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第44話◇マシュマロチョコレートの苦み

「すももさん!!」


 何とか追いついて、その背中に声をかける。

 すると、それまで早足で歩いていた彼女の足が、ピタリと止まった。

 振り向きはしない。

 けれども、一応は話を聞く気で止まってくれたのだと、それは分かった。


「あの、私、嬉しかった。すももさんと会えて。今日、本当に楽しみだった。すれ違った結果、こういう形になっちゃったのは、残念だったけど」


 もし私がたまたま席を外していなくて、ちゃんと事前に話せていたなら、私が間に入ることができて、すももさんと月浦さんがここまで衝突することもなかったのかもしれない。


「noteで知り合って、少しだけどコメントし合って話して、楽しかった。すももさんの東雲さんへの気持ちも、記事を見てちゃんと知っていて、でも、写真アカウントの『東浦晃星』さんの正体は、隠して欲しいって感じだったから、それは言えなくて……」


 しどろもどろになってしまっているけれども、ちゃんと全部思いを伝えたかった。

 やがて、はぁ、と息を吐く音がした。すももさんがこちらに振り向く。その両眼には大粒の涙が潤んでいた。


「いいよ……。もう全部、分かってる」


 話し出すと、こらえきれなかったようで、涙の水滴が後から後から、彼女の頬を零れ落ちていく。


「痛々しいファンだって、思っているよね。でも、私たちにはどこにも、ぶつける場所なかったの」


 私は以前の、すももさんのnote記事を思い起こす。

 痛々しげになっていた、その様子を。


「私みたいな極端なことするファンは、ストーカーって判断でいいと思う。でも、さっき言ったファン目線での私の意見は、どのファンもずっと抱えてること……」


 すももさんは、手にしていたタオルハンカチに、その顔を埋めた。

 私はすももさんの前に、周囲の人からその様子を隠すように立つ。

「なになに。あの人、泣いてるの?」と言いたげな視線が、いくらか寄せられていたから。


「だから、私が伝えられてよかった。もう二度と洸に会えなくても、嫌われても、私はこれでよかった」


 そんなふうに泣くすももさんを晒し者にする気持ちはなかった。

 なので、その背を抱くようにして、なるべく人が少ない方、目立たないところへと、誘導する。


 適した場所があって、助かった。

 人はいたけれど、熱心に買った本を読んでいたり、荷物の整理に腐心していたり、こちらにそれほど強く関心を向けなさそうな人たちがいる一角がそこにあった。


「すももさんは、優しいよ」


 あやすみたいに、背中を叩く。

 ふわふわのパーマをかけた髪の毛はすっかり乱れていて、それも整えるように直した。


 体温や感触。

 ふわりと香る花の匂いの香水や、声の震え。


 私の中で文字情報だけで実体がなかったはずのすももさんが、ここにきて初めて、きちんと生身の人間なのだと、こうして触れることで思い知らされているような気がする。


「東雲さんと、如月さんと、他のファンの人たちのためにも行動したんだよね?」


 すももさんが理由なくこういうことをする人だとは、私は思っていない。

 だから推理したことを私は口走る。


「……ううん、そんな綺麗なもんじゃない。私は、私のためにやったの。全く下心がなかった、なんて言えない」


 けれど、すももさんはきっぱりと否定する。

「理由があるならやっていいんだ」とは、決して思ってはいないから。

