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高校生編

 演奏が開始したのは、蝉がミンミンと最高潮に喚き始め、正午にもなっていないというのに太陽が図々しく存在を誇示している、そんな頃合いだった。

 普段ならこんな暑苦しい日々はだらけて文句をタラタラと並べるのに、アラタの掛け声がプールサイドに響くと胸がとくんと突き上げてきた。

 それは、確かに左胸からだった。

 突きあがる鼓動と振動が妙に心地よく、今までに経験したことがないような興奮状態に陥った。

 アラタの掛け声が引き金になったのかはわからないが、透明で太陽の光を存分に浴びた水面が少しだけ揺れた。水面に映る俺たちの姿も一緒になって揺れて歪むが、楽しくて踊り始めたように見えなくもない。


 心臓の音がうるさい。

 これはなんだ?

 興奮しているのか?


 楽しさのあまり興奮しているのか、はたまた緊張しているのか。今の自分の感情をうまく把握できないが、手に力が入っていることにはかろうじて気がついた。握っているマイクは安いライブハウスで借りたため質が悪く、音が割れたが、不思議と気にならない。

 即席で作ったこのステージがスポットライトを浴びたかのように輝きを放つ。

 蝉の煩い愛の告白だけが響いていた中、走り抜けるようにしてドラムが横からやってきた。


 最高だ。


 心の底からそう思えた。

 ああ。

 なんて最高なんだ。

 こんな空間で蝉をBGMに響くドラム音がかっこ悪い訳があると思うか? かっこいいんだよ!

 スタートダッシュを今か今かと待ち望んでいたギターとベースが仲良く駆け抜ける。

 ドラムは爽やかにリズムを刻み、鼓動と共鳴する。


 ああ、

 ああ、なんなんだ。

 暑苦しい太陽?

 クソみたいな大人?

 縛られた世界?

 囲われたコンクリート?

 それがどうした!


 思いの丈をぶつけようとしていたわけではないのに、感情が音と共鳴したかのようにあたりを揺らし、響き、伝わる。



 ――これが俺たちのファーストライブだった。



 ◇ ◇ ◇


 一曲歌い終えるか、終えないか。

 そんな時、血相変えた教師が現れた。

 目の前のフェンスにはダンボールが貼り付けているが――それはもちろん、誰が演奏しているのかわからないようにするための目隠し要因だったのだが――上から覗き込むようにして見れば誰が演奏しているかなどあっけなくわかってしまうマヌケな抵抗だった。丸見えもいいとこだ。

 般若の顔で現れた学年主任と何を考えているのかよくわからない無表情の教頭が先陣を切ってドシドシと向かってきた。その二人の背後にニヤニヤとだらしない表情をした桜川先生も視界に入ったが、あまりに苛立たしい表情だったので、すぐに視界から外した。


「お前たち何をやってる!」


 ゆとりやらさとりやらそう揶揄される今時の生徒と向き合うにはストレスが生じるのか、学年主任の頭部は寂しく、怒り模様を表した血管がよく見えた。


「早くそのうるさい音をとめなさい!」


 ――それは無理だ。

 そう言ってあげたいが、この演奏を途中でとめることもできない。

 結果として、先生の話を無視して歌い続けた俺を先生は反抗期の糞餓鬼だと認識したようで、顔を怒りで赤らめながら「聞いてるのか!」とマイクに負けじと怒鳴った。


 なかなかいい声してるじゃないですか。


 バカにしたわけではなかったが、生意気にもそう思った。

 気分が良かったからかもしれない。

 教師の怒鳴り声、頭ごなしの罵声。何もかもが気に入らなかったはずのものが聞き流すことができていた。

 悪くない。



 ◇ ◇ ◇



 間奏に入ると、ユーヤが待ってましたと言わんばかりに俺へ近寄り、マイクに音を拾わせるように「しばし、ご拝聴願います」と優雅に言ってのけた。このタイミングでよくそんな台詞を吐けるな、と呆れる反面、高揚感からかそれも悪くないなと口角をあげそうになる。

