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第8話◇狂わないために漫画を描く人

 特に「noteに書くもの」についての突破口を思いつくことはなく、ひとまずチラシを手に私はスペースに戻る。

 すると、今度はかなめが席を立った。

 今日新刊を出すというお目当てのサークルがあるらしかった。


 そのため、今、このスペースには私とタザキさん、もといシンヤさんが入っている。


 いつの間にか、私もかなめやスペースを訪れる人たちにつられて「タザキさん」ではなく「シンヤさん」と呼ぶようになってしまっていた。

 そして全く同じ意味で、私はかなめのことも「くるる」呼びを徹底している。

「くるるちゃんがシンヤさんのスペースにいると聞いてやってきた人」の案内も必要だからだ。

 どうやら共通の知り合いが多いらしい。


 ここでは本名よりペンネームの存在の方が勝つのだ。


 とはいえ、出会った初日から名前呼びが定着している距離感には、少しモゾモゾする。

 実際、来客がピーク時より落ち着いてしまった現在、私はシンヤさんと何を話したらいいのか、分からない状態だ。


 シンヤさんはというと、さっきからずっとノートに漫画を描いている。

 A5サイズの無地のルーズリーフに。

 ちらりと描いている絵が見えて、私はまばたきした。


「わ、すごいですね。シャーペンだけで、こんな……」


 ちょうど男の子が敵と戦っている、アクションシーンを描いているようだ。

 話の流れはその一コマだけでは全く分からなかったけれど、敵の武器の槍から必死に身をかわすようにした瞬間の、人や刃の動き、それに伴う風の動きと、戦闘の臨場感がしっかり伝わってくるものだった。


「これは原稿そのものじゃなくて、ネームだけどね」


 じっとノートに視線を落としていた眼鏡が、しっかりと見返す形でこちらを向く。

 朝感じた通り、やっぱり眼鏡の奥の瞳は気だるげで少し眠そうだった。


「ネーム?」

「漫画にする時の、下書きみたいなもの。実際に描く前にコマ割りとか台詞の位置とか構図とか、ちゃんと考えてる」

「へえ……。そういうこと考えて描いてるんですね」


 描く側はこうして一コマずつ、しっかり色々考えているんだなと、私は改めて知る。


「漫画書くの、大好きなんですね」


 素直に、そう感じた。

 だからそう口走った。


「……好きっていうのは、どうだろな?」


 けれども、当のシンヤさん本人は、何故か私の台詞にその首を大きく傾げて見せる。


「俺が漫画を書く理由は、狂わないようにするためだな」

「狂う?」


 狂う。

 思ってもみないネガティブな単語が出てきた。


「趣味なのに必死にやるってことは、それだけしっかり好きなんだな」と認識したつもりだったのに。

 違うのだろうか。


 私の疑問に、シンヤさんは線を引く手を止めた。

 ちょうど敵キャラの武器の斧の切っ先部分が男の子の首筋をかすめていく、その斧の動きの軌跡のラインをすっと描き加えようとしたところのようだった。


「この年になるとさ、周囲に派手な成功者が出始める。平凡な俺は何も成せてなくて、今まで何やってたんだ?って思っちまう。暴力的な気分になって当たり散らしたくなる」


 その描くはずの攻撃的なラインを示しているつもりか、シンヤさんの右手、シャーペンを支える形のままの薬指の先端が、ノートの上を、自然な形でスッと滑る。


「そういうことを防ぐために、俺はちゃんと何かしてるんだぞ、って示すためにやってるな。ま、肯定感のため……か」


 続けながらくるりとシャーペンを回して、トントン、とそのお尻の部分でノートを軽く叩く、指先の動き。

 一瞬、その動きこそを、絵の少年を襲う敵の槍の動きそのものに錯覚しそうだった。


「俺のこれは、吐き出された怨念の結晶みたいなもんだ。描かなくても狂わなくて済むなら、普通にあんまりやりたくねぇわな」


 ちょっとした諦めと疲労。


 同時に、その逆のはずの、諦められない何かと、ギラギラした静かな意志。

 シンヤさんの口調から、口ではやりたくないと言いつつもしっかりと完遂させる人間特有の、強い気配が滲み出ている。


「プロじゃねぇのに、徹夜して風呂も飯も忘れて、素人のくせにプロみてぇなことしなきゃいけねぇし。面倒だろ」


 それまでの疲れてとろんとしていた瞳の奥、面倒と断言しつつも逆に確実に強くなった輝きに、シンヤさんの漫画への想いが伝わってくる気がした。


「でも、やっぱり、ちゃんと好きじゃないとできないことだと思います。こんな、時間も気力も削ってるんですし」


 だから、私はやっぱり断言する。

「あなたはちゃんと漫画を好きでやってるんですよ」と本人に示すために。

 線の書き込み具合が、あまりにも語り過ぎていると思うから。


「好き……か。そういうの、まだ俺の中に残ってるんだったら、いいな」


 私を見返すシンヤさんの瞳はそれだけ雄弁だったというのに、本人はあまり自分がそうだと認識していないようだった。


 再び視線を落として、シンヤさんはネームの続きに取り掛かる。

 ちょうど眼鏡に照明の光が反射していて、今はその目元は窺い知れなくなった。


「……いや、ありがとう。気ぃ使わせちまったかな」

「いえ、そんなことは」


 問いに、私はしっかりと首を振る。

 気を使って、というわけじゃなくて、ちゃんと素直に感じたことを伝えたのだから。


 何となく、私にもその「狂う」の意味が分かるような気がした。


 だって、私も「何もない」人間だ。

 あまりにも「平凡」だ。


 このまま、お婆ちゃんになるまで生きるの?

 何もなく?


 私もこっそり、自分に対してそう思っている。


 そんな「何もないこと」への強い焦りが、執着となって作品の形に仕上がる人もいる……。

 そうやって、手段を見出して形にできる人もいる。


 だとしたら。

 同じように心に焦りは存在していても、シンヤさんのように、書くことや書くための理由が存在していない私は……一体何なんだろうか?


 そういえば、先日のかなめも焦っているように見えた。

 かなめにもそういう、狂いそうな時があるんだろうか。

 中学生の頃から知っている彼女は、あんまり悩んでクヨクヨするような子じゃない、と思っていたのに。

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