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じんかん  作者: 兵十
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「ギチギチギチギチ。」



太陽は西に没し、空の端が僅かに朱く染まっていた。

夜が濃度を増して行く。

五重の塔、貴族の牛車、振り売り、武士。

何もかもが切り絵のように真っ黒だった。


朱雀通りは家路を急ぐ人々で溢れていた。

皆、市中の各所に貼られた護符を縋るように見ている。


普段ならもう少しゆるりと帰路につくところだ。

しかし、先刻から果実が熟れたような匂いが漂っている。


化け物が出るのだ。


誰そ彼刻。

昼から夜に移り変わる間。


行きかうモノの顔が見えず、人々はすれ違うモノが

化け物でないかと怯えている。



家路を急ぐ女がぞくりとした。

いま、すれ違った影、人の形をしていたが

頭が前後に割れていなかったか?


「おぎゃあ。おぎゃあ。」

五重の塔の屋根の上、聞こえるはずのない場所から

赤子の泣き声が響いている。


旧都星城京。

稀代の術師が張ったと言われる結界は、化け物から人々を守り

都の繁栄を助けてきた。

しかし、三百年の時を経たいまや、各処が綻び、

化け物どもの侵入を許している。

帝は星城京を捨てたが、新都は多くの天災に見舞われ、

建都は遅々として進まない。

化け物を恐れながらも星城京に住み続けるものは多い。



禍時。

西の空は深い藍色に沈み、都の間を闇が満たしていた。


「ちっ、あのアマ随分値切りやがったな。…まあ他に比べりゃ景気は良いほうか。」


反物を売る男が貴族の屋敷を出た頃、辺りに人影はなかった。

男は他所で商売が立ち行かず、星城京に来たばかりだった。


「ぼう。」「ぼう。」「ぼう。」辺りで護符が燃えている。男は気づかない。


「うん?ここいらのやつぁ、随分早えことウチに帰るんだなぁ。」


気がつけば、大路に誰一人いない。


甘い香りがした。

果物が熟れた様な香りだった。


「女だな。」


男は何故かそう思った。


「しゃらん。」


鈴の音がした。

大路の先に行列が通り過ぎるところだった。


「しゃらん。」


貴族の行列らしい。赤、白、金、紫、色とりどりの着物は暗闇の中でも妙に目に入ってきた。

先頭の二人が神楽鈴のようなものを持ち、それに続くもの達は赤い旗や長い傘を持っている。

列の中ほどに牛車が引かれている。この行列の主だろう。


「しゃらん。」


「さぞ美しい姫に違いない。」


「ごくり。」男は唾を飲み込んだ。


瞬間。


行列のものどもが一斉に男を見た。


男はギクリとした。

誰もが面を被っている。

真白い顔の女面。

浅黒く険しい顔をした翁面。

煌びやかな龍面。鳥のような面。猿面。獅子面。


心臓を握り閉められた様な心地がした。

足が震え、力が入らない。萎える足引きずり、

振り返って逃げようとした瞬間。


「もうし。」


男の耳元で女の声がした。

低く、透き通るような声だった。


「ギチギチギチギチ。」

声に続き、甲虫が殻をこすり合わせるような音が聞こえた。

多くの息遣いが男の後ろから聞こえる。


女の腕ほどの白い百足が男の目の端に映った。

百足の頭には紅を塗った女の口があった。

ワサワサと動く足は女の指だった。

何本もの指が男の頬を撫でる。

甲殻に覆われた虫の顔、それは人間の口と目を持っていた。


「この辺りで赤い服を着た男の童を見ませんでしたか?」

紅くぬらぬらとした唇が男の耳元で囁く。


甘い、香りがする。


「知ら…ぬ」


男は「俺は死ぬのだ」と思った。

自らの死を思い、百足の唇を見た男は、知らず欲情していた。


百足が男に巻きつき、無数の女の指が男の身体を撫でまわす。


いつの間にやら男の前にあったはずの行列が消えていた。


男は吸い寄せられる様に振り返った。

死ぬ前に百足の根元にあるものが見たいと思った。

先ほどの行列がすぐ男の後ろにいた。

面をしたモノどもの息遣いを感じる。

牛車が男の近くに止まっていた。

百足は牛車の物見から這い出ている。


物見の簾から女の手が覗いた。

白い。

闇の中でぼうっと光る様な白さだった。



百足は男の身体や顔に絡みついていた。


カリッ。


百足の口が男の耳を優しく咥えた。

並びよい小さな歯が心地良い。


熱い吐息が男の耳を濡らす。

小さく柔らかな舌が耳をなぞり、穴を舐る。


ブチッ。


百足が男の耳を喰いちぎった。


男は泣きながら笑っていた。


クチャ、コリ、コリ。

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