第九回 山人について
僕の作品には、山人と呼ばれる漂泊の民が登場します。
人別帳に記載がなく、山野に住まう人々です。
史実でいうサンカに近しい存在ですが、そこに穢多やマタギの要素を加えました。
まず山人には二つの系統があります。
山中に幾つかの拠点を置き、季節によって棲家を変える岩山人と、棲家を持たず山々を渡り歩く風山人。
この二つは対立しているわけではなく、あくまで生き方の違いだけだで、岩山人が風山人になる事も、またその逆もあります。
山人には、独自の言葉があります。
剣=マヤタチ
掟=カガン
集落=ムレ
頭領=ズメロウ など
その彼らの生業は大きく分けて
・狩猟(と、獣肉売買)
・皮革加工
・山菜採取と販売
・竹細工
こうしたものは、山を下りて里で販売します。中には商人と提携する事も。
そして、地域にもよるが、害獣の駆除も依頼されて行います。
貧富については地域差があります。「狼の裔」の舞台である夜須藩では、皮太と呼ばれる皮革生成の職能技術を持つ被差別身分に独占・保護させてきたのを、利景の代に解禁。これにより商人とも取引をするようになったので、生活は向上しました。
山人の詳しい説明は「狼の裔」の第五章「寂滅の秋」にあるので、抜粋します。
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「おう、待たせたな」
声を掛けられた。振り向くと、藍色の貫頭衣を纏った、髭面の男が立っていた。
鞣し革の手甲脚絆に、両刃の剣をぶら下げている。到底、里の百姓には見えないその男は、牟呂四という名の山人だった。
歳は三十の中頃ほど。筋骨逞しいこの男は、内住山人を束ねる頭領である。
今日は山人の集落を訪ねる事にし、あらかじめ落ち合う約束をしていた。でなければ、独力で山人の集落に辿り着く事は難しい。
「久しぶりだな、清記さん」
馴れ馴れしい言葉遣いに、清記は笑みで応えた。山人は、人別帳から外れた者。つまり、支配体制に組み込まれていない、まつろわぬ民だ。故に、代官相手でもこうした話し方をしている。
「これは、親分が直々のお出迎えとは恐れ入るな。若い者を遣わせると思っていたが」
「山人も色々忙しいのさ」
「山だろうが町だろうが、生きる為に働かねばならぬのは一緒だな」
そう言うと、牟呂四は盛大に笑った。
「しかし、何故あの道を選んだ? 俺達だって、あんな崖は登らない」
「見ていたのか」
「遠くからな。すぐにお前さんと判ったが」
「単なる鍛錬だ、牟呂四。こうでもしないと、すぐに身体は動かぬようになる」
「へぇ、鍛錬にしては危険過ぎるぜ。俺には、命を試されているように見えたがな」
牟呂四に看破され、清記は肩を竦めた。命を試す。衰えを確かめるつもりであったが、それは即ち命を試す事にほかならない。
「今日は、俺の集落に案内しよう」
ムレとは、集落の事だ。山人には独特の言葉が幾つかあり、清記は簡単なものなら全て覚えている。
「その前に、この前は悪かった。うちの若い者が里で喧嘩をして、手間を取らせちまった。俺が建花寺村まで出向いて頭を下げるべきだったが」
「構わん」
「里の衆と争う事は、掟で禁止してある。それを徹底出来なかったのは、頭領たる俺の落ち度だ」
「構わんと言ったろう。あの件は明星寺村の側に非がある。それに、昨日直々に庄屋には釘を刺した」
この巡察で、明星寺村を清記は訪れていた。そこで庄屋の太衛門と面会し、厳重に注意している。
「若い者の気持ちは判る。俺だって昔は暴れ者だったさ。でも、だからって見過ごせねぇ。もう、こんな事はさせねぇ。この剣に誓おう」
そう言って、牟呂四は幅広の剣を抜くと、天に翳した。何かを呟いている。呪文のようだが、そこまでの意味は分からい。この国の言葉ではないのかもしれない。清記はそれを終わるまで、ただ待った。
「律儀だな」
「だから頭領が務まるのさ」
山人には独自の風習や信仰がある。それが、どうした由来で今に伝わっているのか、清記には知る由もない。
牟呂四の案内で、山を下り谷を幾つか渡ると、山人の集落に辿り着いた。
内住郡の南端だろうが、正確な地名は判らない。それほど山深い場所にある。此処を訪れるのも両手以上を数えるが、それでも道筋は覚えられない。
