とある魔女と騎士のおはなし
「おい、このポーション。色が不気味すぎて、飲む前に呪い殺されそうなんだが?」
カランカランと、古びたドアベルが小気味いい音を立てる。
王都の路地裏、朝霧が残る時間に現れたのは、磨き上げられた白銀の甲冑に身を包んだ青年だった。その見事な金髪と、彫刻のように整った美貌。王都の令嬢たちがこぞって黄色い声を上げる近衛騎士団の若きエース、伯爵家の次男カイル・フォン・アストレアである。
「おはようございます、カイル様。相変わらずお口が悪いようで。その『不気味な色』は最高級の月見草を煮出した証拠です。嫌なら王宮の御用達にでも頼めばいいじゃない」
カウンターの奥から、この薬屋を切り盛りするリゼが冷ややかな視線を向ける。リゼは艶やかな黒髪を無造作にまとめ、袖をまくり上げて大きな釜をかき混ぜている。
彼女は伝説の大魔法使いナジャに育てられた魔女だ。十六歳で独り立ちしてから、彼女はこの小さな店を始めた。
店を始めて3年。彼女の作る薬は質が良く、売れ行きも好調だ。
「ふん。王女殿下が『リゼの作ったものでないと嫌だ』と駄々をこねるから、わざわざ俺が足を運んでやっているんだ。感謝しろ」
「あら、殿下には感謝していますよ。でも、あなたには頼んでいません。……で、今日は何? またお使い?」
カイルは手近な椅子にどっかと腰を下ろすと、革袋から包みを取り出してカウンターに置いた。
「これ。……通り道で余っていたから買ってきた。お前の不健康そうな顔を見ていたら、毒でも食っているんじゃないかと心配になってな」
中身は、リゼの好物である「銀の星」亭の焼きたてアップルパイだった。王都で一番人気の店で、朝から並ばなければ買えない代物だ。
「……これ、並ばないと買えないやつですよね。通り道で余ってたなんて嘘」
「うるさい。魔女のくせに観察力が鋭いな。不吉だぞ」
二人の付き合いは、一年半に及ぶ。
きっかけはカイルが王女の使いで「二日酔いに効く薬」を買いに来たことだった。以来、彼は公務の合間や非番の日に、何かと理由をつけてはこの店に現れる。
そして必ず、リゼを苛立たせる余計な一言と、彼女が喜ぶ差し入れをセットにして置いていくのだ。
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「リゼ。お前、また目の下にクマができているぞ。鏡を見たことがあるか? 幽霊かと思った」
「放っておいて。新作の調合で忙しかったの。カイル様みたいに、キラキラした鎧を着て歩き回るのが仕事の暇人とは違うんです」
「暇人だと!? こっちは昨日も夜通し警備だったんだ! お前の店があるこの区画を重点的に回ってやったのに、その言い草は何だ」
リゼの手が止まる。
(……重点的に回った? 私の店があるから?)
