第9話 空いたはずの椅子
第9話 空いたはずの椅子
戦場の端にあるその場所は、
ノアとレオンにとって「安全地帯」だった。
戦況がどうであれ、
誰が倒れ、誰が怒鳴っていようと、
あそこだけは不思議と静かだ。
「……今日も、やってるな」
ノアが言う。
「やってるな」
レオンも同意する。
二人は、慣れた足取りで机へ向かった。
椅子は二つ。
どちらも簡素だが、座り心地は悪くない。
ノアが先に腰を下ろし、
レオンが向かいに座る。
それだけで、肩の力が抜けた。
「生き返るな……」
「生き返る」
二人は、ほぼ同時に湯を受け取る。
特別な味はない。
だが、この時間があるかどうかで、
一日の消耗はまるで違った。
――その時だった。
空気が、変わった。
音が消えたわけじゃない。
戦場は相変わらず騒がしい。
それでも、
何かが近づいてくる気配だけが、
はっきりと分かった。
ノアの指が、わずかに止まる。
「……なあ」
ノアの喉が、引きつった音を立てた。
「言うな」
レオンの視線は、すでに戦場の影に固定されていた。
赤と、銀。 戦場における「死」の代名詞。
逃げる、という選択肢はなかった。
背を向けて走れば、
その瞬間に獲物として認識されることを本能が理解していた。
鎧越しでも分かる存在感。
「……《紅と灰》だ」
ノアの声は、ほとんど息だった。
「最悪の組み合わせで来たな……」
二人は、椅子に座ったまま石のように固まった。
エリスとソフィアが近づく。
足音が聞こえるたび、ノアの肺から空気が削り取られていく。
机の前に立ったエリスが、
あの「場違いな美しさ」を持つコップを置いた。
その瞬間、ノアの身体は思考よりも先に動いた。
弾かれたように立ち上がり、一歩、また一歩と椅子から遠ざかる。
レオンも同様だった。
謝罪も、譲歩の言葉も出てこない。
ただ、生存本能が「その場所を譲れ」と命じていた。
ノアは、視線を合わせないようにしながら、
必死で「気配を消す」努力をする。
結果。
二つの椅子は、
見事にエリスとソフィアの前へ「空いた」。
「……え?」
エリスが一瞬だけ首を傾げる。
ソフィアは何も言わない。
ただ、
そのまま――自然に座った。
ノアとレオンは、
横に立ったまま動けなくなった。
(座られた……)
(完全に……)
(俺たちの椅子……)
だが、言えるわけがない。
言えるはずがない。
《紅と灰》だぞ?
「……落ち着くね」
ソフィアの声が聞こえる。
ノアは、心の中で絶叫していた。
(俺の椅子なのに!!!)
だが、声には出せない。
レオンも同じだった。
二人は、
微動だにせず、ただ立っていた。
湯気が立つ。
静かな時間が流れる。
エリスとソフィアは、完全にくつろいでいる。
ノアの足が、少し痺れてきた。
(長い……)
(いつまでだ……)
やがて、二人が立ち上がる。
「また来る」
その一言を残し、
《紅と灰》は去っていった。
エリスたちが去った後、二人はしばらく動けなかった。
「……座れるか?」
レオンの問いに、ノアは首を振った。
あの椅子には、まだ《紅と灰》が残していった
「死の余熱」がこびりついている。
座るなど、自ら棺桶に入るようなものだった。
二人は無言で離れ、瓦礫の中から新たな椅子を二つ、引きずってきた。 それを元の椅子の隣――少しだけ距離を置いて並べる。
「……これでいい」
「……うん、これで」
俺は、それを見て、ただ無言で机の位置を数ミリ調整した。
椅子が二つ増え、四つになった。
それがこの場所の新しい「形」であるなら、俺はそれを等しく整えるだけだ。
ノアとレオンは、
新しい椅子に腰を下ろしながら、
同時に思った。
(……あの二人、怖すぎる)
(でも……)
(また来るよな、ここ)
戦場の端。
静かな場所には、
今日は椅子が二つ、
増えていた。
椅子が二つ、増えました。
増えていく物語の行方を、
ブックマークで見守っていただければと思います。