 やっぱり本来は周囲の状況によく気が付く、優しくて全部自分で引き受けてしまう、不器用で実直な人なんだと感じた。


「だって、もしかしたら、これで洸にとって忘れられないファンに、なれたかもしれないじゃない」


 そんな自分のことばかりを考えてストーカーする子は、こんな複雑そうな苦しそうな表情、していないと思う……。


「白湯さん、フォロー外していいよ。洸が私のアカウント自体を消せって言うなら、それも伝えてくれれば消すし」


 言いながら、すももさんはぎゅっと、私の手首を握ってきた。

 だから、私は「それは望んでないよ」と伝えたかった。


「私は消して欲しくないし、フォローも外さないよ」


 元アイドル「東雲洸」や、その身内のAKARIさんやシンヤさんがどう判断するのかは、置いといて。

 私自身の気持ちはそうだった。


「洸やお姉さんの友達として、私を監視するってこと……?」


 不安げな問い。

 その通りに「友達なら、友達を害した人間は敬遠する」という考え方も、確かにあるのかもしれない。


 けれど、今、私はそういうことは考えていない。

 私にとっては、月浦さんたちだけでなく、すももさんも「私が好きなフォロワーさん」のグループに入っている人だから。


「ううん。好きな記事いっぱいあるし、個人的に、すももさんとは今後もnoteで仲良くしたいと思ってるだけ。ワガママな意見かもしれないけど、今となっては、なおさら、すももさんの話がちゃんと聞きたいかもしれない……」


 そこまでの「東雲洸」に対する執着力が、一体彼女のどこから生まれているのか。

 今、私は知りたいと感じている。


「……何それ。変なの。でもなんか、白湯さんの記事もコメントも、いつも優しいような気がしてた」


 ふっ、と。

 実際に顔を合わせて以降、初めてすももさんは笑い顔を作ろうとした。

 完全に失敗したけれど。


「アカウントは、まだ……洸本人の意向で消すように言われるまでは、消さないでいる。でも、しばらく休む」


 ズッと鼻水をすすりつつも、その目元をタオルで拭っている、すももさん。

 それで、彼女がこの涙の峠を越えたことが私にもはっきりと分かった。


「考えも、まとめたい。白湯さんには、伝えられるように」

「うん。わかった」


 私もしっかりと頷いて返す。

 これで、今後すももさんがアカウントを消すとしても、その前に一度話ができることは確約したと思う。


「私、帰るね。あのね、これ、白湯さんに渡したかったの」

「うん。あっ、ありがとう……」


 もう大丈夫だと言いたげに、すももさんは私の腕に軽く触れる。

 そうして、私に小さな紙袋が渡された。

 受け取ったらすぐに彼女は歩き出してしまったから、私は呼びかける。


「じゃあ、またnoteでね!!」


 また。

 その言葉に、すももさんの表情が歪んだ。


「うん……また、ね」


 辛そうな、でも少し安心したような、そして喜びもこっそりひとさじくらい含まれていそうな、そんな顔だった。


 しばらく、帰っていく彼女の背中を見送って。

 私は手元に残された紙袋に視線を落とす。


 中身はお菓子が入っているらしい小箱と、ミニサイズの封筒。

 確認すると、マシュマロチョコレートのお菓子と、龍のイラストシールつきメッセージカードだった。


『いつも大林さんの記事楽しみにしています。白湯さんとお会いできるの、嬉しいです。龍のシールがあったので、大林さんっぽいかなと思って貼ってみました。うらはらすもも』


