクンっと飲み込んだ途端、ご飯粒付きまくりの箸を高々と掲げたウザの元気な主張に俺は顔を覆った。やっぱりな……そう言うと思ったよ! 嫌な予感は的中した。そんなウザの申し出を俺は即座に「無理!」と切り捨てた。
「なんで決めつけるの!?」
「決めつけてない! 無理だってわかってるから言ってるんだよ! だいたい、どこでバイトするつもりだよ!?」
「もちろん、ひろと同じとこ!」
絶対嫌だ。なんでバイト中にまでこいつに付きまとわれなきゃいけねーんだよ! 頼むから俺にこれ以上ストレスという汚物を蓄積させるな!
「無理だ! ますます無理だ! つーか、俺が無理だ!」
「なんで? いいじゃん。楽しいよきっと」
「楽しいのはおまえだけだ! 俺はちっとも楽しくない! ……なんで付いて来てんだよ!」
「えー、だってぼくも今日から働くんだし」
「なに勝手に決めてるんだ! 靴を履くな! 茶碗を置いてけ!」
「どんなとこなのかなぁ? 楽しみ~」
「人の話を聞け!」
俺の話など全く聞く耳持たず、玄関まで付いてきて靴も履いて、とうとう外にまで一緒に出てきてしまったウザにいよいよ焦った。こいつ、本当に一緒に働く気満々だ。冗談じゃないぞぉ。バイト先にまで居座られたら、俺が羽を伸ばせる場がもう大学しかなくなるではないか!
こうなったら……逃げねば――!
嫌さが頂点に達した俺は数少ない逃げ場を死守すべく、アスファルトの上を舞うはずがない砂埃が立つ勢いで走り出した。
「おー、どうしたぴろぴろ。便秘か?」
「そこは、『どうした? そんな汗だくで』じゃ、ねーのか?」
こんなに走ったのは生まれて初めてだ。なんとか撒いて店に着いたころには汗でぐっしょりだった。これから働くというのにフラフラになりながらゼエゼエ息を切らして更衣室に入ると、先に着替え終わっていたバイト仲間の河合の見当違いな質問が俺を出迎えた。
「ていうかさ、なんでそんな走ってきたん? 時間じゅうぶん間に合ってるでしょ?」
いつもより二十分早くも来たくせにまるで遅刻寸前で慌てて駆け付けたような俺の姿を尻目に、河合は前髪の分け目をワックスで懸命に弄りながら不思議そうに質問を重ねる。それ答える前に、開けた戸に片手をついて息を整えていた俺は、やっと落ち着いてきた心臓と逃げ切ったことへの安堵で細く長く息を「ふぃー」っと吐き出した。とにかく、俺は守った、守り抜いたんだ。そうだ俺は、自分の手で自分の平和を守ることができたんだ。そう考えるとこの疲労感も心地よい。あーでもないこーでもないとセットしていた河合の髪型が決まった頃、なんとも言えない達成感に満ち溢れた俺は清々しい表情でやっと体を起こし、湧き出る汗を片手で爽やかに拭った。
「いや、ちょっと、変な奴に付きまとわれてたからさぁ……」
「ふーん、後ろの奴のこと?」
「そーそー、こいつ」
ーーーー!?
振り向くと、奴がいた。ものすごく満面の笑みで奴がいた。思わず固まらずにはいられない。
え? つーかなんでいるの? さっきは後ろにいなかったはず……! どこから湧いて出てきやがった!
「こんにちはーはじめましてー」
一体この汗は何のために流した汗なのか……。背筋も凍るほどのストーキング力を発揮したウザは、まだ少し米が入っている茶碗と箸をそれぞれ持って、口をもごもごさせながら元気に河合にあいさつした。だから、飯を食うかどっちかにしろ! そして食いながらあいさつをするな!
