遊び(1)
日差しが強い。気温は高く、空気そのものが熱されているようなじっとりとした暑さ。遠方で陽炎がゆらゆらと揺らめいている。
今は七月の中旬だが、もう真夏と言ってもいいのではないかと僕は思っていた。
街路樹にとまっているであろう蝉も大合唱しており、よりいっそう暑さを際立たせていた。
「ねえキミ、愛想悪いよ~。今日一日だけの関係だけど、せっかくヤるんだし恋人の真似事ぐらいしてくれたっていいと思うんだけど~」
語尾を不必要に伸ばす話し方が特徴の女は、歩きながら僕の腕に引っ付いてきた。おかげでより暑くなり不快だったが、無下に追い払う訳にはいかない。
なぜならこの女は今回の遊び相手。
お互いにしたいことを終えるまでは最低限の付き合いは必要なのだ。
「つれないな~。キミぐらいの顔だったら出会い系使わなくても、彼女の一人や二人すぐにできそうなんだけどな~。もしかして無愛想過ぎてできないからサイト使っている感じ? 本当は不器用なだけなのかな?」
「そんなんじゃない。僕はただ恋人なんて面倒なものが嫌いなだけだ」
僕はムッとして答えた。僕が駄目な奴みたいだと思われてはたまらない。
「あ、やっとまともな反応、返してくれた~」
高めの間延びした声を嬉々させながら女は言った。胸辺りまでの明るめな茶色のロングヘアーに少し濃い目の化粧をした顔は笑っていた。
「アハッ。ヤるためだけの女を求めてるって感じだもんね、キミ。しかも一回限りの。キミ、同じ相手とは二度としないし、相手と完全に連絡を断っちゃうもんね。電話もメールも着信拒否。ね、そうでしょう? 私、知ってるよ~」
「なんで君にそのことがわかるんだい?」
僕は内心驚きつつ、平静を装いながらそう訊いた。
確かに僕はこの女の言う通り、一度相手になってもらった女とは二度と寝ないし、連絡も取れないようにする。相手をいちいち探すのは手間がかかるが、二度も三度も付き合ってお互いの性欲処理以上の関係を求められる方がずっと面倒臭いからだ。
本気で付き合って、恋人になってとか言われたらたまったもんじゃない。必要以上に親しくなるのも煩わしかった。
だから実際に一度会ってしまったら、その相手の電話番号とメールアドレスは、それぞれ着信拒否と受信拒否リストに入れてしまう。サイト上でもブロックして二度と関わらないように、また関われないようにする。
どうやってこの女はそのことを知ったんだろうか?
「キミ、出会い系でやり取りするのは異性のみだって思ってない~。同性同士で絡んで情報交換したりもするんだよ~。ま、他にも色々とあるけどね~」
ケタケタ笑いながら女は答えた。
「……」
他の女にも僕のことが知れ渡っているとは。
そろそろ潮時か。
利用するサイトを変えるべきなのかもしれない。必要以上に相手に僕のことを知られているような事態は避けたい。
だが新たに良いサイトを探し出すのが骨だ。
出会い目的のサイトなんて有料かサクラが動員された悪質な所ばかり。両方の悪条件を満たしているえげつないサイトもあるくらいだ。騙されないように、無料で後腐れなく済ますことのできる相手を、安心して探せる場所を見つけるのは手間が掛かる。
「また黙り込んだ~。私と話すのめんどい? そもそも感心ない? というか名前すら覚えられてなかったりして~」
「千夏」
僕はぼやく女の名を、正確にはハンドルネームを呼んだ。
「あはっ、意外~。名前覚えていてくれたんだ~」
千夏は大げさに驚いてみせた。どこかからかいを含んだその声とリアクションに僕は眉をひそめる。
こうして会うまで、メールでやり取りしていたのだ。よほど物覚えの悪い奴でもない限り名前ぐらいは覚えている。
それに僕は今まで会った女の名前ぐらいは把握している。再び素知らぬ顔でサイト上で絡んできたり、稀にアドレスを変えてメールを送ってくる女もいるからだ。
千加、千代、千恵だとか「千」の字が含まれた名前なんかも流行りなのかなんなのか知らないが、多かったりもする。
「そういえばキミの名前って本名っぽくないよ~。『白』なんてさ~。しかも読みは『シロ』とかさ~。どっかのワンちゃんみたい~」
千夏は僕にベタベタ引っ付いたままそう言った。
「君だってどうせ本名じゃないだろう?」
適当に決めたハンドルネームなんて不確かなものに、とやかく指摘される筋合いはない。
「まあそうなんだけどさ~。明らかに偽名って感じだとなんか萎えない?」
「別に」
「キミ、つれなさすぎ~。せっかく会ったんだから一日ぐらい疑似恋愛を楽しもうよ~」
千夏は唇を尖らせる。
うっとうしい。
千夏と話すのが面倒でたまらない。
僕は雰囲気だとかそういうのは一切求めていない。目的さえ果たせれば他はどうでもいい。
ホテル街に入ったものの、僕が千夏を連れて行く予定の場所まではまだまだ歩かなければならない。
苛々する。
僕が自分でこうして相手を求めた結果なのだから、少しぐらい我慢するのは当然のこと。いつもと同じようにちょっと辛抱すればいいだけだ。
なのにどうしてこうも癪に障るんだろうか?
そんなことを考えていると腕に絡み付いていた熱が消えた。
「キミ、むっつりし過ぎ~。なんかイライラしてる感じする~。なんで~?」
「別に苛ついてなんかない」
会った時からベタベタしてくる千夏にうんざりしていたが、そうは言わない。無駄に話をこじらせれば面倒なことになるだけだ。
「……」
僕は振り返った。千夏が立ち止まったからだ。
「私が相手じゃ嫌?」
間延びさせずに発せられた言葉。
笑みを消した表情から、千夏が真面目に話していることがわかった。
ここで嫌だと答えれば、きっと千夏は機嫌を損ね帰ってしまう。わざわざサイトで見つけた都合のいい相手を、みすみす逃すわけにはいかない。
身体も心もすっきりできなければ全てが無駄骨。それにここで千夏に帰られたら、僕に問題があったような感じになってしまう。
「嫌じゃない」
僕は仕方なく千夏の手を取り歩き出した。
ただ否定するだけじゃ大概の女は納得しない。少し強引にそう思っていることを証明しなければならないのだ。
「やっとキミから動いてくれた~」
千夏は嬉しそうな声を出した。別に千夏を喜ばせるためじゃなくて、僕の目的を達成するためなのだが。しかも半ばそうせざる負えないように仕向けられた。
僕は内心、よりいっそう不愉快になった。
それと同時に既視感を覚えた。
自分から手を引き歩くこの状況。
湊有沙のことが脳裏を掠めた。僕が東階段に連れて行ってしまった二日後に、律儀にも礼を言い来た彼女のことが。