 私はお菓子のパッケージを開ける。

 個装を開けて一つ、マシュマロを頬張ってみると、特有の弾力の後にとろりとチョコレートの甘さが広がる。


「……やわらかい。おいしい。選んでくれたんだ、龍のもの」


 大林昌親といえば「昇龍、舞う」。

 きっと私が喜ぶと思って、そうしてくれた。


 現時点の状況には、微妙に似合わない甘い味かもしれないけれど、すももさんの私に対する優しさを、確かに感じる。


 ざわざわと喧騒が響いていた。

 もぐもぐと、時間をかけて咀嚼しながら、それに耳を傾ける。


 そうして、私は初めて以前のイベントで会った時に、すももさんが「東雲洸」が作ったポストカードを狙い撃つかのように買っていったことを思い出していた。


 あそこはシンヤさんのサークルで、ほとんどがシンヤさんの在庫だったのに。

 ざっと机の上を見ただけでコレって思って、彼女は買ったんだ。


「本当にファン、なんだなぁ……」


 呟いて。

 私はハッと気がついた。


 あ。

 そうだ。

 私、すももさんのご本、買えてない……。







 みんなのところに戻ると、すぐにかなめと月浦さんが駆け寄ってきた。


「あーっ、よかった!!さゆみ、やっと戻ってきたよ~!!」


 開口一番のかなめのこの口調、どうやらかなり心配させてしまったらしい。

 月浦さんも不安げな視線で私を見てきている。

 おそるおそる、といった様子で訊いてきた。


「あの子のこと、追いかけて行ったんですよね?あの、大丈夫でした……?」


 この月浦さんの問いの「大丈夫」というのは、直接対応した私のこともだけど、すももさんのことも訊いてるんだと思ったし、「東雲洸への影響があるのか」って意味でも確認したいんだろうな、と私は察する。


「大丈夫。トラブルにはなってないです」


 ひとまず答えるとホッとしたようで、その詰めていた息や肩の力が緩んでいく。


「ごめんなさい。俺のせいで板挟みって言うか……。さゆさんのフォロワーさん、でもあったんですよね?彼女」


 俺のせいで、と変に思い詰めてしまいそうだったから、私はなるだけ軽く聞こえるように断言した。


「うん、でも、問題ないです。感情的にはならずしっかり話せたし、彼女も、もうストーカー行為はしないと思いますし」


 何となく、すももさんが「これ以上」のことをやらかすことはないはずだと、私は確信している。

 たぶんさっき彼本人の目の前で言ったこと、その全てを伝えたくて、すももさんなりに機会を探った結果、最終的に「付きまとい」の形になっていたんだろう。

 あの時間でしっかり伝えきれたはずだから、おそらくそれで終わったのだ。


 ……討ち死に、みたいな形にはなっちゃったけど。


「良くないことだったかもしれないけど、それでも彼女は覚悟して、あえて仕事したんだと思う。ファンとしての」


 褒められたことでは決してないと、本人だって分かっていて、それでも「洸のために」と動かざるを得なかったのだ。


「そう、ですよね。宵悟のことも、ファンのことも、置き去りだったんだ。自分のことばっかりだった、俺は」


 自分のこれまでの言動に対する、恥じた台詞。

 まるで地の底にまで落ち込んでいる様子で、痛々しかった。


「シンヤ兄にも姉ちゃんにも、だいぶ怒られました」


 本当に二人にこってりと絞られたようだ。

 おそらく、私がすももさんと話していた間、ずっと。


「これからやれば、色々と取り返せることもありますよ」


 私は言う。

 これはただの気休めでも何でもなく、きっとこの人はもう「逃げずにそうするしかなくなった」のだ。


 シンヤさんとAKARIさんに怒られて、戸坂さんにも「ちゃんと話した方がいい」と言われて、如月さん本人も話したそうにしていて、ファンのすももさんたちも「どうにかして欲しい」と願っている。

 私も、概ね同じ意見だ。


「……ですね。もう間に合わないことも、あるかもしれないけど。何もしないよりは……」


 すももさんと「東雲洸」の間で交わされた約束は、きっと口約束で終わることはなく、きちんと履行されるだろう。


 足元に視線を落としている月浦さん。

 その様子を見ながら、私は確信する。


「予約できたぞ、居酒屋」

「シンヤ兄、姉ちゃん……」

「ほら、みんな。スバルのスペース片付けたら帰るわよ。そのまま打ち上げ、居酒屋に移動ね」


 その月浦さんの肩を、近づいてきたシンヤさんが軽く叩いた。

 AKARIさんも私やかなめを促して、私たちはゆるりとその場から移動することとなる。


「……行きましょうか、さゆさん」


 ついさっきまで立ち尽くしたまま動けそうにない様子だった月浦さんも、何とか全身の力を振り絞るようにして歩き出そうとしている。

 だから、私もそっとその背を押した。


「ですね。片付け行きましょう!!そして、飲みましょう!!」

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