「だれ? こいつ。おまえ弟なんかいたん?」
俺の汗がすっかり冷や汗に変わったとき、河合はウザを指差して俺に聞いた。咄嗟のことにうまいこと流すこともできず、「え……えっと、その、あの」とごもごもしてしまった俺を押しのけた。
「ちがうよー! ぼくはひろのこ・い・び」
「だああああああッ!」
慌てて俺は、とんでもないことを言いだしたウザの口を塞いだ。その衝撃で口の周りについた米粒達が俺の手で半分糊と化した。……最悪だ。それはさておき、いつから俺はおまえの恋人になった!? 俺の恋人は美柑ただ一人だ! この大ボラ吹きめ!
「え、なに? おまえもしかしてコレ!?」
「なんだそのポーズは? やめろ」
ウザのとんでも発言に河合は俺とウザを交互に見ながら、ものすごく楽しそうに手を反対の頬に当てたポーズを取った。失礼過ぎるだろ! 俺はノーマルだっつの!
「なんだ。美柑ちゃんくれると思ったのに、ちぇっ」
なんでそーなる!? たとえ俺がゲイでもバイでもやんねーよ! 死んでもやんねー! なんちゅーあつかましい奴だ。
「で、こいつおまえのなに?」
「えっ!? あ……えーと、えーと……あっ! 俺のとお~~~~~~い親戚!」
いきなり本題に戻った河合についていけなかった俺は、明らかに「今とっさに思いついただろ」と思われても仕方ない言動になってしまった。のに、「あ、そうなの?」と河合はあっさり信じてくれた。適当な奴でよかった。
「そうそうそう! もう、遠すぎて遠すぎて存在忘れるくらい!」
本当に身内だったら、これほどひどい話はない。でも、その対象が対象だからか、まったく罪悪感を感じないのはなぜだろう。でもしょうがない。
「YO! 遅番共揃ってるか!? 今日も張り切って金儲けだぁ! しっかり稼いでこぉいっ!」
ちょうどその時、この季節には正直うっとおしいほどのでかいアフロをゆっさゆっさ揺らしながら、まぁまぁ最低なことを言って店長が参上した。そのアフロが際立つちょび髭と、日に焼けた肌(実は地黒)がイカス店長だ。周りには「渚のデカプリオ」と呼ばれていると自負しているが、本当の名前は山田太郎と地味且つシンプルだ。どちらかというと農家で大根でも栽培していそうだ、って言ったら、全国の山田太郎さんに失礼だろうか? しかも、この人泳げねーし。
「おぅっピロリン! どうした汗なんか流して! また彼女に逃げられたの!? ファイトッ!」
「だまってください店長」
そんな店長はすでに精神的にも肉体的にも疲れている俺に向かって、笑顔でノリノリにちゃかしてきた。つーか、もうやめろよ! そのネタ使うの!
「ん? だれこれ?」
そして店長、ウザ発見。うわっ、めっちゃ見てる。ウザはウザで店長のアフロガン見だし。素晴らしいほどに視線が噛み合っていない。
俺が若干あわあわしていると、河合がとんでもないことを店長にそっと耳打ちした。
「ぴろぴろの初カレですって」
ニヤニヤしながら発せられたそれに、俺は驚愕の表情で固まった。
なんてことを言いだすんだこいつ! しばいてやろうか!? 河合、しばいてやろうか!?
「え? なに? ピロリンもしかして、実はコレ!?」
「だからそのポーズやめてください!」
俺とウザを交互に見ながら、やっぱりものすごく楽しそうに店長も河合と同じ失礼なポーズを取った。だから、俺は、ノーマルだっつぅーのっ!
