花見
大学から地下鉄で乗り換えなしで数駅先にある花見の名所であることで知られている緑地公園。薄紅色の花に彩られた満開の桜がそこら中に咲き誇る公園内はありとあらゆる年代の花見客達で賑わっていた。
「ねえねえ。名前、何て言うの?」
「都築直斗」
「どこ出身?」
「ここが地元」
「メアドとか、交換しない?」
「いいよ」
「今ってフリー?」
「特定の誰かと付き合ってはいないね」
夜空に映える桜を楽しむ間もなく、イベントサークルの有志の手による手作り弁当や、紙コップに注がれたお酒、つまみ、おかし等が広がるビニールシートの上に座る僕は、たくさんの女達に囲まれ、慇懃無礼に受け答えしていた。
「本当!?」
ほろ酔い気味の彼女達は勝手に黄色い声を上げ目を輝かせた。そしてさらに僕に絡んできた。しかし、僕は一言、二言、または
「うん」
「へえ」
「そうなんだ」
と頷くか相槌を打つのみだった。彼女達と会話を楽しもうとか続けようという気は、僕には一切なかった。
愛想良く笑顔を振りまく彼女らに囲まれたって、僕は嬉しくもなんともなかった。なぜなら、こういう状況は慣れているから。
カッコイイだの綺麗な顔をしているだとか、昔から僕は容姿を褒め称えられてきた。少し目が合っただけで頬を赤く染められたり、キャーキャー頭が痛くなるような黄色い声を上げられることは日常茶飯事だった。
けれど、彼女達が群がってくる理由は僕の顔。僕の見た目だけに惹かれてくるだけで、僕自体は眼中に入っていないのだ。単に僕の生まれ持った容姿が良いから好意的なだけなのだ。どうせ皆、僕の人柄を知れば離れていく。今、目の前でにこやかにしている彼女達は、そのうち僕に対して冷ややか、または存在などしていなかったかのようにきっと振舞うのだろう。
中学時代、何人かに告白されて付き合ってみたことがある。その告白してきた女達はどいつも一様に僕の愛を求めてきた。それは肉体的なものだけじゃなくて、優しさだとか、思いやりだとか、そういった精神的なものも含まれていた。
けれど、彼女達が好いてくれていても、僕自身はなんとも思っていなかった。性的な興味はあったが、会話は全く続かなかったし、僕の方からデートだとか何かに誘うこともなかった。ただ彼女達に付き合わされるままに、形だけの恋人を演じてきただけだった。
彼女達が望めば手を繋ぎ、キスして、抱いてやる。ただそれだけの関係。しかしそもそも「愛する」というのはそういった行為を指すのであり、僕はそんな性的触れ合いを通して充足感に浸るだけで十分だった。それ以外、付き合ってきた女達に価値を見出すことはできなかった。
だからどの子とも長続きしなかった。僕としては代わりなんていくらでもすぐに見つけることができたから構わなかったのだが、別れた後に度々、色々と問題が生じた。
付き合った子の友達だとかクラスメイトになんであんなに冷たかったのだとか、付き合っていた子が可哀想だの僕を責めてきたり、影でひそひそと悪口を言いふらされたりと散々な目に合った。
そんなややこしい事態を二度と経験しないために、高校以降、僕は特定の誰かと付き合うことはしなくなった。誰かのぬくもりを求めるだけなら、後腐れのない、自分の身近にいない空いてを探せばいいのだと知ったからだ。世の中、ワンナイトラブを求める人間もごまんといる。
「きみ、もう一杯飲みなよ」
飲み干して空になった僕の紙コップに、先輩の一人がお酒を注ぎ足す。先程から飲み干す度に料理よりも多く、次々とお酒だけが僕に振舞われる。
一応、僕はまだ未成年なのだが、そんなこと関係なかった。周囲も年齢関係なく、みんな避けを飲んでいた。もっとも、僕に回される酒の量は、他の人達と比べると明らかに量が多かったが。
素っ気ない返事しかしない僕を酔わせて、もっと色々なことを聞き出そうという魂胆なのだろう。笑顔ながらも有無言わせない調子で注ぎながらにこやかに会話を進めてきていた。
