第33話◇ToDoリストを埋めるもの
『さゆさん、うち来ます?』
そんなスマホの表示に驚きつつも、その方がいいんだろうな……と私は考えた。
毎回毎回、喫茶・琥珀糖の席を長時間陣取るのも、他のお客さんに申し訳ない。
そして今必要なのは、私と月浦さんの中で出したい写真集のイメージを固める作業だ。
私の写真集の手持ち分は、先日買った三冊のみ。
それに対して、月浦さんは普段からわりとたくさん写真集を買っているようだし、カメラの雑誌あたりも買っているらしい。
そもそも写真に関する知識も足りていないので、私もそういう本を見てもっとお勉強するべきなんだろう。
というわけで、図書館を利用するのと同じノリで、私は仕事が休みの土曜日の昼十四時、教わった月浦さんの自宅住所に向かった。
一階エントランスのインターフォンを押す。
そして指示通り、私は彼の部屋へ。
すぐに返事があった。
ドアが開いて月浦さんが姿を現す。
「こんにちは。すみません、家まで足を運ばせてしまって」
「こんにちは……あっ、前髪が」
挨拶をし終えるその前に、私はまじまじと月浦さんのおでこを眺める。
前髪がカチューシャで上げられていて、珍しく両目がしっかりと見えていた。
初めてしっかりと顔を見た。
「へ……変ですか?」
あまりに注目してしまったからか、月浦さんは不安そうに眉を寄せている。
目元の表情が分かりやすくなっていた。
「いえ。何の問題もないです。視界、邪魔ですもんね」
大体、自宅でどんな髪型をしようと、その人の自由だろう。
促されるままに玄関で靴を脱ぐ。
通されたリビングは白の壁に黒と焦げ茶色が映えた、男の人らしいシックな落ち着いた部屋だった。
ひんやりと冷房が効いている。
限りなく黒に近い灰色のソファーの前には、ウォールナットの色合いのテーブルが置いてある。
ちょうど弄っている最中だったのか、カメラが複数置いてあった。
私でも馴染みがあるコンパクトな形の、ずいぶんと使い古した痕跡があるデジカメが一台。
その横に、こちらはまだあまり傷もない綺麗な、一眼レフというのだろうか、もう少し本格的なカメラがもう一台。
壁際には天井まである大きな本棚があって、まるでその一帯だけ、本屋みたいだと感じた。
「わ……すごいですね。本と……DVD?」
ソファーにバッグを置かせてもらい、私は本棚を見上げる。
「はい。前の仕事のと趣味の、全部ここにまとめてます。写真集はこの辺り。市販のものと、同人誌のものもいくつか」
右下の一角を示される。
視界の左端、SOLUNARのコンサートのDVDがあったけれど、あえてスルーして、私は右側を見る。
確かに下手な本屋よりも、写真集に限ってはかなり充実していた。
来てよかった。
「読んでみても?」
「どうぞ。飲み物、ペットボトルのお茶でいいです?」
「はい。ありがとうございます」
了承を得たので、私はざっと背表紙を眺めて興味を持ったものの中身を確認する、という行為を繰り返す。
辞書や辞典みたいな、いやにぶ厚いもの、日本語じゃないもの、表紙の加工が面白いもの、色々だ。
その間、月浦さんは冷蔵庫を開けて、グラスに氷を入れてお茶を注いでいた。
一通り見てある程度気が済んだ私が顔を上げた頃には、お茶の用意は済んでいて、テーブルの上に麦茶入りグラスが載ったお盆が置かれていた。
私は勧められるままにソファーの方に戻って座ると、お茶を飲んだ。
麦茶だ。
よく冷えていて、少し歩いて熱を持っていた体には心地いい。
外はかなり暑かったのだ。
「どういう中身にするか、テーマ、決まりました?」
確か、前回はこれが決まらないまま解散したんだったなと思い出す。
すると、月浦さんは、まるで宿題が間に合わなかった子供みたいな顔つきになった。
「ううん、まだ、決めきれなくて……」
ちょっと気まずそうに返答してくる。
決めあぐねているのなら、と私は提案してみることにした。
「私、前回お話した後の帰りに、本屋の写真集のコーナーでちょっと偵察してみたんですよ」
いくつか「写真集」と呼ばれるものを見てみて、個人的に思ったことがある。
単純に、ただの読者として。
「それで、今も見て思ったんですけど、一言に写真集って言っても色々で。でも、ただ単に写真だけっていうより、ストーリーがある方がスッと入って来るなと思ったんですよね」
「ストーリー?」
「はい。街とか動物とか建物とか他にも、撮られているものは様々なんですけど、作者の想いやこだわりが反映されていて、それがひとつながりの物語みたいに感じるんです」
顔や性格を表に出してその人のキャラクター性で売る、というやり方も、確かにあるんだろうなとは思う。
でも、今回は「それは違う」ということになっている。
だったら。
