第二回 夜須藩について
夜須藩は、築城国のほぼ半国を有する譜代の藩である。
表石高は二十六万石で、藩庁は夜須城。栄生家が藩主として入り、物語開始時には五代を数える。領内に海が無い為に、飛び地として那珂国の湊町・宇美津を有する。
藩の渾名は〔関東の蓋〕
◆ 身分構成
身分一位:藩主御一門
身分二位:大組(上士)
身分三位:馬廻組(平士)
身分四位:徒士組(下士)
身分五位:足軽組(士分ではなく、卒分)
身分六位:伊川郷士(戦国時代に栄生家に抗った、伊川家旧臣。名字帯刀を許された卒分だが被差別対象でもある)
◆ 政治
立藩以来、有力家臣団による執政府と称する行政機関が、藩政を動かして来た。主に家老・中老・若年寄によって構成され、時として藩主家御一門も加わる事になる。
三代利貞の頃から派閥政治が顕著になり、四代利永の代では、犬山梅岳が藩政を壟断。その後、五代利景と熾烈な権力闘争を演じ、犬山派は失脚。利景は藩主専制を確立すると、大々的な人材登用を実施。新たな執政府を形成した。
藩是は、忠義。主家である徳河家への忠と、民百姓への義を掲げている。徳河家への忠誠は篤く、その立地から東北外様諸藩を抑える盾、そして北関東の諸藩に睨みを利かす、関東探題的な役割を持つ。それ故に国政には積極介入の姿勢で、宮将軍騒動では大いに働いた。
◆ 地勢
北関東に位置し、四方を山で囲まれる盆地。夏は蒸し暑く、冬は寒い。領内に海は無く、波瀬川という藩内を横断する大河があり、これが太平洋へ注いでいる。
城下を通る街道は二種類。夜須から北陸へ繋ぐ関陸街道と、夜須と宇美津を繋ぐ珂州街道。
◆ 経済・農業
特産品は、和紙・蒟蒻・落雁・養蚕(絹織物)・木工用品。特に養蚕には力を入れ、夜須絹として珍重されている。物流は、波瀬川の水運に依存しているが、北陸への物資は関陸街道を利用している。また、飛び地の宇美津は北関東の一大マーケットであり、宇美津経済が風邪を引くと、北関東全体が罹患すると言われるほど。
農業では、米作の他に麦の栽培が盛ん。麦で落雁が生産され、それも藩経済を支えている。観寿四年には、夜須藩内でも広大な荒野であった地蔵台の開墾を、中老・相賀舎人の発案で開始。更なる増産を見込んでいる。
◆ 作者のひとこと
夜須藩のモデルは、筑後久留米藩の有馬家。特に栄生利景は、幕末に久留米藩を一大海軍国家に導いた麒麟児・有馬頼永をオマージュしている所が多いです。
※有馬頼永
地名は、福岡県朝倉郡にあった夜須町から。これはドライブ中に夜須高原へ立ち寄り、その名に惚れたからで(笑)地勢や地名は殆ど福岡県飯塚市から拝借しました。
僕はこの夜須藩で、一人の天才の影響力を表現してみたいと思いました。天才に導かれた藩は、どういう足跡を辿り、何を残すのか。勿論、天才とは栄生利景。スピンオフで書きたそうと思いますが、後半三部作でも重要人物の一人になります。