第16話 一方その頃
第16話 一方その頃
エリスとソフィアは、すでに歩けていた。
包帯は残っているが、それは周囲への配慮に近い。
本来なら、昨日のうちにでも剣を握れていただろう。
それほどまでに、彼女たちは強い。
回復が早いのではない。
ただ、限界まで行っていなかっただけだ。
――それが、彼女たちの立ち位置だった。
「……で、行くんでしょ?」
ソフィアが、紅茶を置きながら言う。
その視線の先では、エリスがベッドの端に腰掛け、靴を履こうとしていた。
「当然よ。もう動けるわ」
「はいはい」
軽い応答。
だが、次の瞬間。
「――ダメです」
低く、しかし即断の声。
二人が同時に振り向くと、そこに立っていたのはヒルデだった。
エリス付きのメイド。
そして、乳母。
年上で、経験豊富で、何より過保護。
「ダメ、です」
「ヒルデ……」
「ダメです」
語調は変わらない。
だが、引く気もない。
「昨日、あれだけの怪我をして帰ってきて。
今日はもう外に出る? 正気ですか」
「だから、もう回復して――」
「ダメです」
三度目で、エリスは言葉を失った。
ソフィアは一瞬視線を逸らし、それから咳払いをする。
「……ヒルデ。気持は分かるけど」
「ソフィア様もです」
即座に矛先が向く。
「あなたが一緒に止めてください」
「え?」
ソフィアは一瞬考え、そして――
「……まあ、今日は安静、かな」
あっさり裏切った。
「ソフィア!?」
「ほら、エリス。貴族の娘が無理して倒れたら、面倒でしょ」
「あなた、さっきまで行くって――」
「状況判断よ」
ヒルデは満足そうに頷いた。
エリスは、完全に包囲されていた。
上級貴族としての立場。
両親から託された監視役。
そして、乳母という名の最終防衛線。
どれも、力ではどうにもならない。
「……少しくらい、抜け出しても」
「ダメです」
「一時間だけ」
「ダメです」
「五分」
「ダメです」
即答。
エリスは天を仰いだ。
「……戦場より厳しいわ」
「当然です」
ヒルデは微笑まない。
ソフィアは、その様子を見て肩をすくめた。
「今日は諦めなさい。」
エリスは靴を脱ぎ、ベッドに戻った。
行けなかった。
行かなかったのではない。
来られなかった。
それだけの話だった。
一方その頃。
病室の窓辺に、夕暮れを眺める男がいた。
ノアは、腕を組み、赤く染まる空を見つめている。
「……俺も、そろそろ戻らないとな」
それだけ呟いて、彼は窓から視線を外した。




