17
大人は狡い。狡猾で憎たらしく、大人になどなりたくなかった。でも、どうやったって、時は平等に流れる。
「天ー、ここにいたのかよ」
「…何か用?」
でかいため息とともに嫌味のように言い捨てた。
「返事、聞かせてよ」
ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべた。
本能のままに顔を歪めて見やると、コイツは愉快そうに口角をあげた。
「なぁ。もう素直んなれよ」
コイツ、志間 雄哉が、わかりきったような顔で話すことに、いつも以上に、無性に、腹が立つ。
この世界の神だとでも思ってんのかよ。
「…お前もモノ好きだな」
「お前がわかってないだけだよ。今にも死にそうなくせに」
くつくつと、人が嫌いそうな笑い方をする男だ。いかにも馬鹿にした笑い方に大袈裟にため息を吐き捨ててやった。
「とーにーかーく。…俺たちのバンドへようこそ」
志間が仰々しく両手を広げた。その向こうに見える真っ青な空が憎たらしいほど綺麗な青色で、目が眩んだ。
「…屋上で両手広げるなんて、恥ずかしいやつ」
視線を逸らして言ったが目の前の男が嫌らしく笑っていることは感じ取れた。
◇ ◇ ◇
志間と初めて会ったのもこの屋上だった。俺はいつものように一人で寝転がっていた。BGMもいつも決まったあの曲で。
「なぁ。それ『ペンギン』?」
大音量で聞いていたので、すぐに反応できず、変に間が空いてから「ああ」と答えた。
「マイナーなの聞いてんなー」
ニヤニヤ笑いながら言つ姿が少し頭にくる。無視して視線を外した。
「お前、名前は?」
妙に馴れ馴れしい男に警戒はしていたが、その馴れ馴れしさが続くほうが面倒だと思い直し 「シノヅカ タカシ」 と答えた。
「ふーん。タカシってどんな漢字?」
「…天気の天でタカシ」
「いい名前だなー。タカシっていつもここにいる?」
「…ああ」
そう応えるとコイツはパッと笑顔を見せた。それは、嫌な予感のする笑みだった。
「俺は志間 雄哉。俺のバンドに入らない?」
俺はコイツに関わったことを激しく後悔した。
「はぁ? お前、頭沸いてんのか?」
「探してたんだよ。いっつもペンギンなんかマイナーな曲を気持ち良さそうに歌ってる奴を」
そう言うと、志間は意味ありげに視線を投げた。
だが、大音量で流して、申し訳程度にしか歌った覚えはない。
「…人違いだ」
「ふーん。まぁ、天がそう言うならべつにいいけど。それより、これ」
ポケットからアイポッドを取り出した。しかも最新の。
「これ聞いて」
「…俺、別に音楽に詳しいわけじゃねーよ」
「いいから」
そう言うと無理矢理俺にアイポッドを押し付けた。
「それ、一週間貸してやるから。返事、その時に聞かせろよ」
俺の返事も聞かずに、言い終わるとすっと屋上から姿を消した。
別に、聞いてやる義理なんてなかった。
それは頭のど真ん中ではっきりと理解していた。それなのに、なぜかイヤホンを耳にしっかりはめ込んでいた。
アイポッドには「No name」というアーティスト名が一組入っているだけだった。無駄な使い方に、これだから金持ちは…と悪態をつけながら再生した。
身体の中で存在感を示すかのような重低音。待ってましたと言わんばかりに後を追いかけるドラムの軽快なリズム。自分の心臓も一緒に奏でられたかのようにリズミカルに動いていた。
「くそ。こんなの一週間も聞けってか」
呟いた自分の声が邪魔だ。呼吸の音さえも消えてほしい。
そして、いつの間にか午後の授業をぶっちしていた自分の素直さに笑いたくなった。
それから一週間、志間は姿を現さなかったが、一週間きっかしの今日、この屋上に現れた。
「天ー、ここにいたのかよ」
まるで、仲のいい友達かのように。
◇ ◇ ◇
「で、お前の仲間ってやつは?」
「あぁ、言ってなかったっけ?」
「知らねーよ」
吐き捨てると、またニヤッと口角をあげてから、俺の隣に座った。
「そろそろ来ると思うけど」
絵具で柔らかく塗りつぶしたような空に、暑苦しい熱気が身体にまとわりつく。息をするだけで身体から汗がわき出てくる。まるでエネルギーを身体のあらゆるところからねこぞぎ奪ってやろうとする気候に負けそうな一日。
「さっき連絡あったからさ。あ、天のアドレスも教えといてよ」
アイフォンをこちらに向けて、にっこりとほほ笑む。その姿はこの暑苦しい夏にマッチしていて思わず溜息を吐き捨てた。
「暑苦しい男…」
そう言いつつ、ポケットから携帯を取り出してるんだから俺も大概だな。
入力してやろうと携帯を覗き込むとけたたましい音が鳴った。
「あ、わり。電話だわ」
そういってアイフォンを耳にあてた。
「もしもし? あ、今どこ?」
電話に夢中になっている志間を横目にもう一度アイポッドを起動させた。こんな空の下でイヤホンから聞くのがもったいない気がして、本体からイヤホンを抜き取りBGM代わりに流してやった。ヴォーカルはいない。ただのバックミュージックにはもってこいだ。だが、この高鳴る胸には刺激が強すぎる。
「ahaaaaqaaaaaa.nmmmmmmmm.hutoamfilsjly.xxx」
わけのわからないハミングで胸に突っかかる激しい何かを吐きだす。出鱈目な英語。
高校生がなんだ。大人が何だ。くそ。
「おい」
いつのまにか志間の仲間が数名、ドアから仰々しく姿を現していた。
「こいつがヴォーカル?」
一番前に偉そうに立った男が言い放った。すごく綺麗な顔つきが迫力に拍車をかけている。
「うん、そう。聞こえてたっしょ?」
それに負けじと飄々と志間が言った。ほんとに食えない奴。
「ああ。お前、名前は?」
「…篠塚 天」
「タカシ? どんな漢字?」
一番前の綺麗な顔の奴の隣から人懐っこい笑顔で聞かれた。
「天気の天」
「良い名前だね。僕は平井 マサカズ。真の和と書いて真和。よろしく」
そう言って手を差し出されて、自分が厚かましく座っていたことを思い出し、すぐ立ちあがって手を取った。
「こちらこそ」
「ちょっとタカシ。なに? その態度。俺の時と全然違くね?」
志間がしゃしゃり出てきたので、無視しようとしていたがマサカズが律義に返答した。
「いや、ユーヤは態度がでかいからじゃない?」
マサカズとユーヤが話しこんでいると綺麗な顔の奴が「俺は、坂野 ハルト。晴れに人で晴人。よろしく」と手を差し出した。
「よろしく」
「あ、俺は中村 アラタ。新しいの一文字で新です」
おとなしそうな雰囲気にマッチした声色に心が安らいでいく。思わず微笑み返した。
「これでメンバーが揃った」
偉そうに、両手を広げて言うユーヤに残りのメンバーが大袈裟に溜息をこぼした。
「ヴォーカルは新しく加わったタカシだ。ちなみに俺はギター。マサカズはドラムでアラタがベース。ハルトはマネージャーみたいなもんだから」
くいっと口角を持ち上げるとユーヤは、大きな声で「レディースアンドジェントルマーン」とさして発音の良くないカタコトで言い張った。
「ショータイムだな」
実に面白そうに笑いながらハルトが続けた。
こうして真夏のど真ん中で俺たちのショーが開幕した。