遊び(4)
「あなたがさっき私のことを彼女だって言ったのも、あの人達から私を庇うためだったんでしょう?」
「そうだね」
彼女の言う通りだったから僕は頷いた。正確には彼女を少しでも助けやすくするための補助的効果を狙ったものだったが。
彼女に恋人発言したことに対して問い詰められるかとは思っていたが、僕の真意はきちんと把握されているようだった。
予想外。彼女は生真面目で愚直過ぎるから、ある意味素直に疑問を持つと僕は考えていた。そして僕に理解できるように、納得がいくまで尋ねてくるだろうと。
まあ彼女が僕の真意を理解しているのなら、余計な説明もせずに済み話が早い。
「やっぱり、ね。私が困っていたからあなたは彼氏だなんて仕方なく頷いてくれたんでしょう。ごめんなさい、私のせいであなたにしたくないことをさせてしまって」
彼女はまた僕に謝罪するときっちりと顔を上げた。
「今度こそもうこれ以上、あなたに迷惑は掛けないから。助けてくれて本当にありがとう。後はもう一人でもなんとかなるから、さようなら」
彼女は頬を吊り上げ僕に笑みを形作った顔を見せると、一人で歩き始めた。僕と彼女が歩いてきた道を逆走する形になる方向へ。
「待った」
僕は彼女を呼び止めた。
驚いた表情を浮かべて振り向く彼女。
「……君はまたあの男達と鉢合わせしたいのかい?」
「えっ……?」
キョトンとした表情を浮かべる彼女。
どうやら僕の言葉の意味がわからないらしい。
「あのさ、君はあの男達に絡まれていた所へ戻ろうとしているんだよ」
僕は指摘した。けれど彼女はそれでもわからないのかクエスチョンマークを浮かべていた。
「僕は君をあの男達から引き離すためにここまで歩いてきたのに、君はその道を戻ろうとしているだろう」
「あっ……!」
僕が言葉を続けた数秒後に彼女はやっと気づいたのか声を上げた。後ろを振り返り歩こうとしていた道を見、また僕の方を向き彼女は一人あたふたとし始めた。
「えっと、ちょっと道を間違えそうになっていたみたいね。教えてくれてありがとう。今度こそもう大丈夫だから」
気まずそうに視線を逸らし気味にした後、彼女は力強くそう口にした。そして彼女はまっすぐ前を向くと歩き始め、僕の横を通り過ぎた。
「ねえ、君は道がわからないんじゃなかったっけ?」
一人でずんずん進んで行こうとする彼女を僕は再び呼び止めた。
彼女は大丈夫だと自分で言っていたし、別に放っておいてもよかった。けれどそれでもし彼女がまた別の男にでも絡まれて、今度こそ犯されでもしたら、折角僕が助け出した意味もなくなるし、何より寝覚めが悪い。
それに……。
僕の横を通り過ぎる瞬間に気づいたが、彼女は自分のバッグを必要以上に握り締め、肩を小刻みに震わせていた。
僕なんかが近くにいた方がさらに彼女を怖がらせるのかもしれないが、そこまで思考する時間はなかった。
「そ、そうね。で、でもたぶん……」
彼女は吃りながら言葉を返そうとしてきたが、語尾は小さく消え、代わりに足を止めたまま、困り焦った表情を僕に向けるだけになった。
本当は大丈夫だとでも続けたいのだろうが、虚勢を張る自信さえもなくなったのだろう。
僕は立ち止まったままの彼女の方へ足を進める。そして彼女よりも数歩先まで歩いた後、振り返り告げる。
「道がわからないんだったら僕の後についてくれば? 僕は駅まで行くからさ」
彼女は無目的に歩き回って迷子になったようだから、知っている場所まで連れて行けばいい。彼女はここまで来るのに電車を使ってきただろうし、仮にそれ以外だったとしても駅まで連れて行けばたぶん大丈夫だろう。
彼女を助けた時点で僕の目的はおじゃんだし、どのみち駅に向かう。
彼女は僕のことを怖がっているのだから、一緒に行こうとは言わなかった。彼女が嫌だったら適当に僕の傍から離れられるように逃げ道を作っておいた。
僕は前を向き歩き始めた。足音が僕の後に続いてした。
どうやら彼女は僕についてくることにしたようだ。
僕は決して振り返りはせずに歩みを進める。速過ぎず遅過ぎず一定のスピードを意識し、淡々と同じリズムで地面を踏んでいく。
僕と比べて響く靴音は彼女の方が徐々に速くなっていき……。
「!」
駅に連れて行くまで彼女の方なんて見ないはずだったのに、僕は思わず立ち止まり振り返ってしまった。
なぜなら彼女が僕の左手を掴んできたのだから。
ギュッと握り締めてくる震え気味な彼女の右手の握力、柔らかさと熱。それらが僕の手に伝わる。
「……」
当の彼女は俯きがちのまま無言。
「……歩くスピードが速かったかい?」
予想外なことに僕は反応が遅れてしまった。
「あ……。ううん、そんなことはないわ」
彼女はさも今気づいたと言うように返事をした。だが彼女がどうして僕の手を握ったのかはまだわからない。
「じゃあどうして君は僕の手を掴んでいるんだい?」
僕は彼女に訊いた。
わざわざ怖がっている相手の手なんかをなぜ自分から掴んできたんだろうか?