 が、そんな感情は当然、暑さで脳がやられてる俺だけで、ユーヤの恭しい態度が先生の怒りを余計買ったことは言うまでもない。

 しなくても良いパフォーマンスを無駄にひけらかすのがユーヤという人間であるのに、もう感覚が麻痺していた。


 それから間もなくして、プールサイドに他の教師たちが侵入してくるのが横目に入った。

 逃げ出そうにも囲われたフェンスにはダンボールを貼り付けてしまっていたので、フェンスに足をかけて外へ逃げ出すということが困難なのは考えなくとも自明の理だ。

 みつからないために囲ったはずのダンボールが今じゃ逃げ出さないための檻にかわっている。その様があまりにも滑稽だった。


「まるで、青春劇場だな」


 響いた声はどこか芝居じみていて滑稽さがまた増した。


「喜劇だといいけど」


 緊張感の欠片もないようなふざけた声音が聞こえ、発言者へ視線を漂わせるとそこにはわざとらしく肩を竦めたマサカズが映った。

 この滑稽な終わり方も特に気にしていないような、そんな表情をしているマサカズに、なんだ、俺だけじゃないのか、と安心してしまった。


 そうだよ。

 興奮してるのはなにも俺だけじゃない。


 わかってしまえば、もう、俺は笑っていた。

 何が楽しくて、何がバカバカしくて、何が悪くて、何に先生がそんなに怒りを感じているのか。

 そんなあれこれ考えることも、もうどうでもよかった。


 ただ、楽しい。


 それ以外は何もわからなくてもよかったんだ。



 ◇ ◇ ◇



 こうして俺たちのファーストライブは、オリジナルの一曲を歌い終えると呆気なく幕を閉じた。

 演奏を辞めて少し経つと先生の響き渡る怒声なんかがやっと脳に響いてきた。そんな頃、汗で張り付くシャツだとか、マイクが太陽の光を浴びて熱いだとか、そんなどうでもいい、げんなりした現実もいっきに戻ってきた。

 結局のところ、俺たちのライブは成功だったのだろうか。

 今となってはもうどうでもいいことをぼんやり考えていると、今まで黙ってその場に立っていた教頭が抑揚のない声で静かに「校長室へ行きなさい」と言い放った。

 俺たちは顔を見合わせて事の大きさを確認し合った。と、思っているとユーヤと目があった瞬間「校長室なんてあったか?」と見当違いなことを真剣な顔で聞いてきたので呆れつつも「知らない」と答えた。

 学年主任は、相変わらず顔を真っ赤にさせ、怒り爆発といった表情をしていたが、多分この先生の反応が一般的なんだろう。無反応の教頭にニヤニヤとなんともいえない表情の音楽教師がまともじゃないんだ。


「聞いているのか!」


 またしても学年主任が吠えた。

 なんだかなー、と急にやる気を失った己の脳細胞に流されるままぼんやりしていると「その楽器はどこのかな?」と、教頭がわざとらしく聞いてきた。これはイヤミな奴だと眉をひそめたが「暑いのにご苦労だな」とどこか労わるような声音でぽつりとこぼしたので、なんだかもうどうでもよくなった。

 どうせならこの人に怒られたいな、と考えその場で立ち尽くしていると学年主任がまたしても大きな声で「何してる! 早く行け!」と喚いたので俺たちはこの小さな檻のようなステージから漸く降りた。

 振り返って見てみればなんてことのないただのプールサイドだった。



 ◇ ◇ ◇



 結局誰一人校長室の場所を知る者が居なかったため、引率として桜川先生が指名された。


「それにしても、案外早く来たもんだな」


 校長室とやらへ向かう途中、ユーヤが隣で歩きながらこぼした。


「なにが?」

「先生達だよ。朝礼があったからぐだぐだになって、来るのはもっと後だと思ってたから。正直、そのことが一番驚いてる」

「確かに、そう言われてみれば。でも、」


 どうでもいい、と続けようと思ったが、そこで一度区切った。言ってしまえば何かこの幸福な余韻に間がさしそうかな、と考えているとすぐ後ろを歩くマサカズが「どーでもいいよ! そんなこと!」とわざわざ声を張り上げて、本当にどうでもよさそうに言い放った。そのやりとりがあまりにもいつも通り過ぎてつい笑ってしまった。