「また多くなったな」
集落の中心には、簡単な小屋が二つ並び、それを囲むように竹で骨組みされた天幕が幾つも並んでいる。その天幕の数が、三年前に来た頃に比べ、かなり多くなった。
「関東の岩山人を十数名受け入れた」
「ほう」
山人には、二種類の系統がある。
ひとつは牟呂四のような、山中に幾つかの拠点を置き、季節によって棲家を変える岩山人と、棲家を持たず山々を渡り歩く風山人。
両者は対立しているわけではなく、あくまで生き方の違いだけだという。岩山人が風山人になる事も、またその逆もある。
「天領の山人支配が厳しくなったのさ。棲家を持たない風山人は何処かに消えたが、岩山人はそういうわけにはいかねぇ。そこで、近隣の頭領が集まって話し合った結果、こうなっちまった」
「随分と賑やかなものだ」
大人達が天幕の前に集まり、里で売り歩く箒や箕を拵え、その間を子ども達が駆け回って遊んでいる。
「山人稼業も繁盛しているようだし」
他にも、付近を流れる小川では、若い男衆が仕留めた獣を解体していた。肉も革も売り物になる。特に皮革は、時勢がきな臭くなった関係で武具の需要が高まり、値が上がりつつある。夜須では皮太と呼ばれる皮革生成の職能技術を持つ被差別身分に独占・保護させてきたが、利景の代にそれを解禁したので、山人の生活も楽になっているという。
「賑やかなのは嫌いじゃない」
「暫くの辛抱だろう。今の幕政に一貫性は無い。老中が変われば、風向きも変わろう」
「そう言い聞かせている。何なら、夜須に根を下ろしてもいいのだ」
清記は頷いた。夜須ほど、山人が暮らしやすい土地はないと思っている。
「もしそうなれば、藩庁への口利きはしてやろう」
それから清記は、ズウンと呼ばれる長老に挨拶をした。
名は夫雄という。夫雄は、もう歳が知れないほど年老いていた。身体は小さく、皺が垂れて隠れた瞳は白く濁っている。
岩山人には、頭領とは別に長老と呼ばれる長がいる。多くの場合、頭領が引退して長老となるもので、その際に新しい頭領を指名するわけだが、そこで「子・孫・甥を指名してはならない」という厳しい掟がある。
「よう参ったのう、夜須の者よ」
夫雄の声は、思った以上にしっかりとしていた。ただ、百足が這うように長く震えている。
夫雄と初めて会ったのは、清記がまだ見習いだった頃だ。父に連れられて挨拶したのだが、その頃から夫雄は既に老いを見せていた。
「長老殿もお元気そうで」
「おぬしも、段々と悌蔵に似てきたようじゃな」
白く濁った目で見えるのかと思ったが、清記は頷いて同意した。
「昔、悌蔵にお前を譲れと言った事がある。内住山人には儂の後を継いで頭領になる若者がいのうてな。そこの牟呂四は、粗暴な野猿だった」
清記の背後に控えた牟呂四が、思わず声を挙げた。だが夫雄の言う通りで、かつての牟呂四は、すぐに剣を抜きたがる暴れん坊だった。清記は何度かそんな牟呂四を打ち倒した事がある。
「だが今は、お前を山人にせずに良かった思うておる。それは、お前が立派な代官になったからじゃ。儂らが豊かに暮らせるのも、お前の内住支配が正しい故よ」
清記は頭を下げた。
そもそも、山人にとって夜須は棲みやすい土地だった。幕府を筆頭に、諸藩の中には山人を厳しく統制する所もある。しかし夜須藩は、それに比べると自由に任せているのだ。
いうのも、戦国の御世に栄生家が夜須の山人に助けられた事があるからで、代々藩主が受け継ぐ家訓にも、山人を手厚く保護するようにと記されてある。
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この山人がどこから来たのか。
その起源説は、穢多同様一つに絞れません。
色んな出自の者を糾合して生まれたものです。
それも作中のセリフから引用します。
「山人の祖は、古来天朝に服従しなかった民だ。それだけでない。物部、平家、鎌倉北条、南朝、豊臣。敗れざりし残党の血も入っている。つまり時代から弾き出された根っからの反骨が、我々山人なのだ。今更、藩の言いなりになれるというのか」
以上、これが私の作品群に登場する「山人」の概要です。
今後も登場しますので、頭に入れてくれたら嬉しいです。