恋人ごっこを望んでいる訳でもないだろうに。
僕には予想を立てることすらできない。
「えっと、怖くて。あなたとはぐれちゃいそうで、その、安心したくてつい……。ごめんなさい。迷惑だし、私なんかが握ったりしたら嫌よね」
彼女は狼狽しながら、手を放した。
「……」
僕はどうリアクションすればいいかわからず何も言えなかった。
ベタベタされるのはうっとうしいが、手ぐらい握られたところで僕は別になんともない。しかしだからと言って握っても良いとは口にできない。
彼女は自分からもう手を放したのだし、そう言えば僕が強制させるようなものになってしまうからだ。
僕も、そして彼女も言葉を発することなく黙り込んだまま。お互い向かい合わせに僕は彼女を見つめ、彼女は俯いたまま。
つまりは膠着状態。
このままでは無駄に気まずいだけで状況は何も変わらない。
僕は前を向き、再び歩き始めることにした。
僕はとにかく、迷子になっていた彼女を駅まで連れていけばいいのだ。それが今すべきこと。
ちょっとイレギュラーなことがあったにせよ、それを必要以上に気に掛けることはない。
僕は念のためさっきまでよりも遅めに足を進めた。一歩、二歩、三歩……と一定のペースを刻む。
「……」
僕は少し歩いた後、足を止め、首だけを後ろへ振り返るようにした。なぜならTシャツの裾を引っ張られていたからだ。
案の定、僕のTシャツの裾を掴む彼女の姿が視界に入った。
「どうしたんだい?」
僕はまた彼女に尋ねた。
歩くスピードも落としたし、今度は一体なんだろうか?
「ごめんなさい。迷惑なのはわかっているわ。でも怖くて……。お願い。今だけ、あなた自身には絶対に触れたりしないから。……掴まらせてくれない?」
いつも話す時だけは相手の目を見据える彼女にしては珍しく、俯いたまま彼女はそう言った。
ギュッと僕のTシャツの裾を掴んだまま震えている彼女の手。
「服が伸びるんだけど」
「う……。そ、そうよね。ごめんなさい。やっぱり放すわ」
彼女はより強く握り締めた後、指を緩めた。
「そんなに君が怖くて不安だったら別にさ」
僕はそう言葉にしながら彼女の方を向く。完全に振り返ることによって折り曲げられた彼女の手は宙に浮いた。
僕はその手がだらんと落ちないうちに掴み取った。
「手ぐらい僕は繋いでも構わないよ」
彼女は顔を上げて僕を凝視した。その瞳には驚きの色があった。
僕は注意深く彼女の様子を見る。彼女が少しでも嫌がる素振りを見せたらすぐに放すつもりだった。
彼女が引いているのに握っていたりしたら滑稽。
空回りもいいところだ。
「あ、ありがとう」
彼女は顔を伏せ気味にしながら礼を告げ、僕の手を握り返してきた。
しっかりと彼女自身が力を込めてきている。これはつまり大丈夫だということのようだ。
僕は彼女と手を繋いだまま歩き出した。
手を繋いでいると言っても指を絡めるような恋人繋ぎじゃないし、彼女は半歩遅れてついて来ているため、小さい子供の手を引いてやっているようなもの。
それに女と手を繋ぐなんて僕は腐る程してきたし、特に何か意識することもない。
縋るようにギュッと、控え目だけど少し強く僕の手を握ってくる彼女。どことなく頼りなく脆そうな感じがする彼女の手は僕よりも華奢で柔らかい。
今の繋ぎ方じゃわからないけどきっと指は細長くて、肌は触れば滑らかなんだと思う。
いや、大体、平均的に考えて多少の誤差はあっても女の手はそんな感じだから、何も彼女に限った話じゃない。
わざわざ繋いでいるからって、手云々でここまで思考する必要は全くない。