だが、残念ながら僕は酒に強い。まだ祖父母が共に健在だった小学生の頃、二人の家に行った時に、赤ワインのオレンジジュース割りをたくさん飲んだが、平然としていられた。それに、中学の保健の授業でやったパッチテストでは、酒に弱い奴はアルコールを含ませた脱脂綿を付けた後の皮膚が赤くなるのだが、僕には全く変化がなかった。
今も僕は顔色一つ変えずに、注がれていく酒を次々と空にしていた。
周囲がうるさく騒ぎ立てたりする中、ちらほらと酔い潰れたのかふらふらして挙動が怪しくなっていたり、瞳がとろんとしてボーッと大人しくなってきた奴が出てきた。
僕は食べることはやめたものの、酒だけは変わらず飲み続けていた。いつの間にかお酌するかのように次々と僕が頼む間もなく注ぎ足してくれていた先輩がいなくなっていたため、自分で近くにあった中身のある缶から酒を紙コップに注いだ。アルコール度数の低い桃のチューハイ。
僕は桜を見上げた。近くには相変わらず人がいたものの、酔いが回ったのかもう誰も僕に絡んでこなくなっていた。
夜空の黒に映える、満開の薄紅色。花が鮮やかにほころび過ぎて、その花びらの一部が宙を舞って落ちてきている様も美しかった。食べ物や酒を片手にどんちゃん騒いで酔い潰れている人間達とは違い、凛と咲き誇る姿は辺りを照らすライトと相まって最高に綺麗だった。
僕は杯となっている紙コップを一人桜に掲げ、飲み干そうとした。しかし、突然の衝撃がそれを阻んだ。
誰かが僕に抱きついてきたのだ。
「!?」
不覚にも自分に近づいてくる気配すら感じ取れなかった僕は無様にもバランスを崩し、ビニールシートへと抱きついてきた相手と共に倒れ込んでしまった。チューハイは僕の手から離れてどこかに飛び散り、頬にはビニールシート越しに地面の固い感触。
「……」
予測不能な事態のため頭が回らず、状況を把握するのに若干の時間を要する。身体にぶつかる柔らかい感触から抱きついてきたのはおそらく女。
僕は抱きついてきた相手を倒れたまま観察してみる。長い、少しウェーブがかかった黒髪の女が僕の胸に顔をうずめていた。
僕は眉をひそめる。酔った勢いでというベタなアプローチ方法なのか。
「離れてくれない?」
僕は冷たくそう言った。後々、調子に乗らせるわけにはいかない。
しかし、抱きついてきた彼女は、僕にしがみついたまま離れない。むしろさらにギュッと抱き締めてきた。僕の胸に顔を預け、すやすやと寝息をたてて、安らかに眠っていた。
「……」
どうやら彼女は僕に好意をアピールしているのではなく、僕を抱き枕か何かの代わりにしているようだ。アルコールで火照った身体を僕に押し付けたまま、実に幸せそうに眠っている。
彼女はそれでいいかもしれないが、僕の方は全然よろしくない。彼女を手で押しのけようとしながら、僕はもう一度声を掛けようと口を開く。すると
「すみません!」
と謝罪する声と共に、誰かがこちらに向かって駆けてきた。
「本当にごめんなさい。この子、悪気はないんです。ただ、ちょっと酔っちゃってて……」
茶髪のショートボブの彼女の友人と思われる人物は、僕にそう言った。
「有沙、起きて。有沙!」
「有沙」という名前らしい彼女の名を呼び、起こそうとしつつ、彼女の友人は彼女を僕から引き離した。そして酔い潰れて相変わらず眠ったままの彼女を自分自身の肩に寄りかからせた。
「あの、本当に本当にすみませんでした。有沙――この子にはきつく言っておくので、勘弁してやって下さい」
「別にいいよ。気にしてないから」
僕は起き上がり、言った。これ以上、僕に干渉してこないのならば、何も問題ない。
彼女の友人はほっとした表情を浮かべた。そして、もう一度僕に頭を下げると
「先輩、この子酔い潰れちゃったみたいなので、連れて帰りますね」
と近くにいる先輩に声を掛けると、いまだに意識のない彼女を肩に寄りかからせながら去っていった。
僕はその様子を呆然と眺めていた。あっという間の出来事だった。
すっかり興をそがれた僕はその後、一人ぼんやりと桜を見上げていた。酒は抱きつかれた際にこぼしてしまったし、新たに紙コップを用意して注ぎ直すのも面倒だった。
それから少し時が過ぎた後、花見という名の飲み会は終了したのだった。