「なんだぁ、みかんちんくれると思ったのに、チェッ」
だからなんでだよ! やんねーっつーの! てゆーか店長もかよ!? あんた妻と子だくさんだろ! チクるぞ奥さんに! くそっ、やっぱり二年前のあの時、俺の制服姿と働いているカッコいいところを見せたさに店に呼ぶんじゃなかった……! あれで余計に敵を作ってしまったからな。もう行く意味ないし、メニューイマイチだし、正直めんどくさいから行かないって言われたけど。そんな開けっ広げな美柑が俺は、大好きです。
「で、これピロリンのなに?」
「ぴろぴろのとお~~~~~~い親戚ですって」
「あーそうなの?」
突然本題に戻った店長に、やっぱり咄嗟に反応できずにいる俺に代わり、またも河合が店長に耳打ちした。河合よ。なぜ横からちょいちょい俺の代弁をする? さっきから思っていたけども。
一方ウザはというと、食うこともしっかり忘れず、尚も店長のアフロを凝視している。その光り輝く眼差しに嫌な予感しかなかった。
「おじさん、そのカリフラワー、イカス!」
そして、その予感はやはり的中した。
おまえ! 初対面の人間に対してなんつーことを! 百歩譲ってアフロを初めて見たもんだから何かに例えせざるをえなかったにしろ、失礼にも程がある! これでもこの店で一番偉いお方だぞ! 河合! お構いなしにゲラゲラ笑うな! 俺だって必死に笑い堪えてんのに……! 「ブロッコリーじゃねぇんだ」じゃねぇよ! それは俺も実は思ったけども!
しかし、当の店長は「え、そぉ?」とまんざらでもない、というかむしろちょっと喜んでないか? フラワーか? フラワーが気に入ったのか!? 店長! フラワーはフラワーでもカリフラワーだぞ!
「何か中に飼ってるの?」
「まぁ、強いて言うならハエとか、この時期だったら蚊とかそういう虫ケラたちかな! 小鳥じゃないのが残念だゼッ」
「わぁ、すごい! 人工蚊取りボンバーだね!」
「ふふふっ、すごいだろう? おかげで頭皮がいつもかゆくて仕方がないけどネッ」
何その会話! ウザてめー! 最初から最後までなんて失礼極まりない! 中に何飼ってるって……ふふんっ。なんだよ、人工蚊とぅ、ふ、ぼっぶふっ……。店長も怒れよ! なに気持ちよくなってんだよ! つーか、アフロでハエぷっ、蚊とか飼って、るっぶふふっ。それ、ただ誤って迷い込ん……ぶはっ! だ、だめだ……我慢するだけでも腹筋イテー! 河合なんて、もう息もまともにできねぇくらい笑い転げてヒーヒー言ってるし。俺もあれくらい清々しくありたい。
「ねねー、さわっていい? ボンバーさわっていい?」
「ハハハ! 苦しゅうない! 心ゆくまで触るがいいさボンバー」
ちょっ、語尾! 語尾! やめろよやめろってー!
「うわぁっ! もっとゴワゴワしてるのかと思ったら、しっとりゴワゴワしてる! ミラクル~!」
「よせやい、照れるぜボンボボーンッ」
だからっ、もう、やめてー! アハハハハ!
「ところでぼくもバイトしたい!」
「いいよっ」
ハハハッ……――あれ?
尚も続くヘンテコな会話に耐え切れず心の中で爆笑していると、そんな俺の耳に恐ろしい会話が聞こえた気がして全てがリセットされたように頭の中がクリアになった。
「ピロリン、い~ぃ子じゃないか! 店長チョー気に入っちゃった! 気に入っちゃったから、今からこの子も急遽いっしょに働かすからよろしくボーン!」
嬉々としてそう決定を下した店長に、俺は一瞬遅れてやっと状況を飲み込み、一転して表情を強張らせた。
……え? ちょっ、ちょっと待ってください店長!
「ほんじゃー今日一日様子を見るからー、さっさと制服着替えろーぃ!」
「はーい!」
慌てて止めに入ったが、時既に遅し。店長は早々とウザに制服まで渡してしまい、ウザは言われたロッカーの方へスキップで消えて行った。ちょっと待ってくださいよ~!
