第41話◇大体何とかなるはずの、如月宵悟さんは
二人で写真集を見ながら、「写真集の現物の写真」を撮って載せたnote記事を作るという話をしていると、店長の顔で戸坂さんが私たちに声をかけてくる。
「二人とも。そろそろ閉店だよ~」
楽しい時間はあっという間だ。
店の中、既に私たち以外のお客さんはいなかった。
「あ……もうそんな時間なんですね。じゃあそろそろ……」
私は荷物をまとめ、伝票を気にして視線を動かす。
けれども、そこでまだ立ったまま、月浦さんを見つめたままの戸坂さんに気が付いた。
戸坂さんは珍しく神妙な表情をしていたから、思わず引き寄せられるように私も手を止めてしまう。
「あのさ、洸。来るって言わないでおいたのは悪いと思ったんだけど、お前らには必要そうだって思ったから。一度会って話す機会は作った方がいいと思った」
「なに?どういうこと?」
端的過ぎる説明に月浦さんが不審そうに戸坂さんの顔を窺おうとした、その瞬間。
ドアの鈴の音が響き渡った。
鈴の音は鋭くて、ドアが勢い良く開けられたことが分かった。
「っ、洸!!」
声が響く。
「な……」
「如月宵悟、さん……」
そこに、如月さんがいた。
テレビで見たのと全く同じ顔をしていたけれど、息を切らしていた。
走ってきたのかもしれない。
月浦さんがいる間に「琥珀糖」に辿り着こうとして。
フルネームで呼んでしまった声が届いてしまったのか、その厳しい如月さんの視線が、私に向いた。
「……女と、会ってたのか」
その台詞で、何やら妙な誤解をされかけていることに気が付く。
月浦さんといるとこういうことが多いな、と感じた。
「この人は、俺の写真家の夢に協力してくれている人だ。今も打ち合わせをしていた」
「事実だよ、宵悟」
月浦さんと戸坂さんが訂正してくれたので、私は改めて名乗ることにする。
仕事帰り、スーツ姿でここに来ていて正解だったかもしれない。
「初めまして。堀紗由美と申します。月浦さん……いえ、『東浦晃星』さんのマネージャーの仕事、写真集を出すお手伝いをしています」
これは正しい情報だと思うので、そう伝えた。
すると、如月さんは衝撃を受けた顔になる。
「写真……本当に……?」
たぶん、彼は月浦さんの写真家の夢を、実際に行動する話だと思っていなかったから、こんなに驚いているんだと思う。
これは「俺はもう次の仕事に目を向けているんだ」という事実を、月浦さんが如月さんに突きつけたに等しいから。
「――本当に、戻って来る気はないのか?洸」
説得すれば何とかなるかも、みたいな希望を持って、如月さんはここまでやってきたのかもしれない。
「そんな、信じられない」とその表情が語っている。
「俺が、悪かったのなら、謝る……。だから……。たとえ終わるとしても、こんな終わり方は、俺は、嫌だ」
絞り出すような声で縋っている。
それは先日のテレビで見た、涼しい顔でゲームをクリアする、そんな自信家な様子は欠片も存在しなかった。
「宵悟は何も悪くない。俺には新しい夢がある。だから、戻らない。前に言った通りだよ」
はぁ、と月浦さんが大きく息を吐く。
そうして、持っていたバッグから写真集を取り出す。
「これ。作ったやつ。お前にも渡しとく」
その胸元に押し付けるようにして、月浦さんは手渡した。
「本……?」
「写真集。今の俺の全力。でも、こんなのいらないって思うなら、捨てていい」
やっぱり月浦さんの心の中、「そんなことより」と言われてしまったことへの怒りは消えていないようだった。
「さゆさん。帰りましょう」
早歩きの月浦さんはそのまま店を出て行ってしまう。
如月さんと戸坂さんに頭を下げてから、私も追いかけた。
うーん……。
「大体、何とかできる」はずの如月さん。
今回ばかりは、何とも、ならなかったなぁ……。
けれど、きっと戸坂さんが如月さんの方は何とかしてくれると信じておく。
私は月浦さん担当だ。
小走りで店を出ると、少し行った場所で所在なさげに立ち尽くしている月浦さんを発見した。
「すみません、さゆさん。微妙な空気にしちゃって」
「いえ」
私の姿を認めた月浦さんが下を向く。
なので、私は首を振った。
そうして――訊ねてみることにした。
「あの。これはずいぶん前にも訊いたと思うんですが、また質問させて頂きますね。……戻りたい感じは、あるんです?」
出会ったばかりの頃にもした質問だ。
あえて、私はそれを繰り返す。
沈黙が訪れる。
暗さと、車が走っていく感じと、周囲の店の電光掲示板の光の具合……。
私は今のこの情景を、どこかで見たことがあるような気がした。
ああ、そうだ。
きっと、この場所であの月浦さんの「カメラを買い替えたい」に掲載された光の写真は撮られたに違いない。
その時の月浦さんはこういう光景を見て、「こういう感じ」を写真として残したいと感じていたのかもしれない……。
「――何で、それを訊こうと思ったんですか?」
「今なら、前と違う返事が返って来そうな気がしたので」
月浦さんの問いに、私は真っすぐに応える。
ぐっ、と何かを言いかけたのを耐えて。
そして、その気持ちを必死に逃がすようなそぶりをして。
月浦さんは改めて、私を見る。
「さゆさんは、本当に、すごいですね……」
私を称賛したその台詞は、少し泣きそうな気配をはらんで震えていた。
「……宵悟にあんなふうに頭を下げられたの、初めてなんです。だから、宵悟にとって俺って意外と価値あったんだ?って、そしてこれほどの奴に相棒として認められているんだって意味で、嬉しさは強いです。今でも」
あんなふうに強く求められて引き留められて、月浦さんは結局、嬉しかったんだと思う。
それは「お前は俺の引き立て役じゃないよ」って言ってもらえたようなものだろうから。
ずっとその言葉が欲しかったんだろうから。
「でも、俺は写真を諦められない。どっちも全力でやれるような器用さもない。なら、選ぶしかない。片方を捨てる形で」
もう戻れないのに。
少なくとも、今の月浦さんがそう考えてしまって苦しく感じていることは、明確だった。
だけど――本当に戻れないんだろうか?
「それは、捨てるしかないんでしょうか?私が思うに、この場合の『捨てる』と『終わらせる』は、違うのでは?」
私は思う。
月浦さんは「一度ちゃんと戻った方がいいのでは」と。
彼自身、そして彼を取り巻くたくさんの人たちのためにも、その方がいいのではと。
「こんな終わり方は嫌だ、と如月さんは言っていました。ということは、『より良い終わり方』についてお二人できちんと考える、という案もあったのでは?」
「『より良い終わり方』を、考える……」
月浦さんは、私の台詞を噛みしめるように繰り返した。
数台の車が通っていって、ヘッドライトやテールライトや街灯、電光掲示板の光が私と月浦さんを照らしていく。
そして移動した光源は瞬いて闇に散って、一部は消えていった。
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