「お前たちは黙って歩くこともできないのか? 何だったらできるんだ」


 桜川先生は説教でも始めるつもりなのか、やけに教師じみたことを言い放った。


「音楽」


 恥ずかしげもなくすんなりと言葉を紡いだのはもちろんユーヤだった。

 俺なら恥ずかしくて悶えるところだが、ユーヤは恥ずかしくもなければ気取った態度でもなく、ただ本当にそれしかできないかのようなニュアンスで言い放った。


「いや、できてねぇし」


 音楽教師の前では、禁句だったのかもしれない。

 桜川先生は、音楽を侮辱されたかのごとく顔をしかめた。そして、その怒りをそのままにユーヤの前で向かい合うようにして立ち止まった。


「青春バンドなんてな、自己満足なんだよ。恥ずかしげもなくよくあんな音を流せたな」


 その言葉の凶器につい不快感がこみ上げ、本能のままにムッとした表情をつくる俺たちに、すかさず「勘違いするなよ。下手だから演奏するな、と言ってるんじゃない」と続けた。


「そう言ってるように聞こえる」

「満足するな、驕るな、楽しければ他は何もいらないと投げやりになるな、大人は汚いと都合よく子供に戻るな。これが言いたい」

「…お前の、ただの愚痴じゃねぇか! なにができてねぇ、だよ。音楽語ってねぇじゃねぇか!」


 ユーヤの反論にこのときばかりは同意した。みんなもそうらしく、二、三度頷いていた。


「そもそも、お前が音楽教師ってのがおかしい」


 ユーヤの口調が芝居がかってきたので、これはこれで厄介な展開だな、と心中でため息をこぼす。


「そんなことどうでもいいから」


 しかし、マサカズの一蹴により――ある一人を除けば――話はあっさりと転がった。もちろん、例外であるユーヤは黙って流れを眺めているはずもなくペラペラと饒舌に訴えていた。

 だが、隣で変わらず喚いても誰一人話を聞いて居ないことにようやく気づくと、少し落ち着いた。

 その間にもマサカズの話は続いていた。


「校長先生は僕らのことを処罰するのかな?」

「まぁ、それが妥当だろうな」

「桜川先生はどう思いますか」

「知るかよ」


 教師としての意見もなければ、顧問としてもの意見もないのか、と誰かが叫べば、桜川先生は目を見開いて「コモン?」と片言に発した。


「顧問でしょ?」


 甘ったるい声音で――媚びるように――マサカズが尋ねると、桜川先生は勘弁してくれ、と言わんばかりに大きなため息を吐き出し、頭を左右に振った。


「まさか。お前、俺を頼る気か? 気は確かか? 勘弁してくれ」

「そうだぞ、マサカズ」


 ユーヤが誇らしげに滔々と言い放った。


「お前は黙ってろよ」


 どうせ喧嘩がはじまるだろうと思いユーヤに声をかけたが、俺の声にかぶせるように「こんな男が俺たちを守る? 夢見る夢男は頭がお花畑だな!」とわけのわからないことを喚き散らした。


「そんなことどうでもいいからもう黙って部屋に入れよ」


 桜川先生は呆れたのか、それとも疲れたのかはわからないが『校長室』と描かれたプレートのしたのドアを指差して言い放った。


「言われなくても入るに決まってんだろ」


 ちょっと待て、と言うよりも先に豪快にノックし、校長先生の返事も聞かずにドアを開けた。


 やめてくれ。


ご無沙汰すぎて…

すみません。

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