「いやぁ、うれしいねぇ。今までブロッコリーとかパパイヤとか鈴木しか言われてなかったから、正直飽きてきたんだよねぇ」
そう店長は、いまだに「ちょっと待ってくださいよ」のポーズで固まったままの俺をツンツンっつっつきながら、さっきウザに言われた例えをしみじみと噛みしめていた。パパイヤと鈴木って何!? なんでわざわざ分けたんだ!? 言った奴も絶対同一人物だろ! 思わずつっこみを入れつつも、俺はこの状況に心底困り倒していた。なんてことだ……いつの間にか、すごくナチュラルに話が進んでしまってたぁー! ていうか、そもそもあいつまだ法的には働けない年齢だからいいの? って話だけど、ここの採用基準は「おもしろい奴」と「店長が気に入った奴」だからな。そんで「俺は法には縛られない自由な男だ」と見た目通りのわけわからんモットーを掲げてるからなあの人。だから絶対ここバレたくなかったんだよ! だけど、河合は「いいじゃん。おもしろそうじゃん!」なんて他人事ぬかすわ、店長なんかまだ悦ってるし。「ふふっ、人工蚊取りボンバーか……」と、恍惚とした表情を浮かべている。店長、それも気に入ったのか?
こうして、まんまと先手を打たれてしまい、嬉しそうに制服に着替えているウザを背にシクシクと涙を流しながら俺も制服に着替えた。
数分後、袖も裾も捲りまくった、ぶかぶかを通り越してダボダボな制服に身を包んだウザが出勤した。
めっちゃうきうきしてるし。本当、いろんな意味で不安だよ……トホホ。
一応、基本的なあいさつや言葉遣い等教えてもらったみたいだけど……。俺らは長年の団体生活で鍛えられてはいるが、ウザ、大丈夫なのか? 頼むから何も問題を起こすなよ、と念じていると、男性が一人入店した。それを確認すると、店員の一人の池神さんがウザに行くよう促した。ちなみに池神さんはこの店で一番経験浅いのに、俺らより仕事ができるスーパーアルバイターだ。言われた通り、ウザは席に着いた男性客のもとにてててっと駆け寄った。
「いらっしゃいませ! ちょうもんうかうかします!」
早速間違えたーーー! そこ「御注文お伺いします」だろ! 「弔問うかうか」って、さっぱり意味わかんねーよ!
「じゃあ、皿うどんで」
男性客は最初何のことかわからなかったみたいだったが、なんとなく察してくれたのか注文してくれた。ちなみに、この店は毎年この時期からクソ暑い夏にかけて冷やし中華ではなく皿うどんを出している。しっかりおもてに「皿うどん、はじめました」と暖簾がかかっている。一応うちの看板メニューだ。季節限定メニューのはずなのに看板メニューだ。最早ギャグでしかない。重ねて言うが、男性はその絶対普通に中華料理店か、本場長崎で食った方がうまい皿うどんを注文した。
「かしこくなりました!」
またしてもウザは元気よく間違うと、厨房にオーダーを通しに向かった。まぁ、賢くなったのは一応本当だ。美柑講師のおかげで、だいぶ難しい漢字の読み書きもでるようになったし。ただ、さっき一瞬、少し考えるような素振りを見せたが、大丈夫か?
「お待たせしました! 皿うどんです!」
ほどなくして戻ってきたウザがテーブルに置いたものに、男性客も俺らも一同釘づけになった。
おまえそれ、湯がいたうどんをただ皿に乗せただけじゃねーか! やけに早いな、と思ってたら。だれだ!?こいつを厨房に入れた奴は!? せめて醤油くらいかけろよ!心気遣いゼロだな!
きっとこういうタイプは、「メロンパンを買ってこい」って言ったら、文字通り「メロンとパン」を買ってくるタイプだな。もしくは果物屋の前で「すみません! お金足りないんですけど!」って、切羽詰まった声で電話してくるんだ。仮に金が足りたとしても、今度はパン屋の前で「すみません! どのパンを買ってきたらいいですか?」って、電話してくるんだ。だからメロンパンだっつってんだろ!
「……なんですか、これ」
たっぷりと間を置いて、目の前にこんもりと盛られた真っ白な麺を指さし、男性客は当然の質問をした。無理もない。俺が客でもそう質問する。しかし、ヤツは満面の笑みで自信満々にこう言い切った。
「皿うどんです!」
ああぁぁぁ、ほぉぉぉ、かあああああぁーーーっ!
なにが「かしこくなりました!」だ!むしろ「おバカでごめんなさい」だろ! 言い間違いだとしてもよく言えたもんだな! 店長! 店長はどこだ!? 店長! ……店長、笑っている場合じゃないですよ! なに腹抱えてるんですか!? テーブルバシバシ叩くな! あんたの店の危機だろ!
