第5話 湯のある場所
第5話 湯のある場所
その日、別の男がやって来た。
戦場が少し静まった頃だった。
剣戟の音が遠のき、土煙が落ち着き始めた時間帯。
男は、何も言わずに近づいてきた。
ただ一つ、違っていたのは――
彼の手に、椅子があったことだ。
瓦礫の中から拾ってきたのだろう。
脚の一本が少し歪み、
背もたれにはひびが入っている。
それでも、
この場所には、よく合っていた。
男は、すでに座っている男の隣に、
その椅子を置いた。
位置を少しだけ調整し、
長い机との距離を測るように視線を落とす。
それから、
もう一つ。
彼は机の上に、
小さな木のコップを置いた。
新品ではない。
削り跡が残り、縁も揃っていない。
自分で作ったものだと、すぐに分かる。
俺は、そのコップを手に取った。
軽い。
戦場で持ち歩くには、十分すぎるほどだ。
俺の背後には、
崩れた建物の瓦礫が積み重なっている。
人が通れる道はなく、
そこは半ば、壁のようになっていた。
瓦礫の奥には、
潰れた台所の一部らしき場所がある。
石積みのかまどだけが、
不思議と形を保ったまま残っていた。
今は、誰も使っていない。
俺は腰に下げていた小さな金属の水筒を外した。
支給されたばかりの、何の変哲もない安物。
だが、泥と硝煙にまみれたこの戦場で、
その表面だけは指紋一つ残らぬほどに磨き抜かれていた。
中身は水だけ。
特別なものではない。
だが、
湯を沸かすことはできる。
俺は、かまどに火を入れた。
火は小さく、
煙もほとんど立たない。
水筒をかざすと、
やがて、かすかな音がした。
金属の肌を震わせる、微かな産声のような音。
沸騰まではいかない。
だが、十分だった。
俺は、湯を木のコップに注いだ。
何も入れない。
香りも、色もない。
ただの湯だ。
それを、
椅子を持ってきた男の前に置いた。
男は一瞬、視線を落とし、
それから、ゆっくりと手を伸ばした。
隣に座っていた最初の男が、その様子を、視線だけで追った。
湯気から立ち上る「熱」という、
この戦場で最も手に入らない贅沢を、
ただ黙って見つめている。
男の指先が、何もない自分の膝の上で、所在なげに動いた。
両手で包むように持ち、
少し冷ましてから、口を付ける。
一口。
二口。
何も言わない。
だが、
その動きは、どこか丁寧だった。
隣に座っていた最初の男が、
その様子をちらりと見る。
視線は、
コップに向けられていた。
そして、何も言わずに前を向く。
――次は、持ってこよう。
そう考えているのが、
なぜか分かった。
俺は机の位置を、ほんの少しだけ整えた。
椅子が一つ増え、
コップが一つ置かれただけだ。
それでも、
この場所は、昨日とは違っていた。
公式ログには残らない。
戦果にもならない。
だが、
湯のある場所は、
確かにここに生まれていた。
湯のある場所、ここに生まれています。
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