ノー友
「よお、モテ男」
三限目、学部固有の必修科目を受けに講義がある教室に行き席に着くと、すでに隣に座っていた、見るからに明るそうな顔をした同級生である日暮は、手を挙げ僕に挨拶した。
「おはよう」
僕は引っ掛かる言葉はスルーし、挨拶し返した。もう午後なのに「おはよう」と言うのは、今日、彼と会うのが初めてだからだ。会う時間問わず、基本的にキャンパス内であれば知り合いには「おはよう」と言う。
三限目は座席が指定されていて学籍番号順に着席しなければならないようだ。黒板にその旨が書かれていたため、僕は日暮の隣の席へと座ったのだ。こんな風に指定席なのはこの講義のみで、他の講義は自由席だったためいささか面倒に感じていた。
「お前、今日の二限目、花見の時の子と仲良く話してただろう」
日暮はそう話し掛けてきた。縦割りの学籍番号順だと、必ず彼と隣同士になるため、一番最初のガイダンスの時なんかからよく絡まれていた。
「僕が、仲良く、話してた?」
僕は聞き返す。誰かと仲良く、しかも今日、話したりなんかした覚えはない。
「憲法の講義の時だよ。花見の時にお前に抱きついてた女の子と。隣同士で座って仲良くしていただろう。俺もあの場にいて目撃していたんだぞ」
「確かに僕はその子と会話したけど、仲良くはしていない」
どうやら日暮も憲法の講義を履修しており、あの教室にいたらしい。しかしあの会話内容を聞いていたのならば、到底仲良く話していたなんて言えないだろう。彼はきっと、離れた場所から僕と湊有沙のやり取りを見ていたに違いない。
「本当、羨ましいぜ。あんな美味しい漫画みたいなシチュエーション。やっぱり出会いは顔の良い奴にしかないのか」
日暮は一人、勝手に唸り出す。僕にとっては美味しくもなんともない、むしろはた迷惑な出来事だったのだが。
「それでお前、その子と付き合ったりするのか?」
「は?」
突拍子もない言葉に、僕は思わず間抜けな声を出してしまった。
僕が彼女と……?
なぜそういう話になるのか全くもって理解できない。
「あんな漫画みたいに抱きつかれたらフォール・イン・ラブなんじゃないのか?」
「フィクションだったら確かにそうなるのかもしれないね。けれど、残念ながら僕はリアルを生きる人間だ。それに異性に抱きつかれた程度じゃなんとも思わない」
「講義も一緒に隣同士で仲良く二人で受けていたのにか?」
「仲良く受けてなんかいないよ。彼女は花見の時に抱きついてきてしまったことを謝りに来ただけだ。それ以上のことは何もない」
それに正確にはバッグを挟んでいたから、隣同士ではない。
「いやいや、謝るだけにしてはかなり話し込んでただろう。意気投合していたんじゃないのか?」
「あれは意気投合していたからではなく、言い争っていたんだ」
食い下がってくる日暮に、僕は煩わしさを感じ始めていたため、口調に冷たさが滲んだ。
「言い争うって何をだ?」
「……まあ、ちょっとしたことさ。話すまでもない」
問われた僕は、言葉を濁した。 彼女の聞き捨てならなかった発言につい口を挟み、それについてひたすら食い下がられていたとは言えない。実にくだらないことだった。
「ほぼ初対面で言い争えるってそれ、ある意味すごくないか。意外と気が合うんじゃね?」
「……」
突っ込むのが面倒くさくなった僕は無言のまま、むしろ、それはすごく気が合わないのではないかと心の中で思った。
「けっこう可愛い子だったよな。清楚系で、ふんわりした感じでさ。付き合う、というか落とさないのか? なんかお前だったら簡単そうだし。というかその顔で独り身なのが不思議なくらいだぜ。お前だったら彼女の一人や二人いそうなんだけどな。彼女とか欲しくないのか? それともまさか……」
「僕にそっちの気はない」
すかさず僕は否定した。ネタだとしても失礼極まりない。
「彼女なんて面倒なものはもうごめんだ」
僕はそう吐き捨てた。
「過去になんかあったのか?」
「別に。とにかく僕はあの子と付き合う気も狙う気もない。もちろん他の子ともね。彼女のことが気になるんなら、君に譲るよ。来週辺りにでも声を掛ければいい」
「そ、そうか……。俺は別にあの子にそんな気はないよ」
日暮は僕の刺々しい口調と剣呑な雰囲気に気づいたのか、それ以上は追求してこなかった。
「そうだ。すっかり忘れていたが、お前に借りてたノートを返すよ」
今思い出したのか、彼は慌てて自分のバッグから僕のノートを取り出した。
「いや~、本当に助かったわ~。ありがとな」
「……どういたしまして」
僕は彼からノートを受け取った。それは別の学部固有科目のノートで、初回から講義があったのだ。それをさっそくサボっていたらしい日暮は、誰かからそれを聞きつけたのか後日、その日の分のノートを僕に借りにきたのだった。
「お前のノート、俺が見込んだ通り、キレイでわかりやすかったぜ」
「それはどうも」
僕は一応礼儀としてそう答えておいた。
「そこでノー友であるお前にまた頼み事があるんだが……」
日暮はここで言葉を切った。
「ところで『ノー友』って何だい?」
大体検討はついたが僕は引っ掛かったその造語の意味を訊いてみた。
「『ノー友』はそりゃあ『ノート友達』の略のことだよ。お互い、ノートの貸し借りという絆で結ばれているだろう」
「……」
オーバーな表現かつ胸を張りながら彼は説明してくれた。
ノートの貸し借りに絆なんて存在するのか。そもそも僕がノートを日暮に貸すことはあっても、僕が彼にノートを借りることはないだろう。
僕は心の中でそう考えたが思うだけに留め、口に出して突っ込んだりはしなかった。
「それで頼みたいことなんだが、来週のこの時間、俺はどうしても外せない大切な用事ができてしまったため、この講義に出られなくなってしまった。そこでだ。来週の講義分のノートをまた貸してもらいたいんだ」
日暮は僕の前で手を合わせる。僕は冷めた目で見ていた。
大切な用事だとか言っているが日暮の場合、どうせ友人達と遊び呆けるに決まっている。要するにサボるだけだ。けれど、別にそれは僕にはどうでもいいことだったので
「いいよ」
と答えた。わざわざ断って相手の心象を悪くする必要もない。
「助かる! 恩にきる。ありがとな」
僕の言葉に日暮はひとしきり感謝の言葉を述べた。そんな彼の様子は実に現金だった。しかし、下手に言葉を取り繕ってくる奴等よりかは遥かに好感が持てた。
『ノー友』、その造語はまさしく僕らの繋がりを的確に表していると言える。ノートの貸し借りのためだけにちょっとした会話をする関係。
日暮のそういった飾らない所は嫌いじゃない。
そんなことをうつらうつらと思考しているうちに、三限目の講義が始まった。