しかし、あまりにもウザが自信満々に言い切ったからか、数秒前までは絶対皿うどんの口になってたであろう男性客は、「……いただきます」と皿の上のうどんをずるずるとすすりだした。
もう、手をついて謝りたい。地に顔が埋まるぐらい全力で謝りたい。こんなわけのわからんものを食べさせて本当に申し訳ない。食べたかったよね? 皿うどん。
「じゃ、残さず食べるんだゾ!」
気づいたら、お盆でウザをぶっ飛ばし、男性客にスライディング土下座をしている俺がいた。
そんなこんなで、やっと閉店の時間になった。長かった……。実に長かった……。むっちゃ疲れた……。
「いや~! おもしろかったよー! ウッザリンっ! もー俺、仕事忘れて笑いまくっちまったよぉ~」
閉店してすぐ、店長は初舞台の芸人に送るような激励の言葉をウザに贈った。
店長、一番偉いあんたが仕事忘れてどうするよ。そしてなりふり構わず爆笑するなよ。俺らが代わりに何客頭下げたと思ってるんだ。池神さんのハイパースキルとナイスフォローな神対応のおかげでみんな笑顔で帰ってくれたから大事にならずに済んだものの。本当にいつか潰れるぞこの店。
「それで、どぉ? 今日一日やってみて?」
「うん! 楽しかったよー」
「そうかぃ? それはよかったぜ!」
店長としては欲しかった言葉なのだろう。ハッハッハ! と満足そうに高笑いしてる。そんな楽しそうな笑い声とは対照的に、俺の気持ちは絶望的に暗かった。
あー、もう終わった。こうして俺の平和はどんどんむしり取られるんだ……。きっと、いや絶対店長はウザを「じゃあ、このまま一緒に働こうゼ!」とか言うだろう。ウザも手放しで喜ぶに決まってるから、やっぱりこの問題児と一緒に働くことになってしまうんだ。俺らの今日の苦労も知らないで、勝手に話進めてんじゃねーよ。今日みたいな日がこれからほぼ毎日続くだなんて、考えただけでゾッとする。たく、やってらんねぇよ……。ハハハ。
これから新たに増えるだろう不幸による焦燥感で体がさらさら灰と化していくのを、涙の通り道を一本作った目でぼんやり見てた時だった。
「でも、もーいーや!」
………え?
思いもよらないウザの一言に我が耳を疑った。さらさらと流れるように落ちていった灰を必死にかき集めながら、期待と希望にウザの次の言葉を待つ。店長は店長で、今まさに勧誘しようとしてたのだろう。早々に答えを出されてしまったことに、ぽかんとしている。
「なんでよウザリン? ピロリンの優しさが足りなかったかい?」
え、俺のせい? 俺がこいつに優しくないのなんて今に始まったことじゃないんですけど。見当違いもいいとこだ。案の定、ウザの理由は違ったわけだが、奴はこうぶーたれた。
「だって、お昼寝できないんだもん!」
ぷくーっと頬を膨らまし口を尖らせて言ったその理由に、俺までぽかんとした。
いや、うん……そーだね。君、猫だもんね。そういえば途中眠たそうに、ていうか半分寝てたおかげで食器何個か割ってたな。
しかし、さすが我らが店長。そんなくだらなすぎる理由を聞いて「そうか! そりゃしゃーねーわな!」と、また腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。何が一体しゃーねーんだろうか。適当過ぎだろ。
ま、まぁ、何はともあれ、助かった。とりあえず助かった。こいつがいい加減でわがままな奴で本当に助かった。一時はどうなるかと思ったが、これからもここで気持ちよく働けることができるんんだ! やった、勝った! 何に? って聞かれても俺にもわからんが、勝ったぞー! 帰り際店長は、「またいつでも遊びにこいYO!」といらんこと言いやがったが。「次来たら魚の小骨さえ食わせない」と脅しとこう。
《第三話 終》
【次回】
正義の味方登場(笑)