胸が少しだけ騒いだが、彼女はすぐに首を振った。この男がそんな殊勝なことを言うはずがない。どうせ「治安の悪い裏路地に魔女の店なんてあるから、手間が増えて迷惑だ」という意味に決まっている。
「あら、ご苦労さまです。でも、私が頼んだわけじゃないので、お礼は言いませんよ」
「だろうな! お前という女は、可愛げという概念を母親の腹に置いてきたのか?」
「ナジャ様は私の母親代わりですが、あの方に可愛げを求めたら石に変えられますよ」
リゼが毒づくと、カイルは鼻を鳴らしてアップルパイを無理やり彼女の口に押し込んだ。
「もぐ……っ、なにするのよ!」
「喋るな。食べていろ。……少しは、休めと言っているんだ。倒れられたら、殿下に報告する俺の身にもなれ」
カイルの瞳が、一瞬だけ柔らかく揺れる。
彼はリゼの、自分一人で全てを背負い込もうとする頑固さが危なっかしくて仕方がなかった。魔女というだけで偏見を持たれやすい彼女が、この街で一人、必死に居場所を守っていることを知っている。
「……カイル様こそ。さっきから右腕を庇ってる。昨日の警備で、また無茶したんでしょう」
リゼはパイを飲み込むと、棚から小さな小瓶を取り出した。
「これ、試作品。筋肉の強張りを取る塗布薬。余ってるから、あげる」
「ふん、試作台にされるのは御免だが……。まあ、捨てられるよりはマシか」
カイルはぶっきらぼうに瓶を受け取ると、リゼの指先が自分の手に触れた瞬間、わずかに顔を赤らめて視線を逸らした。その様子に、リゼもまた耳の先まで熱くなる。
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その日の午後。王都の広場で魔物が暴れるという騒動が起きた。
リゼが店を飛び出すと、そこには既に近衛騎士団が展開していた。中心で剣を振るうのはカイルだ。
彼は鮮やかな剣筋で魔物を圧倒していたが、逃げ遅れた子供を庇った瞬間、魔物の放った毒の牙が彼の肩をかすめた。
「カイル!」
リゼは叫び、咄嗟に魔法の障壁を展開する。
魔物は騎士たちの追撃で討伐されたが、カイルはその場に膝をついた。
「バカ! 何やってるのよ、この美形バカ!」
「……っ、リゼ? なぜここに……。危ないだろうが、引っ込んでいろ……」
カイルの顔色がみるみるうちに青白くなっていく。リゼは迷わず彼の肩を剥き出しにし、傷口に手を当てた。
「喋らないで。毒を中和するから。……痛いのは、我慢して」
リゼが魔力を流し込むと、傷口からどす黒い霧が立ち上る。痛みに顔を歪めながらも、カイルはリゼの真剣な横顔を見つめていた。
「お前……、泣いてるのか?」
「泣いてない! 埃が目に入っただけ!……あんたが死んだら、毎日アップルパイを運んでくれる運び屋がいなくなって困るでしょ!」
「……ふん。やっぱり、お前は……可愛くない魔女だ」
カイルは力なく笑い、そのまま彼女の肩に頭を預けた。
数日後。
リゼの店の前には、またしても白銀の鎧を纏った男の姿があった。
肩に包帯を巻いているものの、その足取りは軽い。
「おい、魔女。あの変な色の薬のせいで、傷跡が全く残らなかったぞ。せっかくの騎士の勲章が台無しだ。どう責任を取ってくれる」
「あら、それなら今からナイフで切り刻んであげましょうか? 好きなだけ勲章を増やしてあげるわよ」
カランカラン、とドアベルが鳴る。
リゼは呆れた顔で彼を出迎えたが、その手には既に、彼のための滋養強壮に効くハーブティーが準備されていた。
「これ。また『通り道で余った』って言うんでしょ。今日の差し入れは何?」
「今日は、お前が欲しがっていた東国の珍しい薬草の種だ。……手に入れるのに苦労したんだぞ。まあ、お前が育てられずに枯らす姿を見るのが楽しみだがな」
「枯らさないわよ! 最高のポーションにして、あんたの口に無理やり流し込んでやるんだから!」
二人は顔を合わせれば、相変わらず言葉の槍を飛ばし合う。
けれど、カイルが差し出した種を受け取るリゼの指は優しく、カイルがリゼを見る瞳には隠しきれない熱が宿っている。
「……ねえ、カイル。あの時、助けてくれてありがとう」
「……。お前を助けたわけじゃない。市民を守るのが騎士の義務だ。勘違いするな」
カイルはプイと横を向いたが、その耳は真っ赤に染まっていた。
リゼはそれを見て、クスクスと意地悪そうに笑う。
「ふーん。じゃあ、明日の非番の日、私がお礼に食事に誘おうと思ったけど、義務なら必要ないわね」
「……おい。誰が必要ないと言った。……行く。……行くに決まっているだろう。エスコートしてやるから、せいぜいマシな服を着ておけよ」
最後まで素直になれない騎士と、そんな彼をからかいながらも愛おしく思う魔女。
王都の路地裏には、今日もお騒がせな「ケンカップル」の怒鳴り声と、甘い空気が漂っている。