「何か、伝えたい想いやこだわり、きっと月浦さんの中にもあると思うんですよ。写真自体にそれがあれば、そして月浦さん自身が『そういうテーマで写真を撮ってる人』になっちゃえば、それが月浦さんの個性になり得るのではと」
撮って編集した人の意図に沿って集められた写真。
それに対して、顔も知らないその人の個性を、私は確かに感じたような気がした。
そもそも、noteだって、ほとんどの記事の書き手の人たちの顔を、私は知らない。
知らない人のはずだけれど、それでも「キャラが伝わってきて分かっている人」というのはたくさんいる。
それと同じことなんじゃないのか。
「こだわり……。そういう、自分のことを深く探るの、今までほとんどやってきてないんですよね。俺……」
ああ、と月浦さんは自分の口元を右手のひらで覆うようにする。
ゆるゆると人差し指が唇を撫でていた。
おそらく無意識だろう。
それは深く考え込む時の彼の癖なのかもしれない。
「自分のことを立ち止まって考えると『東雲洸』の仕事のノイズになってしまって、流された方がまだ楽だったから。でも、たぶん、流され過ぎて溺れちゃったわけですけど」
月浦さんは自分の「東雲洸」としての顛末を、そういう形で認識しているらしい。
「うーん。でも、そういうの、何気に撮った写真を見ていけば、しれっと出ちゃってるかもしれないですよ?」
人が何かをやっている時、「全くその人らしさが表現されない」ということが、あるんだろうか。
どんなに隠そうとしてもにじみ出てしまうものというのは、私は確実にあると思う。
「確かに自分自身が商品の仕事、しんどい部分も多かったと思うんですけど、リフレのCMの映像のキラキラのところみたいな、『自分じゃない好きなところ』もあったわけじゃないですか?」
私と月浦さんの中の、共通の「いいと思ったもの」を例として出す。
あの雫は月浦さん自身ではないけれど、月浦さんが素敵だと感じた「そのもの」だ。
「それを好き」という、彼自身の個性が、まさにそこにあると言えるのではないか。
「あの映像の、光に透けた水滴が空に飛んでキラキラしていたのが好きだった、って月浦さんも言ってたじゃないですか?そういう、なんか自分の心が『気持ちがいい』って言ってるやつを、集めていけばいいんじゃないですかね?」
いつの間にか、月浦さんの視線は私に戻っていた。
唇を撫でていた手の動きも止まっている。
聞いてくれている。
「で、そうやって集まったものには何かしら、きっと共通点やパターンがあると思うんですよ。それが月浦さんにとっての大切なもの、核になるもの、ってことになりませんか?」
時間にして十数秒ほど、月浦さんは黙ったまま、私の顔を見返していた。
やがて、はーっ、とその口から息を吐き出す。
ちょっと呼吸が止まってしまっていたのかもしれない。
「……すごい、ですね。さゆさん。俺の頭の中で、俺の思考オンリーで考えがまとまろうとしているの、初めてかもです」
ほう、と大きく息を吐いて整える、月浦さん。
こんなふうに真剣な面持ちでじっくり感心されたことはなくて、私の方が驚いてしまう。
「そ、そんなにですか!?」
「子供の頃は家族の意向が強かったんです。事務所に履歴書送ったのも姉ちゃんですし。事務所に所属してからはそっちの意向に従うことが多くて、流され癖がついてるみたいで」
情けないですけど、と聞こえるか聞こえないかの、ぽそりとした小声で追加される。
それは情けないんだろうか、と思った。
みんな多かれ少なかれ、そうやって流されて生きているんだと思うから。
「こうしたい、って言っても『それはイメージ的に無理』みたいなことも言われて、すぐに諦めていましたし……」
結局、彼も私と一緒なのかもしれない。
そうやって流されることで諦めて、全てを後回しにしてきたのかもしれない。
「じゃあ、その時できなかったことを、今後はあえてやってみるとか?それを写真に撮るという」
その時は実現できなかったとしても、やりたいことがあったというのなら、そこに月浦さんの「こだわり」がいまだ眠っているのかもしれない。
あえて掘り起こしてみるのも、悪くない案かもしれない。
一枚や二枚程度の写真を撮ったくらいで未練がなくなって想いが成仏するのなら、印象的な『テーマ』にはならないと思う。
ToDoリストを作っておいて一つずつ消していくような、そんな作業がこの人には必要な気がする。
「作品としてのテーマ」なんてものは、その先の話になるのかもしれない。
「月浦さんの中で『これをもっとやりたい』みたいなことや執着することが出てくれば、それをメインに撮っていく。撮りながら見返して探していく、というのはどうでしょう?」
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