第5話◇かつてアイドルだった人
ということは、その人が、コスプレイヤーかつ彼の姉であるAKARIさん、ってことだ。
「ね、姉ちゃん。やっぱり俺……」
そして何やら、この姉と弟はモメているようだった。
ためらう態度の弟に対して、姉はきっぱりと言い放つ。
「今さら、今日はコスやめる~、なんてこと、言わないわよねぇ?ツテを辿って辿って、私が入手してあげた、限定フィギュア。何が取り引き条件だったか、言ってみなさい!!」
彼女の指摘通り、「やっぱりコスプレやめる」と弟は言い出そうとしていたらしい。
しかし強めの先制攻撃を受けて、彼は仕方なくモゴモゴと呟くこととなった。
「ファンタジー漫画『ユーイング・サーガ』の敵キャラ『深淵のアルザス』のコスプレをして、姉ちゃんの『オフィーリア』と写真を撮ることです……」
どうやら、この時点で大体の決着がついたようだ。
「フフン、分かってるじゃない。なら、行くわよ!!邪魔したわね、シンヤ兄。あと、くるるちゃんと、そっちの子も」
そっちの子、と言った時には「名前は知らないけどあなたのことよ?」と伝えるように私を見て。
そして弟のリュックのちょうど首の後ろ、「持ち手」になるところを掴むと、AKARIさんはそのまま私たちに言い置いて去っていく。
「うううう、嫌だぁあぁぁ」
半ば引き摺られるようになりながらゴネている弟のことは完全にスルーだ。
「相変わらずだねぇ」
「通常運転だよ」
そんな二人組を眺めて、かなめはクスクスと笑い、シンヤさんも「まったく、あいつらは」と吐息をつく。
「あれが、いつものことなんだ?」
だから私も、そのまま遠くなっていくふたりの背中を見送りつつ訊いてみる。
そしたら、何でか、意味ありげな様子で、かなめとシンヤさんは目配せをし合った。
「気付かなかった?」
かなめが確認するかのように訊いてくる。
「何を?」
全く分からない。
何に気付くべきだったのか。
私は不審な表情のまま、かなめに情報開示をお願いする。
「さっきの彼。『SOLUNAR』の東雲洸よ」
すると、詳細は声をひそめて、とても注意深い様子かつ小声でかなめに耳打ちされた。
「しののめひかる……?って、何だっけ……?」
ただ頭の中にピンとくるものは特になくて、私は眉を寄せた。
なので、「もうっ、仕方ないなぁ、さゆみは!!」と言いたげな顔つきのまま、かなめは更なる情報開示をしてくれる。
「高校の頃にさ、『リフレ』っていう炭酸飲料あったでしょ?ほら、私がペットボトルについてるリフレちゃんのグッズが欲しくて、さゆみに手伝ってもらってさ……」
グッズの「リフレちゃん」。
この説明で、ようやく私の脳内でも当時の思い出がふっと蘇ってきた。
全十種類の小さなリフレちゃんのお人形が、炭酸飲料「リフレ」のペットボトルにランダムについてくる、というやつだった。
全種コンプリートを目指すかなめに付き合い、取り扱い店探しのために街をひたすらさ迷った、という記憶。
「ああ。『光のプリズム、手に届きそうな君が僕の~』とかいう歌の、男の子がふたりで出てた海辺のCMの……」
刺激された結果、『リフレ』のCMソングが記憶の底から浮かんでくる。
「そう、そのコンビが『SOLUNAR』ね。それで、さっきの人が、そのうちのひとり」
「へっ?」
思いもよらないことに、思わず私は声を上げる。
テレビCMのアイドルらしい男の子たちと、ついさっきの、姉に連れ去られながらゴネていた、もっさりした前髪の彼のイメージが、全く頭の中で繋がらなくて。
「アイツ、ああ見えて元アイドルなんだわ。それでさっきの女子は、姉でコスプレイヤーのAKARI。で、俺は、あいつらのいとこってわけ」
かなめの台詞の続きを、タザキさんが引き継ぐように教えてオチをつけてくれた。
「『SOLUNAR』は、一応、名前を聞いたことくらいならあったけど、全然そうとは気づかなかった……」
私は思わず口走ってしまう。
すると、逆に二人を安心させてしまったようだった。
「いや、気づかなくてよかった。かえって助かった」
「え?」
助かった、とは、どういうことなんだろう?
二人の私への態度を見ていると、明らかにホッとしていることが分かる。
「うん。ファンだったりしたら、騒いじゃって大変だったと思う。さゆみは時代劇の大林さん以外、そこまで芸能人に興味ないから、大丈夫と思って会わせられたんだけど」
「まぁ、確かに興味はなかったけどね」
よくよく話を聞いたところ、どうやら今回は私の「他人に対する興味の薄さ」が買われての、引き合わせだったらしい。
「元、って言った通り、今はやめてるから。売れて忙しかった分、色々あったみたいだ。あんま詳しくは聞いてないけど」
「本当、大人気でしたもんね、『SOLUNAR』……」
などと、ほぼ雑談状態になっていたタイミングだった。
「大変お待たせいたしました。ただ今より、サークル入場を開始します」という館内放送が高らかに響き渡る。
「……行くか。配置は……ええと、N‐20a……」
自分の荷物と、先ほど新たに受け取っていた荷物を抱え直すと、タザキさんが颯爽と歩き出す。
「本の在庫は、全部送ってるんですよね?」
「ポスター立てに、ペーパーもだな。先に宅配物の回収してからスペース行こうか」
「さゆみも、いい?」
「うん、了解」
私たちは他のサークル入場する人たちに混じって、列に押し流されるように早足になりながらも、これからの手順を確認する。
完全に話題は切り替わり、私たちはその後しばらく、設営準備作業ばかりに気を取られることになった。
机の上に敷き布、タザキさんが書いた漫画の本を全部で四種並べて、ポスターを設置する。
そして、タザキさんがさっきの彼から受け取っていたポストカードとポスターも。
タザキさんの漫画は青年漫画っぽいバトルもので、確かにかなめが言っていた通り、かっこいい感じだ。
ポスターはちょっと主人公の男の子の隣、ヒロインらしい女の子のスカートの裾がチラッとめくれてて、えっちな感じだったけど。
ポストカードの方はイラストではなく、写真だった。
五種類の、空や植物あたりの風景写真。
五種のうちの一つ、朝焼けだろうか夕焼けだろうか、紫がかった赤の空を写したものを、大きくポスターに加工していた。
トートバッグからはみだした筒状のケースに入っていたのがこのポスターだった。
「スバルのポストカードの見本、全部繋げてポスターの下にくっつけよう。値札カードも作って……」
タザキさんの提案で作業に没頭しているうちに、やがて一般入場の開始時間になり、そして改めてアナウンスが流れる。
『ただ今より、オールジャンルイベント・コミックアクセス5、一般入場を開始します』
いつの間にか、会場内には先ほどよりもずっと人が増えていた。
会場内の熱気も上がってきていた。
それでも私自身は冷静で。
まるで他人事のように、ただ売り子の仕事を無事に完遂させることしか、考えていなかった。